二人の帰郷
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
彼らが帰ってきました。
388二人の帰郷
リグハーヴスの夏は短くすぐに秋が来るというのが、〈暁の砂漠〉生まれのプラネルトの気持ちだった。二週間前までは暑かったのに、今日はもう涼しい位だ。
「おっおー」
毛皮で包まれている魔熊の仔エアネストは余り気温には頓着しないらしく、暑い日でも元気にしていた。現在も馬の背に揺られているのだが、ご機嫌だ。
今日は配達の仕事でリグハーヴスとハイエルンの境にある谷間の鍛冶屋に行くというテオフィルに、彼の愛馬の遠乗りを頼まれたのだ。テオフィルの馬は駿馬と〈暁の砂漠〉の砂馬を掛け合わされた珍しい馬で、エルシャという名前の栗毛の雌馬だ。
〈暁の砂漠〉で成人になると、親から砂馬を祝いに貰う事が多い。プラネルトの場合はモルゲンロート一族に代々憑いている雷竜レーニシュに選ばれたので、砂馬を与えられていない。
モルゲンロート一族は、長の一族で兎の姿の木の妖精ティルピッツと馬の姿の水の妖精レヴィンに認められないと族長になれない。雷竜レーニシュも合わせて三体の妖精と契約した族長は初代のみで、それ以降は雷竜レーニシュと契約した者は、長の随臣となる。
本来であればプラネルトは族長ロルツィングの近くに居るべきなのかもしれないが、世代が違うという理由で、ロルツィングの次代に添う予定だ。
現時点でロルツィングの次は養子であるテオフィルなのだが、地元から出たまま戻ってこないので、長老たちは第一位継承候補者をロルツィングの実子のユストゥスに変えては、と言い出し始めているらしいが、ロルツィングは首を縦に振らないようだ。
恐らく、既にケットシー憑きであるにもかかわらず、ティルピッツとレヴィンが次をテオフィルに決めているからに違いない。
プラネルトはテオフィルを族長とするのに、なんの不満もない。なので、そのまま成り行きを見守っている。
定期的にテオフィルに遠乗りに連れて行って貰っているエルシャに好きに走らせ、リグハーヴスの街を大回りするように王都側から北に上がる街道に戻って来る。
砂馬は岩場でも砂場でも駆ける地面を選ばない。林の中でもひょいひょい走り抜けていく。
馬に乗り慣れないエアネストは大丈夫かと思っていたが、テオフィルの鞍はケットシーのルッツを前に乗せられる特注品だった。エアネストも安定して乗っている。
「エア、少し休憩しようか」
「お」
街道の脇に定期的に作られている休憩所が見えて来たので、入り口である木立の切れ目に向かうよう軽くエルシャの手綱を動かす。カポカポとゆっくりした足並みに変わり、エルシャは休憩所に入って行った。
「リグハーヴスの街はもうすぐかな」
「もう少し先に〈転移〉しても良かったな」
聞こえて来た声に、先客が居るのにプラネルトは気付いた。しかし、休憩所には馬も馬車も見えない。声の方に首を回すと、そこに草の生える地面に毛布を広げたケットシーが二人と黒い顔に白い身体の羊が居た。
「こんちはー」
黒いケットシーがプラネルトに気が付いて前肢を振った。灰色で黒い縞模様のあるケットシーがじっとこちらを見詰めている。
(物凄く見覚えのある容貌のケットシーなんだけど……)
鯖虎と黒のケットシー、そして羊。〈Langue de chat〉に行った時に、そのうち領主館で会うよ、と伝えられていた彼らの容姿と同じ気がする。
「こんにちは」
「おー」
プラネルトとエアネストも挨拶してから、少し離れた場所にエルシャを停めた。プラネルトがエルシャの背から下り、手綱を手近な木に結び付ける。それから鞍からエアネストを下ろし、ケットシー達に近付いた。
「俺は〈暁の砂漠〉のプラネルト・モルゲンロート。この子は俺と契約している魔熊のエアネスト。もしかして、フィリップとモーリッツかな?」
「そうだが」
鯖虎のほう、エンデュミオンの父親だろうからこちらがフィリップだろう──がすっと目を細めた。
「エンデュミオンから近々父親達がリグハーヴスに来ると聞いていたんだ」
「ああ、坊やの知り合いか」
ふっとフィリップの緊張が解ける。
─あれー? 休憩?
上空から幼竜姿のレーニシュが降りてきて、プラネルトの肩に掴まる。
「ん? プラネルトは竜騎士なのか。この辺りには〈暁の砂漠〉の民は珍しいな」
「今はリグハーヴスの竜騎士の指導をしているんだ」
「リグハーヴスに竜騎士など居たか?」
フィリップが隣のモーリッツと顔を見合わせる。
「結構最近創設されたんだよ。グリューネヴァルトが居るから、エンデュミオンも竜騎士だよ」
「あの子が?」
「主のヒロと一緒でだけど」
「ほう。坊や単体の方が強すぎるからか?」
真顔で言うフィリップに、プラネルトは言葉に詰まった。
「……それはどうだろう」
エンデュミオンが居るリグハーヴスに仕掛けようとする者は、相当命知らずだとは思うけれど。
「おお」
フィリップとプラネルトが話している内に、エアネストはモーリッツに近付き、隣にいた羊に抱き着いていた。羊は大人しくエアネストの好きにさせている。
「羊樹のジルヴィアだ。良い毛並みだろう」
「じーる」
「そうそう」
モーリッツはエアネストをにこにこしながら構ってくれている。フィリップがエンデュミオンより黄色みが強い瞳をキロリとプラネルトに向けた。
「何故魔熊の仔が? あれはまだ赤ん坊だろう」
「王都の森で見付けたんだ。先祖返りの上〈精霊水〉で育ったみたいで、妖精化しているとエンデュミオンが。俺に憑いたんで、そのまま育てている」
「聖属性の魔石持ちか」
「まだ上手く使いこなせないみたいだけどね」
元司教のマヌエルが安全な術から教えてくれている。二足歩行をする時には無意識に身体機能を上げる術を使っているらしく、相変わらず〈Langue de chat〉では孝宏やイシュカから魔力を吸収している状況だ。エアネストはきちんと魔力が美味しい人から魔力を貰うのだ。その辺りは魔熊だな、とエンデュミオンが感心していた。
当然誰からでも魔力を貰う訳にはいかず、エンデュミオンが「孝宏とイシュカだけ」とエアネストに言い聞かせていた。孝宏とイシュカに関しては、魔力はあっても出力出来ないので、魔力回復飴を舐めておけばいい。供給源にされている二人に「構わない」と言われているのが、本当に有難い。
「ところで〈暁の砂漠〉にいたんだよね? ヴァイツェアの魔法使いギルド経由で来なかったの?」
「ロルツィングが送ってくれると言ったんだが、リグハーヴスの街の近くまで〈転移〉出来るからな。しかし以前来たのが六十年以上前だったから、街がどの位発展したのか知らなくてな。もう少し向こうだったな」
「そうだね、あと……五キロ位向こうかな。街に行くなら、レーニシュの背中に乗って行くかい? 二人とジルヴィア合わせても軽いだろうし」
「頼んでもいいか? ケットシーとバロメッツだけだと、街に入れるかも怪しいと思っていたんだ。一応坊やとロルツィングが照会状を書いてくれたんだが」
「それがあるなら大丈夫だと思うけど。リグハーヴスは領主が妖精を庇護しているから、街の人もケットシーやコボルトを見慣れているんだよ」
「そんな事になっていたのか」
肉球で頬を擦り、フィリップは立ち上がった。
「モー、街まで連れて行ってくれるそうだから行こう」
「うん」
─少し大きくなるね。
レーニシュがケットシー二人とバロメッツを乗せても充分な大きさになる。
毛布を片付け、プラネルトが手を貸して、レーニシュの背中にフィリップとモーリッツを座らせた。ジルヴィアは大人しく肢を畳んで蹲る。
プラネルトはエルシャにエアネストを乗せ、その後ろに跨った。
並足で歩くエルシャの前に、低く浮かんだレーニシュが飛んで行く。休憩所からリグハーヴスの街までは、エルシャの肢ではあっという間だ。
「おお、いつの間に立派な街壁が出来たんだ」
「前に来た時は建築途中だったからなあ」
フィリップとモーリッツが囲壁を見上げる。
門衛の騎士と顔馴染みになっていたプラネルトが手を上げると、騎士はプラネルトとレーニシュの上のケットシー達を見て、納得した顔になった。どうみても、フィリップとモーリッツはエンデュミオンとラルスの血縁者にしか見えないのだ。なにしろそっくりだ。
「エンデュミオンが招聘したケットシーの二人とバロメッツだ」
「騎士団にも申し送りは来ていたよ。ようこそリグハーヴスへ」
きちんとした騎士の礼をしてもらい、フィリップとモーリッツは目を瞬いた。
「有難う。ふふ、ここは面白い街になったな」
「誰かさんのおかげだと思うけどね。ここで迎えに来て貰おうか。この大きさのレーニシュで街の中移動出来ないから」
エルシャも厩に預けなければならない。
「エンデュミオン!」
名前を呼べば、数秒しか間をおかず、目の前に鯖虎のケットシーが現れた。
「どうしたプラネルト」
「お客さんだよ」
「客? 父さん!?」
レーニシュの上のフィリップ達に気が付き、エンデュミオンが目を丸くした。街の外から来るとは思わなかったのだろう。
「久し振りだな、坊や」
「父さん! ギルド経由で来るかと思ったのに! プラネルトが連れて来てくれたのか?」
「そこの休憩所で会ったんだよ。俺はエルシャを厩に預けてから〈Langue de chat〉に行くから、エアネストも一緒に連れて行ってくれる?」
「いいぞ」
プラネルトはエアネストをレーニシュの上に乗せた。
「先に行っているな」
エンデュミオンとレーニシュを含めた大きさの銀色の魔法陣が地面に浮かび上がり、〈転移〉していく。簡単に〈転移〉していくが、あの人数をまとめて〈転移〉するのは、相当の技量と魔力が居る筈だ。ハイエルンのコボルト達だって、数人で〈転移〉を行使しているというのに。相変わらず呆れた魔力量だ。
プラネルトはエルシャの手綱を引いてテオフィルが借りている厩舎に向かった。管理している厩務員とエルシャの鞍を外し、身体にブラシを掛けて水と林檎を与えて労う。
「乗せてくれて有難うな、エルシャ」
ブルル、と返事をしてくれたエルシャの首筋を軽く叩き、厩務員に後を任せる。
〈Langue de chat〉へと歩き出しながら、プラネルトは先程あった二人のケットシーを思い浮かべた。あの二人は領主館宿舎に居る人狼ゲルトと番のイグナーツの所に派遣されるという。上級魔法使いと魔道具師と聞いているが、なにしろエンデュミオンとラルスの親である。
フィリップはエンデュミオンと似た空気を感じたが、モーリッツはかなり奔放な性格らしいので、きっと何かやらかしそうだ。
賑やかになりそうな気配に微笑み、プラネルトは〈Langue de chat〉への道を急いだ。
フィリップとモーリッツが帰ってきました。
我が道を行く二人とバロメッツです。
果たして領主館で大人しく出来るのか?(主にモーが)