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診療所の拡張と抹茶カステラ

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

ヴァルブルガの診療所を広げます。


395診療所の拡張と抹茶カステラ


 コトコトと焜炉コンロの上で蓋が揺れる鍋から、オニオンスープの香りがする。昨日から仕込んだオニオンスープは、厚切りの燻製肉ベーコンや玉葱が丸ごと入っていて、食べごたえのあるようにしている。

 黒森之國くろもりのくにの人間は、孝宏たかひろよりも食べる量が多めだ。身体の大きさも違うのだから、当然かもしれない。孝宏の体格はこの國では少年並みに華奢なのだ。

 肉屋アロイスの腸詰肉ブルストを軽く茹でてから、平鍋でじっくりと焼いていく。これに粒マスタードやお手製のケチャップを付けて食べるのが美味しい。すりおろした林檎アプフェルのみで作ったとろりとした甘さ控え目のソースを付けて食べるのは、最近のルッツのお気に入りだ。

 今朝のパンは使用するバターの量にエンデュミオンがおののいていたクロワッサンだ。パン屋で買うには値段が高くなりそうなクロワッサンだが、自分ではたまに作っている。

 〈ヴァイツェン(スフィアーツ)〉のカミルには作り方を教えたが、やはりクロワッサンやデニッシュは少し値段を上げざるを得ないようだ。買う客も、たまのおやつに買っているのだろう。

 エンデュミオンには「王様と取引する時にでも使えば良いんじゃない?」とレシピを渡してある。エンデュミオンはさっさとギルドに登録してきてくれたようだった。

 孝宏の公開したレシピは商業ギルドに登録されていて、時々お金が入ってきているのだが、金庫にどれだけのお金があるのか、孝宏は知らない。

 孝宏がお金を使うのは、お茶の葉や干し果物を買う時位で、それ以外だとあまり使いどころがないのだ。

 鍋の隣で薬缶のお湯が沸き、ティーポットを温めてから茶葉を入れお湯を注ぐ。その頃には大体皆朝食にやって来る。今日はテオとルッツも朝食の時間に間に合った。半分寝ているルッツを、テオが子供用の椅子に座らせた。

「ルッツ、腸詰肉に林檎のソース付ける?」

「あいー」

 きゅっと丸めた肢先で目を擦りながら、ルッツが孝宏に返事をした。孝宏は保冷庫から林檎のソースの瓶を取り出し、テーブルに置いた。

 玉葱を丸ごと一個スープボウルに入れた物を各自に配る。厚切り燻製肉はお昼に食べる事にする。黒胡椒をガリッと透き通る玉葱の上に挽くと、なお美味しい。削ったチーズを上に乗せてオーブンで焼いても良い。栄養価が高すぎるかもしれないが。

「今日の恵みに。月の女神シルヴァーナに感謝を」

 食前の祈りを唱えて、食事を始める。

「ニコとリク来るの、もうすぐだね」

 ラルスの美味しい薬草茶ハーブテーを学びに孝宏の遠い親戚にあたるカイの弟リクと、養い子であるコボルトのニコがやってくるのだ。

「ほう、人狼の嫁の血族か」

 スープボウルの中の玉葱を崩しながら、フィリップが言った。モーリッツはその隣で、両手で持ったクロワッサンに齧り付いている。

「うん。俺のずーっと上の系譜の人がカイとリクの先祖だと思う」

「孝宏とカイがあれだけ似ているとなると、血族なのは間違いないだろうな」

 エンデュミオンもそう言ってクロワッサンに齧り付いた。髭の先に、クロワッサンの欠片が付いていたので、孝宏は取ってやった。

 フィリップとモーリッツは孝宏の書斎にティピーテントを建てているので、ニコとリクは客間を使える。

「エンデュミオン」

 いつもは余り口を利かず大人しいヴァルブルガが、握っていたスプーンをスープボウルに戻した。

「なんだ? ヴァルブルガ」

「相談なの。ヴァルブルガの診療所を広く出来ない? もうすぐ流行り風邪の季節だから」

「あー、そうか。そうだな」

 ヴァルブルガが免許を持つ魔女ウィッチだと解ってから、〈Langueラング de() chat(シャ)〉の中にある小部屋の一つで診療するようになっていた。〈Langue de chat〉の〈本を読むケットシー〉の青銅看板の下に小さな診療所の印の看板をぶら下げてはいたものの、最初の頃は店の近くで転んだ子供や、魔女グレーテルの診療所が往診で留守だった時に患者が来る位だった。

 しかし最近は子供の患者が増えている。なにしろ、魔女がケットシーなのだ。診療所が怖くて泣きながら入ってきた子供も、ヴァルブルガを見るなり泣き止む。そうなれば、親だってヴァルブルガの診療所に子供を連れて来るというものだ。

「店のお客さんに流行り風邪を移すのは避けたいの」

「うん。増築は無理だから……拡張するか。外から直接入れる待合室があればいいんだよな?」

「うん」

 現在は店側から小部屋の診療室へ回る状態なのだ。

「小窓がある場所にドアをつけて、空間拡張で待合室を作ろう」

「エンデュミオン、拡張するなら街長か領主に報告が居るんじゃないかな」

 テオがルッツの腸詰肉をナイフで一口大に切り分けながら言った。林檎のソースを乗せて貰った腸詰肉を、ルッツがフォークで刺して口に入れ、幸せそうな顔になる。

「建物の外側が大きくなる訳ではないから問題なさそうだが?」

「魔改造になるから、一応ね」

「あとで精霊ジンニー便を出しておくか」

 仕方がない、とエンデュミオンがぼやく。

「坊や、面倒事は潰しておけ」

 フィリップが息子をたしなめる。

「うん」

 エンデュミオンはフィリップに素直に頷いて、スプーンを持った。

 折しも本日は〈Langue de chat〉の休日である。イシュカとカチヤ、ヨナタンとシュネーバルは、ケットシーの里に魚釣りに出掛けた。テオとルッツは部屋でゆっくり過ごすらしい。常に一緒にいるテオとルッツだが、軽量配達屋をしている時間はのんびりとはいかない。家に居る時は、ルッツを子供らしく甘えさせているのだ。

 フィリップとモーリッツも今日は家にいるようで、エンデュミオンの魔改造をわくわくして待ち構えていた。

 孝宏も朝食の後片付けをしてから、エンデュミオンの作業を覗きに行った。

 エンデュミオンは診療所にあった家具を〈時空鞄〉にぽいぽいと収納して部屋を空にしてから、赤いチョークで床や壁に魔法陣マギラッドを描き始めた。

「エンディ、入口のドアはどうするの?」

「魔法使いギルドの地下金庫に昔のドアがあったと思う。一時的に転移部屋を作った事があって、その時のやつだ。一寸取って来る」

 エンデュミオンの姿が消え、数分後に戻って来た。それから小窓がある路地に面した壁にも魔法陣を描き加えた。

「孝宏、ドアを引っ張りだして、壁に立て掛けてくれ。魔法で軽くするから」

「解った」

 エンデュミオンの〈時空鞄〉からはみ出したドアを引っ張りだし、路地に面した壁に立て掛ける。赤く塗られたドアは上部が孤を描いていて、丸窓が付いていた。真鍮の握りがケットシーの顔になっている。丸窓の縁も真鍮細工の植物で縁取りがあって可愛らしい。

 赤いドアの色は、ヴァルブルガが寒い時期に着ている、フード付きのマントと同じ色だった。

「よし、一度部屋から出てくれ」

 エンデュミオンを残し、全員部屋から出る。エンデュミオンは〈時空鞄〉から黄緑色の魔石の付いた杖を取り出し、石突を床に打ち付けた。

「〈拡張〉〈固定〉」

 魔法陣が銀色に輝き、ぐぐっと部屋の奥行きが広がった。壁から間仕切り用の壁が生えて来る。立て掛けていたドアも壁と融合し、今まであった小窓も少し形を変えて、ドアの上に明り取りの窓になっていた。矢筈やはずのような金具で開ければ、換気も出来る。

「ヴァルブルガ、待合室と診察室の間の間口にドアは付けるか? それとも〈遮音〉を入れたカーテンを掛けるか?」

「〈遮音〉を刺繍したカーテンにする」

「じゃあ取り外しの出来る棒を付けて置く」

 間口の上部ににゅにゅっと枝のような素朴な棒が生える。そこに木で出来たリングが幾つか現れて揺れた。

 どういう魔法なのか解らないが、エルムの属性魔法なのだろう。

「待合室のベンチなんかは、クルトに頼んだ方がいいだろう」

「うん」

 診察室にヴァルブルガの指示通りに家具を戻し、エンデュミオンは孝宏の元に戻って来た。

「お疲れ様、エンディ」

「うん」

「小豆入りの抹茶カステラ食べる?」

「食べる」

 ぴん、とエンデュミオンの縞々尻尾が立ち上がった。フィリップが首を傾げた。

「アズキイリノマッチャカステラとはなんだ?」

「小豆の入った抹茶のカステラだ」

 真顔でエンデュミオンが答えるが、それでは答えになっていない気がする。

 孝宏は台所に行って、〈魔法箱〉からカステラの入った容器を取り出した。小豆入り抹茶カステラを取り出し、切り分けて小皿に乗せる。

 お茶はいつもの輸入雑貨屋で見付けた、鉄観音茶に似た物を入れる。これは花のような果実のような甘い香りがして、孝宏の好みだったのだ。

「はい、どうぞー」

 わくわくした顔のエンデュミオンとフィリップ、モーリッツの前に抹茶カステラを置く。ヴァルブルガにはドライストロベリーの粉末を混ぜた、ピンク色の苺カステラをクリーム付きで出してあげる。モーリッツも食べたそうだったので、小さめの苺カステラを付けてあげた。

「緑色……」と呟きつつ、フォークで切り取った抹茶カステラをフィリップが口に入れる。

「っ!」

 カッとフィリップの目が見開いた。気に入ったらしい。流石親子だ。

「これ美味しい」

 モーリッツは抹茶カステラも苺カステラも気に入ったようだ。

「坊や、お前のあるじは恐ろしいな」

「孝宏は凄いんだ」

 なにか自慢されていた。

「父さん、大工のクルトの所にグラッフェンが居るから、ヴァルブルガと行って来たらいいんじゃないか?」

「そうだな。グラウヒェンにも会いに行かなければな」

 フィリップはグラッフェンをグラウヒェンと呼んでいるらしい。

 孝宏は苺カステラとチョコマーブルのカステラを包んで、フィリップに渡した。

「グラッフェンの所にお土産に持って行って」

有難う(ダンケ)、孝宏」

 嬉しそうにフィリップがカステラを〈時空鞄〉に入れた。エンデュミオンと良く似ているフィリップを、無性に撫でたくなるのは秘密である。孝宏が撫でるには許可を取ってからだろう。それ位の分別はある。

 おやつを食べ終わったフィリップとモーリッツは、ヴァルブルガに〈転移〉をさせて、大工のクルトの家へと出掛けて行った。人見知りのするヴァルブルガだが、クルトに憑いている大工コボルトのメテオールが居るから大丈夫だろう。

「エンデュミオン、領主様に手紙書いてないんじゃない?」

「面倒だが書くか……」

 孝宏が綺麗に拭いたテーブルの上に便箋と封筒、翡翠色の万年筆を取り出し、エンデュミオンが手紙を書き始める。エンデュミオンはケットシーの前肢で書いたとは思えない程、綺麗な文字を書く。

 書いている内容は、ヴァルブルガの診療所を拡張魔法で少し広げたので、何か出す書類があれば教えてくれ、というものだったのだが。きっと建物の外枠自体は変化がないので、税金も変わらない気がする。黒森之國は炉税と人頭税と収入による税金だ。

「きゅっきゅー」

 エンデュミオンが便箋を畳み、宛名を書いた封筒に入れていると、台所の籠で丸くなっていた木竜のグリューネヴァルトが鳴いた。

「ん? 散歩ついでに届けてくれるのか?」

「きゅっ」

「有難う、グリューネヴァルト」

 エンデュミオンはグリューネヴァルトに手紙を咥えさせた。孝宏が開けてやった窓から、グリューネヴァルトは飛び出していった。グリューネヴァルトは本来は巨大な木竜なので、時々思い切りリグハーヴス上空を飛びに行くのだ。

「ヴァルブルガの患者さん、増えそうかな」

「ケットシーとコボルトの魔女だからなあ」

 〈Langue de chat〉の診療所にはヴァルブルガと、見習いのシュネーバルが登録されているのだ。

「エアネストって魔女になりそう?」

「あれは、どちらかというと司祭プファラーだな。セント属性の塊だから。聖属性での〈治癒〉なら出来そうだが、まだ赤ん坊だしな」

 魔熊まゆうのエアネストは〈暁の旅団(モルゲンロート)〉のプラネルトに憑いているので、所属も〈暁の砂漠〉になる。つまり、将来〈暁の砂漠〉にとんでもない聖属性使いの魔熊の司祭が誕生するのだろう。

 こうして新生〈Langue de chat〉の診療所こと、ヴァルブルガの診療所が誕生したのだった。


多分届け出は、魔女ギルドの方に施設内容変更したよ! っていうのが要りそうです。

エンデュミオンは色んなものを取っておくので、ギルドの金庫の中にはやたらと物がありそうです。

孝宏は知らないだけで、小金持ちになっています。お金を使うのは、輸入雑貨店と、お茶屋、干し果物を売っているようなお店くらいかも。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新、ありがとうございます〜 もうそろそろ流行り風邪に備えないといけない季節になりますね。 美味しそうな朝ご飯に、オニオンスープを食べたくなりました! 後、小豆入り抹茶カステラも誰か作ってく…
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