バーニーとアルスと王妃の庭(下)
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
大宝蜜蜂に会いに行きます。
385バーニーとアルスと王妃の庭(下)
ぽぽんっと〈転移〉したのは、王宮のツヴァイクの執務室だった。
転移陣のない場所にほいほい〈転移〉出来るのは、大魔法使いか魔法使い系スキル持ちの妖精位のものである。それに一度来た場所ではないと安全に〈転移〉出来ない為、限られた者しか〈転移〉してこない上に、王宮には害意のあるものは侵入出来ない結界が張り巡らされている。
現在この場所に〈転移〉してくるのは、エンデュミオンか双子のコボルト位のものである。
執務机で机に向かっていたツヴァイクが、顔を上げてバーニー達に笑顔を見せた。
「いらっしゃい」
「きゅいっ」
机の上に座っていた光龍ゼクレスも、前肢を上げて歓迎してくれる。
人族の美的感覚では、淡い茶色の髪をしたツヴァイクは、容姿が整った者が多い王宮官吏の中では平凡な風貌をしているらしい。コボルトのバーニーの感覚から見ると、魔力の質も性格も良くかなりの好物件なのだが。王の寵を受けていると聞いて、王も見る目があるなと感心したものだ。
「お茶しに来たよー」
「用意するねー」
クヌートとクーデルカがドアの空いていた奥の部屋へと入って行く。
「あれ、その子は初めて会うのかな?」
ツヴァイクの視線がアルスに向く。すす、と人見知りなアルスがバーニーの陰に隠れた。
「この子はアルス。アルフォンスの図書室の司書だよ」
「あー、領主会議でアルが自慢してた子か。良い司書が来たって喜んでたよ」
「たう?」
バーニーの背中からアルスが顔を出した。ツヴァイクが笑いながら言う。
「いつの間にか本が増えてるって言ってた」
「アルスがエンデュミオンから本を借りて写してるからかな」
製本は執事のクラウス経由で〈Langue de chat〉のイシュカに頼んでいるので、代金を払う以上、アルフォンスもアルスが写本しているのは知っている筈だが、何の本を写本するのかはアルスに任せている。かなり寛容な領主である。
「その写本なんだけど、エンデュミオンの許可が出たら、王宮図書館用にも写してくれないかな。エンデュミオンの個人蔵書は王宮図書館にもない本があるって、司書のフーベルトゥスが言っていたんだよ。手間賃はきちんと出すからね」
写本を依頼して作って貰う手間賃は決して安くはない。リグハーヴスの領主館に居住し、衣食住を与えられているアルスは、紙や筆記道具、様々なインクを用意して貰い、趣味で写本をしてアルフォンスの本棚を充実させているが、これはかなり稀な事である。ちなみに毎月固定額のお小遣いがコボルト達には与えられている。
「たう」
「いいよ、だって」
「エンデュミオンに許可を貰えたら連絡するね」
「うん。マクシミリアンはお出掛け?」
ツヴァイクの執務室の奥の部屋がマクシミリアン王の執務室で、クヌートとクーデルカは慣れた様子で入って行ったが、双子とマクシミリアンの執事フィデリオの話し声しか聞こえてこない。
「陛下は朝から冬服の採寸と生地選びを王妃様としてるよ。もうすぐ帰って来るんじゃないかな」
最低限の物は自分で選ぶが、あとは王妃エレオノーラに任せるらしい。基本的にマクシミリアンは儀式の時以外は華美な服装は好まず、質は良いが飾りのない動きやすそうな服を着ている。王族特有の見事な銀髪と鮮やかな紫色の瞳を持ち、本人に華があるので服も派手だと見た目が煩そうだな、とバーニーも思う。
「養蜂師のガイセももうすぐ来るからね」
「うん」
養蜂師ガイセはバーニーが仲良くなった、王妃の庭の養蜂師である。
「お茶淹れたよー」
クーデルカがお茶を淹れて来てくれたので、それを飲みつつガイセを待つ。ガイセがドアをノックした時には、アルスもツヴァイクに慣れて頭を撫でて貰っていた。
「お待たせしましたかね?」
お茶を飲んでいるバーニー達に、帽子を両手で握ったガイセが恐縮した様子で佇む。ガイセは蜂蜜色の髪と瞳の、うっすらとそばかすのある平原族の青年だ。父親の採掘族の血が濃い目に出たらしく、小柄である。
「ううん。バーニー達が早めに来ただけだから気にしないで。アルスが初めてだから場に慣れさせようと思ったんだよ」
人見知りなアルスを知らない場所に連れ回したら、かなり不穏な状態になってしまう。ツヴァイクの執務室に慣れた所でガイセに来て貰った方が良かったのだ。
「たう」
すんすんとアルスがガイセの匂いを嗅ぐ。大宝蜜蜂の世話をする養蜂師だけあって、ガイセは清潔で余計な香料などは付けていない。アルスが巻き尻尾をふりふりと振る。
「若い子ですね」
ガイセがしゃがんでアルスの片方だけ折れ癖のある耳の後ろを掻く。アルスの尻尾の振りが大きくなる。どうやらガイセは怖くないようだ。
「うん。まだ子供だよ。司書でね、大宝蜜蜂の実物を見た事がないから連れて来たんだよ」
「司書は知識欲が強いんでしたっけ」
「たうー」
そうだよー、とアルスがコボルト言語で返事をしている。
「ガイセ、後でお仕事の人達と食べてね」
クーデルカが焼き菓子の入った紙袋をガイセに渡す。
「うちのタンタンが作ったお弁当もあるんだ」
「有難うございます。今日のお昼は豪勢ですね」
笑いながら受け取り、ガイセは腰の〈魔法鞄〉になっているらしいポーチに紙袋を入れた。
「お庭に行ってくるねー」
帰りはまたガイセにここまで送ってらもう事にして、バーニーたちは執務室を出た。養蜂師のガイセは、王とツヴァイクの執務室に来ることなど滅多にないだろうから悪いなあとは思うのだが、バーニー達だけでは王宮で迷ってしまう。防犯の為迷いやすいように出来ているのが王宮建築である。
「たうったうっ」
歩き始めてすぐにアルスが「待って待って」と声を上げた。日頃から図書室に籠りがちなアルスと、日常的にカシュと一緒に外を歩き回っているバーニーとでは体力が違う。おまけにアルスは身体が小さい。
「ガイセ、アルスを抱っこしてやって」
「いいんですか? わあ、軽いなあ」
予想より抱き上げたアルスが軽かったらしく、ガイセが目を丸くする。採掘族の血が入っているので、ガイセは見掛けより力持ちなのだ。
「たうう」
アルスはガイセに抱っこされ、ほっと息を吐いている。アルスの散歩を日課に入れるべきかもしれない。現在、生活態度に厳しいノーディカがゲルト一家に住み込みになっているので、バーニーとカシュがアルスの面倒を見ているのだが甘やかしがちである。帰ったらノーディカに相談しようとバーニーは決めた。
後宮の王妃の庭は相変わらず様々な薔薇が咲き誇っていた。薔薇の手入れをする庭師に挨拶をしながら、ガイセは庭の奥へと向かって行く。
「たうー」
ガイセに抱っこされたまま、アルスが目をキラキラさせて辺りを見回している。
「たーう、たううたうっ」
「植物図鑑を持って来たいの?」
「たう!」
アルスは図鑑で名前を調べつつ薔薇を見たいらしい。
「植物図鑑は重いですから、ヘア・フーベルトゥスに頼むといいですよ」
「王宮図書館の司書?」
「はい。コボルトの司書が来るといったら喜んで案内してくれますよ。森林族で長い事王宮図書館にいらっしゃいますから博識です。それにエンデュミオンのご友人らしいですし」
「そっかー」
エンデュミオンの友人ならば、一寸変わり者かもしれないがアルスを任せても大丈夫だろう。アルスの写本を欲しがっているのもフーベルトゥスなのだろうし。
庭の奥まで入って来ると、時折ブブ、ブブと羽音が聞こえ始めた。大宝蜜蜂の行動圏に入ったのだろう。人の話し声も聞こえ始めたので、ガイセの仲間の養蜂師が仕事をしているようだ。
「大宝蜜蜂は針無しの大型種で、巣も大きいけれど巣で暮らす蜜蜂の数は、普通の蜜蜂よりも随分と少ないんです」
「この温室で賄える位だもんね」
一般的な蜜蜂は王國蜜蜂と呼ばれるが、王國蜜蜂ならもっと広範囲に蜜を探しに行く。ただし上質な蜜が取れる花がまとまってあればその限りではないが。エンデュミオンの妖精鈴花の花畑のように。
見覚えのある薔薇の生垣の向こうに、巨大な薄茶色の蜂の巣が現れた。巣の周りには大きな大宝蜜蜂がせっせと仕事をしている姿があった。
「たう!?」
初めて実物の大宝蜜蜂を見たアルスがビクッと震えて、ガイセの服をぎゅっと掴む。
「大丈夫ですよ」
ガイセがアルスの背中を撫でる。大宝蜜蜂は人懐こく、攻撃されなければ襲ってこない。
ブブ、と一匹の大宝蜜蜂が飛んで来た。偵察蜂だろう。
「見学のお客さんだよ」
ガイセが大宝蜜蜂に声を掛け、黒と黄色の縞々でふかふかの毛で覆われた腹部分を撫でる。
「ふかふか?」
「ふかふかですよ。この子はブラシを掛けられるのも好きですよ」
「おお……」
それはバーニーも知らなかった。大宝蜜蜂、奥が深い。
「たうう」
アルスもそっと大宝蜜蜂の腹を触らせて貰っている。
ブブ、と大宝蜜蜂がバーニーの前に来てぺこりと頭を下げた。何となくそのしぐさに見覚えがあった。
「あれ? もしかして前に会った子?」
ブブ、と返事が来る。どうやら以前のお茶会の時に、マンドラゴラのレイクの花を狙った個体のようだ。
「元気そうで良かった」
大宝蜜蜂は長生きだが、暫く会わなければ次に会えるかどうかは解らない。
「バーニー達、今日は蜂蜜を少し分けて貰いに来たんだよ」
ブブ、と頷き大宝蜜蜂が巣の方に戻って行った。そして蜂蜜の入った六角形の蜜壺の一つの上で停まる。
「そこがお薦めなの?」
ブブ、と大宝蜜蜂が羽を鳴らす。お薦めらしい。
ここの大宝蜜蜂の居住区は木にへばりつくように形成されているのだが、蜜壺は地面の上に作られたテーブル状の木製の土台の上に広がっている。養蜂師は採取していい蜜壺を大宝蜜蜂に教えて貰って切り取るのだ。勝手に適当な場所の蜜壺を取ると、大宝蜜蜂に怒られる。
「バーニー、採取してみますか?」
「やってみたい!」
ガイセが作業していた仲間に声を掛け、細身の鋸を持ってくる。
「鋸?」
「専用の鋸なんですよ。蜜壺と蜜壺の間をこれで切り離すんです」
「分厚い大宝蜜蜂の巣壁だから出来るんだよね。じゃあ、蜜壺ごと収穫しちゃうんだ」
「そうですよ。抜いた部分は、大宝蜜蜂がまた蜜壺を作ります」
「へえ」
「たうー」
巣の近くに脚立を置いて貰い、バーニーは鋸を持ってそっと蜜壺と蜜壺の境に刃を入れた。思いの外柔らかく鋸の刃が沈む。
「まっすぐまっすぐ……」
ゆっくり鋸を動かし、六辺に切り込みを入れる。
「全部の辺に切り込みを入れたら、軽く揺らしてみて下さい」
「揺らす」
縁を摘まんで揺らしてみると、ぽこっと土台から底が外れる感じがした。
「外れた?」
「重いので僕が取りますね」
ガイセが地面にアルスを降ろし、蜜壺を引き抜いてくれる。六角柱の蜜壺は、バーニーでも一抱えはありそうだ。薄黄色の蜜蝋に日が当たると、中の金色の蜂蜜が透けて見えた。
「わあ、綺麗」
「これを一度濾してから瓶詰にします。外側の蜜蝋は溶かしてから加工します」
蜜蝋は蝋燭になるし、家具を磨くワックスや、化粧品にも使える有能な素材だ。
「たーう」
「美味しい?」とアルスがガイセのズボンを引っ張る。
「ふふ、お昼に大宝蜜蜂の蜂蜜を出してあげますよ。お茶に入れてもパンに塗っても美味しいですよ」
「たっう」
「たのしみ」とアルスが尻尾を振る。
お昼まで作業を見学したり、庭の薔薇の花を見て回った後、タンタンの作ってくれたお弁当を皆で堪能する。紅茶には大宝蜜蜂の蜂蜜を入れて貰い、アルスは大喜びだった。
たまにはこうしてアルスに実地見学させるのもいいなあとバーニーは思う。
アルスが仲良くなった大宝蜜蜂を連れて帰りたいと言いだし、「またここに連れて来てあげるから」と約束して、なんとか諦めさせたのはここだけの話である。
バーニーが他の人達をどう思っているのか解る回だったり。
バーニーはエンデュミオンやヴァルブルガよりは年下だけど、数十年生きています。
アルスは双子と同じ位か歳下です。
マクシミリアンはシャツにパンツ、ベストが通常の執務姿で、改まった席ではその上に膝丈の上着を着る程度の服装を普段はしています。ツヴァイクは黒い騎士服です。
マクシミリアンとエレオノーラは幼馴染みでもあるので、普通に仲良しだったりします。
王と王のツヴァイクは別格の関係なので(ツヴァイクは王の個人的所有物)、王妃でも口出ししません。
ツヴァイク、実は錬金術師でもあるんですけど、今のところ出てこないなあそのスキル……。