川遊び
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ケットシーの里で川遊び。
372川遊び
青い空、緑の芝生、走る小熊と錆柄ケットシー。平和だ。
「ルッツもエアも、結構速いよね」
「うん」
テオとプラネルトは芝生に敷いた敷物の上に座って、それを眺めていた。
エアネストとルッツが笑いながら温室の芝生の上を走り回っている。最初は二足歩行でルッツを追い掛けていたエアネストだが、追い付けないと悟った瞬間、六足歩行に切り替えて加速しルッツに飛びついた。
「おあっ」
「にゃあー、つかまったー」
ごろごろと芝生の上をルッツとエアネストが転がり、笑っている。この後ケットシーの里の温泉に行く予定なので、服を脱がせておいて良かった。草の汁だらけになるところだった。
エアネストは先日の魔力欠乏事件で、「エアが歩きやすい方でいいんだよ」と言い聞かせてからは六足歩行でも良く歩いている。何か食べさせる時は前肢を洗えばいいだけだし、魔力消費も抑えられているようだ。
「ルッツ、エア、お水飲まないか?」
「のむー」
「お」
走り回って喉が渇いたのか、ルッツとエアネストが水筒を持つテオの元に走って来る。
「おひざ」
「んあ」
ルッツはテオの胡坐の中に、エアネストはプラネルトの胡坐の中に落ち着く。ルッツが甘え方を無意識に見せるので、エアネストもプラネルトに甘えるのが上手くなった。
「はい、どうぞ」
「ありがと」
「お」
コップに注いだ果実水を受け取り、ルッツとエアネストがストローで美味しそうに飲み始める。この果実水にはエンデュミオンの魔力回復飴をシロップにした物を混ぜてある。
孝宏がエンデュミオンに頼んで作って貰ったものだ。飲み物に混ぜられるので、エアネストにも与えやすくていい。
「それにしても、この温室があって助かるよ」
プラネルトがエアネストを撫でながら、硝子張りの天井を見上げた。不思議といつでもぴかぴかな硝子は、雲のない薄い青空を透かせている。温室の中の筈なのだが、森のような植生と空気なのは、エンデュミオンとギルベルトが作った温室だからだろう。正確に言えば、エンデュミオンが作った温室をギルベルトが魔改造したらしいが。
「リグハーヴスは冬が長いから、寒がりな妖精が安全に遊べる場所を作りたかったみたいだよ」
「領主館にも温室はあるけど、あそこで走り回らせる訳にはいかないからさあ」
「そうだね」
領主館の温室は観賞用の部分が大きいのだ。現在は領主館のコボルトにも開放されている。しかし水場に段差があまりなく、幼児が遊ぶには少しばかり危ない。
エンデュミオンの温室の水場は、大きな石を削った水盤で高さがあり安心なのだ。石の水盤の下にもう一つ浅い水盤があるが、そこには濡れると綺麗な色になる玉石が敷き詰められていて、水竜キルシュネライトの寝床である。キルシュネライトが出掛けている時は、玉石で遊んでも怒られないが、誰に説明されなくてもエアネストは遊んだあとは玉石をきちんと戻していた。
エンデュミオンの温室は、外に出ても錬鉄の柵で囲まれた〈Langue de chat〉の裏庭に出るので、子供達が一人で街に出る心配がない。温室の中からは、元司教のマヌエルと聖職者コボルトのシュトラールの居る隠者の庵と、ケットシーの里に行けるが、どちらにも大人のケットシー達がいるので、エアネストが紛れ込んでも保護して貰える。
エアネストは地上に一体しか居ない魔熊であり、他に同族がいない。その為リグハーヴスに居るケットシーとコボルト及び、ケットシーの里のケットシー達が同族認定し、保護対象としてくれたのだ。
「おや、先客か?」
がさりと灌木を揺らして薬草園の方から出て来たのは、ギルベルトだった。元王様ケットシーなので、ギルベルトは一般的なケットシーに比べると何倍も大きい。ふさふさの真っ黒い体毛に真っ白い襟毛が特徴で、きらきらと輝く大きな緑色の瞳をしている。
「ギルは散歩?」
ギルベルトが近所なら一人で散歩するのを知っているテオが問う。こくりとギルベルトが頷く。
「うむ。エンデュミオンに川遊びをしないかと聞いたが断られた」
「川遊びだけは無理だと思うよ……」
テオが苦笑する。エンデュミオンは大量の水がある場所が大の苦手で、風呂でさえ一人で入れない。それでも綺麗好きなので、孝宏に風呂に入れて貰っているのである。〈洗浄〉や〈浄化〉でも綺麗にはなる筈なのだが、孝宏と風呂に入りたいという気持ちもあるのだろう。
ケットシーの里に居る間に、薬草畑や果樹畑などを色々作っていたエンデュミオンだが、ケットシーの里と隠者の庵の間に流れる小川に架かる橋だけは、素朴な丸太橋のままだった。あれだけは川に近付けずに手を付けられなかったのだろう。現在は大工のクルトがエンデュミオンでも安心して渡れる橋に架け替えている。
「ギルベルト、かわあそび、なにするの?」
「草舟を流したり、綺麗な色の石を見付けたりするんだ」
「ルッツ、いこうかな」
「お」
「エアも行きたいのか。じゃあ行こうか」
テオとプラネルトは水筒や敷物を〈魔法鞄〉にしまった。その間にギルベルトが、ちょろちょろと歩き回るルッツとエアネストを捕まえ抱き上げる。
「ふあふあだねえ」
「おあー」
ルッツとエアネストがギルベルトの襟毛に顔を押し付ける。あの部分は幼い妖精達に大人気なのだ。
「隠者の庵とケットシーの里、どっち側から行く?」
「隠者の庵からの方が近いかな」
隠者の庵への小道を進み、飛び石のある広場に出る。隠者の庵もケットシーの里の一部で、庵の脇にある畑には畑仕事が趣味のケットシー達が日参して野菜を育てている。広場の手入れをしているのは、領主館の庭師コボルトのカシュと、シュネーバルの愛玩植物マンドラゴラのレイクだ。
小さなコボルトのような見た目をしているレイクだが、危険種マンドラゴラなのは間違いなく、警備員も兼ねている。レイクは希少種の植物の種を見付けては、知らない内に広場の端に植えているのだが、エンデュミオンもマヌエルもあえて気付かないふりをしているようだ。どうやらあれらは薬草らしく、採取はラルスかシュネーバルに任されているらしい。
畑仕事をしているケットシー達に手を振り、小川に続く小道を進む。
ケットシーの里を流れる小川は、深い場所と浅い場所があり、深い場所は魚釣り場になっている。浅い場所は野菜や果物を籠に入れて冷やしたり、川遊びをしたりする場所だ。
放任子育てとよく言われるケットシーだが、小さな子供が歩き回っていると、必ず複数のケットシーが目で追っている。怪我をしそうになるとすっ飛んで行って救助するのだ。小川にも、毎日魚釣りが趣味のケットシーが釣り糸を垂らしている。あれは監視要員でもあるのだろうと、テオは思っている。
小川の浅い場所は深くてもルッツの腰位までしか水深がない。早速ルッツとエアネストが小川に入り、前肢を突っ込んで川底の石を掴んでは戻し始めた。お気に入りの石を探しているのだろう。常春のケットシーの里では、年中川遊びが出来る水温だ。
ギルベルトは川縁の繁みに入り、幅があって細長い葉を数枚取って来て、器用に草舟を作り始めた。
「ルッツ、エアネスト、草舟を流してやろう」
ギルベルトがルッツとエアネストより少し上流に行き、草舟をそっと川面に下ろした。ぷかぷかと川面に浮いた草舟が、ゆっくりと流れていく。
「にゃん」
「おあ」
待ち受けていたルッツとエアネストが草舟を捕まえる。
「もっかい!」
「お!」
「いいぞ」
手元にまだ草舟を持っていたギルベルトが、再び流す。テオはその間にルッツ達が拾った草舟をギルベルトに届けた。確実に何度も繰り返すと予測がついたので。
暫く草舟で遊んだあと、ルッツとエアネストは石拾いに戻る。ギルベルトはテオ達の元に戻って来て、満足そうな顔で太くてふさふさの尻尾を揺らした。
ギルベルトは子供達が喜ぶ姿を見るのが好きなのだろう。エンデュミオンもそれが解っているから、水遊び以外は大抵付き合っている気がする。
「お」
じゃぼっとエアネストが豪快に水の中に顔を浸けて石を拾い上げる。元々野生児なので、川で魚を捕まえたりしたのかもしれない。
「お!」
「エア、見せてくれるの?」
エアネストがプラネルトに差し出したのは、割れた断面が桃色の花のような柄になっている小石だった。
「綺麗だね」
「それはこの辺りで時々ある石だ。花石と呼んでいる。街では珍しい」
ギルベルトが解説してくれた。
「へえ、そうなんだ。無くさないように預かっておくね、エア」
「お」
プラネルトは小石の水気を手拭いで拭いて、〈時空鞄〉の中にあった布の小袋に入れた。
そこからルッツとエアネストは次々と、色の違う水晶や翡翠の欠片を拾い上げた。欠片と言ってもどれくらい水の中にあったのか、角が取れて丸みのある状態の小石だ。
「随分色んな石が川底にあるんだな」
「坊やもそんな事を言っていたな。不思議な川だと」
プラネルトの疑問に、ギルベルトが髭を揺らす。坊やとはエンデュミオンの事だ。
「ケットシーの里は外からは簡単に入って来られないように、空間が歪めてある。そのせいかもしれないと言っていた」
「なるほど」
小石を十個ほど拾ったところで満足したらしく、ルッツとエアネストは川から上がった。
「エアネスト、こっちでぶるぶるするの」
「お」
少し離れた場所に行って、二人で身体の水気を切ってから戻って来る。身震いした後なので、毛がぼさぼさになっている。
「二人とも、お風呂入りに行こうか」
「あい。ルッツおなかすいた」
相槌を打つように、ぐうーとエアネストのお腹もなる。
「川遊びしたからね。おやつあるから、お風呂から上がったら食べようか」
孝宏からおやつのドーナツを預かっている。
「やったー」
「おあー」
ぴょこぴょこと跳ねるルッツとエアネストを見て、エアネストの動きがルッツに似て来たなと思うプラネルトだった。
ケットシーの里の温泉は源泉かけ流しである。棚や衝立が置いてある場所で服を脱ぎ、簀が置かれた洗い場で身体を洗う。大工のクルトが来るようになってから、少しづつ手を加えられているのだが、休憩用のベンチにはいつもケットシーが座ってのんびりしている。
「ギルベルト、せなかごしごしするよー」
「おー」
相変わらず背中の中心が洗えないギルベルトの背中を、ルッツとエアネストがわしゃわしゃと洗う。祖父の背中を洗う孫のようで微笑ましい。
一足先にギルベルトが湯船に行ってから、ルッツとエアネストを洗って、湯船の浅い場所へと入れてやる。ギルベルトや他の大人ケットシーが見ていてくれるので、その間にテオとプラネルトも身体を洗う。
エアネストはプラネルトと暮らし始めてから、暖かいお風呂にすぐに順応した。ケットシーの里の温泉も好きで、保育中にも孝宏に連れて来てもらったりしているらしい。
「腕が二対あるから、重さで肩凝りしてるんじゃないかと思うんですけど」と孝宏が言っていたが、本当かもしれない。寝つきの悪い時は身体を擦ってやると、あっと言う間に寝るのだ。
テオとプラネルトが湯船に入る時に、ルッツとエアネストも深い場所に連れて行ってやる。当然胴を掴んだ状態か、抱っこの状態でだが。
胴を掴んだ状態だと、エアネストがちゃぽちゃぽと六肢を動かして泳ぎ始める。当然進まないのだが、当人はご機嫌である。
熱すぎないお湯にゆっくり浸かって温泉から上がり、身体を乾かし服を着てから温室に戻る。
芝の上に敷物を再び敷いて、全員で転がった。
「はー。お昼寝出来そうだな」
「その前に水分補給とおやつだよ、プラネルト」
テオは慣れた様子でルッツとエアネスト、ギルベルトに果実水を飲ませる。それから籠に入ったドーナツを取り出した。ふわふわしたドーナツを半分に切り、間にクリームと苺ジャムを挟んであるものだ。多めに持たせてくれたので、ちゃんとギルベルトの分もある。
「きょうのめぐみに!」
「お!」
早速ルッツとエアネストがドーナツに齧り付いた。むにっと口の端にクリームが付く。
「おいしーねー」
「んま」
「うまいな」
ギルベルトは上手にクリームをはみ出させずに食べている。
テオとプラネルトもドーナツを摘まみ、齧る。ジャムがある分クリームは甘さ控えめで食べやすい。ジャムも孝宏の手作りだ。
王家や貴族も孝宏のレシピを欲しがるらしいが、何となくそれが解る。因みに孝宏のレシピはしっかりエンデュミオンが商業ギルドに登録しているので、当の本人は知らぬうちに小金持ちになっているらしい。
おやつを食べ終えたルッツとエアネストは、ギルベルトに拾った小石を披露し始めた。
「良いのが拾えたなあ」
にこにこしているギルベルトは、やはり孫が可愛くて仕方のない祖父のようである。
プラネルトはちらりとテオに視線を向けた。
「なあ、テオフィル」
「ん?」
「〈暁の砂漠〉にエアを連れていく時、用意する物って何があるかな。一度顔を見せに来いって煩くて。まだ赤ん坊だって言ってるのに」
「ああ、うちもそうだった」
テオが思い出して笑う。
「兎に角、暑さに慣れていないから、砂漠蚕の服は必須だよ。教会と族長からのメダルを着けていれば、服着てなくても良いと思うけど。あと風の精霊に頼んででも、部屋の風通しは良くして。ルッツは最初熱中症になっちゃったんだよ。水浴びもさせて体温下げないとだし。お昼寝も大事かな」
「毛皮だもんな……」
「暑いんだよ、やっぱり」
ケットシーも魔熊も國の北側の生き物である。南の〈暁の砂漠〉の暑さには簡単には慣れない。集落はオアシスの中にあるとはいえ、やはり暑いのだ。
「まあ行く時は、俺もルッツも一緒に行くよ」
「助かる」
当人も幼児なので遊んでいるだけのつもりかもしれないが、ルッツの子守能力は侮れないのだ。それにルッツがいれば、族長のオアシスまで〈転移〉で移動出来る。
「俺達はいつでも行けるから、プラネルトの休みに合せるから」
「解った」
プラネルトが今からちょっぴりげんなりしているのは、家族が集まるのが目に見えているからだろう。〈暁の砂漠〉は基本家族数が多いのだ。
プラネルトの次の長期休みは、賑やかになりそうだった。
ケットシーの里の木工はクルトが担当していますが、鍛冶屋のエッカルトが来る時は、料理用のナイフや鍋などのメンテナンスをしています。
パン屋のカールはパンを、肉屋のアロイスはお肉を持って来ます。
魚はケットシーが自前で釣ります。
エアネストは六足歩行の方が速い……。そして腕が重いので赤ちゃんだけど肩凝り持ち。
孝宏はなんとなく気が付いているので、温泉に入れたりマッサージしてあげたりしています。
活動報告に書くのをすっかり忘れていましたが、家庭の事情で少しお休みしていました。
ぼちぼちいつもの更新にしていきますね。