雨の日騒動
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
石食み鳥はちょっぴり危険で嫌われています。
382雨の日騒動
昨夜からの雨は朝になっても、細かな小雨として残っていた。秋が早いリグハーヴスは夏の一番暑い時期が過ぎると、一雨ごとに涼しくなっていく。
「ぶー」
窓辺に置いた椅子の上に立って外を覗いていたエアネストが、不満そうに唇を鳴らす。
今日はプラネルトの休日で、晴れている日なら一緒に散歩に出掛けて貰えるのに、雨なので出掛けられないからだろう。
「仕方ないからおうちでゆっくりしよう、エア。それに今は掃除中だぞ」
プラネルトは居間の床を、雑巾を付けたモップで拭いている最中だった。
プラネルトとエアネストはリグハーヴスの騎士シェンクと、領主館の敷地内にある一軒家の寮で暮らしている。シェンクが喘息持ちなのと、エアネストが六つ足で歩き回るので、家の中は玄関で靴を脱ぐようにしている。ゆえに、床は拭き掃除も定期的にしているのだ。
「ねる!」
「はいはい、もうすぐ終わるよー」
最近エアネストはプラネルトの名前らしきものを言えるようになって来た。シェンクの事も「しぇく!」と呼んでいる。元が野性の魔熊だったので、話せるようになるのか半信半疑だったのだが、賢い個体だったのと皆がエアネストを可愛がって話し掛けるからか、着実に黒森之國語を覚えているようだ。
モップに着けていた雑巾を洗って干し、手を洗ってからプラネルトは居間に戻る。エアネストはまだ窓の外を見ていた。巡回でやって来る騎士達が、エアネストが窓辺に居ると手を振ってくれるので待っているのだろう。
「しぇく」
「シェンクは今日お仕事だから、帰って来るのは夕方だよ」
「ぶー」
内勤騎士であるシェンクは、普段は騎士詰所で仕事をしている。
「おあ」
エアネストがぺたりと硝子に鼻を押し当てた。誰が来たらしい。プラネルトもエアネストの後ろから窓の外を覗く。
「きー」
「キーランド?」
この家の周りは木立に囲まれているのだが、巡回では中まで入って来ない筈だ。その木立の中に騎士隊の中でも体格の良いキーランドが速足で入って来るのが見えた。雨の中やって来る彼はフード付きの撥水外套を着ていたが、時々エアネストと遊びに来るので見間違いはしない。
「誰か背負ってる?」
小雨に濡れた窓硝子で見えにくいが、キーランドは背中に誰かを背負っているようだ。プラネルトは足早に玄関のドアに向かい、大きく開いた。
「キーランド!」
「プラネルト、いてくれて良かった。ヴァルブルガは来たか?」
「ヴァル? いや来てないけど」
「来てない? ここに来てくれるように喚んだんだけど」
玄関前まで来て、キーランドが足を止める。キーランドも背負われている者も泥だらけだった。
「凄い泥だな。〈洗浄〉っと。入って」
「すまない」
キーランドが家の中に入った所でドアを閉める。
「おあ」
プラネルトを追って来たエアネストが声を上げた。
「来たみたいだ」
床に銀色の魔法陣が現れ、エンデュミオンとアインス、シュネーバルが現れた。
「すまん、ヴァルブルガが診察中でアインスとシュネーバルを連れて来た。患者はどこだ?」
来るなりエンデュミオンがきらりと黄緑色の瞳を輝かせる。
「俺が背負ってる。ハノだ」
「寝かせる場所がないな、どれベッドを出そう」
エンデュミオンは居間の空いている場所に〈時空鞄〉からベッドを取り出して置いた。シーツが掛かっている布団付きだ。なぜベッドを〈時空鞄〉入れているのか訊きたいが、今はそれどころではない。
ベッドにプラネルトが手伝って、キーランドの背中からハノを降ろす。ぐったりとしたハノの顔色は驚くほど悪かった。
「む」
「急ぐ」
カッと目を見開いたエンデュミオンとアインスが同時にベッドに飛び乗り、ハノの首筋に肉球を押し当てる。
「まだ間に合う! アインス、ハノの口を開けてくれ」
「解った」
エンデュミオンは〈時空鞄〉から白い小瓶を取り出した。ハノの口の中に、小瓶からとろりとした金色の液体を垂らす。
「エアネスト、〈快癒の祈り〉だ!」
「おあ」
ぽむ、とエアネストが二対の肉球を合わせ、「おああ、おあ、おお」と唱え始めた。
間も無く、ちらちらとハノの上に銀色の光の粒が散り始める。
「エア、いつの間に覚えたの……」
プラネルトの知らない間に、エアネストは聖魔法を習得していたらしい。きっと〈Langue de chat〉に預けている間に、隠者マヌエルに教わったのだろう。但し、きちんと詠唱出来ていないので、効果は弱めだ。腕が二対あるので弱いなりに効果は二倍になってそうだが。
「ハノ、戻ってこい!」
エンデュミオンの呼び掛けと共に、ハノの全身がふわりと金色に輝いた。金色の光が消える頃には、土気色だったハノの顔に血の気が戻って来ていた。
エンデュミオンとアインスが大きく息を吐く。
「危なかったな、うっかり女神の御許に行くところだったぞ」
「寿命じゃなくて良かったー」
「エンデュミオン、今のって……」
ごくりとプラネルトは喉を鳴らした。エンデュミオンがハノの脈を確認しながら言う。
「離れかけた魂を蘇生薬で引っ張り戻した。酷い痛みを経験すると、魂が離れる事があるんだ。よし、アインス〈治癒〉を頼む。プラネルト、シュネーバルをベッドに上げてくれ。それからハノの靴を脱がせるのを手伝ってくれ」
「解った」
プラネルトはシュネーバルをベッドに上げてやり、それからハノの靴紐を全て解いてからゆっくりと靴を脱がせた。明らかに右足の角度がおかしく、骨折しているのが解る。
アインスは資格を持った魔女だ。まずはハノの全身を魔力で〈診断〉し、どこに怪我があるのを調べていく。エンデュミオンがそれをカルテに書き込む。
「鎖骨と肋骨二本と右足首の骨折と全身打撲。頭は打ってないみたい。でも右足の腱が切れてる」
「蘇生薬飲ませたから、再生は早いだろ?」
「うん。〈治癒〉するね。ハノはちゃんと治るから大丈夫だよ」
血の気が引いた顔をしているキーランドの腕をアインスが軽く叩き、ハノの〈治癒〉に取り掛かる。アインスが魔力を流すとハノの全身のあちこちが強い緑色の光で包まれ、重傷だったのが解った。
「キーランド、何があったんだ?」
エンデュミオンが万年筆の尻でこめかみを掻きながら、高い位置にあるキーランドの顔を見上げた。
「キーランド、座って」
プラネルトは窓辺から椅子を持って来て、キーランドを座らせた。そしてその膝の上にエアネストを乗せる。
「おあー」
抱き着いたエアネストをキーランドはぎこちなく撫で、「石食み鳥だ」と言った。
「石食み鳥?」
石食み鳥は季節によって移動する渡り鳥だが、石を咥えて飛ぶという習性がある。石は巣材である等言われているが、定かではない。そして、時々咥えている石を落とすという悪癖がある。
「よりにもよって石段を下りている時にハノの上に石を落とされて、踏み外したんだよ」
石段が雨で濡れていたのもあり、下まで転げ落ちたという。不運過ぎる。
「う」
シュネーバルが〈時空鞄〉から虹色に煌めく透明な魔石の指輪を取り出し、手近にあったハノの指に押し込んだ。ちょっぴり幸運値が上がるアイテムである。
〈治癒〉を終えたアインスは、手際よくハノの青黒く変色して腫れている右足首に湿布を貼り包帯を巻いた。
「頭を打っていないのは幸いだったな」
エンデュミオンは書き終わったカルテと万年筆をアインスに渡した。アインスはカルテに目を通し、書き加えていく。
「〈治癒〉で骨折は治したけど、最低でも一週間は安静にさせてね。バスルームに行く位はいいけど、ベッドに居て欲しいな。足首は腫れが引くまで湿布して固定。多分骨折したところが疼くと思うから、痛み止めのお薬も出しておくね。状態によってはもう少し安静が長引くかも」
「う」
シュネーバルが〈時空鞄〉から紙袋を取り出し、アインスに渡す。アインスはそれに薬の名前と個数、飲み方を書いてシュネーバルに戻す。シュネーバルは薬の入った布袋を〈時空鞄〉から取り出し、そこから痛み止めの薬包を紙袋に入れていく。どうやらラルスの薬草茶のようだ。
アインスが万年筆の蓋を閉め、エンデュミオンに返す。
「ハノは出来れば静かな所で寝ていてほしいんだけど」
「このままベッドを貸すから、ここで寝かせて貰えばいいんじゃないか?」
「確かにうちは静かかも」
プラネルトとエアネストとシェンクしか居ないからだ。
「プラネルト、いいのか?」
「シェンクも反対しないと思うし、いいよ。ハノは動かせる状態じゃないもの。それに俺が一番融通利くでしょ」
キーランドにプラネルトは笑って請け負う。
プラネルトは竜騎士の教官として〈暁の砂漠〉から出向している身分だ。訓練にも参加しているが、本来参加しなくてもよく、ハノの看病に数日休んでも支障はないだろう。
「よし、じゃあベッドをもう少し壁際に寄せよう。浮かせるから動かしてくれ」
エンデュミオンがハノが寝たままのベッドを風の精霊魔法で浮かし、プラネルトとキーランドで壁際に寄せる。
「えーと、衝立とネストテーブルと、ソファーも出しておくな」
精巧な透かし彫りのある衝立と、飴色のネストテーブル、古ぼけてはいないが少し古風な布張りのソファーも取り出し、ベッド脇にエンデュミオンが置いていく。
「あとはランプだな。小さな茸の傘に触ると明かりが点くから」
大きな赤い傘の茸に茶色い栗鼠が乗っている意匠の光鉱石ランプを取り出し、ネストテーブルの上に乗せる。
「エンデュミオン、この凄い家具は?」
「孝宏が使うかと思って、この間ギルドの地下金庫から取って来たんだ。ハノが回復するまで使ってくれ。この家に余分な家具はないだろう?」
「……ないね。有難く使わせて貰うよ」
この寮は家具が少ないのだ。ソファー位買おうかと、シェンクと話していたところだった。
「あとは着替えと毛布とタオルケット」
紺地に白い水玉模様の裾の長いシャツ型の夜着と、白いタオルケットと淡いクリーム色の毛布を取り出す。
「これは試作品でな。ケットシーが暇潰しで作っている羊樹のタオルケットと眠り羊の毛布だ。パジャマはヨナタンが趣味で織ったものだから気にしないでくれ」
ぽんぽんと取り出して、ハノが寝ているベッドの端に置いていく。
家族用でも、それはコボルト織だろう。最早プラネルトも何も言わなかった。
「じゃあ、明日又アインス達を往診に連れて来るから。帰りにパトリックの所にも寄って行くな」
ではな、と言ってエンデュミオンはアインスとシュネーバルを連れて〈転移〉して行った。
「……」
「……」
プラネルトとキーランドは無言で顔を見合わせた。
「ハノ、危なかったな……?」
「あれ、蘇生薬……? え、蘇生薬?」
余りにも手際よく〈治癒〉されたので、今頃になって混乱する。
「パトリック隊長にエンデュミオン達が説明に行ってくれたから大丈夫かな? 蘇生薬はエンデュミオンが使った場合、お金は掛からない筈だよ」
「実際幾らするのか考えたくないんだが……」
王都価格なら借金ものだ。
「蘇生薬って、地下迷宮産以外だと、出所はエンデュミオンだと思うよ」
材料になる妖精鈴花の花畑はエンデュミオンが作ったらしい。現在管理は庭師コボルトのカシュや養蜂師コボルトのバーニーが手伝っているが、彼らはお茶や砂糖漬けにする程度の妖精鈴花は持ち出すものの、薬は作れないからだ。
蘇生薬は上級の錬金術師か薬草師しか作れないのである。
「おー」
エアネストがプラネルトのズボンを引っ張り、ぴょんぴょんと床で跳ねる。ベッドの上に上げろと催促しているようだ。
「エア、もう少し待ってくれる? ハノを着替えさせるから」
プラネルトはエアネストをエンデュミオンが出したソファーの上に座らせた。
ハノの為に、エンデュミオンは惜しげもなく物を出した。どうやらハノはエンデュミオンに気に入られているようだ。
キーランドと二人がかりでハノを夜着に着替えさせ、タオルケットと毛布を掛ける。
顔色も良くなり穏やかに寝息を立てるハノに安堵しつつ、プラネルトはそっとエアネストをベッドの上に上げてやった。
「はの、はの」
「しー、眠っているから静かにね」
「お」
ころりとエアネストがハノの脇腹辺りに寝転がる。
「キーランドも一度詰所に戻るんだよね?」
「ああ。先にエトガルが詰所に行っているんだが、俺も顔を出して交代して来る」
「ハノは俺とエアネストが見ているよ」
「頼む」
キーランドがドアを開けて外に出て行き、雨の湿った匂いが部屋の中に入ってくる。
「はあ……」
今買おうとすれば恐ろしく高額であろう古風な布張りのソファーに腰を下ろし、プラネルトは天井を見上げた。
一度ある事は二度ある。
「……鳥避けも考えないと駄目かな。竜が居るんだから、丘の周辺飛んで貰うかねえ」
今日は副隊長ラファエルの風竜キュッテルの所に遊びに行っている、己の相棒である雷竜レーニシュを脳裏に浮かべる。石食み鳥も馬鹿ではないので、竜が頻繁に飛ぶ場所には近付かないだろう。
レーニシュも可愛がってくれるハノが大怪我をしたと聞けば、張り切って石食み鳥を脅しに行くに違いない。
一応現在のリグハーヴスの守護竜はエンデュミオンの木竜グリューネヴァルトらしいので、彼に頼むのもありだろう。リグハーヴスは成竜が殆どいないのが難点である。
「ハノ、早く元気になるといいね」
「お」
エアネストは短く返事をして、毛布越しにハノに頭を擦り付けた。
騎士の仲良し三人組は、ハノ(小)、エトガル(中)、キーランド(大)という身長になっています。
ハノ達は領主館のコボルト達を可愛がっているので、エンデュミオンやギルベルトに密かに気にいられています。
シュネーバルの幸運の指輪は、幸運値が低い患者に与えられます。折角治療したのに、不運で死なれたら困るので……(回復したあともそのまま所持推奨)。
エンデュミオンの持っていたベッドは、〈Langue de chat〉の来客用予備です。
その他の家具は、森林族時代(フィリーネと暮らしていた頃)に集めた家具で、今ではアンティーク扱いになっている代物です。家具の一部はフィリーネが自室で使っていたりします。