雨の日とお料理
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
テオとルッツのお料理の日。
381雨の日とお料理
リグハーヴスは昨夜から雨が降り続いていた。空にはどんよりとした灰色の雲が垂れ込め、部屋の中も薄暗い。〈Langue de chat〉では朝からランプを点けていた。
こんな日はテオも仕事を受けに冒険者ギルドに行かず、家の中にいる。なにしろ相棒がケットシーのルッツなので、雨の日はいつも以上に寝起きが悪いしぐずりがちだ。
孝宏もそれを承知していて、今日の朝御飯には、ルッツが好きな果物を挟んだサンドウィッチを作ってくれていた。
朝御飯で機嫌が良くなったルッツは、テオの膝の上に座って編みぐるみで遊び始めた。
最近ヴァルブルガが編みぐるみに、着替え用の服を作ってくれたのだ。幼いケットシーは余り器用とはいえない。編みぐるみの着替えは、手先の訓練用でもあるらしい。
「ぼたん、むずかしい。ぼたんもうちょっと」
編みぐるみにシャツを着せ、ルッツが釦を釦穴に通そうと頑張っている。テオは「手伝って」と言われるまで、見守る事にしている。
「できた」
大き目の釦をきちんと留め、むふーとルッツが満足そうに笑う。それから編みぐるみにズボンを履かせた。ヴァルブルガが作ったお着替えセットは、下着から上着、小物類までしっかりと揃っているのだ。
ルッツは編みぐるみに服の上からエプロンを被せた。紐を絡めてきゅっと引いてから、ぴたりと前肢が停まる。
「テオ、ここおさえてて」
「ここ? はい」
緩まないようにテオに紐を押さえさせ、ルッツは蝶々結びを作った。縦結びになったが成功だろう。どちらかというとルッツは野外で使うロープ結びの方を先に覚えてしまっている。テオが教えたのでテオの責任でもあるのだが。
「おきがえおわった」
「じゃあルッツもエプロンしようか」
「あい」
テオはルッツにエプロンを着けてやった。
今日は孝宏が店番に出ているので、テオとルッツがお昼ご飯を作るのだ。
台所に移動し手を洗ってから、ルッツとルッツの編みぐるみを子供用の椅子に乗せる。
「今日はポトフを作ります。少し肌寒いからね」
「あいっ」
テオは台所横の食料庫から、馬鈴薯と人参を持って来て流し台で洗った。水気を切った馬鈴薯と人参を、ルッツが待っているテーブルに持って行く。
「ルッツ、馬鈴薯と人参の皮を剥いてくれる? 皮はこのボウルに入れてね。剥き終わったのはこっちのボウルね」
テオは皮むき器をルッツに渡した。
「あいっ」
「怪我しないように、ゆっくりでいいからね。俺は玉葱を切るから」
「なまのたまねぎはきけん」
「保冷庫で冷やすとそうでもないらしいよ?」
「なまのたまねぎはルッツをこうげきする」
以前玉葱を切って、鼻水と涙で大変な事になったのが、随分尾を引いているようだ。
「こっちで切るから大丈夫だと思うよ」
「あい」
流し台の隣にある作業台に玉葱をごろりと置く。中々立派な大きさの玉葱は、ケットシーの里のケットシー達が趣味で作っている物だ。自分達で食べきれない分は、隠者の庵のマヌエル達や、〈Langue de chat〉に回してくれる。
テオは茶色の薄皮を剥き、玉葱を櫛切りにして鍋に入れていく。ポトフの野菜は大きく切るのだ。キャベツもザクザクと切って追加する。
「かわむいたよー」
「有難う。綺麗に剥けてるね。芽の所は俺が取るね」
馬鈴薯の芽の部分だけ、テオがナイフでくり抜く。皮を剥いた馬鈴薯は一度水ですすぎ、テーブルに戻す。
「馬鈴薯は大きいのは四つに、中位のは二つに切って下さい」
「あい」
テオが馬鈴薯を一つまな板の上に置いてやると、ルッツは左前肢で押さえた。
「ルッツ、ケットシーの前肢で押さえてね。指伸ばさないで」
「ルッツ、ケットシーだもん」
と言いつつ、ちゃんと前肢をぎゅっと握って馬鈴薯を押さえ直す。
「これ、はんぶん?」
「そうだね」
「えい」
鍛冶屋のエッカルトに作って貰った、ケットシーやコボルトが使いやすい大きさの包丁で、ルッツが馬鈴薯を切る。
ルッツは持っているスキルが隠密系なので、刃物の扱いも上手い。
「馬鈴薯は一緒に煮ると溶けちゃうから、別茹でかな」
ルッツが切った馬鈴薯は別の鍋に入れる。その間にルッツは人参を切ろうとしていた。
「にんじん、うごく」
「爪立てないんだよ、ルッツ」
「あい」
人参は溶けないので、大きさにばらつきがあっても気にしない。人参は馬の鼻息でも煮える、と言われる。……煮えないと思うが。
「出汁が出るから燻製肉を入れよう。あとはコンソメスープの素かな。ローリエと」
ルッツに鍋の中に材料を入れていって貰う。
「ブルストいれる?」
「腸詰肉は最初から入れると、汁に美味しい肉汁出ちゃうからね。食べる時に焼いて追加かな」
「あい」
「あとはお水入れて、火にかけよう」
ポトフの鍋と馬鈴薯の鍋を焜炉に乗せて熱鉱石を点ける。
孝宏の作る汁物はいつも具沢山なので、テオもいつの間にか同じように作っている。忙しい時でも汁物とパンでお腹が満足するのだ。
軽量配達屋をしているテオは、どちらかと言えば旅先でもきちんと食事を作る珍しい部類だったりする。乾パンと干し肉で済ませる冒険者も多いが、テオとしては火が熾せる場所ならばスープ位作りたい。なにより、子供のルッツが一緒に居るので、栄養のある物を食べさせたい。
テオは煮える目安として、砂時計をひっくり返した。
「煮えるまで何しようか?」
「ルッツ、テオのおひざにのりたいな」
「どうぞ」
テオは椅子に座って、ルッツを膝に乗せた。ケットシーは温かくて柔らかい。コボルトだともう少し骨格がしっかりとしていて、魔熊になるとさらにがっちりしている。その辺りは種族によるものだろう。
台所に、ふつふつと鍋が煮える音が聞こえ始める。
「おひるはポトフでー、おやつはなーに?」
「おやつ何にしようかな」
さっき保冷庫を覗いた時に、水切りしているヨーグルトがあった。孝宏は多分あれでお菓子を作るのではなかろうか。
「お昼御飯の時に、ヒロに確かめてから作ろうか」
「あい!」
ルッツは元気に返事をした。
お昼の具沢山ポトフは、皆に好評だった。馬鈴薯はほろりと柔らかく、キャベツと玉葱は甘い。フライパンで焦げ目を付けて焼いてから追加した腸詰肉も、肉汁を閉じ込めていて美味しかった。そもそも黒森之國の住人は煮込み料理が好きなのだ。
「ヒロ、保冷庫の水切りヨーグルトは何かに使うのか?」
食事終わりにテオは孝宏に訊いた。孝宏はエンデュミオンの髭についていたパン屑を取りながら答えた。
「あれはね、ティラミス作ろうと思って。材料あればすぐ作れるんだよ。レシピ……日本語で書いてあるな。エンデュミオン、黒森之國語で書き写してくれる?」
「いいぞ」
孝宏が持ってきたレシピ帳から、エンデュミオンがテオの手帳にティラミスのレシピを書き写す。
「ティラミス用のクッキーはないから、カステラで作ればいいかな。食料庫にある食品用の魔法箱に入っているから使ってね」
「うん」
「コーヒーには砂糖を気持ち多めにすれば、年少組も大丈夫だから」
「ルッツに味見して貰えばいいかな」
年少組は苦い物や辛い物は苦手なのだ。迷子になっていた時期があるシュネーバルも、なんでも食べるが、苦い物や辛い物は食べると無表情になるのでやはり苦手なのだろう。孝宏は苦手な物はわざわざ食べさせたりしないのだ。
「作ったあと少し冷やした方が掬いやすいよ」
「解った。ルッツに冷やして貰うよ」
テオも氷の精霊魔法が使えるが、ルッツにお手伝いして貰う事にする。
孝宏達が午後の仕事に戻ってから、テオは食器を洗い片付けた。ルッツが歌いながら食器を拭いてくれたので、気が紛れるし楽しい。
「ではおやつを作りましょう」
「あいっ」
台所のテーブルを綺麗に拭き上げ、材料を出していく。
「みずきりヨーグルト、おさとう、やわらかいしろいチーズ、濃く入れたコーヒー、カステラ」
ルッツがレシピに書いてある材料を読み上げていく。
「まずは濃く入れたコーヒーだね。冷ましておかないと」
〈Langue de chat〉で飲むのは紅茶が多いが、たまにカフェオレにするのでコーヒーもある。
フラスコの上にフィルターを入れたサーバーを乗せ、挽いたコーヒー豆を入れる。少しカラメルのような甘めの香りがするのは、孝宏の好みなのかもしれない。
沸かしたお湯を少しだけ冷まし、コーヒー豆に少量注ぎ蒸らした後、ゆっくりと黒褐色の液体を落としていく。
「一寸多いかな? 余ったら後で牛乳に入れよう」
コーヒーに砂糖を入れ、ルッツに舐めて貰って「あまい。だいじょぶ」を貰う。
大工のクルトとエンデュミオンが作った魔法箱は時間停止機能付きで、買うとなったらかなり高価なのだが、孝宏の為に作る以上その辺りは度外視している。掛かるお金はクルトに支払う木箱の値段だけである。
食料庫の魔法箱には、作り置きのお菓子や、パンなどが入れてある。そこからカステラの入った箱を取って来て、一センチくらいに切ったカステラを琺瑯容器に敷き詰めていく。
「ルッツ、ここにスプーンでコーヒー染みさせてくれる?」
「あい。しみしみー」
スプーンを握ったルッツが、フラスコから小鉢に移したコーヒーをカステラに掛けていく。テオはその間にボウルに水切りヨーグルトと柔らかい白いチーズ、砂糖を入れて良く混ぜた。
「テオ、しみしみしたよ」
薄黄色だったカステラが、コーヒー色に綺麗に染まっている。
「有難う。このカステラの上にクリームを乗せます」
「あい」
カステラの上に均等になるようにクリームを広げていく。ここで全部のクリームを乗せてしまわない。半分だけだ。
「このクリームの上に、もう一回カステラを敷くよ」
「あい」
薄く切ったカステラを、ルッツがクリームの上に端から乗せていく。
「全部乗せたら、コーヒーね」
「しみしみ?」
「そうそう」
二段目のカステラにコーヒーを染み込ませたら、残りのクリームをカステラの上に広げる。これであとは冷やせば完成だ。食べる時に上にココアの粉を振り掛ければいいらしい。
蓋つきの琺瑯容器だったので蓋をして、保冷庫の空いている場所に入れて置く。食べる時に冷やし足りなければ、ルッツに冷やして貰おう。
「テオ、クリームなめていい?」
「いいよ。クリーム集めようか」
ヘラでボウルに残ったクリームを集めてあげる。
「ルッツ、これカステラに塗る? 薄く切ってあげるよ」
「あい」
テオはカステラを二口サイズに切って、残っていたコーヒーで湿らせ、クリームを塗ってやった。ヘラに残ったクリームは、勿論ルッツが舐めた。
牛乳を小鍋で温め、ルッツにはそのまま、テオはサーバーに残ったコーヒーを混ぜた物をコップに注ぐ。
「一休みしようか」
「ひとやすみ」
「それ、小さなティラミスみたいだね。味見になるかな」
「あじみ。テオ、あい」
スプーンで掬ったカステラとクリームを、ルッツがテオに向かって差し出した。
「くれるの?」
「あい」
「有難う」
口に入れたカステラからじゅわりと甘いコーヒーが染み出し、チーズが入っているクリームと混じり合う。テオはもう少しコーヒーが苦くてもいいが、年少組に合せるならこれで間違いない。
「うん、美味しいよ。おやつの時間にもっと食べられるね」
「あいっ。んー、おいしーねー」
残りを口に入れ、ルッツが琥珀色の目を細める。口元についたクリームを桃色の舌でぺろりと舐めとってから、両手持ちのカップを掴んで牛乳を飲む。
テオもコーヒー混じりの牛乳を口に含んだ。砂糖が入っているコーヒーなので、少し甘い。
「ルッツ、また一緒におやつ作ろうか」
「あいっ」
「何作りたい?」
「りんご」
ルッツの林檎好きは揺るがない。
「林檎のお菓子……孝宏に教えて貰おうか」
「あい」
ピンと立った錆柄の尻尾がゆらゆらと動く。
ちょっぴり憂鬱になりがちな雨の日だが、こんな過ごし方も悪くないなと思うテオだった。
お久し振りです。家族の引っ越しやワクチン接種などでお休みしていました。
またぼちぼち再開して行こうと思います。
今回のお話はTwitterで少し呟いた、テオとルッツのお料理のお話を膨らませました。
書けない状況になると、ルッツが頭の中で走り回ります。
本来は夏に書くお話が書けないままずれ込んでしまったので、少し季節外れのままになりそうです。
いつもはなるべく季節に合せているのですが、抜かせないお話があるので……。
それにしても、今年の夏は暑かったですね。あんなに長期間暑かったのは、生まれて初めてでした。