教会へ行こう(後)
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
教会の判断する魔物かどうかは、瘴気のあるなしです。
399教会へ行こう(後)
リグハーヴス女神教会の扉を開けると、ふんわりと温かかった。エンデュミオンの室温調整の符を利用しているのだろう。なにしろ、ここの主任司祭は身体が弱い。
「おっきいねえ」
リクの腕の中で、礼拝堂の天井を見上げたニコの声が響く。
リグハーヴス女神教会は、古王家からこの地を割譲されたリグハーヴス公爵家の寄進で建てられた。地下迷宮があるため他の公爵領よりも発展が遅いが、教会は立派だ。
ステンドグラスには聖書や説話集の場面が描かれ、薔薇窓も色鮮やかだ。金や魔銀も装飾に使われているが、落ち着いた印象の礼拝堂だ。
一通り礼拝堂を見て回り、祭壇の月の女神シルヴァーナ像に祈りを捧げてから、プラネルトは礼拝堂の端にある司祭館への扉を叩いた。
「はい」
扉を開けたのはイージドールだった。〈暁の砂漠〉の民だが長い髪には何もつけず、緩く編んで左肩から垂らしている。イージドールを見るなり、エアネストは大喜びで四本の前肢を伸ばした。
「いじゅ!」
「エア、よく来たね」
イージドールがエアネストをプラネルトの腕から抱き取った。そしてプラネルトの後ろに居たリクとニコと、リクの頭の上にいたレーニシュに微笑む。
「中へどうぞ」
扉を入る廊下になっていて、甘い林檎の香りが充満していた。外まで香っていた林檎の匂いの出所はここだったらしい。
「イーズ、お菓子でも作っているのか?」
「林檎を沢山いただいてね、おやつに煮林檎を作っているんだよ。食べていくといい」
イージドールが暖炉のある居間として使っている台所のドアを開けた。
「お邪魔します、司祭ベネディクト」
「いらっしゃい」
ベンチに腰掛けて、見覚えのある宵闇色の本を開いていたベネディクトが、本を閉じて立ち上がった。
「毎月のエアの面会です。こちらはリク・トウノモリとニコです」
「塔ノ守というと……」
「俺は孝宏の親戚で、ハイエルンの司祭ロルフェの義弟です。この子は兄達の長男です」
「初めまして。兄弟ロルフェ達には以前お会いしましたよ」
「ウィルバーの様子を見に来た時ですね。俺達まだウィルバーに会いに行っていないんです」
「ヘア・リク、プラネルトに案内してもらうといいですよ。どうぞお掛け下さい」
イージドールがベネディクトの隣にエアネストを座らせながら言った。すぐにエアネストがベネディクトの膝によじ登る。
「じゃあ次の休みの時にでも行こうか? リク」
「うん」
L字型に壁に添うようにあるベンチの片方に腰掛け、リクはニコを床に下ろした。外套を脱ぐと、ニコはさっそく暖炉の前にいるくりくりとした癖毛のクリーム色の毛並みをしたコボルトと、真っ黒なケットシーの元へ行く。コボルトは灰色、ケットシーは黒い修道士服を着ている。二人は踏み台に立って、暖炉の五徳の上にのった鍋を覗き込んでいる。どちらも小柄なので、鍋に落ちないくらいは離れているが、中が気になるようだ。真剣に鍋を覗いている後姿が可愛い。
ニコは二人の横から鍋を覗き込んだ。二人に比べるとニコの方が大きいのだ。プラネルトは更に彼らの背後から覗き込む。
「ニコ、お鍋混ぜようか?」
「あい」
黒いケットシーが頷いたので、鍋に刺さっていた木製の大匙でニコが底から混ぜる。底に面していた林檎がキャラメル状になっている。林檎も透き通っているし、もう良さそうだ。
「イーズ、この鍋下ろしていいの?」
「お願い出来る?」
プラネルトは暖炉のフックに掛けてあった鍋掴みで、鍋の持ち手を掴んでテーブルの上の鍋敷きの上に置く。
「りんご。モーント、りんごたべる」
「沢山あるから大丈夫だよ、モーント」
イージドールはクリーム色のコボルトと黒いケットシーを子供用の椅子に乗せて、二人の頭に掌を置く。
「ケットシーはシュヴァルツシルトで、コボルトはモンデンキントだよ。シュヴァルツシルトは、リクとニコのお師匠さんの弟だね」
「ラルスの? 確かにそっくりですね」
ラルスとシュヴァルツシルトは父親のモーリッツに良く似ているのだ。プラネルトはリクの隣に座り、ニコを膝に乗せてやった。エアネストはベネディクトの膝に乗せてもらっている。面会時やミサの時に会うので、ベネディクトにもイージドールにも懐いているのだ。
イージドールは縁の高さのある皿に、赤い皮の色にほんのり染まった煮林檎を取り分け、カスタードクリームをとろりと掛けた。スプーンを付けて「お客さまからだよ」とエアネストとニコの前に先に置いてくれる。
「肉桂使っているけど、大丈夫かな?」
「エアネストはなんでも食べられるから大丈夫」
現在のところ、エアネストに好き嫌いはない。全員揃ってからお祈りして食べると思っているので、エアネストは皿の煮林檎の匂いを嗅ぐだけで手を出さない。でも一寸口元が濡れている気がする。
皆の前に皿が行き渡ったところで食前の祈りを唱え、スプーンを手に取る。
「美味しいねー」
ニコがプラネルトの膝の上で、尻尾をブンブン振る。砂糖は殆ど使わず熱を加えた林檎の甘さだ。カスタードクリームも甘さ控えめだった。隣のリクの尻尾もゆらゆらと揺れているのを感じる。
「んま」
エアネストも口の周りにカスタードクリームを付けながら食べている。あの食べ方だと気に入ったようだ。
「モーント、おいしいねえ」
「あーい」
シュヴァルツシルトの方が、モンデンキントよりお兄さんなのだな、とふとした時に解る。
リクもニコもモンデンキントの毛並みの事を何も言わないので、他の個体も見た事があるのだろう。コボルトは基本二色だが、癖毛の個体もいるのだ。濃い紫色の瞳は〈豊穣の瞳〉だが、ベネディクトとイージドールが養育者なので安全だ。
林檎を食べ終わったイージドールがお茶を淹れる。ここで飲む紅茶は癖のないものが多い。恐らくベネディクトの好みなのだろう。ここを居間代わりに使うのは、ベネディクトとイージドール、妖精達のみなのだ。他の助祭たちは隣の食堂を休憩に使っている。
「はい、お茶。ところでプラネルト、ヘア・リクの指輪は君のだよね?」
プラネルトは熱いお茶を危うく零しそうになった。慎重に受け皿にカップを戻す。気付くと思ったが、やはり目敏い叔父である。
「うん、そう。そういう事になった。族長にはこれから手紙を書くよ」
「僕も反対しないし、兄さんも反対しないと思うよ。顔を出せと言われるだろうけどね」
「ルッツかエンデュミオンに〈転移〉頼まないとならないじゃないか」
〈転移陣〉だとヴァイツェアの端までしか行かないので、砂漠を砂馬で移動しなければならない。〈暁の旅団〉の人間なら慣れているが、ハイエルン生まれのリクやニコだと暑すぎる旅程だ。
「テオフィルの帰省に合わせるんだね」
イージドールが笑って紅茶にミルクと蜂蜜を入れてスプーンで混ぜ、シュヴァルツシルトとモンデンキントの前に置いてやる。先に温めのミルクティーを貰ったエアネストは、上前肢で二つあるカップの取っ手を握ってせっせと舐めている。
─レーニシュがびゅーんって飛べばすぐだよ。
皿に残ったカスタードを舐めていたレーニシュが胸を張る。確かにそれでもいいが、竜に乗り慣れていなければ、怖いだろう。
「リク、竜に乗る練習する?」
「俺乗れるのかな」
「ヒロが乗っているんだから、乗れるんじゃないかな。二人乗り用の鞍さえあれば」
孝宏はエンデュミオンと二人で準竜騎士なのだ。グリューネヴァルトに乗る練習を定期的にしている。
鞍を注文しようとプラネルトは心の中にメモをした。
おやつのあとで、ベネディクトにエアネストのメダルが瘴気に染まっていないか確認して貰う。善性の魔物だと瘴気は出ないのだ。
「エアネスト、メダルを見せてくれる?」
「お」
ベネディクトに襟元からプラネルトの騎士章と良く似た家族用のタグと聖別された教会発行のメダルが下がった鎖を引き出されても、エアネストは大人しくしている。これが知らない人ならば、エアネストは噛みつくだろう。何となくそんな気がする。
ベネディクトが丁寧な手つきでメダルを確認し、エアネストの額を撫でた。
「大丈夫。綺麗なメダルだよ」
「おっおー」
タグとメダルを襟の中に戻して貰い、エアネストがベネディクトに抱き着いた。流石のエアネストも、ベネディクトからは魔力を拝借しない。エンデュミオンからきつく「ベネディクトからだけは味見も駄目だ」と言い聞かせられているからだ。聖人だが、ベネディクトは魔力量がそれほど多くないので、うっかり魔力を枯渇させると寝込んでしまうのだという。
「プラネルト達は、これからどこか寄るのかい?」
「水晶窟へ行こうと思っているんだ。リク達がまだ見ていないから」
イージドールはレーニシュの鼻先を指で軽く突いた。
「エンデュミオンからも言われているだろうけど、レーニシュは順路以外の場所に飛んで行ってはいけないよ。魔力を吸収してしまう場所もあるからね」
「なにそれ、罠?」
「罠じゃないんだけどね。エンデュミオンが魔力を注いでいるから大丈夫だと思うけど」
─はあい。
レーニシュにだけ注意をしたという事は、歩きでは行けないのだろう。
エアネストを〈時空鞄〉から取り出したハーネスで身体の前に固定してから、プラネルト達は教会を辞する事にした。
「またおいで。プラネルトはちゃんと兄さんに連絡するんだよ」
「解ったよ」
「僕の方からの定期報告が先に行ったら、兄さんがリグハーヴスに来るかもしれないよ」
「それはテオフィルにだけにしてほしいんだけど」
子供の頃はテオフィルと一緒に教育を受けていたので、プラネルトはロルツィングに息子同然に可愛がられているのは確かだった。
教会を出ると敷地内に新しく建てられた小屋に向かう。それが水晶窟への入口なのだ。小屋に入ると、注意事項の掛かれた銅版が壁に張られていて、その下に観覧料を入れる箱がある。箱の上部に開いている穴から観覧料を入れると、水晶窟に入る為の奥のドアが開く。
「階段じゃないんだね」
「妖精達もいるからね」
ドアの向こうは緩やかな坂になっていて、両脇には光鉱石のランプが点々と設置されている。そして坂の終わりには巨大な空間が広がっていた。
「わあ……」
「すごーい」
─飛べそうなんだよね~。
リクとニコ、レーニシュが天井を見上げて声を上げる。
遥か上にある天井部分も含め、びっしりと水晶に埋め尽くされている空間は圧倒的だ。ここの水晶は先端が透明に近いが、根元の方は緑色がかっているものが多い。
柵の付いた通路に矢印があり、それに沿って歩いていけば、特徴的な形の水晶が出て来る。あちこちに光鉱石が置かれていて、効果的に水晶を浮かび上がらせていた。途中には見上げるほど大きな月の女神シルヴァーナ像もあり、ここが古代の〈柱〉の神殿だったという事実を思い出させた。
「下は殆ど湖なんだね」
「これ、全部聖水なんだよ」
「ええっ、全部!?」
プラネルトが教えると、リクが目を瞠った。本来聖水は聖職者が祈祷して聖別するのが一般的だ。汲めばいいだけの聖水など、規格外なのだ。管理者がエンデュミオンでなければ、問題になっただろう。大聖堂や聖都が乗り出して来る案件だ。
「おあーお」
案の定エアネストは届きそうな水晶に前肢を伸ばしたり、上下左右見回したりと、元気いっぱいだった。ハーネスをしていて良かった。確実に勝手に走り出していただろう。
出口には水晶で作ったブローチや根付が売られている。全てに聖属性が付いているので、お守りとして人気なのだ。リクとニコは、カイたちがリグハーヴスに来た時に、エンデュミオンから預かったと言って貰ったらしい。
「常に持っていろと言われたから、タグと同じ鎖に付けているんだけど」
リクがプラネルトに見せてくれたのは、指輪のように整えられた部分的に淡い緑色の水晶だったが、きっと聖属性以外に山ほど守護の魔法陣が刻まれているに違いない。あの指輪の形も削り出した訳ではなく、魔法で変化させて作ってある。
(エンデュミオンって、身内には過保護だよなあ)
身内以外にも、結局黒森之國 の事はなんやかんやと気に掛けている。〈柱〉の宿命なのかもしれないが、しっかりと文句はこの國の王に言っているらしい。貴族や王族は嫌いだと言って憚らないのは、エンデュミオンだけである。数百年分の恨みがあるのだから、王家も言い返せない。
水晶窟から出て街の中心に戻れば、僅かに温かくなる時間を狙って買い物に出る人たちが、市場広場にちらほらと見える。
プラネルトは〈Langue de chat〉の前まで、リクとニコを送った。
「今日、テオフィルとルッツは居る?」
「お休みだったと思うけど。朝ゆっくりだったから」
ルッツは〈Langue de chat〉に居る時は、寝起きがすこぶる悪い。つまり今日は仕事が入っていないのだ。
(教えておくか……)
いなければまた今度と思ったのだが、在宅しているのなら報告しなければなるまい。
「俺も一寸お邪魔するよ」
なんとなく、テオフィルの反応は解る。きっと自分の事のように、嬉しそうに祝福してくれるだろう。だからこそ、プラネルトはテオフィルの背中を守ろうと思うのだから。
チリリリン、と緑色のドアの上部に付けられたドアベルが、歓迎するような音を立てた。
モルゲンロート姓がある者は、族長に婚姻に関しての報告義務があるのです。
人狼と他の人種の同性婚姻(男同士)の場合、夫側が他の人種なら子供は出来ません。
でも、ニコはリクにくっついて行くと思うので、ニコとエアネストが子供みたいな感じかなと。
就職したばかりで後任が居ないので、遠距離恋愛が暫く続く事になりますね。
エンデュミオン、魔法使いの塔の魔法陣をリクに自由に使わせそうだなあ。
イージドールはテオの側近なので、テオの側からは動かないんですよ。騎士が異動する理由として、竜騎士の教官という立場を貰っています(同盟組んでるので色々と都合を付けてもらっています)。
〈暁の砂漠〉の人達の武器は、お大振りの短刀が多いです。その他に暗器を色々と持っています。騎士だけど、直剣を下げていません。
イージドールが聖騎士の格好をしている時も、刃のないナイフを持っています(鈍器代わりに)。