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最初のお客様

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

4最初のお客様


 看板が付けられ、ドアに<開店中>の真鍮しんちゅうの札が下げられても、<Langueラング de chatシャ>には閑古鳥が鳴いていた。

 黒森之國くろもりのくにでは、まだまだ本は高級品だ。各家庭には聖書ビーブルしか本が無いのは普通で、教会の司祭館や領主の館位にしか、図書室は無いらしい。街の子供向けに読み書き計算を教える学校はあるが有料で通う子は少なく、学校図書はやはり無い様だ。

 客が来ない事は最初から予想していたので、その間に孝宏たかひろは新しい物語をタイプライターで清書し、イシュカに製本して貰っていた。あと、縫っていなかった空き部屋のカーテンも全て縫えたので、閑古鳥グッジョブである。

 見本の本は表紙と背表紙に金箔押しで、タイトルと看板と同じ<本を読むケットシー>のシルエットと<Langue de chat>の文字が入れられている。表紙を開いた中表紙の紙にはタイトルと店名が書かれ、それに猫の肉球スタンプが薄く付いていた。

 この肉球スタンプはエンデュミオンが肉球を舐めて押し付けた聖別で、<破損・汚損・模写防止・時限返還>の魔法が組み込まれている、らしい。

 汚損破損防止は兎も角、模写防止は盗作を避ける為らしい。書き写す事が出来ないと言う、何やら精神に訴える様な魔法である。時限返還は、もし貸し出した場合は期限を二週間としているが、もし返却に来ない場合は強制的に本が店に転移して来ると言う。

「本が貴重な分、やっておいた方が良い」と言うエンデュミオンに言われるまま任せたイシュカだが、そんじょそこらの魔法使いよりも高度な魔法を使うケットシーであるのは間違いない。

 当然、本を貸す時は相手の名前と住所を記載して貰うが、相手の地位が高い場合返還に応じて貰え無い事を考えたのだ。「そんな事は許さない」というのが、エンデュミオンの弁だ。

 本当にどうしようもない急用などで返却出来なかった場合以外は、悪質な延滞者には貸出拒否する決まりだ。ちなみに店内での閲覧は出来る。

 貸出料は一度に一冊で銅貨三枚だ。日本円にして三百円也。庶民の食堂での少し高めの食事一回分程度の金額だ。書き方読み方の本は子供向けという事で、銅貨一枚で借りられる。他の本も子供向けの本を子供が借りに来た場合は銅貨一枚だ。

 二週間の期間内に返却に来た者には、同じ期間内でもう一冊無料で借りられる。貸し出し中の本は、予約が可能だ。

 そして、店内閲覧者と貸出者は店内でお茶(シュヴァルツテー)クッキー(プレッツヒェン)のサービスが受けられる。


『商業ギルドに開店するって言って来たのに、お客さん来ないもんだねえ』

 カウンターの内側に三人で椅子を持ちよりお茶を飲み、孝宏がぼやいた。

 リグハーヴスにはルリユールが<Langue de chat>しかないので、ルリユールギルドの支部も商業ギルド内にある。客がルリユールが無いか訊ねれば、<Langue de chat>を案内される筈なのだが、今の所需要は無い様だ。

 イシュカの腕がどの程度か見せる為の見本が合っても、見に来る客が来なければ意味が無い。取り敢えずエンデュミオンの蓄えがあるので、数年は飢える事は無いのだが、客は来て欲しいのだ。

「流石に<無料でお茶が飲めます>とは大っぴらには書けないからな」

 一応商業ギルドにはサービスで客にお茶を出す、とは言ってあるが、それでお金を取る訳でも無し食堂でも無いので、広告に使えないのだ。

『折角服を作ったのにな』

 三人とも白いシャツに黒地に白いピンストライプのベストに、黒いズボンを履いていた。腰には長いギャルソンエプロンをしている。職人なので、イシュカのエプロンは使い込まれた茶色い革の物だ。孝宏は深緑色のエプロンで、エンデュミオンは踏むと危ないので着けていない。

 店の開店準備をする間に、孝宏の服とエンデュミオンの服を作りに行き、ついでに制服も作ったのだ。フリーのケットシーで無い証に、服を着る事で区別するらしい。室内だと裸足や布製の靴を履く事にし、外出用には柔らかい革でブーツも作った。

 ちりりん、りん。

 ドアに付けたベルが鳴った。思わず三人は一斉に顔を上げてしまった。

「いらっしゃいませ」

「あの、ここで御本直して貰えますか」

 ドアから顔を覗かせたのは、七歳位の女の子だった。明るい麦藁色の髪を肩まで伸ばした可愛い子だ。お使いで頼まれたのか、布に包まれた本らしき物を抱えている。親に教えられたのか、少しぎこちなく伺いを立てるのが初々しい。

「はい、お直ししますよ」

 穏やかなイシュカの声と表情に、ほっとした顔になり、少女は店内に全身を入れた。明るい赤色のワンピースを着て、オレンジ色のカーディガンを着ていた。肩からは小さなポーチを下げている。

 少女はまだ数冊しか本が入っていない棚や、棚の隙間から見える閲覧スペースを興味深げにきょろきょろと見回した。

「こちらで本を見せて貰えますか?」

 少女にカウンターは高かったので、イシュカは閲覧スペースへと案内する。少女を二人掛けのソファーに座らせ、イシュカは少女の傍らに片膝を付いて布包みを受け取った。

 ソファーの前の丸テーブルで布を広げてみると、中からかなり使い込まれて表紙の黒革がぼろぼろになった聖書ビーブルが現れた。

「教会に持って行ったんだけど、教会では直していないって言われたの。でもこれはうちでずっと使っている聖書だから、お父さんが直したいって。あの、直る?」

「ええ。直りますよ」

 教会では教会の蔵書しか司祭達は修復しない。古い聖書はお焚き上げをし、新しい聖書を信者に渡すのだ。ならば、修復するのはルリユールの仕事だ。

「どういう風に直して欲しいのか、お父さんは言っていましたか?」

「表紙を張り替えても良いんだけど、元の通りにして欲しいって」

「表紙の革の色を変えないんですね?」

「うん」

 こくりと少女は頷いた。

 恐らく少女の父親のそのまた父親からは使われていると思われる聖書は、革が駄目になっていた。ぽろぽろと触ると割れて来てしまう。陽の当たる場所などに長く置かれ、乾燥してしまったのだろう。

 聖書の表紙と背表紙にはジルバー三日月(ハルドモンド)が箔押しされている。それが聖書の証だ。

「お金は後払いでも良いですか?」

 少女が丁寧な言葉でしゃべる時は、親に教えられた言葉の様だ。

「良いですよ。聖書をお返しする時にお支払くださいと、お父さんに伝えて下さい。預かり証を書きますから、少しお待ち下さいね」

 イシュカは聖書を丁寧に布で包み、カウンターに置きに行き、預かり証の用紙と万年筆を取って戻った。少女に父親の名前と職業、家が何処にあるのかを聞く。

 何故職業を聞くのかと言うと、同じ名前の者が近所に居ると、頭に職業を着けて区別するのだ。少女の父親の場合<大工のクルト>と呼ばれているらしい。少女の名前はエッダだと言う。

「では一週間後にこの紙を持って、受け取りに来て下さい。お代は銀貨一枚です」

 父親が文字が読めない事を考えて、口頭でもエッダに伝える。エッダは大事そうに預かり証をポーチにしまった。

「いらっしゃいませ」

 少女がソファから腰を上げ掛けた時、孝宏がお盆におしぼりと、紅茶のカップと砂糖壺とミルクピッチャー、クッキーの小皿を載せて現れた。孝宏の足元にはエンデュミオンも居る。

「わあ……」

 エッダの目はエンデュミオンに釘付けになった。幼い少女が鯖虎柄さばとらがらの可愛いケットシーが気にならない訳が無い。初めてのお客であり、幼い子供へのサービスに、エンデュミオンはソファーのエッダの隣によじ登って座った。

「こんにちは、エッダ。お茶とお菓子は好き?」

「うんっ」

「お茶にお砂糖とミルクは入れる?」

「うん。甘くして、ミルク一杯入れるの」

 ご希望通りに孝宏が紅茶のカップに砂糖とミルクを追加する。

「熱いから良く吹き冷まして飲んでね。お菓子も美味しいよ」

「このお菓子、大きいー」

 子供にすれば、大きいクッキーだ。エンデュミオンがおしぼりで手を拭かせてやり、嬉しそうにエッダはクッキーを齧った。

『エッダって物語に興味あるかな。エンデュミオン、読んであげられる?』

 生憎、孝宏はタイプライターで清書はしていても、まだ音読は出来ない。棚から掌編集を取り出してエンデュミオンに渡す。子供でも読めるお話の表紙は若草色にした。今はこの<少年と癒しの草>の他に<騎士と花の魔女>と言う連作掌編集がある。どちらかと言えば、<騎士と花の魔女>の方が女の子向けなのだが、恋愛要素があるので<少年と癒しの草>にしてみた。

「エッダ、お話を読んであげようか」

「お話?」

「うん。お友達の女の子の為にお薬になる草を取りに行った男の子のお話だよ」

 そして「あるところに……」とエンデュミオンが読み始めると、エッダはクッキーを握ったまま聞き入り始めた。一つお話を読み終わるたびに、エンデュミオンがお茶とお菓子を勧めるが、再び読み始めると真剣に本を読むエンデュミオンや、挿絵を見ていた。

「……おしまい」

 掌編集なので全部読んでもそれほど時間は掛からない。ぱたんと本を閉じると、エッダははあーっと息を吐いた。思い出した様にクッキーを齧り、冷めたお茶を飲む。そして「女の子が病気治って良かった」と笑って帰って行った。


 翌日、孝宏とエンデュミオンがカウンターで店番をしていると、ドアベルが鳴った。

「いらっしゃいませ」

「こんにちはっ」

 元気の良い挨拶と共に店内に飛び込んで来たのはエッダだった。

「エンディ!」

「エッダ、いらっしゃい」

 カウンターの横の三本脚の椅子に座っていたエンデュミオンに抱き着く。すっかり懐かれた様だ。

「こんにちは」

 エッダの後から、少女に良く似た女性が店に入って来た。エッダの母親だろう。

「少々お待ち下さい、店主マイスターを呼んで参ります」

 二人の相手をエンデュミオンに任せ、孝宏は作業場に居るイシュカを呼びに行った。定型文以外まだまともに話せないのだ。

「イシュカ。お客さん、昨日の」

「エッダ?」

「エッダ、お母さん(ムッター)

 孝宏は右手の指をイシュカの前で一本ずつ折りながら言った。二人居る、の意味だ。

「解った」

 イシュカはエッダから預かった聖書を解体しているところだった。手を止めて、孝宏と共に店に行く。

「お待たせ致しました。店主のイシュカです。昨日確かに聖書をお預かり致しておりますが、何かございましたでしょうか」

 カウンターの前で待っていたエッダに似た女性に、イシュカは話し掛けた。女性は困ったように微笑んだ。

「いいえ、聖書のお直しはお任せ致します。代金が後払いで助かりました。私はエッダの母親でアンネマリーです」

 職人の給料は週払いや月払いが多い。今は九の月の終わり近くなので、クルトの給料は月末払いなのだろう。

「昨日娘がこちらでとても楽しく過ごさせて頂いたと聞きまして、お礼に伺いました」

「いいえ。こちらも初めてのお客様がお嬢さんでしたので、大変有難く存じます」

 黒森之國では、開店最初の客が女性だと縁起が良いと言われるのだ。

「実はケットシーのエンディに読んで貰ったお話を、読んで欲しいと娘にせがまれたのですが、物語の本がどのような物か解らなくて」

「こちらにどうぞ」

 イシュカはカウンターを出て、本が置いてある棚へアンネマリーを案内した。

 棚には書き方読み方の蜂蜜色の本が十冊と、若草色の<少年と癒しの草><騎士と花の魔女>が二冊ずつ置いてある。新しい物語は休みの日に孝宏とエンデュミオンが翻訳清書中だ。書き方読み方の本は需要があるかもしれないので、多めに作ってある。

「こちらは本の使い心地を試して頂くための見本です。蜂蜜色の本は文字を覚える為の本です。若草色の方は短い物語が幾つか書かれています。お嬢さんに昨日読み聞かせをしたのはこちらです」

 イシュカは<少年と癒しの草>を棚から抜き、アンネマリーに差し出した。

「あちらにある閲覧スペースでご覧頂けますし、有料ですが一回二週間の期限で貸し出しもしております」

「こんな綺麗な本、お借りするのは高いでしょう?」

 そっとアンネマリーは若草色の表紙を指先で撫でた。庶民では生涯手に入れられるか解らない娯楽本だ。豪商や貴族は説話集などを豪華に作らせ集めていると聞くが、平民には夢のような話だ。

「一回につき一冊の貸し出しで、銅貨三枚です。ですがこちらはお子様にも読める内容ですので、お嬢さんにお貸しするのであれば銅貨一枚です」

「それだけで良いのですか?」

「はい。お時間があればあちらで一休みされて行って下さい。製本修復・貸本のお客様にはお茶とお菓子をサービスしています」

 エッダは既にエンデュミオンと手を繋いで、昨日も座ったソファーに歩いて行っていた。アンネマリーに無邪気に手を振る。

「お母さん、早く」

「まあ、エッダったら」

 顔を赤らめたアンネマリーはイシュカに本を差し出した。

「お借り出来ますか?」

「勿論です」

 本ごとに貸出記録の為の帳面を作ってあるので、そこに貸出期間の日付とエッダの名前、受け取った料金も書く。短冊状の紙に貸出期間を書き、本に挟み込む。

「こちらに貸出期間と注意事項が書いてあります。早めに返却された場合、期間内に無料でもう一冊借りられます」

「素敵ね」

 やはり主婦はお得感に弱いらしい。

 エッダとアンネマリーは閲覧スペースでお茶を楽しみながら本を読み、帰って行った。

 一週間後にエッダとアンネマリーは聖書を受け取りに来た。そこで<少年と癒しの草>を返却し、<騎士と花の魔女>を借りて行った。その次の週の本の返却時には、書き方読み方の本を借りに来た。

 エッダは自分でも本を読みたくなったらしく、アンネマリーに文字を教えて欲しいと言ったらしい。

 ルリユール<Langue de chat>は、地味に黒森之國の識字率向上に貢献している様である。



開店一番のお客様が女性だと縁起がいい、とは日本で言われます。

エッダは<Langue de chat>の常連さんになります。

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本の装丁師、という珍しいテーマに興味深く・楽しく読ませてもらっています。 だからこそ、本職に関わる部分ゆえに看過できなかったので、1点だけ。 >ぽろぽろと触ると割れて来てしまう。 これは、人工皮革…
アンネマリーさん登場 「やはり主婦はお得感に弱いらしい」 こういった一文が入ると 物語に厚みが増すと感じます。 料理の隠し味みたいですね (^o^) 妖精猫が人と暮らすファンタジーの中に一滴だけリアル…
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