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二人の父親とゲルト一家

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

エンデュミオンからの贈り物。


390二人の父親とゲルト一家


 その部屋に入った途端、赤ん坊の泣き声の合唱が聞こえた。

「ゲルト、ミルク切れです! 作って下さい!」と人狼の赤ん坊を抱いた金髪の青年が、フィリップとモーリッツの為に部屋のドアを開けてくれた青黒毛の人狼に懇願した。

 部屋には少しやつれた北方コボルトが居たが、こちらも平原族の赤ん坊をあやしている。

 フィリップは〈時空鞄〉からミルク(ミルヒ)の入った哺乳瓶を取り出して、高く掲げた。

「ミルクならあるぞ。取り敢えず飲ませろ」

 今朝、エンデュミオンに「ミルクは哺乳瓶に何本か作って〈時空鞄〉入れておくといいよ」と言われた理由が解った。これは大変だとフィリップは覚悟した。どうやら双子は二倍以上の大変さになるようだった。


 赤ん坊が大人しくなってから、フィリップとモーリッツは改めてこの家の住人と挨拶をした。

 人狼のゲルトが竜騎士で、つがいのイグナーツが平原族の地図製作者だという。他に極東竜のピゼンデルと息子のフュルとヨアヒムがいるらしい。イエルと言うのが平原族の赤ん坊で、ラオウルが人狼の赤ん坊の名前だった。乳母が家事コボルトのノーディカだったが、昨夜赤ん坊を見ていたのは彼女だったそうで、フィリップは挨拶をしたらさっさと子供部屋に寝に行かせた。

「フィリップもモーリッツも子守は出来るぞ。おしめも変えられるし。あとフュルとヨアヒムの勉強を見る事になっている」

「あの子達は今、ピゼンデルと領主様の図書室に行かせて貰っているんです。司書のアルスと仲が良くて」

 穏やかそうなイグナーツが、香草茶ハーブテーを淹れてくれた。

「ここには司書コボルトが居るんだったな」

 契約魔法も使える司書コボルトがいるのだと、フィリップはエンデュミオンに聞いていた。というか、領主館にいる者たちの一通りの説明は受けている。その時モーリッツは隣で、ジルヴィアを枕に寝ていたが。

「フィリップは図書室に入る許可を貰っているから、行ってみようかな。モーはどうする?」

「赤ちゃん見ている」

 モーリッツは双子の赤ん坊が気に入ったらしい。並んで寝ている赤ん坊の側で、先程から動かない。

一寸ちょっと行って来る」

 フィリップはさっそく、〈転移〉で図書室前に移動した。毎日必ず図書室に司書コボルトのアルスが出勤するので、在室している間は図書館の扉は細く開けてあると聞いている。

 前肢で扉を身体が入る分まで開き、フィリップは図書室に潜り込む。

 革と古い紙、そしてインクの匂いがする。強い光が入らないようになっている図書室には、あちこちに美しい細工の覆いのある光鉱石の洋灯が置かれていた。

 話し声のする方に向かって行けば、暖炉の前の敷物の上に、右耳が折れた南方コボルトと紺色の極東竜、青黒毛の人狼の子供が二人座って、一冊の本を覗き込んでいた。

「もうし」

 フィリップが声を掛けた瞬間、全員の尻尾がびょっと跳ねた。一斉に振り向く。極東竜のピゼンデルまで一緒に振り向くあたり、本当にそっくりで兄弟として育っているようだ。

「たうたう!?」

「フィリップだ。エンデュミオンの父親だ」

 フィリップはコボルト言語も理解出来る。

「たたう!」

 ととと、とアルスがやって来て、フィリップの匂いを嗅いだあと身体を擦りつけて来た。親愛の印だ。

「フュルとヨアヒムだな? いまゲルト達のところに行って来たんだ」

「二人来るって聞いたよ?」

 フュルかヨアヒムのどちらかが言った。

「モーリッツは、赤ん坊を眺めている。二人の先生をやるのはほぼフィリップだな。魔道具に興味があるなら、モーリッツに教わるといい。フィリップは魔法使い(ウィザード)だから。それは何の本だ?」

「これは幻獣辞典。僕はフュル」

「絵が色付きで綺麗なの。僕がヨアヒム」

─ピゼンデル。

 ピゼンデルが思念でしっかり挨拶して来た。

「ほう、これは良い本だ」

 リグハーヴス家は王家とそれなりに血を交換している公爵家だ。現王妃もリグハーヴス公爵の実妹である。こういった書籍類も質の良い物が多そうだ。

「読み書きはどこまで進んでいる?」

「基本の文字は覚えたけど、難しい単語は読めない」

 フュルが言った。

「本を読んで、読めない単語があればフィリップが教えてやろう。ふむ、魔法の習得も出来る魔力があるな」

「エンデュミオンとクヌートとクーデルカに少し教えて貰ってるんだけど。護身術? から」

 ヨアヒムが言った。

「護身術?」

「〈電撃〉とか」

 それを教えたのはコボルト組だろう。エンデュミオンなら初歩のウィンディ魔法かエルム魔法を教えそうだ。前世が森林族なのでエンデュミオンは木魔法の素質が高い。その癖咄嗟に使うのはアイス魔法が多い。なぜかセント魔法だけが使えない息子に、フィリップは首を傾げたものだが、魔法陣魔法で聖魔法を使うのでなんら問題なかった。

 フィリップは図書室の中を一回りし、蔵書の傾向を把握した。領主の奥方が収集したといわれる魔導書が結構ある。それから國内の動植物辞典。領地内にある地下迷宮の階層地図と分布する魔物一覧。そして新しい古書の写本。

 古書の写本は、エンデュミオンの個人蔵書をアルスが写本させてもらっている物だろう。これは随分と貴重な物だ。

 フィリップもエンデュミオンがギルドの地下金庫に何をどれだけ収蔵しているのか知らないのだが、とんでもない物が収まっていそうだ。

 今日はこれで戻ろうと、フィリップは頭を寄せて幻獣辞典を眺めている子供達に声を掛けた。

「おうい、フィリップはゲルトの部屋に戻るぞ」

「僕達も戻る」

「たう」

 双子達は解るが、アルスも付いて来るようだ。

「にゃっ?」

 さて行くかと歩き始めたフィリップは、唐突にフュルに抱き上げられた。思わずケットシー言語が飛び出る。隣ではアルスがヨアヒムに抱っこされていた。ピゼンデルはふよふよと翼のない竜体で宙に浮いている。

「行こーう」

「たーう」

 ヨアヒムの掛け声に、アルスが右前肢を上げて答える。

 解った。アルスは移動する時にいつも抱き上げて貰っているのだろう。だからフュルは自然にフィリップを抱き上げたのだ。

「……アルス、お前散歩しろと言われないか?」

「たうう」

 ちろりとフィリップに横目で見られ、アルスはヨアヒムの胸に顔を隠した。これは言われているに違いない。運動不足のコボルトめ。

(まあ、誰かに抱っこされるなど久し振りか)

 ケットシーでもこの歳になれば、おいそれと抱き上げられない。フィリップを抱き上げたのは、亡くなった主だけだった。

「ふふ」

 悪くない。フィリップは口の中で笑いを噛み殺しつつ、久し振りの感覚を楽しんだ。


「大量大量」

 ゲルトの部屋のドアを開けるなり、モーリッツのご機嫌な声が聞こえて来た。何をしているのかと思えば、鼻歌を歌いながら、ラオウルのおしめを替えていた。イエルは大人しくしているので、こちらは先におしめを替えて貰ったらしい。

 汚れたおしめはゲルトがバスルームに持って行ったので、あちらで洗うのだろう。

「お帰り、皆一緒に来たんですね」

 台所ではイグナーツが、オーブンから甘い匂いのする焼き菓子を取り出していた。

「ただいま、かかさま」

「たううー」

 アルスは良く遊びに来ているのか、慣れた様子でイエルの側に行って尻尾を振っている。

 おしめを替え終えたモーリッツはマイム魔法で前肢を洗ってから、フィリップの元へやって来た。

「フィル、人族の赤子は久し振りで面白い」

「それは良かったな」

 モーリッツは基本的にはどんな事でも楽しむ性質があるのだが。

「あの子達は物凄い数の妖精フェアリーの〈祝福〉を受けているぞ」

「あー、坊やの仕業だろうな」

 フィリップはイグナーツの立場をエンデュミオンから聞いていた。領主の虜囚であるイグナーツは、産んだ子供も領主の所有物になるのだ。領主によっては酷い扱いを受ける場合もあるが、アルフォンスはイグナーツに対してかなりの厚遇をしていた。番が人狼だからというのもあるだろうが、アルフォンス・リグハーヴスは領民全体に対して善政を行っている人物だ。

 イグナーツの子供に〈祝福〉をつけまくったのは、リグハーヴス公爵家以外から守る為だろう。何しろイグナーツの子供は先祖返りだ。

(〈浄化〉の天恵があるからなあ)

 そう言う事なのだろう。既に〈異界渡り〉の孝宏たかひろがいる上に、二人の先祖返りだ。他の領地に目を付けられたら、厄介この上ない。

 子供達に何かあれば、妖精達が大挙して押し寄せるのだろうな、とフィリップは想像して遠い目になった。

「まだ熱いけど、食べますか?」

「食べる!」

 イグナーツが細長い貝の形に焼いた菓子を、籠に盛りながら子供達に聞いている。全員が尻尾をブンブン振っているのが雄弁だ。

「じゃあお茶は冷たいのにしましょうね」

 保冷庫から冷たいお茶の入った硝子の水差しを取って来たイグナーツに、フュルとヨアヒムがテーブルにコップを並べる。

「たうったうっ」

「お前はこっちだ」

 ぼそりとゲルトが呟いて、床でぴょんぴょん跳ねるアルスを子供用の椅子に乗せる。その光景はフィリップに、在りし日の主との生活を思い起こさせた。

 懐かしさは微かな胸の痛みをフィリップに与えた。人族の主と暮らす楽しさも愛しさも、喪った時の悲しみもフィリップは知っている。だがこの光景の美しさを、忘れたくはない。

「フィルとモーもおやつにしましょう」

 どうやら愛称をモーリッツが教えたらしい。

 モーリッツは嬉し気に、ゲルトに椅子に乗せて貰っている。フィリップ達が来ると解っていたからか、座面の高い子供用の椅子がきちんと人数分あった。ノーディカはまだお休み中なので、彼女の分のおやつはイグナーツがちゃんと避けていた。

「フィルも」

 剣を扱う厚みのある大きな手で、ゲルトが優しくフィリップを抱き上げて椅子に座らせてくれた。

有難う(ダンケ)

 フィリップは肉球で、ゲルトの手の甲を軽く叩いた。余り表情の変わらないゲルトの尻尾が、パサパサと動く。顔より尻尾に感情が出るようだ。

 籠の中にはこんがりと北方コボルト色に焼けた甘い香りの焼き菓子。水滴の浮かぶ硝子のコップには綺麗な琥珀色の冷たいお茶。テーブルを囲むのは、穏やかに笑い合う者達。

「フィル、嬉しい?」

 焼き菓子を齧りならが、モーリッツが尻尾の先でフィリップをつついた。

「ああ、とても」

「モーリッツも」

 エンデュミオンからの贈り物に、フィリップはそっと感謝した。


パパたち初出勤の回。

子守としては有能なモーリッツです。

フィリップは主に学習担当かもしれない。

仲の良いゲルト一家に、ちょっぴり過去を思い出したフィリップたちです。


フィリップの話し言葉は一寸古い言葉遣い混じり、という感じです。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] スリラーナイトの回みたいに初期の製本家と物書きの住民交流が好きだったから、今ではすっかり妖精保育園になったなぁ……という感じ。
[一言] 更新ありがとうございます! 父さんふたりとわちゃわちゃ賑やかなゲルト一家とお互いがWinWinで読んでいてとっても幸せになりました。 シリーズのどのお話も楽しくて何度読み返しても飽きません(…
[良い点] 有能な所もあったモーリッツにびっくりです。
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