ハシェと最上級解毒薬(上)
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ハシェにお薬が届きます。
392ハシェと最上級解毒薬(上)
「アメリ」
「にゃ~」
暖炉前の敷物の上を、アメリがハイハイして、自分を呼んだハシェの元へとやって来た。敷物の上に座っているハシェの脚に触れ、転がるように両脚の間に納まる。アメリは最近よく笑うようになり、楽しそうだ。
「アメリ、動くようになって来たね」
「目が見えない以外は健康だからね」
エンツィアンがぽやぽやした毛が残るアメリのクリーム色の頭を撫でる。アメリは顔の中心や耳と尻尾、四肢の先が灰色という変わった毛色だ。瞳は南海の青碧色で眼底から光が零れているように見える。
アメリは〈不死者〉と呼ばれる存在だった。エンデュミオンが言うには、意思を持って言った言葉を実現させられる能力があるらしい。不死鳥のように生まれ変わる事から〈不死者〉と呼ばれるのだとか。ケットシーに生まれ変わったのは初めてだという。
真っ白な毛並みに生まれ変わらなかったアメリは、前世でかなり不幸な生い立ちだったようで、ハシェは「普通に可愛がって育ててくれればいい」とエンデュミオンに頼まれている。
今日は森番のヘルマンと人狼であるハシェの兄クレフは、仲の良い〈黒き森〉のケットシー達と森に茸狩りに行っている。
森番小屋で診療所をしている魔女コボルトのエンツィアンと、脚が悪いハシェ、それと赤ん坊ケットシーのアメリは留守番だ。火蜥蜴のリンケも暖炉の灰の上で転がって昼寝している。
「アメリが走り始めたら追い掛けられないかも」
地下迷宮の沼蛇に噛まれたあとの治癒の遅れから、麻痺が残る左脚をハシェは擦った。エンツィアンやヴァルブルガが定期的に〈治癒〉し、ラルスの薬草茶を飲んでいても中々よくならない。時間が掛かると最初から言われているが、森番小屋の仕事も余り手伝えていないのが気になってしまう。
元々兄のクレフと比べて、身体を動かす事も鍛冶も得意ではない。今ハシェはエンツィアンに医術を習い始めている。魔女になれる適性はあるらしい。
「誰か来る。エンデュミオンかな」
エンツィアンが耳をぴくぴくと動かした。妖精は誰かが〈転移〉してくるのが解るようだ。
ポンと音を立ててエンデュミオンが現れた。
「いらっしゃい、エンデュミオン」
「久し振りだな。ハシェ、もっと温泉に入りに来い。特に冬は温めた方が脚にいいから」
「うん。ヘルマンと兄さんは出掛けているよ」
「ハシェとエンツィアンに用があったから構わないぞ。やっと最上級解毒薬が出来たから届けに来たんだ」
エンデュミオンは〈時空鞄〉から緑色の硝子で出来た軟膏入れを取り出した。
「これは塗り薬だ。風呂上りに塗ってから寝るといい。少しずつ沼蛇の毒が浄化される。この容器の分がなくなっても麻痺が残っていたら、またラルスに作って貰うからな。エンツィアン、これが処方箋だ。飲み薬はそのまま飲んでいてくれ」
「有難う」
エンツィアンが軟膏入れと処方箋を受け取る。軟膏入れを敷物の上に置き、処方箋を広げる。そしてへにょりと耳を倒した。
「……静成草(聖属性)って何? エンツィアン初めて知った」
「それはカシュが聖水で育てた静成草だ。静成草は元々解毒作用がある薬草なんだが、強い薬効と聖属性がある特別製だ」
「わざわざ作ってくれたの!?」
ハシェは驚いてしまった。
「今までの薬では薬効が足りないんだから、他の薬草を試すしかないだろう。静成草の種はエンデュミオンが昔魔法使いギルドの地下金庫に保管していたから、植えてみたんだ」
エンデュミオンはなんでもなさげに言うが、それはつまりエンデュミオンの前世である森林族の大魔法使い時代から保管していたという事だろうか。種は長持ちするのだな、とハシェは感心してしまった。
「静成草って、多分ヴァイツェア公爵領の固有種だった気が、エンツィアンはするんだけど……うん」
エンツィアンが〈時空鞄〉から薬草辞典を取り出した。パラパラと捲って確認する。
「エンデュミオンは元々ヴァイツェアの生まれだからな。ケットシーの里の薬草園で一寸育てる位大丈夫だろう。薄荷草のように増殖しないし、売る訳でもないから。今度作る糸も金はとらないし」
「糸?」
「特定のバロメッツに静成草を食べさせて、聖属性の糸を作ろうかと思ってな。布にして、ベネディクト達の法衣を作ってやろうかと。マリアンに縫製を頼めば他所に漏れる事もないしな。あ、ちゃんとフォンゼルにも作るぞ」
そこで司教の名は出ても、王の名が出て来ないのがエンデュミオンだ。そして教会関係者に色々と気を遣っているのに、エンデュミオンには聖属性はないのが不思議だった。
エンデュミオンは「孝宏に菓子の配達も頼まれていたんだった」と、焼き菓子がたっぷり入った紙袋を置いて、アメリを撫でてから帰って行った。
「これが最上級解毒薬なのか……」
茸狩りから戻ってきたクレフは、エンデュミオンが持って来た軟膏入れをしげしげと眺めた。ラルスの仕事は丁寧で、薬包もいつも綺麗に折られているが、軟膏入れも外側は六角形なのに、内側は円形という手の込んだ容器だった。特注の容器だろう。
半透明の白い軟膏は、うっすらと青緑色だった。
「静成草を特別に育ててくれたんだって」
「あれはヴァイツェアにしかないんじゃなかったか?」
ハシェより年上のクレフは知識も多い。知っていたようだ。
「うん。エンデュミオンが種を持っていたみたい」
「にゃっにゃっ」
チリチリと鈴の音が鳴る。アメリが鈴の入った魚型の編みぐるみを抱えて、敷物の上で転がっているのだ。
「アメリ」
クレフが呼ぶ。
「にゃ~」
呼んだ? とばかりにハイハイで突進して来たアメリを、クレフが抱き上げた。
「ハシェもアメリを追い掛けられるようにならないとな」
「うん」
「じゃあ、外に手伝いに行くか」
クレフに手を引かれ、ハシェは敷物から立ち上がる。
ケットシー達と大量に茸を取って来たので、本日は茸鍋なのだ。玄関から外に出ると、魔法陣を描いた大きな紙の上に、ケットシー達とエンツィアンが茸を乗せていた。紙の魔法陣が光った後、茸は水洗いされている。
「エンツィアン、その魔法陣は何?」
「エンデュミオンに教わった、虫除けの魔法陣。茸に虫が付いていたら逃げていくんだよ」
「便利だね」
ハシェは外に野外用のテーブルを出して、野菜を切っていたヘルマンを手伝い、切った野菜と茸を大鍋に入れた。クレフは簡易竈を作っている。竈が出来るとのそのそと火蜥蜴のリンケがやってきて収まった。
竈に大鍋を乗せて水を入れ、リンケに熱して貰う。通常の火蜥蜴の利用方法と違う気もするが、リンケ自体が進んで火種になってくれているのでいいのだろう。
アメリはケットシー達に遊んで貰っていた。彼らは普段から子守に来てくれているので、仲が良い。
野菜と茸が煮えたら、バターと小麦粉、牛乳で練ったソースを入れて、足りない分の水分も牛乳を足して、塩胡椒とコンソメスープのキューブで味を調える。
「エンデュミオンが〈魔法箱〉をくれたから、備蓄の心配をしなくて良くなったなあ」
ヘルマンが大きな黒パンを切り分けながら笑う。以前は牛乳や卵などは傷んでしまうので、買っても早めに消費しなくてはならなかったらしい。今は〈魔法箱〉があるので、傷む心配がない。パンも乾いてカチカチになる事もなくなった。
切り分けた黒パンをどさりと籠に盛る。兎の形に切った林檎も沢山ボウルに入れて置いてある。
「シチュー出来たよ。並んでー」
ヘルマンの声に、ケットシー達がさっと自分の器を取り出した。争う事もなく、若い順にシチューを注いで貰う。クレフに黒パンを一切れか二切れ貰い、玄関前の階段に座っていく。
全員にシチューと黒パンが行き渡ってから「今日の恵みに!」とお祈りを唱える。
「黒パンと林檎は、欲しい分食べていいからね」
「うん」
代表してケットシーの一人が答えたが、皆茸シチューに夢中になっている。
ケットシー達が森番小屋に頻繁に訪れるようになってから、森の恵みを皆で収穫した時には、こうして食事をするようになっていた。
〈黒き森〉の入口にある森番小屋は、時折冒険者が寄るだけの閑散とした場所なのだ。ケットシーが遊びに来ても、何ら問題がない。
「アメリ、シチュー少し飲んでみる?」
「にゃう」
ミルクの他に少しずつ離乳食を始めたアメリだ。ハシェはシチューの汁だけスプーンで掬い、吹き冷ましてアメリに飲ませてやる。
「にゃうん!」
くるくるとアメリが喉を鳴らした。美味しかったようだ。
「食べられるようになったら、美味しい物沢山食べようね」
「にゃあ」
ハシェにアメリが頭を擦り付ける。食いしん坊に育ちそうな気がする。
食後にエンデュミオンが持って来てくれた焼き菓子も皆で食べてから、ケットシー達は里に帰って行った。
鍋や竈を片付けてから、交代で風呂に入る。アメリは盥でエンツィアンと一緒にヘルマンに洗って貰い、先に回収する。風魔法で乾かしてふわふわだ。
逃げる前におしめをして、暖炉前の敷物の上に放つ。森番小屋に来たばかりの頃に比べて、倍以上大きくなった。少し短めの手足がちょこちょこと動くのが可愛い。
「アメリ、お水飲もうね」
エンツィアンが哺乳瓶に果汁を少し入れた〈精霊水〉を入れて持って来てくれた。お尻をついて座ったアメリに小さい哺乳瓶を持たせると、自分で飲み始める。時々引っ繰り返りそうになるので、ハシェが背中を支えてやっているのは御愛嬌である。
「ハシェ、風呂良いぞ」
「うん」
クレフがバスルームから出て来たので、交代でハシェは着替えを持って行く。ヘルマンは台所で残った茸をオイル漬けにしている。先にハシェが入ってしまった方がいいだろう。
バスルームで服を脱ぐと、人狼にしては筋肉のない痩せた身体が現れる。脚も左脚の方が幾分細い。その代わり髪や耳、尻尾の毛艶は良くなった。衣食住が安定したからだろう。
ゆっくりとお湯に浸かり、感覚の鈍い左足を擦る。ハシェは本来ならば金貨が飛ぶような治療を受けている。リグハーヴスの診療費が一定金額なのと、エンデュミオン達の好意のおかげで、ここまで良くなった。
恩返しがしたいと思うが、今のところハシェは何か出来る技能は持ち合わせていない。せめて早く魔女見習として、エンツィアンの手伝いが出来るようになりたい。
風呂から上がり、左足を庇いながら居間に戻る。
「ハシェ、お薬だよ」
暖炉の前で、エンツィアンが緑色の軟膏入れを用意して待っていた。
ソファーに座り、パジャマの裾を捲ったハシェの脚に、エンツィアンが軟膏を塗って行く。
「ハシェ、痒かったりしない?」
「大丈夫。少しすうっとするよ」
べたべたする事もなく、軟膏は塗りこめていくと肌に馴染んだ。
軟膏が前肢に付いたエンツィアンの代わりに容器に蓋をしたクレフが、唐突に言った。
「ハシェ、これの代金払ったか?」
「あ、忘れた」
「それ、代金貰えないんだと思うよ。今までにない薬草作っちゃったから。薬草師ギルドで認定されてないと思う」
エンツィアンが水魔法で前肢を洗いながら笑う。
「ハシェで効果が実証されたら、薬草師ギルドで認定されるのかも」
「エンデュミオンとラルスだから、鑑定して結果が出るのは解っているんだろうけどね。はい、お茶」
ヘルマンがマグカップにミルクティーを入れて運んで来た。
「茸の処理は?」
「終わったよ。オイル漬けは〈Langue de chat〉にお裾分け出来るよ」
森番小屋にそれなりに暮らしているので、ヘルマンは保存食作りが上手なのだ。
「沼蛇の後遺症が治る薬って、画期的なんじゃないのかな……。俺が森番してからも、冒険者に後遺症が残ったって話はそれなりに聞くし」
「それじゃあハシェが良くなったら、薬草師ギルドで認定して貰った方が良いのかな?」
「でも静成草って、ヴァイツェアの固有種だから、あっちに利権がある。まずはヴァイツェア公爵の方に話を持って行かないといけないのかも」
ヘルマンはクレフにマグカップを手渡した。はたはたとクレフの銀色の筋の入った黒毛の尻尾が揺れる。
「イシュカがヴァイツェア公爵の長男だから、揉めたりはしないだろうけどね」
日常的には殆どヴァイツェアを名乗らないが、イシュカは認知されている長男なのだ。
「効いてくれるといいなあ」
ハシェは左脚をパジャマの上から擦った。効果があると解れば、ハシェのように麻痺に苦しむ人が救われる。
「おやすみなさい」
赤ん坊のアメリの就寝時間は早いので、ハシェも早めにベッドに入る事が多い。ヘルマンとクレフは森番小屋の仕事の事や、鍛冶の事を話していて、いつもハシェよりは遅い。
熟睡しているアメリを子供用のベッドに寝かせて掛布団を掛けてやり、ハシェも隣のベッドに入った。
左脚に軟膏を塗ったばかりの頃はすうすうしていたが、今はぽかぽかしている気がする。脚が麻痺してからはいつも冷えているように感じていたし、最近は気温も下がって来たからなんだか一寸有難い。
ハシェはいつになく寝つき良く眠りについたのだった。
前回爆誕させた、静成草(聖属性)で作ったお薬をハシェにお届けです。
本来なら普通の解毒薬で治る筈なのに後遺症が残ったハシェに、やきもきしていたエンデュミオンとラルス。漸くお薬を作れました。
但し、ヴァイツェア公爵領固有種なのと新種の為、お金は貰えません。
治療>お金 という感じなので、その辺は気にしないエンデュミオン達です。