バーニーとアルスと王妃の庭(上)
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
大宝蜜蜂は家畜扱い。
384バーニーとアルスと王妃の庭(上)
「おはよー、朝だよー」
窓のカーテンが開けられ、部屋の中が一気に明るくなる。
領主館のコボルト部屋では、一番最初に目を覚ましたものがカーテンを開けるので、今日はカシュが一番乗りで目を覚ましたらしい。
いつもなら大抵ノーディカがカーテンを開け皆を起こすのだが、現在ノーディカは泊まり込みでゲルトとイグナーツ一家の部屋に行っている。そろそろイグナーツの出産が近付いているからだ。
タンタンも鷹獅子のティティを育てているので、今は殆ど騎士詰所に用意された部屋に泊まっている。
「たうぅ」
部屋が明るくなり目を覚ましたらしいアルスが弱弱しく鳴いて毛布の中に潜り込み、バーニーの腹に抱き着いてきた。
「アルス、朝だよ」
「うー」
毛布の上からバーニーはアルスの頭をぽんぽん叩いた。
アルスは寝起きが非常に悪い。エンデュミオンに夜更かしして病気になったら本が読めなくなるぞと叱られてからは、バーニー達と同じ時間に寝るようになったが、相変わらず朝は苦手だ。
何故かいつも寝惚けてバーニーのベッドに潜り込んで来るのだが、先日アルスは毛布に足を絡ませてベッドから転げ落ち、魔女ヴァルブルガを呼ぶ騒ぎになったので、今はバーニーとアルスのベッドはくっつけてある。バーニーは弟分には甘いのだ。
「バーニー、次どーぞー」
先に顔を洗って来たカシュが、バスルームから戻って来る。そしてべりっとバーニーのベッドの毛布を剥がす。
「たううう」
「はいはい、アルス顔拭くよー」
「うぶぶぶ」
手際よくカシュがアルスをバーニーから回収して、濡らした手拭いで顔を拭き始める。アルスをバスルームに連れて行くより早いからだ。
「任せた、カシュ」
アルスの身支度はカシュに任せて、バーニーはバスルームに向かい手早く顔を洗って歯を磨く。バーニーが部屋に戻る頃には、アルスは服を着せられ半覚醒しているので、歯を磨いてやり朝食を摂りに宿舎にある食堂に行く。
コボルト達は宿舎の食堂でも、本館の厨房でも食事をして良いのだが、朝は宿舎の食堂の方が近いので大抵こちらにくる。
ふらふらしながら歩くアルスを間に、バーニーとカシュが歩いて行くと、食堂の前の廊下で背の高い騎士の背中が見えた。
「キーランド!」
バーニーの呼び掛けにキーランドが振り返り、視線を下方へと修正する。
「お早う。バーニー、カシュ、アルス」
「お早う。ハノの調子はどう?」
「足の腫れが引いたから、明日にはこっちの宿舎に戻るぞ。でも少し身体を慣らしてからじゃないと仕事に戻れないみたいだ」
「そっかー」
ハノは一週間ほど前に大怪我をして、離れにあるシェンク達の寮で療養している。コボルト達が押しかけて騒がしてもいけないだろうと、バーニー達はキーランドにタンタンのお菓子とお見舞いの言葉を伝えて貰っていた。
「こっちに戻って来たら会いに来てくれ。ハノが喜ぶ」
「うん」
ハノはコボルト達が領主館に来た時から可愛がってくれている優しい騎士である。人見知りのするアルスもすぐに懐いたほどだ。
「それにしても、アルスは今日も眠そうだな」
「ちゃんと寝かせてるんだけど、朝に弱い体質なんだと思う」
アルスは夜型なのだろう。しかし、アルスはまだ子供といっていい年齢なので、なるべく夜は寝かせたい。
「たうう」
アルスがキーランドに前肢を伸ばす。
「抱っこか?」
笑ってキーランドがアルスを抱き上げた。
「たう……」
すぐにキーランドの肩に凭れてアルスが転寝し始める。
「もー、キーランドはアルスを甘やかすんだから」
「朝の食堂は混んでいるから、寝惚けているアルスが急いでる奴らに蹴とばされそうだろ」
「そうなんだけどね」
大柄なバーニーとカシュと違い、アルスは小柄なコボルトなのだ。おそらく、余り食事を与えられないまま成長したからだろう。幼い頃に攫われたコボルトは、殆どが成長不良を起こすのだ。だから今黒森之國に居る若いコボルト達は、小柄な者も多い。
キーランドやハノに抱っこされて運ばれるアルスは良く見る光景なので、食堂の騎士達も見慣れたものだ。空いているテーブルに子供用の椅子を運んでくれたり、カウンターにコボルト用の朝食を注文をしてくれたりする。
「アルス、椅子に座るぞ」
「たう」
目をしょぼしょぼさせているアルスを子供用の椅子に下ろし、キーランドは朝食を取りに行った。バーニーとカシュも子供用の椅子に登る。
コボルトにはカウンターが高すぎるので、朝食を食べに来た騎士が、厨房から渡されたコボルト用のお盆を届けてくれる。朝食はスープが日替わりだ。あとはパンに卵、腸詰肉と燻製肉、チーズとヨーグトに果物といったメニューになる。
「はい。いっぱい食えよ」
「有難う」
コボルトにはいつも蜂蜜入りの温かい牛乳も付いて来る。
キーランドがコボルトの倍以上盛られた朝食のお盆を持って戻って来るの待って、食前の祈りを唱え食べ始める。身体が資本の騎士は良く食べる。身体の大きなバーニーとカシュもコボルトでは食べる方だが、それでも人族の子供の量だと言われる。
「……」
甘い牛乳を舐めて身体が温まって来たのか、漸くアルスの目が開き始めた。
「アルス、今日のオムレツはチーズ入りだよ」
「たうっ」
嬉しそうに返事が戻って来たので、ちゃんと覚醒したようだ。スプーンで掬った黄色いオムレツを口に入れ幸せそうだ。
「皆は今日は何するんだ?」
薄切りにされた黒パンにバターを塗りながら、キーランドが尋ねる。カシュが黒パンに苺ジャムをたっぷり塗ってアルスに渡しつつ答えた。
「カシュはエンデュミオンの温室の手入れ手伝うよ」
庭師カシュは領主館の畑の管理のほか、エンデュミオンの温室や隠者の庵の周りの手入れ、エンデュミオンの薬草畑の手入れも勝手にしている。庭仕事が趣味なのだ。
「バーニーは王妃の庭の大宝蜜蜂の蜜採取に呼んで貰ってるんだ」
大宝蜜蜂は、針のない大型種の蜜蜂である。一つの巣に対し蜜蜂の数が少なく賢いので、家畜扱いになる。但し大型種の為、街中で飼う事は禁止されている。
黒森之國の王妃は、王妃の宮にある王妃の庭でこの大宝蜜蜂を飼育しているのだ。王妃自身も蜜蜂の為でもある薔薇園を手入れしているらしいが、やはり基本的な飼育は専任の職員が居る。
バーニーとカシュは以前王妃の庭に行った時に職員達と仲良くなっており、養蜂師であるバーニーに「蜂蜜採取するからおいで」と手紙が来たのだった。
「アルスも行く? 大宝蜜蜂見た事ないだろ?」
「たうっ」
アルスが頷く。アルスは司書コボルトであり、知識欲が強い。
「どうやって行くんだ? エンデュミオンに頼むのかい?」
「クヌートとクーデルカに相談したら、王様とお茶しに行くから一緒に連れて行ってくれるって」
「……あの双子の交友関係どうなってるんだ?」
「解んない」
クヌートとクーデルカの双子は、二人揃っていると怖いものなしで、あちこち遊びに行っている。彼らの主が「危ない所には行かないように」と念を押しているのを、バーニーは知っている。
朝御飯を食べ終え、アルスの口についたジャムを拭いて、バーニー達はキーランドと一緒に騎士詰所に向かった。クヌートとクーデルカとそこで待ち合わせをしているのだ。
職人系コボルトは〈転移〉が出来ない物が多い。つまりそこまで魔法が使えないのだ。
「おはよー」
「アルスも行くんだね」
詰所には既にクヌートとクーデルカが待っていた。最近コボルトサイズにまで成長したティティが二人に頭を擦りつけている。鷹獅子は騎士の騎獣にもなるので大きく育つが、一定以上大きくなると自分で身体の大きさを変えられる。ティティももう少し大きくなれば、タンタンと一緒に居やすい大きさを選ぶだろう。
「はい、お弁当と水筒」
タンタンが台所から出て来て籐のバスケットをバーニーに渡してくれた。五人前くらい入って良そうな大きさだ。
「有難う」
〈時空鞄〉は使えるので、バーニーは弁当をしまった。
「じゃあ行こうか。ツヴァイクの執務室でいいんだよね?」
「うん、そこで待ち合わせ」
バーニーは王宮で行った事がある場所は限られている。その為、ツヴァイクの執務室に王宮の養蜂師に迎えに来て貰うのだ。
ちなみにカシュは途中で〈Langue de chat〉に置いていって貰うので、一緒に来たのである。
「行ってくるねー」
「気を付けてな」
隊長のパトリックとタンタンに手を振り、バーニー達は〈転移〉した。
王妃のお庭まで辿り着けなかった……。
長くなりすぎそうだったので、次回へ。
ティティ少し大きくなりました。騎士隊のアイドル。
季節がずれてしまったので、黒森之國はまだ夏なんです。夏なんです。
イグナーツのお話の後で秋になるかなと。
秋以降はまた、お久し振りな人たちのお話を書いていこうかなと思います。