フォンゼル司教とリグハーヴス女神教会
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フォンゼル司教とリットがリグハーヴスに来ます。
402フォンゼル司教とリグハーヴス女神教会
転移陣のある魔法使いギルドが併設する冒険者ギルドから一歩外に出た途端、刺すような寒さがフォンゼルの鼻先を冷やした。
「……寒いですね、リット」
「たう……」
フォンゼルに憑いている猟師コボルトのリットが、前肢で自分の鼻先を覆って返事をした。それからフォンゼルの黒い聖職者用の外套の裾に鼻先を埋めるように抱き着いた。
ハイエルン生まれのリットだが、雪のある森の中で暮らしていたので、街中の寒さとはまた違う。
石畳みの上の雪は殆どないが、視線を遠くへ向けると、囲壁の向こうにある領主館が建つ丘までは、真っ白な雪で埋め尽くされている。冬場のリグハーヴスは陸路では移動がほぼ限定されるのだ。
「ほら、抱っこしましょう」
フォンゼルはリットを抱き上げ、冒険者ギルドの階段を下りて市場広場に入った。リグハーヴスの女神教会は街の南側にある。丁度冒険者ギルドの後ろ側にあたる。
今日は特に冷えていると、魔法使いギルドの転移陣を管理していた双子のコボルトが、別れ際に教えてくれていた。
ぴったりと抱き着いて来るリットを腕に抱え、フォンゼルはゆっくりとした足取りで、冒険者ギルドの建物を回り込むように教会へ向かった。教会へは南の街門からの通りから逸れるように道が作られている。そのまま先に進めば、木立に囲まれた敷地に入る。
教会の前にある広場に近付くにつれ、遊んでいる子供達の声が聞こえ始めた。流石リグハ―ヴスに暮らすだけあって、この寒さでも遊べるようだ。
「……」
木立が切れたところで教会前広場が見え、フォンゼルは軽く目を瞠ってしまった。
広場には司祭服を着た青年が二人と、肩に青紫色の竜を乗せた騎士服の青年が一人、そして冒険者風の服装の青年が一人居た。そして彼らの周りを大きさの違うケットシーとコボルトと、どう見ても魔熊の子供が追いかけっこをしていた。
フォンゼルは以前に司祭の二人に会っていたので、彼らがベネディクトとイージドールだとすぐに気が付いた。残りの二人も蜜蝋色の髪をしているので、〈暁の旅団〉の人間だ。
フォンゼルが近付くのに気付くや、さり気無くイージドールがベネディクトの前に、騎士服を着た髪の長い青年が、もう一人の髪の短い青年の前に移動した。
(なるほど)
騎士服の青年の蜜蝋色の髪には色の濃い玉飾りが幾つも付いている。その彼よりも、背後に居る青年の髪に唯一付いている玉飾りの色が濃い。それに青紫色の雷竜を有する騎士に守護される人物は限定される。〈暁の旅団〉の族長か、その継承者だけだ。
「お久し振りです。兄弟ベネディクト、兄弟イージドール」
「お久し振りです、猊下」
ベネディクトがフォンゼルの事を猊下と呼んだのを聞き、騎士服の青年と冒険者風の青年が一瞬視線を交わす。
「猊下、こちらは甥のテオフィルとプラネルトです」
「お初にお目に掛かります」
イージドールの紹介に、フォンゼルは二人に会釈した。テオフィルとプラネルトも〈暁の旅団〉の人間がする略式の拝礼をフォンゼルにする。
「わー、しらないコボルトだー」
いつの間にか、フォンゼルの周りを妖精達が囲んでいた。暖かそうなフード付きの外套を皆着ている。フォンゼルはリットを石畳みの上に下ろしてやった。
「ルッツ!」
「えあ!」
「たっう!」
青黒毛にオレンジ色の錆柄のケットシーと、黒褐色の魔熊の挨拶に、リットがコボルト言語で答えた。シュヴァルツシルトとモンデンキントには以前会っている。
「リットっていうの?」
ルッツはきちんとコボルト言語を聞き取っていた。
「たうたうたう~」
「あのね、りょうしゅかんにもね、アルスっていうコボルトのことばではなすコボルトがいるの。だからルッツおぼえた」
ケットシーは叡智があるので、知らない言葉の習得も早い。
「おっおー」
どう見ても腕が二対ある小熊が、リットに抱き着く。最初から友好的だ。
「その子は俺の魔熊のエアネストなんですが、コボルトを同族だと思っているので……」
言い難そうにプラネルトが頭を掻いた。
「可愛らしい子ですね」
フォンゼルは微笑んでエアネストを眺めた。妖精達の中でどうやらエアネストが一番年下らしく、他の妖精達に可愛がられている。
「猊下、リット、リグハーヴスの寒さは慣れないでしょう。中で温かいお茶はいかがですか?」
「ええ、喜んで」
ぞろぞろと司祭館に向かう。テオフィルとプラネルトはフォンゼルに用事はないだろうが、ルッツとエアネストがリットと仲良く話しているのでついてきている。
フォンゼル達は大きなテーブルのある食堂に通された。向こう側の部屋と共用しているらしい暖炉には熱鉱石が赤々と燃えていて、部屋の中は暖かかった。
「たう~」
嬉しそうにリットが暖炉の前に前肢を翳しに行く。
「ルッツ、外套を脱いで」
テオフィルがルッツを捕まえて外套を脱がせる。隣ではプラネルトがエアネストの外套を脱がせていた。テオフィルとプラネルトは手慣れた様子で、シュヴァルツシルトとモンデンキントの外套も脱がせて、椅子の一つにまとめて置いた。
少し温まったのかリットも外套を脱ぎ、〈時空鞄〉にしまい込む。リットは聖職者コボルトではないので、普段着はコボルトが一般的に着ているコボルト織のシャツとベスト、ズボン姿だ。猟師であるリットは腰にナイフや丸めたロープを下げたベルトを着けている。
イージドールは隣の部屋に行き、ワゴンにお茶の道具と菓子の乗った皿を乗せて戻って来た。それから壁際に並べて置いてあった子供用の椅子を、テーブルに寄せて、暖炉に揃って前肢を翳している妖精達に声を掛けた。
「おやつですよ」
「おやつ!」
テオフィルとプラネルトが、わらわらと寄ってきた妖精達を抱き上げて、子供用の椅子に乗せていく。手慣れているのは自分に憑いている妖精がいるからだろう。
「ミルクは?」
「たっぷり!」
声を揃える妖精達に微笑んで、イージドールがカップにミルクを注いでいく。蜂蜜玉も一つずつ落とし、熱い紅茶を注ぐ。ベネディクトはクッキーと胡桃とココアのシート―ケーキを皿に取り分け、妖精達の前に置いた。
「きょうのめぐみに!」とさっそく菓子に手を伸ばす妖精達に微笑みかけ、イージドールはフォンゼルの前に湯気の立つ紅茶のカップを置いた。
「猊下はマヌエル師にお会いになりにいらっしゃったのですか?」
フォンゼルの向かいに座ったベネディクトが、穏やかな眼差しを向けてくるのに頷く。
「はい。勿論、地下神殿の視察も楽しみにしていますよ」
「たう!」
リットが右前肢を上げる。特にリットが楽しみにしているのだ。
「マヌエル師にお会いになられるのでしたら、〈Langue de chat〉に行く必要があるので、エンデュミオンにも同行してもらうとよいでしょう。温室も地下神殿も管理者はエンデュミオンですので」
「あなた達二人も、地下神殿に登録されているのですよね?」
「偶然発見した時に魔力を強制的に取られましたから」
ベネディクトの前に紅茶のカップを置きながら、イージドールが苦笑した。
「聖人とその守護者なのですから、司教として問題ないと言っておきます」
フォンゼルはマヌエルと同じく、〈暁の旅団〉出身のイージドールを卑下していない。〈女神の貢ぎ物〉である彼は女神に選ばれた者である。
紅茶を一口飲み、フォンゼルは口を開いた。
「リグハーヴスで今何か問題は起こっていませんか?」
「今は何も。もし何か起きてもリグハーヴス公爵が対処なさいますし、場合によってはエンデュミオンがリグハーヴス公爵よりも先に手を出していますね」
対処後にリグハーヴス公爵に報告する事もよくある模様です、とベネディクトが隣に座るモンデンキントの頭を撫でた。モンデンキントがベネディクトを見上げて笑顔を見せる。
豊穣の瞳を持つクリーム色の癖毛をしたコボルトは、多くの者から欲せられるその能力を、ベネディクトの体力上昇の為だけに使っている。
モンデンキントがここに居る事は、ある程度知られ始めている筈だが、彼の名付け親がエンデュミオンであるという情報も同時に手に入れた段階で、手出しをするのを止めるだろう。
─ここにはグリューネヴァルトとキルシュネライトもいるからねー。
テーブルの上で、プラネルトの菓子皿のシートケーキから胡桃をほじくり出して食べていたレーニシュが、のんびりした思念を飛ばして来る。
エンデュミオンを主にする木竜グリューネヴァルトと、〈Langue de chat〉に居付いた水竜キルシュネライトは、自分達が現在住まうリグハーヴスを守護している。誰を守るのか、という意思がしっかりしている分、王都よりも守りは強固だろう。
「ところで──」
フォンゼルは並んで座るテオフィルとプラネルトに視線を向けた。血の濃さもあり、イージドールを含めたこの三人の容姿は結構似ている。
「族長の竜騎士を側に置かれたという事は、次の族長はヘア・テオフィルで決定されたのですか?」
「養父はまだまだ現役です。プラネルトはリグハーヴスの竜騎士教官として招聘されています」
「テオフィル、そろそろ諦めた方がいいぞ?」
子供用の椅子から自分の膝に移って来たエアネストを撫でつつ、プラネルトが呟く。その彼を、テオフィルがじろりと睨んだ。
「俺が定住出来ない性質なのは知っているだろう」
「代官としてユストゥスを置けばいいだろう。あの子には雷竜が憑いたんだ。ティルピッツとレヴィンは、ユストゥスを守っても憑かない」
〈暁の旅団〉で雷竜が憑く者は従者であり、族長ではない。木の妖精ティルピッツと水の妖精レヴィンは代々族長に憑いている。
「ティルピッツとレヴィンは俺にだって憑かない」
「それはルッツを尊重しているからだ。代が変わってもティルピッツとレヴィンは〈暁の旅団〉から離れないと言っている」
「……俺の次はユストゥスの子に戻すぞ」
「ティルピッツとレヴィンが認めれば、それでいいんじゃないのか?」
「今度戻った時に言っておく」
テオフィルが溜め息を吐いた。
テオフィル自体は現族長ロルツィングの妹の子である。ロルツィングの息子ユストゥスが産まれる前に、実の両親を失い養子になっているので、テオフィルがロルツィングの長子なのだ。
プラネルトがそっと人差し指を立てて唇に当てた。榛色の瞳が、すうっと緑色に変わるのが見えた。〈暁の旅団〉の民の瞳の色が変わるのは、戦闘態勢に入った時だ。
「猊下、今の話は御内密に」
「ええ」
公には、テオフィルはユストゥスが成人するまでの繋ぎだと、地元でも他の領主にも思われている。通常、領主や自治区の継承者が他領でふらふらしていたりしないものだ。
とはいえ、ヴァイツェア公爵の長男もリグハーヴスに居住している。継承権を半ば放棄している状態なので騒がれないだけだろう。何しろ森林族の治める領地の長男だが、イシュカ自体は平原族の母親から生まれている。おまけにイシュカは〈異界渡り〉孝宏の保護者だ。
重要人物ばかり〈Langue de chat〉という場所に集中し、リグハーヴス公爵アルフォンスは頭が痛い事だろうなと、フォンゼルは少しばかり同情したのだった。
やっときたフォンゼル司教です。マヌエル師の弟子なので、穏健派。
地味に、〈暁の砂漠〉の族長に近い人ばかり三人も居るリグハーヴスです。おまけに三人とも族長候補者です。
イージドールは族長候補者ではありますが、教会に属している為(女神と聖人の所有物)、実質的には族長にはなれません。
族長にはティルピッツとレヴィンが憑き、族長の騎士にはレーニシュが憑きます。
現在、ロルツィングの護衛をしているのは、レーニシュ以外の雷竜の騎士です。
騎士の代替わりの関係上、レーニシュ以外が族長の守護につくことがありますが、それもレーニシュの血族です。
つまり、プラネルトの先代騎士は、ロルツィングの護衛をしていました。彼が引退したあと、レーニシュは単体でロルツィングの護衛をし、騎士が亡くなったあとプラネルトを見付けてからはプラネルトと一緒にいます。
正式な族長を守護する三大妖精は、ティルピッツ、レヴィン、レーニシュです。
レーニシュの騎士は〈王の牙〉ならぬ、〈族長の爪〉と呼ばれます。