静成草とヴァイツェア公爵家の人々
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
フォルクハルトへの定期便です。
394静成草とヴァイツェア公爵家の人々
ヴァイツェア公爵領のフォルクハルトの部屋には軽荷物用の転移陣がある。白い布に赤い糸で刺繍された軽荷物転移陣からは、時々美味しいものが送られてくると南方コボルトのフリューゲルは知っている。
昨夜の内に手紙を挟んだ貸本と干し果物の紙袋が置かれた軽荷物転移陣の前に椅子を運んで貰い、フリューゲルは朝からわくわくと眺めていた。
美味しいものがやってくるのは、フリューゲルが〈Langue de chat〉から借りている本を返却する日なのだ。
「わっう」
軽荷物転移陣がふわりと銀色に光る。重ねられた宵闇色の本と若草色の本、そして干し果物の紙袋が消え、代わりに新しい本と二つの紙袋が現れた。紙袋には木製の小さな洗濯挟みで、封筒が留められている。この小さな洗濯挟みは、紙を数枚綴じるのにフォルクハルトが重宝していた。
「フォルクハルトー、にもつきたー」
「来たね。ええと、俺達のはこれだね」
封筒の宛名書きを確かめ、フォルクハルトは手紙を取った紙袋をフリューゲルに渡してやる。フリューゲルが裏の白い黒褐色の尻尾を振りながら紙袋を覗くのを視界の端に見ながら、フォルクハルトは封筒から便箋を抜いて開く。
「……んん?」
イシュカはいつも前回の手紙から今回の手紙を送って来る間の事柄を書いて来るのだが、今回はいつもと少々異なった。ハルトヴィヒに手紙を渡してほしいと書いてある。そしてその理由も。
イシュカの母親のエデルガルトの家には、別口で手紙とお菓子が届いている筈だが、いつもはお菓子だけの事が多いハルトヴィヒ用の紙袋にも手紙が付けられていた。
「静成草の新種を作っちゃったって……エンデュミオンだもんなあ」
シダや苔が好む日陰が育成場所という薬草が静成草だ。浄化作用があり解毒薬に用いられる薬草だが、ヴァイツェア公爵領の固有種で、他の土地では育たないと言われていた。それをエンデュミオンが友人の庭師コボルトと、ケットシーの里にある薬草畑で育てたらしい。しかも聖水で育て、難治性である沼蛇の毒の後遺症すら改善させたと書いてある。
沼蛇の毒は噛まれてすぐなら初級解毒薬で解毒出来るが、処置が遅れると重い麻痺が残るという厄介なものだ。後遺症によって引退せざるを得なかった冒険者は少なくない。後遺症を緩和させる薬を買う為に、貧しい暮らしをしている者もいるのは問題になっている。
イシュカ達の友人に沼蛇の後遺症を持つ少年がいて、彼の為にエンデュミオンは解毒薬を研究していたのだという。
「父上に相談だな。フリューゲル、今日のお菓子は何だった?」
「ほしたサクランボとチョコのクッキー」
前回送った干し果物のうち、サクランボを刻んだものをたっぷり練り込んだクッキーと、ごろごろとしたチョコレートとナッツが練り込まれたクッキーが、紙袋にたっぷり入っていた。
「おやつに食べような。これから父上のところに行かなきゃならない」
「わう」
フォルクハルトは本を軽荷物用転移陣から机の上に置き直し、ハルトヴィヒ用の紙袋を手に持った。フォルクハルトとフリューゲル用のクッキーの紙袋は、フリューゲルが〈時空鞄〉にしまい込む。
部屋を出てフォルクハルトとフリューゲルはハルトヴィヒの執務室に向かった。カチカチとフリューゲルの爪音が廊下の床を鳴らす。
ハルトヴィヒの執務室の扉を、フォルクハルトはノックした。
「フォルクハルトとフリューゲルです」
「どうぞ」
返事を聞いてからドアを開け、室内に入る。
「父上、イシュカから手紙がきました。相談事込みです」
「イシュカから相談事?」
読んでいた書類から顔を上げ、ハルトヴィヒが息子二人も受け継ぐ緑色の目を瞬く。
イシュカは成人して自分の工房も店も持つルリユールの親方だ。そんなイシュカがハルトヴィヒに相談して来るなどほぼない。なにしろ同居人には大魔法使いエンデュミオンがいるので、大抵の事はなんとかしてしまう。
フォルクハルトは手紙の付いたクッキーの紙袋を、書類を避けたハルトヴィヒの執務机の上に乗せた。
ハルトヴィヒが紙袋から封筒を外し、中の手紙を読み始める。そして読み終えてから掌で額を押さえた。
「……エンデュミオンは何をしているのかな?」
「効果のある解毒薬を研究していたらしいんですけどね」
「なんで聖水を使ってみようと思うかな」
「父上、エンデュミオンは〈柱〉の神殿の管理者です。聖水は使い放題ですよ」
「そうだった……」
誰も止めなかったと言う事は、側に孝宏も居なかったのだろう。居たとしても「やってみたら?」と言うかもしれないので結果は同じだ。
「エンデュミオンからの依頼は、俺とフリューゲルでも静成草(聖属性)が育てられるかの検証と、もし栽培出来たら沼蛇の毒の後遺症患者に、國で解毒薬を配布出来ないかの相談を、陛下として欲しいって事ですね」
有償にしたとしても高額にはしないように、とも書いてある。ただでさえ貧しい患者に借金を追わせる気か? とあの目付きの悪いケットシーが腕を組む姿が浮かぶ。
「ヴァイツェア公爵領の固有種だから、特許はこちらに譲るから後は頼むと?」
「そうですね」
エンデュミオンは金には困っていないのだ。大魔法使い時代の財産が使い切れない程、ギルドの地下金庫に眠っている筈だ。恐らくその事実を、彼の主は知らないだろうが。
「フォルクハルト、この解毒用軟膏の試供品と処方箋を送って貰えるか、イシュカに頼んでくれるかい。聖属性の静成草もだね。こちらの薬草師でも調合出来るのか試さないと」
「解りました」
ハルトヴィヒもフォルクハルトも、イシュカの稀の頼みを断るなんて事はしない。これはヴァイツェア公爵領にも益がある。
「多分王家と関わりたくないエンデュミオンが、イシュカに頼んだんですよね……」
「だろうなあ」
エンデュミオンの王家嫌いは筋金入りだ。現在の王家の人間はそれ程でもないようだが、それでも出来るだけ避けようとするのは本能なのだろう。
フォルクハルトとハルトヴィヒが二人揃って溜め息を吐いたのを見計らうように、「おちゃだよー」とフリューゲルがお茶の道具の乗ったワゴンを押してきた。コボルト用の特注ワゴンだ。
ティーカップのソーサーには、送られて来たばかりのクッキーが添えられている。きっとフリューゲルが食べたかったのだ。
ハルトヴィヒにティーカップを渡し、フォルクハルトはフリューゲルと応接用のソファーに座った。
「きょうのめぐみに!」
元気よく食前の祈りの唱え、フリューゲルが赤い干しサクランボの練り込まれたクッキーに齧り付く。
「うまー」
ぶんぶんと尻尾を振りながら、クッキーを咀嚼するコボルトは可愛い。フォルクハルトもミルクティーを一口飲み、一先ず和む。
「なあフリューゲル、ここの森で静成草を育てられると思うか?」
「んー、〈くろきもり〉でそだてられたんなら、せいれいじゅのもりでもそだてられるよ」
「あそこ直射日光ないし、苔生えているっけ」
「わう」
「だから俺達に試して欲しいって書いてあるのか」
精霊樹の森は、現在の管理者はフォルクハルトとフリューゲルなのだ。静成草は大量生産出来る薬草ではない。
「聖水はエンデュミオンが用意してくれるって書いてあるのは、教会とのしがらみをなくすためかな」
「だろうねえ」
「どうやって聖水運ぶんだろう……」
フォルクハルトの疑問は、後日エンデュミオンから陶器の水差しを送られてくる事で解消するのだが、「何で水差しと水源が繋がってるんだよ!」と非常識さに怒りを覚えたりするのをまだ知らない。
そして処方箋が届いてから、軟膏を作ったのはエンデュミオンではないと気が付いたフォルクハルトとハルトヴィヒは、非常識なケットシーがリグハーヴスにはエンデュミオン以外にも居るのだと、認識を新たにするのだった。
仲良しイシュカとフォルクハルト兄弟。貸本を送る度におやつや手紙を添えています。
貸本と一緒に来るおやつを毎回楽しみにするフリューゲルです。
王族に関わりたくないエンデュミオンに丸投げされたと、ちゃんと解っている二人。
それでも大発見なので、後処理はしてくれます。
処方箋がきて「あれ? ラルスも非常識(な技術持ち)なのでは?」と気付いてしまっています。
ラルスもエンデュミオンの「これで解毒薬作って」をあっさり叶えているので、実は一寸おかしい。