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聖女の到着

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

聖女はリグハーヴスに到着です。


40聖女の到着


 もうすぐ五の月に差し掛かる頃になり、聖女フロレンツィアはハイエルン公爵領からリグハーヴス公爵領に入った。

 去年の大雪も殆どが溶け、森の陰に残っているだけになっている。好天続きで馬車も街道を軽やかに進んだ。

 聖女が巡礼に各地を回っている事は國民に知らされており、聖都の白い馬車を囲む白馬の聖騎士団が現れると、リグハーヴスの街の住民は屋内から出て来て歓声を上げた。

 街の中心部にある教会を目指し街中の石畳をゆっくり走る馬車から、外を眺めていたエルネスタが声を上げた。

「ケットシーですわ」

「え?」

 フロレンツィアも薄布越しに窓を覗き込む。この薄布は外からは馬車の中を覗けないが、中からは外が見える。

 聖都の馬車を一目見ようと集まる人々に逆らって、蜜蝋色の髪の青年が歩いている。その青年の肩に、所々にオレンジ色の毛が混じっている黒毛のケットシーが乗っていた。

 青年はちらりと馬車を一瞥いちべつし、路地の奥に入って行くが、肩車されたケットシーはくるりと振り返った。

(え?)

 ケットシーは桃色の肉球を見せて馬車に前肢を振った。それから青年の頭にしがみつき直す。青年とケットシーは直ぐに人混みに消えてしまった。

「可愛らしいですね。でも、目が合った気がしました……」

「ええ」

 青年の容姿は黒森之國くろもりのくにの民だったから、彼は〈異界渡り〉では無いだろう。

 もしかしたら、〈異界渡り〉の同居人かもしれない。


 教会に着き、聖騎士達が街の住民を近付き過ぎない様に警備する中、フロレンツィアは馬車を降りた。住民達に一礼してから、迎えに出たベネディクト司祭の案内で礼拝堂に入る。まずは礼拝だ。

 フロレンツィアは祭壇の前の赤いクッションに膝を置き、両手を組んでリグハーヴスの安寧を祈った。

「おお」と感嘆の声が聞こえたので、フロレンツィアの周囲がいつもの様に光の粒でキラキラと輝いているのだと解った。この現象は聖女フロレンツィアしか起こせない。

 これは、聖女のみが起こせる〈奇跡〉と言われている。

 もし、フロレンツィア以外にも起こせる者がいれば、直ぐ様教会に連行され、王家と繋がりがないか徹底的に調査されるだろう。

 礼拝が終わると、紅潮した顔のベネディクト司祭に、応接室へと通された。供はユルゲンとエルネスタだ。他の者はドアの外に待たせておく。

「聖女様の巡礼に立ち会えたとは光栄の極みです」

「私は祈る事しか出来ませんから。それより、ベネディクト司祭にお伺いしたいのですが」

「はい。〈異界渡り〉の件ですね」

「そうです」

 ベネディクト司祭は鉄板でも入っているのかと言う程、背筋を伸ばした。

「その少年は黒髪黒目で、去年の秋に現れました。右区レヒツにあるルリユール<Langueラング de chatシャ>で保護されています。最初の頃は黒森之國語が話せませんでしたので、異國人であるのは間違いありません」

「領主が保護していないと言うと、成年なのですね?」

「はい、十六歳になっているそうです。魔法は使えないと思われます。彼の能力は〈物語の創造〉です」

「ほう」

 最初に反応したのは、活字好きなユルゲンだった。

「それは説話集せつわしゅう風の物では無く、全く新しい物語りかね?」

「そうです、ブラザー・ユルゲン」

 ベネディクトはテーブルの端に置いてあった青紫色の本を手に取った。表紙には〈竜胆物語〉と言う文字と、〈本を読むケットシー〉が銀箔押しされている。

 その本を、ベネディクトは開いて見せた。

 中の文字は印刷では無くタイプライターだったが、インクリボンは新しい物を使っているらしく、はっきりとした打刻で読みやすい。

 所々に細やかな銅板画が刷り込まれている。最たる物は、紙の色が徐々に変えられている事だろう。何とも繊細な色彩感覚だ。

「この物語は彼が書いた物だと思われます」

「何とまあ、美しい」

 開いた頁を読んだのだろう、ユルゲンがうずうずと両手を揉んでいる。

「残念ながら<Langue de chat>の本は、借りた者しか開けないのです」

「それは残念だのう」

「交渉次第では貸して頂けると思いますが、あそこにいるケットシー次第です。ブラザー・ユルゲン」

 あのケットシーに睨まれたら、絶対に貸して貰えない。

「どの様にして<Langue de chat>に行けば良いかしら?」

「なあに、街の散策に出れば宜しいのですぞ、聖女様。〈治癒〉を求める者がいれば〈治癒〉し、店を覗けば良いのです。儂とエルネスタ、それに護衛が五人程いれば良いでしょう」

 ユルゲンの提案を騎士団長ボニファティウスに伝えると、自分を含めて五人の騎士を選んだ。残りの者はこのまま教会に居て貰う。

 フロレンツィアがユルゲン達と教会を出ると、残っていた住民が彼女達に祈りを捧げる。それに微笑みを返しながらフロレンツィアは、街の中をゆっくりと歩いて回った。

 リグハーヴスの街は新しいが活気に満ちていた。ここを抜けて地下迷宮ダンジョンに行く冒険者達が落としていく金で潤っており、物乞いの姿も無い。子供達も小綺麗で健康そうだ。

 二軒あると言う診療所も、高額の治療費を取っていないと見え、他の街に比べると〈治癒〉を求める声も少ない。

 実際聖女とは言え、〈治癒〉能力は魔女ウィッチと変わらないのだ。

 路地に並ぶ店の店主に声を掛けられながら歩いていると、エルネスタに袖を軽く引かれた。

「〈本を読むケットシー〉ですわ」

 囁きに視線を上げたフロレンツィアの目に、青銅の吊り看板が入る。

「可愛らしいお店ですわね、ここを見てみたいですわ」

 だから待っていてくれと頼もうとしたフロレンツィアより先に、騎士の一人が前に出た。

「承知しました!準備をさせます!」

 いきなりドアを開け中に入って行く。

「聖女様がおいでだ!お前達は外に出ろ!」と言う声が路地にまで聞こえた。

 後に伝えられたところによると、フロレンツィアとエルネスタ、ユルゲンの血の気が音を立てて引いて行くのが、騎士団長ボニファティウスに聞こえたと言う。


 ちりりりん、りりんっ。

 忙しないドアベルの音に顔を上げたイシュカとヴァルブルガは、騎士が入って来たのを見て口を開きかけた。

「いら……」

「聖女様がおいでだ!お前達は外に出ろ!」

 閲覧スペースに居た客を見るなり、騎士が喚く。イシュカはきっぱりと遮った。

「聖女様がおいでになるのは一向に構いませんが、うちのお客様を追い出されるのは困りますし、お断りさせて頂きます」

「何だと?」

「あれー?カルステンじゃないか」

 のんびりとした声が閲覧スペースから届いた。ゆっくりとディルクとリーンハルトが椅子から立ち上がる。

「誰だ!?」

「学院でお前と同期だったディルクとリーンハルトだよ。今はリグハーヴス領主の騎士だ」

 二人は休日なので私服で<Langue de chat>に来ていた。

「騎士ならここにも居るが」

 獣耳と尾のあるゲルトも立ち上がる。イグナーツとのんびりしている所を邪魔されて、既にお冠だ。

「聖女様の威を借りて何威張り散らしてるのかな?」

「な……っ」

「騒がしいな。誰だこいつは」

 硬質な変声期前の少年の声が、空間を斬った。

 孝宏たかひろと一階の台所に居たエンデュミオンが、いつの間にかカウンターの横に立っていた。

 ちりりりんっ。

「お止めなさい!カルステン!」

「ふん、聖女か」

 店に飛び込んで来た白い修道服トゥニカの少女に、エンデュミオンが吐き捨てた。

「聖都も堕ちたものだな。こんな奴が聖騎士だと?笑わせる。そこのお前、聖騎士団長だろう。こいつを辞めさせるか、精神から鍛え直せ」

 ボニファティウスにエンデュミオンがビシリと右前肢を突き付ける。

『わーっ、エンデュミオン!初対面の人にそんな事言っちゃ駄目だって!』

 慌てて孝宏がエンデュミオンを後ろから抱き上げる。急に台所から出て行ったと思ったら、聖騎士団長とやらに喧嘩を売っていた。

 大人しいヴァルブルガは、イシュカにしがみついている。と言うか、すっかり怯えていた。涙目だ。

「エ、エンデュミオン?」

「聖女とそこの爺さんと娘以外は、外に出ろ。邪魔だ。呪うぞ」

 ぎらん、とエンデュミオンの黄緑色の目が光る。孝宏の腕に抱かれている状態なので、締まらないが。

「ユルゲンとエルネスタ以外は<Langue de chat>の外に出て下さい」

 フロレンツィアは聖騎士達を店から追い出した。本当にカルステンを独房にでもぶち込みたい気分だ。

(いけません)

 聖女らしからぬ思いを頭から追い払い、フロレンツィアは淑女の礼(カーテシー)で頭を下げた。

「大変失礼を致しました。私の不徳の致すところでございます」

「あー、でもカルステンは学院に居た時からああだし、志願して聖都に行った訳じゃ無いからなあ」

 ディルクが頭を掻きながら、残念過ぎる同期生を窓の外に見る。カルステンは聖騎士団長に気合いを入れられていた。

「違うのかね?」

「騎士叙勲絡みで不正があって、飛ばされたんですよ。本人は不本意な異動だったんじゃないですかね」

 ユルゲンにディルクは肩を竦める。

「心を入れ換えろと言う采配に気付かぬとは……」

 ユルゲンは頭を左右に振った。聖なる都に務める者としては不適格だ。

「あの者の処分はしかと致します」

「そうしてくれ。で?何の用だ」

 孝宏に抱き抱えられた状態で、ひゅっひゅっとエンデュミオンの尾が空を斬る。

「それは……」

 ちら、とフロレンツィアがディルク達を見る。ディルクとリーンハルトは元の席に座っていた。ゲルトとイグナーツも、お茶のカップを口許に運びながらこちらを見ている。

「ヘア・ヒロの審問ならば、この辺りの者は皆、彼が〈異界渡り〉だと気付いているが?」

 リーンハルトは「だから気にしなくても良い」と、借りたばかりの本を開く。

「……立ってるのも何なんで、どうぞ」

 収拾が着かないので、孝宏はエンデュミオンを片腕に抱いたまま、聖女一行を閲覧スペースに案内したのだった。


 今日はエッダとカミルが帰った後だったので、二人掛けの緑のソファーが空いていた。そこにフロレンツィアが座り、横のテーブル席にユルゲンとエルネスタが腰を下ろした。

 孝宏はフロレンツィアの向かいの椅子にエンデュミオンを下ろし、台所にお茶を淹れに行った。

 眼光鋭いケットシーと対面と言うのは、中々厳しい。王弟の娘と言う第一等の位階を与えられているフロレンツィアでさえ、普段感じない緊迫感だ。

「お待たせしました」

 孝宏がフロレンツィア達の前に紅茶シュバルツテーのカップとクッキー(プレッツヒェン)の乗った小皿を置く。エンデュミオンの前には、既にミルク多目のミルクティー(ミルヒテー)になった物がコップに入れられストローが挿してある。

 孝宏は直ぐには座らず、一緒に持って来たティーポットでディルク達にお代わりを注いでから、エンデュミオンを膝に乗せて椅子に腰を下ろした。

「良し、話せ」

 ぺしぺしとエンデュミオンが、テーブルを肉球で叩いた。



『リグハーヴスの騎士』にちらりと出て来たカルステンです。

彼の所業に一瞬魂が抜けかけた聖女様達でした。


孝宏は咄嗟の時や独り言、エンデュミオンと二人の時などは、日本語で話しています。恐らく日記も日本語でしょう。

日常会話も実は結構エンデュミオンが翻訳している時もあります。黒森之國語は難しいです。

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