二人の父親とアルフォンス
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
領主様にご挨拶。
389二人の父親とアルフォンス
「いしゅ」
舌足らずな子供の声に、イシュカは革の端を削っていた手を止めた。振り返ると、工房の戸口から魔熊のエアネストが覗き込んでいた。
「エア、帰って来たのか」
エアネストは朝からプラネルトと遠乗りに行っていたのだ。
エアネストが工房に居るイシュカの所に来るのは、遊んで欲しいか、魔力が欲しいか、飴が欲しい時である。
「おいで」
「お。いーしゅ」
二足で近付いてきたエアネストをイシュカは抱き上げ、片腕に乗せる。腕が二本多いエアネストはケットシーやコボルトに比べると重いが、人間の赤ん坊位なものだろう。それに自分でしがみ付いてくれるので楽だ。
すうっと、身体から何かが抜けるような感じがした。これは魔力を取られている。
「カチヤ、飴取ってくれるか?」
「はい、親方」
徒弟のカチヤが棚に置いてあったガラス瓶から、琥珀色の魔力回復飴が付いた棒付き飴を取り出して、エアネストに持たせる。エアネストが嬉しそう飴を口に入れた。
「んま」
馬の鞍に掴まっている為に、身体強化を使ったのだろう。まだ幼く、自分の魔力が少ないエアネストは、魔力を使った後はイシュカか孝宏で魔力を補給するのだ。
魔法を使えないイシュカと孝宏の魔力は濃いのか、エアネストのお気に入りだった。
「……なあ、それ魔力吸われているけど、いいのか?」
ぼそりとした声が聞こえた方向に、鯖虎柄のケットシーが居た。しかし、戸口に立っているのはエンデュミオンではない。声も違うし目の色も違う。これは、話に聞いていたエンデュミオンの父親だろう。何しろとても良く似ている。こちらもいつの間に来たのやら。
「俺は魔法を使えないから構わないんだ。フィリップかな?」
「そうだ」
「俺はイシュカ。この子は徒弟のカチヤ」
「よろしく。イシュカか。もしかしてヴァイツェアのイシュカか?」
じっとフィリップが、イシュカの鮮やかな緑色の目を見上げる。
「俺は今のヴァイツェア公爵の第一子になる。弟が次の公爵だ」
「やっぱりヴァイツェアの血が入っているのか。昔、ヴァイツェアでイシュカと言う男と知り合いになった」
「あー、多分それは俺の祖父だと思う。俺の名前は祖父の名前だと聞いた覚えがあるから。俺自身はヴァイツェアで暮らした事はないんだ」
「そうなのか。イシュカは大イシュカと似た匂いがする。フィリップは気に入った」
ふふん、と尻尾をぴんと立てて笑って、フィリップは工房を出て行った。
「父さん? どこ行っていたんだ?」
居間に戻ったフィリップに、エンデュミオンが声を掛けて来た。
「イシュカの所だ。エアネストが行ったからついて行った」
「エアネスト、魔力貰いに行ったな? 今日はイシュカの気分だったのか」
日によってエアネストは魔力を貰う人を変えるらしい。
「父さん、モーリッツ、一度アルフォンスの所に顔を出しに行こう。〈黒き森〉から出ている以上知らせないといけないし、領主館で子守をして欲しいから」
「ふむ。いいぞ。ジルヴィアはどうする?」
「領主館に連れて行って貰ってもいいんだが、ハーネスを付けてマヌエルに預けてもいいかな。シュトラールが糸を紡ぐかも」
「マヌエルとシュトラールと言うのは誰?」
モーリッツがジルヴィアの鼻先を撫でながら訊く。
「マヌエルは元司教でエンデュミオンの友人だ。シュトラールは聖職者コボルトなんだ。隠者の庵に今暮らしている」
「ほう、あそこに人が入ったのか」
フィリップは軽く目を瞠った。前の隠者が亡くなってから、随分と空き家だったのだ。ケットシー達が手入れを欠かしてはいなかったので、すぐに使えただろう。
「勝手に植物を食べない事だけは、ジルヴィアに言い聞かせて貰わないといけないけど」
「ハーネスを付けて、おやつを与えておけば大人しくしているよ」
その辺りに居るバロメッツより、ジルヴィアは年数が経っている個体だ。若いバロメッツより飛び回ったりはしない。
「大人しくしていないと、レイクに吊るされるからさ。レイクはマンドラゴラの名前で、温室に暮らしているんだけど、隠者の庵まで行動範囲があるから」
「どんなマンドラゴラだ、それは」
「伝説のマンドラゴラが親株」
エンデュミオンの返答に、「あー」とフィリップとモーリッツは二人同時に納得の声を上げた。
「坊やの温室はおかしいな?」
「ギルベルトに言ってくれ」
魔改造したのは元王様ケットシーだった。
「孝宏、エンデュミオン達は領主館に行って来るから」
「うん、いってらっしゃい」
気軽に領主館に送り出され、フィリップとモーリッツは、エンデュミオンの〈転移〉で移動する。移動先は建物の中だった。目の前の花の彫刻が美しいドアが、ノックもなしに開いた。
「いらっしゃいませ」
「お邪魔するぞ、クラウス。アルフォンスは元気か?」
「コボルト達が妖精鈴花のお茶を差し入れてくれますから」
微かに顔に笑みのような物を浮かべて、物騒な気配のする黒服の男が、フィリップ達も入れるようにドアを開けてくれる。
「坊や、この男は人間か?」
「人間だが、魔剣憑きだ。ほら、あそこに居るのが魔剣の中身だ」
エンデュミオンが前肢で示したソファーの上に、ケットシー程の大きさの白虎が居た。但し翼が生えているし、尻尾が蛇なのでキメラだ。ソファーの上に毛布で巣を作り、丸まって寝ている。
「……」
緊張感がまるでない。
「良く来たな。そちらがエンデュミオンとラルスの父親か?」
声を掛けて来たのは、執務机に座った男だったが、こちらは膝の上に笹かまケットシーを乗せていた。笹かまケットシーは弱い〈治癒〉を発動し続けているようだ。
「こちらの人間は虚弱だな」
「領主だ」
率直過ぎるフィリップに、エンデュミオンは訂正しなかった。
「私はアルフォンス・リグハーヴスだ。エンデュミオンには世話になっている」
アルフォンスが苦笑しながら言った。
「フィリップだ。上級魔法使いだ」
「モーリッツ。魔道具師」
「座ってくれ」
アルフォンスはキメラの隣の座面に、笹かまケットシーと座った。フィリップ達は向かい側のソファーによじ登る。
「エンデュミオンから聞いたかもしれないが、うちの人狼の騎士と平原族の夫夫に双子が生まれたんだ。人狼と平原族と種族違いなのはいいのだが、親の人狼は縄張り意識が強いから、誰でも手伝いが出来ない」
「他の子供もまだ幼いし、手伝いは家事コボルトだけなんだ」
エンデュミオンも捕捉する。
「ふうん? フィリップたちは、上の子供達の勉強を見たりすればいいと言っていたな?」
「主に。家事コボルトのノーディカの手が回らない時には、手伝ったりもしてほしいけど。産み親の方の身体がまだ回復しきっていないんだ」
「なるほど。いいぞ、フィリップもモーリッツも子育ての経験はあるしな」
フィリップが請け負うと、アルフォンスは安堵の表情になった。
「助かる。報酬はどうしたらいいだろうか」
「報酬? モー、何か欲しい物はあるか?」
「壊れた魔道具があれば直したい」
「それは仕事として、私が依頼するべきだと思うのだが……」
確かにその通りなのだが、ケットシーに物欲を訊いても無駄である。エンデュミオンがフィリップの肢をポンと肉球で叩いた。
「父さん、ここに図書室があるから、本を読ませて貰えば? 領主夫人が魔導書を収集しているんだ」
「それはいいな」
魔導書を読むのは、魔法使いとして楽しい。
「モーリッツはやりたい事があればその都度領主館の人に訊いて。抜け道探したら駄目だからな」
「抜け道?」
問うアルフォンスにエンデュミオンが目を逸らす。
「いや、モーリッツは前科があってな」
「あー、王むぐっ」
皆まで言う前にフィリップはモーリッツの口を前肢で塞いだ。あの時はエンデュミオンからの知らせに、滅茶苦茶モーリッツを説教した。王宮の抜け道を書いて息子に送るとは、フィリップも思わなかった。
「……私は何も聞かなかった」
察してしまったのか、アルフォンスはクラウスが運んで来たお茶にそっと口を付けた。
人狼の騎士ゲルトとイグナーツには、事前に連絡した上で会いに行く事にし、エンデュミオン達はお茶を飲んだ後に〈Langue de chat〉に戻ったのだった。
「クラウス、どう思う?」
ケットシー達が帰ったあと、アルフォンスは傍らに立つ執事兼護衛兼親友に訊ねた。
「流石エンデュミオンの父親と言うか。俺が人間かと聞かれるとは思わなかった」
素で喋り、クラウスは濃い灰色の髪を掻いた。そしてソファーで眠りこける相棒を見やる。
「ココシュカが起きなかった位だし、無害だろう」
「エンデュミオンと同じ位敏く、無害か」
「モーリッツの方は子供のようだな。興味がある事に突き進む」
「あれは多分、五十年以上前に居たという凄腕の魔道具師に憑いていた個体だ。主が死んだ後、街から消えたと伝えられていたが……フィリップと放浪していただけなんだろうな」
どれほどの技術を持っていようとも、モーリッツを理解出来る主は少ないだろう。
アルフォンスは膝の上でうとうとしているカティンカの頭を撫でた。
「クラウス、この前の領主会議でマクシミリアンに会った時、王宮の全体地図が手に入ったと私は聞かされたんだ」
「……ああ。エンデュミオンは慌てただろうな」
王宮地図など機密情報である。恐らくエンデュミオンは、秘密裏にマクシミリアンに渡したのだろう。
「森林族の時のエンデュミオンは親と縁がなかったと聞いている。フィリップに随分と可愛がられているようだったな。ケットシーにしては弟を可愛がっていると思っていたが、あの親にしてあのエンデュミオンか」
「幸せそうでいいじゃないか、アル」
「そうだな。平和な事だ」
アルフォンスとクラウスは顔を見合わせて笑った。
フィリップとモーリッツ、アルフォンスに御挨拶です。
エンデュミオンよりはっきり物を言うフィリップと、我が道を行くモーリッツ。
アルフォンスとクラウスに無害な人には、ココシュカは反応しません。