王都竜騎士隊の魔女(下)
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
王都竜騎士団の寮は再利用物件です。
375王都竜騎士隊の魔女(下)
リクやディーツェが泊まっていくと確認したカイは、孝宏を台所に連れ込んで思う存分腕を振るった。司祭館の広い食堂のテーブルに皿とカトラリーが並べるのをディーツェも手伝った。今いる人数よりも席数が多く首を傾げたが、料理が出来上がる頃にエンデュミオンがリグハーヴスに戻り、〈転移〉で家族を連れてきた上、ロルフェも村の診療所と染物屋からコボルトを三人連れて来たので納得する。
「孝宏、中々帰ってこないと思ったらここまで来ていたのか」
孝宏の頭を苦笑しながら撫でる赤毛の青年の瞳が、ヴァイツェア公爵家の鮮やかな緑色で、ディーツェは彼が近年社交界で噂になったヴァイツェア公爵家の〈隠された長子〉だと気が付いた。
本来ならば継承第一位である筈なのに、魔法が使えない上ヴァイツェアで暮らした事がないからと、領主の座に興味を示さなかったという。そうは言うものの、彼──イシュカ・ヴァイツェアは〈異界渡り〉孝宏の保護者である。イシュカがヴァイツェアの名を有した時点で、孝宏はヴァイツェアの庇護も受ける事になり、既に公的に孝宏の庇護を表明していたリグハーヴスとの関係性を危ぶむ声もあったが、リグハーヴスの領主アルフォンスとヴァイツェアの領主ハルトヴィヒは同盟を結ぶ事でこれを回避した。
そしてディーツェも知るプラネルトにどことなく似ている蜜蝋色の髪に一つだけ玉飾りを結んでいる青年は、〈暁の砂漠〉の継承第一位のテオフィル・モルゲンロートだ。
社交界にはほぼ出てこない彼だが、継承者が身に着ける玉飾りについては、騎士なら授業で教わる。色が濃い程族長の一族に近いのだ。プラネルトのものより色が濃いとなると、族長ロルツィングの子息だけである。
噂では聞いていたが、本当に高位継承者が何故他領に定住しているのか。それを受け入れているアルフォンスも度量が大きい。
そして彼らと一緒に来た中性的な茶色の髪の少年は、イシュカの徒弟のカチヤで、やたらとコボルト達に懐かれていた。
一気に人と妖精が増えた食堂で、ニコの竜騎士隊への就職祝いと、ヒューの元に木竜ヒスイが来たお祝いをした。
カイと孝宏が作った料理は、ディーツェが知らない物もあったが、どれも皆美味しかった。
妖精達はそれぞれ大切にされていて、本来はこうあるべきなのだろうと、今まで余り妖精と交流のなかったディーツェは思った。
夜には親兄弟の所に泊まるというアインスとシュネーバル、ヨナタンを置いて、孝宏達はリグハーヴスへ帰って行った。アインスとシュネーバルは両親と、ヨナタンは兄と家に戻り、司祭館はぐっと静かになった。妖精はいればいるだけ賑やかなものらしい。
「ディーツェ、気疲れしたんじゃない? 大丈夫?」
「楽しかったよ。あんなに沢山妖精に会ったのは初めてだったし」
リクにはそう答えたものの、疲れていたのは確かだったらしい。
客間に案内されたディーツェは風呂に入り、キーランと一緒にベッドに潜り込み、あっと言う間に眠り込んだのだった。
翌朝はからりとした晴天で、朝食を済ませてからディーツェ達はカイ一家に転移陣まで送って貰った。
「ニコ、次のお休みには帰って来るね」
「うん待ってるよ。リクも一緒に帰って来なよ?」
「はいはい。痛てて」
じろりとカイに睨まれたリクが、おざなりに返事をして頬をつねられていた。
学院を卒業した後、そのまま王都騎士団に入団してから、リクは殆ど帰省していなかったらしい。地方出身の騎士など皆そんなものだったりする。
「ヘア・ディーツェもまた遊びに来てくださいね」
「有難うございます。ヒュー、ヒスイまたね」
ディーツェはロルフェに抱かれていたヒューとヒスイを撫でた。
「……!」
一晩でそれなりに慣れてくれたらしく、ヒューが尻尾を振ってくれる。
村の外れにある転移陣の周りには、今日も朝から魔法使い コボルト達が待っていた。木立の中に小屋が見えるので、あそこで休憩したりしているのだろう。
今日の転移陣使用のお礼には、カイがエンデュミオンの〈魔力回復飴〉の瓶を渡していた。棒付き状態のものは、ディーツェも初めて見た。
「棒付き飴版もあるんだ……」
「あれ子供用なんですよ。コボルトには丁度良くて」
特に魔法使いコボルトに人気らしい。
「どこまで行くのー?」
「王都の魔法使いの塔まで頼むよ」
「はーい。転移陣に入ってー」
魔石が付いた自分の背丈と変わらない長さの杖を持ったコボルト達が集まって来る。基本、コボルトの魔法使いは殴り魔法使いなのだ。
「行くよー。転移陣から出ないでねー」
足元の転移陣が銀色に輝き出す。
「いってきまーす」
リクに抱っこされたニコがカイ達に手を振る。
ふわっと景色が揺らぎ、次の瞬間には魔法使いの塔の転移陣の中に立っていた。塔の壁際をぐるりと登って行く階段から、パタパタと足音が降りて来て小麦色の人狼の魔法使いジークヴァルトが火竜アルタウスと共に姿を現す。
「お帰りなさい。扉開けますね」
この魔法使いの塔は常時施錠されているのだ。ディーツェが借りてきている木札でも開けられるが、管理者のジークヴァルトに開けて貰った方がいい。
カコン、カラカラ、ゴトン、と厚い扉の中でからくりが動く音がしてから、外側からは見えない閂が外れる。
ジークヴァルトが扉をあけると、切り取られたように明るい王宮の敷地から、朝の爽やかな風が吹き込んで来た。王都も今日は天気が良いようだ。
ジークヴァルトとアルタウス、ニコが軽く挨拶を交わしてから、ディーツェ達は竜騎士隊本部へと向かった。
「こっちは王宮の裏側なんだよ、ニコ。表側に騎士団があって、竜騎士隊は裏側に入口があるんだ」
「へえー」
リクに抱かれたままきょろきょろとニコが辺りを見回す。楽しそうだ。
竜騎士隊本部が近くなると、発着場になっている広場に、幼竜化した竜達が集まっていた。彼らは新人が来ると待ち構えていて顔を見に来るのだ。以前は成体のままでひしめき合っていたものだが、幼竜の方が小回り利くよね! と先日の演習で気付いたらしく、最近では訓練の時以外は大抵幼竜化して遊んでいたり、自分の主にくっついていたりする。
─新しい子?
─コボルトだ!
─人狼だ!
わらわらとディーツェ達の周りに竜達が飛んで来る。紹介するまで付きまとわれるので、ディーツェはさっさと紹介する。
「竜騎士隊に新しく来た魔女のニコと薬草師のリクだよ」
─魔女!
─うちの主、よく怪我するから助かる。
─美味しいお薬作ってくれる?
「美味しいお薬はね、今勉強中! もう少し待ってて!」
ニコが近くに来た竜を前肢で撫でながら笑う。竜騎士隊の医療班は人も竜も診療するのだ。
「隊長に挨拶に行くから、またな」
挨拶して満足したのか、また遊びに戻った竜達に手を振り、建物の中に入る。石を使っている建物なので、温かい外と比べると少しひんやりしている。
階段を上がり、ディーツェは隊長室のドアを叩いた。
「ディーツェです。ハイエルンから戻りました」
「どうぞ」
落ち着いたダーニエルの声で返答があり、ディーツェはドアを開けた。いつものように、部屋の中にはダーニエルと闇竜ヴェヒテリンが待っていた。
「ニコだよ!」
ダーニエルとヴェヒテリンにニコが元気よく右前肢を上げた。
「ようこそ王都竜騎士隊へ。私は王都竜騎士隊隊長ダーニエル。こちらは闇竜ヴェヒテリンだ」
ニコがキラキラした青い目で、ダーニエルとヴェヒテリンを見て尻尾を振った。
「ニコお仕事するよ! 今怪我してたり、病気の人いる?」
「今は居ないな。診療所に案内させるから、足りない物がないか確認してほしい」
「解った!」
「もし病気や怪我を隠していそうな竜騎士がいたら、遠慮なくとっ捕まえて診療してくれ」
「はーい」
以前体調が悪いのを隠して訓練中に落竜した竜騎士が居たので、健康管理はとても厳しいのだ。
「この建物や寮も案内をさせよう。ディーツェとキーラン、頼めるか?」
「はい」
─はーい。
隊長室を出て行こうとするディーツェ達に、ダーニエルが背後から声を掛ける。
「リクとニコの寮の部屋は二人部屋の方だ。名札をドアノブに提げてある。これが鍵だ」
「解りました」
鍵を受け取り、隊長室のドアを閉めてから、キーランを頭に乗せたディーツェは、ニコを抱いたリクを一階に連れていった。診療所は一階にあるのだ。
「診療所は入口に近いんだね」
「うん。発着場からすぐに担ぎ込めるようにね。ここ一部鎧戸になっているけど、外せば大きく開くんだよ」
診療所の窓の両脇にある鎧戸の差し込み錠を抜いて、実際にディーツェが窓を拡張して見せる。
「隣が調薬室だね。在庫がある薬草は一覧にして、机の引き出しに入れてある。取り寄せが必要なものは発注書に書いて隊長に渡せば仕入れてくれるよ」
「解った」
「今まで診療所は部屋だけあったけど、魔女も医師もいなかったんだよ。ダーニエルが隊長になって、エンデュミオンが王宮にあった竜の卵を放出してから、儀礼以外の活動を復活する事になったんだ」
「確かに、勿体無いよな。せっかく竜が居るのに」
「ねー」
リクとニコが頷く。
リクとニコは一通り診療所の中を点検していった。一先ず備品で足りない物はなかったようで、後で薬草を幾つか発注すればいいらしい。
在庫のある薬草一覧を見て、ニコがぺちぺちと机を叩いた。
「んー、妖精鈴花はないねえ」
「あれは王都で買おうとすると凄く高いんだよ、ニコ。妖精鈴花はリグハーヴスの〈薬草と飴玉〉経由かな。薬草師には卸してくれるから」
「へえ、薬草師同士で卸したりするんだ?」
ディーツェの素朴な疑問に、リクが足りない薬草をメモしていた手を止めて、万年筆の尻でこめかみを掻いた。
「薬局にもよるんだけどね。〈薬草と飴玉〉のラルスは、〈黒き森〉で採取してくる腕のいい薬草採取師の薬草を専属で集めてるんだよ。あと……エンデュミオンの幼馴染みらしくて、エンデュミオンが育てている薬草もあそこで引き取ってる。エンデュミオンが作った〈魔力回復飴〉を売っているのもあそこだけだし」
「〈薬草と飴玉〉の薬草師って……」
「ケットシーだよ。主が薬草魔女でね、以前はフィッツェンドルフに居たんだけど、リグハーヴスに移住したんだ。俺の師匠がラルスと取引していたから、卸して貰えると思う」
「いや、ヒロの親戚なんだから卸して貰えるだろ。エンデュミオンとヒロに精霊便を書いたらいいんじゃないか?」
「そうする。〈蘇生薬〉と〈完全回復薬〉も幾つかほしいところだなあ。ラルスに聞いてみよう」
「ねー」
なんだか恐ろしく高価な薬の名前が出て来た。騎士団本部にだって数本しかない薬の筈だ。そもそも作れる薬草師や錬金術師が少ない。素材も稀少だ。
「それ竜騎士隊のお金で買えるか……?」
「王都で売ってるのは、転売されて上乗せされた金額だから高いんだよ。作り手の所で直接買うとそうでもないよ。竜騎士の命が係っているんだし必要経費だよ。……よし、こんな所かな」
足りない薬をメモしていた手帳と万年筆を騎士服のポケットにしまい、リクはニコを抱き上げた。
「んじゃ、寮に案内するよ。隣の建物なんだけど」
本部から出て隣の寮に入る。入口の受付に居る寮監に、まずはリクとニコを紹介する。それからロビーの階段を上がりながら、一階の廊下の奥を指差す。
「一階の奥に食堂があるから。食堂の手前が非番の奴の談話室兼待機所。当番の奴の待機所は本部の一階にあるんだよ」
「なるほど」
階段を三階まで上がり、ディーツェは奥に向かって歩いていく。その後にニコを抱いたリクが続く。
階段に近い部屋のドアをディーツェが指差す。
「ここが俺の部屋。で、木札が下がっているから隣がリクとニコの部屋だな」
「この建物、変わった間取りだね? 一人部屋が並んでいる訳じゃないんだね」
「元々迎賓館だった建物を改修したんだよ。だから俺の部屋の隣空いてたんだけど」
「ん?」
「入ると解るよ。はい、鍵」
「有難う」
リクはニコに鍵を渡しドアの鍵を開けさせた。ドア自体はニコには無理なので、リクが彫金が施されたドアノブを掴んで開ける。
「広いね」
余裕のある広さの部屋の中に、ベッドが二つと書き物机と椅子、作り付けの立派な衣装箪笥がある。それでもティーテーブルを置けそうな程面積に余裕がある。
「奥にあるドアがバスルームだよ」
ディーツェが部屋の奥の壁にあるドアを指さす。
「こっちのドアは?」
入口の横の壁にもドアがあった。ディーツェは黙ってポケットに入っていた鍵を取り出し、ドアを開けた。こちらは広さにゆとりのある一人部屋になっていた。窓台にシャツが無造作に入った籠が置かれている以外は、きちんと整えられている。
「こっちは俺の部屋になってるんだ」
「何で繋がってるの!?」
「昔迎賓館だったって言っただろ? こっちが側仕え用の部屋だったんだよ」
竜騎士は数が少ないので好きな部屋を選べたのだが、元々実家でそれ程広い部屋を与えられていなかったディーツェは、広い部屋が落ち着かなかったのだ。
─キーランのお部屋!
ディーツェの頭の上からキーランが飛び立ち、窓台の籠の中に納まる。あそこはキーランの寝床なのだ。ディーツェのシャツを一枚強奪して巣材にして返してくれない。
「遊びに行けるね!」
ニコが嬉しそうに言う。
「間のドアの鍵開けておくから、ノックしてくれれば来て良いよ。それより荷物は?」
「俺の分は〈魔法鞄〉に入ってるし、ニコはニコで持って来てるよ。整理はすぐ終わると思うけど」
「手伝いがいるなら手伝うけど、大丈夫そうなら俺は隣に居るよ。手が足りなかったら声かけて。掃除は一通りしてあると思うけど、掃除道具は廊下の一番端にある物置にあるから」
「有難う」
「じゃああとでね」
ディーツェは自分の部屋に入り、ドアを閉めた。ドアを閉めてしまうと、隣の部屋の音は殆ど聞こえなくなる。
─ふふふーん。
自分の寝床でキーランはご機嫌だ。幼竜化に味を占めたキーランは、ディーツェの部屋に入り浸りなのだ。最早竜舎には定期健診の時以外戻っていない。
キーランが不在の時に寝床を覗いたら、魔石が幾つも出て来た。何となく見覚えのある魔石は、ディーツェが子供の頃キーランにあげたものだったのでそのままにしておいた。
「お茶の準備でもしておこうかな」
片付けが終わったら、リクとニコも一休みするだろう。
─キーラン、干し葡萄食べたいな。緑のやつ。
「はいはい」
ディーツェはお茶の道具や、日持ちのする焼き菓子を入れてある戸棚から、干し葡萄の入った紙袋を取り出した。干し果物は黒森之國では一般的なおやつだったりする。ディーツェの買い置きは、着実にキーランが消費していた。
戸棚の中には、酒に浸けた干し果物をたっぷり入れたパウンドケーキもあったので、これを切ればお茶のお菓子にいいだろう。このケーキは作ってから日を置いた方が美味しいのだ。
湯沸かしポットに水の精霊に頼んで美味しい水を入れて貰い、ティーポットやカップを用意する。
湯沸かしポットのお湯が沸く頃、隣の部屋と繋がるドアがノックされた。もう荷物の整理は終わったらしい。
「どうぞ。お茶にしよう」
ディーツェはドアを開け、隣人を部屋に招き入れた。
竜騎士隊の竜達は、幼竜化が気に入ってしまいました。
基本的には思念に慣れれば、お喋りになります。
決まった人としか思念を交わさないグリューネヴァルトの方が、珍しかったり。
主の部屋で暮らす事を選んだ竜達は、大抵主の衣服から巣材を強奪しています。
リクはカイ経由で孝宏やエンデュミオンの事を知らされています。
前回リクはエンデュミンと会っているので、「薬草分けて!」って言えば
「いいぞ」って分けてくれます。妖精鈴花、畑に咲き放題なので……。