ニコとリクとリグハーヴス
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
ニコとリクがリグハーヴスに到着です。
397ニコとリクとリグハーヴス
〈Langue de chat〉の受け入れの準備が出来たから研修に行ってきていいよ、と王都竜騎士隊隊長の王弟ダーニエルに告げられたのは昨日の事だった。
王都竜騎士隊専属の薬草師リクと魔女ニコは、その日の晩の内に荷物をまとめ、翌朝王宮の隣に建つ魔法使いの塔にある転移陣から、リグハーヴスへと旅立った。
リクは人狼だが〈Langue de chat〉に居る孝宏の遠い親戚になる。リクの兄のカイは先祖返りで、孝宏と容姿が良く似ていた。ニコはカイと番である人狼の神父ロルフェの養い子のコボルトだ。カイには他にウィルバーとヒューというコボルトの息子が居るが、三人とも当然リクにとっては甥だし、孝宏にとっても甥のようなものだった。
そんな訳で、リグハーヴス滞在中は〈Langue de chat〉にどうぞ、と以前から言われていたのだ。
足元の魔法陣から銀色の光が収まった時には、魔法使いの塔よりも天井の低い石造りの部屋の中だった。
「いらっしゃーい!」
「ここはリグハーヴスだよ!」
賑やかに迎えてくれたのは、黒褐色の毛色のコボルト達だった。良く似ているが、片方の耳の先が白い。
「コボルト?」
「クヌートの主はリグハーヴスの騎士だよ」
「クーデルカの主はリグハーヴスの魔法使いだよ」
どうやら主達が仕事をしている間に、転移陣の運用を手伝っているらしい。
「ニコだよ!」
ニコがふかふかとした小麦色の毛で覆われた右前肢を上げる。
「俺はリク。リグハーヴスに研修に来たんだ」
「美味しい薬草茶のお勉強だね!」
「〈Langue de chat〉は冒険者ギルドから市場広場に出たら、右区に一本路地を入って、北に向かったら〈本を読むケットシー〉の看板出てくるよ。右区は左側ね。北は領主館がある丘の方向。教会がある方が南だよ」
「有難う」
クヌートとクーデルカに礼を言って階段を上り、受付のあるホールに出る。話には聞いていたが、リグハーヴスは冒険者ギルドの別棟に魔法使いギルドがある。出入口は冒険者ギルド側にあるのだ。
両開きの扉を開けて外に出る。王都よりも空気がひんやりとしていた。どこからか飛んで来た枯れ葉が、かさかさと音を立てて石畳を転がって行く。
ニコを抱き上げ、リクは市場広場から左側の路地に入った。街を囲む囲壁の向こうに、大きな邸が建つ丘が見えたので、あちらが北だろう。
この通りは両側に食料品以外の物が売られている店が多いようだ。靴屋、仕立屋、薬草魔女の診療所が出て来る。
仕立屋の前で襟毛の白い大きな黒いケットシーが枯れ葉を箒で掃いていて、リクは二度見してしまった。一般的なケットシーの三倍くらいある。
視線に気が付いたのか、くるりと大きなケットシーが振り返って、緑色の目を細めた。
「ん? 初めて見るコボルトだな?」
「あれ? 王様?」
ニコが首を傾げる。ふふ、と大きなケットシーが笑った。
「ギルベルトは元王様ケットシーだ。〈針と紡糸〉のリュディガーが主だ」
「ニコだよ!」
「リクです」
「うん、リクはヒロと血縁だな」
ギルベルトは大きな肉球のついた前肢で、二人を手招いた。リクが身を屈めると、リクとニコの額にギルベルトがキスをする。ふに、と温かく柔らかかった。
「ギルベルトの加護をやろう。隣の〈薬草と飴玉〉が研修先になるぞ」
「あ、有難う」
思いがけず王様ケットシーの加護を貰ってしまった。ニコと一緒に尻尾をブンブン振ってしまう。
〈薬草と飴玉〉でも窓から外を覗いていた左右の眼の色が違う黒いケットシーに、前肢を振って貰った。あれが教えを受ける薬草師の筈だ。
十字路を挟んだ向こうの通りに、〈本を読むケットシー〉の青銅の吊り看板が見えた。
「ここかな?」
赤いドアと緑色のドアがある。赤いドアの真鍮の握り玉はケットシーの顔になっていて、〈診療中〉の札が下がっていた。緑色のドアの方がルリユールのドアのようだ。
リクは緑色のドアを開けた。
チリリリン、とドアベルが鳴る。
「いらっしゃ──リク! ニコ!」
カウンターに居たのは孝宏だった。
「ヒロー」
ニコが前肢を伸ばしたので、リクは孝宏にニコを渡してやった。孝宏はニコを抱き締め「ふかふかだねー」と笑った。ニコは他のコボルトよりは毛が長く密集しているのだ。
「お、来たか」
カウンターの奥の戸口から、エンデュミオンが出て来てニヤリと笑った。鯖虎柄のケットシーは相変わらず目付きが鋭い。こんなに鮮やかな黄緑色の瞳を、リクは他に知らない。
「お世話になります」
「部屋は二階だぞ。エンデュミオンの父親達もいるんだが、あの二人は孝宏の書斎でテントを張っているから気にするな」
人族用のベッドより、身体の大きさに会ったテント生活の方が楽らしい。
「荷物置いて来たら、お茶にしようか。診察室に居るヴァルブルガも呼ぶから」
孝宏が二階の客間に案内してくれる。途中ドアが開いている孝宏の書斎を覗くと、本当にティピーテントが建っていた。
「フィリップとモーリッツは、日中は領主館に子守に行っているんだよ。人狼と平原族の番に双子が生まれたんだ。カイとロルフェと同じで同性同士の番なんだよ」
「そうなんだ」
同性同士の番だと子供が出来るまで時間が掛かる。そのうえ双子とは珍しい。
「兄さん達もそろそろじゃないかと思うんだけどなあ」
次々とコボルトを引き取ったので、自分達の子供を作っていなかったのだが、ヒューは二人の元に落ち着きそうなので、そろそろ子作りするのではないかとリクは思っている。
「教えてくれるまでそっとしておこうね」
孝宏は唇の前に人差し指を当てた。確かに急かすものではない。
「部屋はここだよ」
客間はコボルト織のパッチワークのベッドカバーが掛かったベッドのある、柔らかな色合いの家具で揃えられた部屋だった。茶色系の布が集められたベッドカバーには薄く綿が入っていて、温かそうな冬仕様だ。
「バスルームは廊下の突き当り。それと一階の階段脇にもあるよ」
「うん」
「荷物置いたら、一階の居間に来てね。階段下りた奥の左側。右側行くと、イシュカの工房だから」
一通り説明して、孝宏は客間を出て行った。
カイは手持ちで持っていた荷物と、ニコが〈時空鞄〉に入れていた荷物を出して部屋に置いた。それから一度バスルームに行って手を洗う。
「階段を下りた左……」
店へ出る戸口の更に奥左に、居間のドアがあった。開いていたので、窓際のソファーが見えた。ソファーの前のテーブルの横に、綺麗な毛並みの三毛のケットシーと、真っ白なコボルトが居て、リクとニコに気が付くと前肢を上げた。
「ヴァルブルガ」
「しゅねーばる!」
「ニコだよ!」
「リクです」
早速挨拶する。孝宏がそっとお茶とダッグワースと言う不思議な見た目のお菓子を置いていく。
ここでのニコとリクの研修は、ヴァルブルガの診察を見学させてもらい、薬草師ラルスに調薬を学ぶ予定だ。
ヴァルブルガがダックワースを上品に齧る隣で、「あー」と大きな口を開けてシュネーバルが菓子に齧り付いている。身体が小さいので、大きく口を開けても齧れるのは少しなのだ。
さっくりもっちりといった、少し変わった口当たりの菓子を齧り、お茶を飲む。
「ヴァルブルガ、今日は往診に行くんだけどニコ達も一緒に行く? 診てもらった方がいいと思う患者さんなの」
「行くよ! どんな患者さん?」
ニコが尻尾を振りながら、マグカップを抱える。
「魔熊の赤ちゃん」
「魔熊ってあの魔熊? 腕が二対ある」
「うん。王都の森で保護されたから、もしかしたらあの子の他にも居るかもしれないの。だからね」
もし王都の森で見つかれば、ニコとリクが診る事になるだろう。
「解った。ニコ、その子に会いたい」
「じゃあ、おやつ食べたらいこうね」
「うん」
その魔熊の赤ちゃんには既に主が居るという。とても可愛がられているが、先日季節性の風邪を引いたらしい。
ハイエルンはコボルトが生息する領なので、リグハーヴスに他の妖精は居ないのか訊いたら、ケットシーの他に栗鼠型や、属性妖精が居るという。
「火蜥蜴はうちにミヒェルがいるし、地下小人や双頭妖精犬も近所に居るから、診察させて貰うといいの」
「珍しいね!」
「召喚師がいるの」
ロルフェの教会の司祭館の台所にも、そろそろ火蜥蜴が来そうな気がするが、まだ居ないのだ。なんだってこんなに妖精が多いのかと言えば、やはりエンデュミオンが居るからなのだろうか。
「そのうちギルベルトにも会うと思うけど。元王様の大きなケットシーなの」
「さっき会ったよ。加護をくれた」
「うん、子供好きなの」
一瞬ヴァルブルガが遠い目になった。何があったのだろうか。
「ギルベルトは抱っこしにくるだけだぞ。襟毛に埋もれるから、子供に人気なんだが。年齢的にギルベルトにしてみれば、エンデュミオンもヴァルブルガも子供になってしまうだけで」
台所のテーブルで、孝宏とお茶を飲んでいたエンデュミオンが、皿に盛られたダッグワースに前肢を伸ばしながら言った。
「エンデュミオンはギルベルトに育てられたから逃げられない。毎回一寸息が苦しい」
つまりあのギルベルトが育ての親なのか。愛が重そうだとリクは内心頷いてしまった。
無害の塊のようなギルベルトに育てられてもこの性格なのかと思ったが、エンデュミオンの人格は森林族の頃から変わっていないだろう。なにしろ六百年は生きているのだから。
おやつを食べて一息ついたところで、リクとニコはヴァルブルガの〈転移〉で移動した。シュネーバルはニコが抱いて一緒に行く。
〈転移〉で移動した先は、木立の中の一軒家の前だった。
「領主館……だよね?」
「ここは領主館の寮なんだけど、離れなの。喘息持ちの文官騎士のシェンクと竜騎士のプラネルト、雷竜のレーニシュと魔熊のエアネストが暮らしているの」
「雷竜って、〈暁の砂漠〉の?」
「うん。プラネルトは竜騎士の教官なの。リク、ドア叩いて」
「解った」
ノッカーを掴んでドアを叩く。
「はーい」
殆ど待たずにドアが開いた。ドアの向こうはすぐに居間になっているようだ。ふわりと温かい空気が顔に当たる。ドアを開けたのはリクより背の高い、長い蜜蝋色の髪の青年だった。編み込まれた髪に、いくつも珠飾りが通してある。その珠の色が濃いので、族長の血統に近い筈だ。肩には青紫色の雷竜が乗っていた。
青年は「こんにちは」とリクの顔を見て言ってから、足元に居るヴァルブルガ達に「いらっしゃい」と言った。蜜蝋色の髪は〈暁の旅団〉の特徴なので、彼がプラネルトだ。
「おー」
部屋の中から幼い子供の声がして、とてとてと黒褐色の小熊が六つ足で走って来た。プラネルトの横で立ち上がり、脚に抱き着く。一瞬コボルトにも見えるが、よく見ると小熊だ。そして聞いていた通りに腕が二対ある。
「お?」
きらきらとした茶色の瞳がリクとニコを捉えた。初対面の人を見ても、怖がる様子もない。
「この子、コボルトは自分と同族だと思っているんだよ」
プラネルトが魔熊の頭を撫でる。
「寒いから中にどうぞ」と入った家の中は、ドアを閉めるとすぐに温かくなった。
ヴァルブルガはエアネストを連れて暖炉の前の敷物の方へと行く。シュネーバルとニコもついて行った。より温かい場所なので、診察するのは暖炉の前なのだろう。
「プラネルト、エアネストの具合はどう?」
カルテを〈時空鞄〉から取り出しながら、ヴァルブルガがプラネルトに問う。
「もうすっかり元気だよ。熱も下がったし、食事もよく食べてる。昼寝も夜もちゃんと寝てるね。魔石にも魔力はあるよ」
「魔石があるの? あの子」
思わずリクは聞いてしまった。
「魔熊だからね。だから赤ん坊の割に食べるし、魔力も吸収するよ。普段は寝ている間に俺から魔力取っているのかな。〈Langue de chat〉に行った時は、孝宏かイシュカに貰っているんだけど」
身体の大きさはヴァルブルガより小柄だが、成体に近い。ただし精神年齢が赤ん坊なのだろう。
ヴァルブルガとニコの診察を嫌がらずに受け、エアネストは貰った棒付き飴を嬉しそう舐めている。
「うん、元気だね。また〈Langue de chat〉に預けにきても大丈夫なの」
「有難う」
「これ、ヒロから預かって来たの。お菓子」
ヴァルブルガは〈時空鞄〉からダッグワースの包みを取り出した。
「おあ」
お菓子と聞いてエアネストが反応する。
「エア、今飴食べてるだろ」
「お」
「お昼御飯のあとのおやつにしようか」
「お」
貰えるのなら構わないらしく、エアネストは飴を舐めるのを再開する。しっかりプラネルトが言っている事は理解しているようだ。
「地上で魔熊が精霊化するのは条件があるの。精霊水か聖水を常飲している事。そうでなければ、知能は野生の熊と変わらない筈」
エアネストの知能はかなり高そうだ。
「精霊水を飲む事によって、魔熊だけど聖属性になるの」
つまり魔熊だけど聖職者系のスキルなのだ。ふと、聖職者を家族に持つリクは気が付いてしまった。
「腕が二対あるって事は……」
「〈祈り〉の効果が二倍だし、魔法陣も倍描けるんだよね」
プラネルトが苦笑して言った。それは極めれば最強の聖職者になるという事だ。既にプラネルトと契約しているからいいものの、教会か聖都が先に見付けていたらどうなっていただろうか。
飴を食べ終えたエアネストは、玩具の入った車輪の付いた木箱を引っ張って来た。お飯事道具のようだ。ヴァルブルガが木で出来た林檎や魚を取り出しては、一つずつ名前を発音してエアネストに聞かせている。まだ上手く発音出来ないようだが、物と名前は一致して覚えている。やはり賢い。
「あれ、食べ物だから覚えるのが早いんだと思うんだよね。何が食べたい? って聞くと持ってくるから。リグハーヴスに着いて最初の頃、ヒロのご飯で育ったからか食いしん坊で」
プラネルトがテーブルの上にあったティーポットに、茶葉とお湯を入れながら言った。お湯は簡単に水差しの水を沸かして入れているが、おそらく幾つも属性を持っているのだろう。
─ヒロのご飯美味しいからねー。
レーニシュが皿の上に乗っていた、干したオレンジの半分にチョコレートが掛かっている物を咥えていきながら思念で伝えて来る。
リクも塔ノ守の子孫ではあるのだが、〈異界渡り〉の一世目である孝宏とは持っている彼の地の情報量が違う。孝宏はリグハーヴスにかなりの恩恵を与えているのだろう。
「ちゃんと名乗ってなかったね。俺はプラネルト・モルゲンロート。今の族長の甥だよ。〈Langue de chat〉にいるのが、族長の息子のテオフィル・モルゲンロート。ちなみにリグハーヴス女神教会にいるのが、叔父のイージドール・モルゲンロート」
「俺はリク・トウノモリで、あの子は甥のニコ。……モルゲンロートの次期族長候補と側近がなぜリグハーヴスに?」
「偶然なんだけどね。まあテオフィルは中々帰ってこないから、俺がこっち来た方が早いでしょ」
プラネルトの制服の紋章は〈暁の砂漠〉のままだ。つまり所属は〈暁の砂漠〉なのだ。有事があれば、彼は第一にテオフィル・モルゲンロートの守護に入り、指示を仰ぐだろう。
リクの場合はハイエルン出身だが、所属は〈王都竜騎士隊〉である。
「これからちょくちょく会うと思うからよろしく」
「こちらこそ」
ぱたぱたとリクの黒い毛で覆われた尻尾が揺れる。プラネルトが一瞬リクの尻尾を見て、目を逸らした。
─ふうん、プラネルト?
レーニシュがぺちぺちと尻尾でプラネルトの腕を叩いた。
「煩い」
プラネルトが指先でレーニシュの尻尾を払いのけた。なにやら二人にしか解らないやり取りをしている。
現在のところ、リグハーヴスで会う人たちは皆親切だ。街で通り過ぎる住人達も穏やかだった。コボルトを連れていても奇異の目で見られたりしない。これならば安心して研修期間を過ごせるだろう。
「どうぞ」
レーニシュの尻尾をあしらっていたプラネルトが、蒸らし終わった紅茶をカップに注いでくれた。妖精達の分もミルクたっぷりで用意してくれる。
「ねる、ねる」
「おいで、エア」
抱き着いてきたエアネストを膝に抱き上げ、ミルクティーを舐めさせるプラネルトは良い父親のようだ。容姿も良い男なのに番は居ないのかな? と人狼的見解で眺めたリクだった。
やっとニコとリクが来ました。
もしかしたら魔熊が他にも居るかも、とエアネストを診察しています。
エアネストはかなり賢い個体なのですが、まだ赤ちゃんなので怖いもの知らずです。
プラネルト、リクの尻尾が気になります……。
リクは人狼ですが、体格は孝宏とカイとあまり変わらず、人族の体格に狼耳と尻尾が付いている感じ。戦闘職には向かないので、薬草師になりました。
孝宏とリクとカイ、三人並ぶと結構印象が似ています。リクとカイは容姿的に先祖返りしています。