薬草茶とミント飴
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
ヴァイツェアはまだ雨です。
369薬草茶とミント飴
「ヴァイツェアは雨なんだな」
精霊便で届いたばかりの、父親フィリップからの手紙を読んでいたエンデュミオンが呟く。
「あっちは突然雨だっけ?」
クッキージャーを開けようとする魔熊のエアネストの為に、クッキージャーの瓶部分を押さえてやりながら孝宏は訊いた。
「おあ!」
ぽん、と開いた蓋に、エアネストが嬉しそうな声を上げる。
何故エアネストが居るのかと言うと、本日も保育所〈Langue de chat〉を開設中なのだ。週の殆どを朝から夕方までエアネストを預かっているが、そもそもが妖精達は裏庭や温室に出入り自由だし、小腹が空けばおやつを貰いに母屋に来るので通常営業中のようなものである。
「季節の変わり目に数日雨が降る時もあるんだ。モーリッツが頭痛で寝込んだみたいだ」
「気圧の変化に弱いのかな」
孝宏も大きく天候が崩れる時には頭痛がする。
「持ち合わせていた薬草茶をモーリッツに飲ませているみたいだけど、無くなりそうだから追加を送ってくれと書いてある」
モーリッツにはバロメッツのジルヴィアがくっついているので、薬草の管理はフィリップがしている。モーリッツが持っていたら、ジルヴィアに食べられるからだ。
モーリッツは魔道具師としては天才だが生活能力がほぼない、一寸残念なケットシーなのである。
モーリッツの主も天才魔道具師だったようだが、自分の技術を面白いように吸収するモーリッツに魔道具の作り方を教えても、料理の仕方は教えなかったのだ。エンデュミオンも料理スキルはないので人の事はいえないが、作り方位は知っている。あと飴だけは作れる。
「ラルスの所行くの?」
「うん。薬を作ってもらって送ってくる」
「おやつ持ってく? 送るのと、ラルス達の」
「うん」
孝宏は作り置きしてあった、スティック状のチーズケーキとフロランタンを蝋紙でキャラメル包みにしたものを紙袋二つに入れてエンデュミオンに渡した。
「お、お」
「エアも少し食べる?」
脚に抱き着くエアネストに孝宏がチーズケーキを味見程度食べさせる。
「んま」
「いっぱい食べるとお昼御飯入らないからね。おやつの時に残りあげるからね」
「お」
食べさせても大丈夫な物は、少しだけ味見させるのだ。おかげでエアネストは結構色んなものを味わっている気がするエンデュミオンである。
ちなみに先程のクッキージャーは、中身のクッキーは一枚で満足したらしく、あとは蓋を開ける遊びを繰り返していたのである。
「ラルスの所に行って来る」
「気を付けてね」
ほぼ隣に行くのに危険な事はないのだが、孝宏は誰かが出掛ける際には必ずと言ってこう言う。
エンデュミオンは〈薬草と飴玉〉に〈転移〉した。
「ん、エンデュミオンか」
薬草と飴の甘い香りのする店内で、ラルスはいつものカウンターに居た。薬草を掬う匙を布で磨いていた前肢を止めて、エンデュミオンを見る。鮮やかな青と金の瞳を持つが、肉球まで真っ黒なラルスは、目を閉じていると影がそこに居るようにも見えてしまう。
エンデュミオンは階段箪笥を登ってカウンターまで上がった。この店において、妖精がこの階段箪笥を登るのは正しい使い方である。使わないでも用が足せるのは、元王様ケットシーのギルベルト位だ。
「何が要る?」
「モーリッツのいつもの雨の日用頭痛薬だ」
「父さんの?」
「うむ。今ヴァイツェアが雨続きで寝込んでいるそうだ」
「フィリップには面倒を掛けるな」
ラルスが溜め息を吐く。子煩悩だが自由過ぎる父親に、結構振り回されている息子である。
「既にヴァイツェア公爵領のイシュカの実家にいるようだから、人手はある。コボルト達も居るしな」
ハイエルンから保護したコボルトの大半は、ヴァイツェア公爵の直轄地に移住したのだ。そして彼らが暮らすのは、イシュカの母親であるエデルガルトの家の敷地内である。
「すぐに用意する」
ラルスはカウンターの上に紙を敷き、薬草茶を調合する。それから植物繊維で作られた小袋を幾つか取り出した。実はこれ、孝宏が「こんなのないかな?」と言って、エンデュミオンが商業ギルドに登録して、錬金術師グラッツェルに作ってもらった、中身を自分で入れられるティーバッグである。
余り目立たない商品だが、左区のお茶屋や、パンと一緒にお茶も提供している〈麦と花〉でも利用されている。
ラルスも薬草茶を提供するのに、具合の悪い客が簡単にポットに放り込める利便性に気付いて使用している。
調合した薬草茶をティーバッグに入れて口を折り返し、ラルスは薬草茶の名前を書いた茶色い紙袋にまとめて入れた。
「よし」
エンデュミオンは空いたカウンターの上に、転移陣が刺繍された布を広げた。この転移陣の行先はフィリップの持つ転移陣だ。
転移陣の上に薬草茶の入った紙袋と、おやつの紙袋を置く。そこについでとばかりにラルスが最近仕上げた、一見果物味だが実はミントが入っている棒付き飴の瓶を追加した。
ラルスの研究の成果に、孝宏がぼそりと『食わぬなら食わせてみせようミント飴?』と呟いていた。多分、あれは褒めていたのだろう。おかげでルッツが喜んでこのミント飴を舐めるようになった。
魔力を転移陣に流し、上に置いた荷物を〈転移〉させる。すぐにヴァイツェアでフィリップが荷物を受け取っている事だろう。
「お茶、飲んで行くか?」
「うむ」
ラルスは小さな鉄瓶でお湯を沸かし、ティーバッグの入った硝子のティーポットにお湯を注いだ。明るい緑色になったお茶を、白磁の茶碗に注ぐ。
「これは花茶だが、倭之國のお茶に似た味なんだ」
「へえ。孝宏に欲しいな」
花茶なら夜でも気にせず飲めるのだ。
「ラルスが調合した物だから、あとでやろう」
「有難う。こっちはあとでドロテーア達と食べるといい。さっき父さん達に送ったのと同じ物だが」
紙袋を取り出して、ラルスに渡す。ラルスは早速紙袋を覗き込んだ。
「フロランタンがある!」
どうやらフロランタンはラルスの好物らしい。いそいそと〈時空鞄〉にしまっている。
エンデュミオンは緑色の花茶の香りを嗅ぐ。匂いも緑茶に近い。ほんの少し金木犀の香りもする。
ラルスの薬草研究は趣味と実益を兼ねている。美味しい薬草茶を作り出すセンスは、エンデュミオン以上だろう。
エンデュミオンはゆっくりラルスとお喋りをしながらお茶を楽しみ、在庫が減っていた〈魔力回復飴〉を納品してから〈Langue de chat〉に帰った。
ヴァイツェア公爵領は森林族が治める領であり、保管している書物も膨大で古書が多い。
長雨の暇潰しにと公爵家図書館の使用許可を得たので、フィリップはここ数日入り浸っていた。そして大魔法使いエンデュミオンが著した骨董的稀覯本が棚に混ざり込んでいるのを見付けたフィリップは、ハルトヴィヒに許可を貰ってその魔導書を借りて来ていた。
本日はエデルガルトの家で読書中だ。相変わらずモーリッツは寝込んでいて、エデルガルトの家に泊まらせて貰っている。
ハルトヴィヒはその本の存在に気が付いていなかったらしく、物凄く驚いていた。広い図書館の中、奥まった棚の一番下の段の隅っこにあったので長年誰も気が付かなかったようだ。身体の小さなケットシーのフィリップだから気が付いたのだろう。
(あの子は元々はヴァイツェア生まれだったな)
エンデュミオンが大魔法使いだった頃、その時の領主に寄贈したものだった。しかし、高度過ぎて理解されなかったのか、図書館に埋もれていたのだ。
(これは人族ならコボルトに魔法陣魔法を教わった者が読む本だなあ)
ただ魔法を使うから魔法使いを名乗っている者には理解出来ないだろう。ケットシーの上級魔法使いであるフィリップには、とても面白いのだが。
「ん」
魔力の揺れを感じて、フィリップは読んでいた魔導書から顔を上げた。
「来た来た」
床の上に広げて置いていた転移陣布の上に、荷物が届いていた。魔導書に栞を挟んで閉じ、座っていたクッションの横の床に置く。
送られてきたのはモーリッツの薬草茶と、孝宏が作ったお菓子、それと飴の瓶だった。
「飴かあ。そう言えばミントの飴も頼めばよかったかな」
妖精猫風邪予防には、ミントの飴は欠かせない。実は余りミントが得意でないモーリッツでさえ、鼻の頭に皺を寄せながら一日一つ舐めているのだ。
「……」
もぞ、とベッドの上のモーリッツが毛布から顔を出した。長雨で具合が悪いからか、毛艶が悪い気がする。目ヤニも酷い。
「目が開かないよう」
「今拭いてやる」
フィリップは洗面器にぬるま湯を出して手拭いを絞り、モーリッツの顔を拭いてやった。
冷ました妖精鈴花のお茶をストローで飲ませる。
「……飴?」
「お菓子もあるぞ。飴が良ければ舐めるか?」
「うん」
フィリップは飴の瓶の蓋を開けた。匂いは果物の匂いだ。複数の色があるので、味が違うのだろう。
「何色が良い?」
「水色」
「水色って何味だろう。多分前に貰った事のあるラムネかな」
棒付き飴なので横向きなら寝ていても大丈夫だろう。フィリップはモーリッツの口に飴を入れてやった。
「ラムネ」
水色はやはりラムネ味だったようだ。フィリップは黒っぽい紫の飴を取り出して口に入れる。
「……カシスかな?」
そしてカシスの奥でミントを感じた。
「これ、ミント飴か」
「これだと美味しい」
モーリッツが先程より元気のある声で言った。
「お前の息子は凄いな」
「うん」
とっとっとっとと足音が聞こえて来て、開けたままにしてある戸口からジルヴィアが入って来た。後ろから執事コボルトのリンが付いて来る。先程モーリッツが寝ているのにジルヴィアがメエメエ鳴き出したので、家の中を散歩に行かせたのだ。
「ンメエー」
モーリッツの前肢が届く場所にジルヴィアが座り込む。散歩に満足したのだろう。
「リン、飴食べるか?」
「いいの?」
好きなのを選べと言えば、リンは赤っぽい飴を取っていた。苺か林檎だろう。ペタンとフィリップの隣に座り、飴を舐め始める。
「それ、何の本?」
「これはエンデュミオンの魔導書だ」
「どんなの?」
「この本は生活魔法みたいのが多い」
だから余計に魔法陣を使ってまで生活魔法? とでも思われて棚の奥に追いやられたのかもしれない。使えると便利なのに。先程使った簡易式転移陣も、これに載っていた。
「リンは執事だからなあ。染み抜きの魔法陣とか、知らないならこれに書いてあるぞ」
「!?」
リンが慌てて口から飴を取り出した。
「本当? テーブルクロスの取れない染みあるんだよ!」
「フィリップはもうすぐ読み終わるから、借りるといい。すぐに染み抜き魔法陣を試したいなら……この辺だったかな」
フィリップは飴を咥えて魔導書の頁を捲った。該当頁を見付けだし、〈時空鞄〉から取り出した紙に染み抜き魔法陣を書き写してやる。
「大工コボルトにこの魔法陣を洗濯板に彫って貰え。その洗濯板で染みの部分を洗えば、綺麗になる筈だ」
「ふおお……」
リンが感動した面持ちで、魔法陣が書かれた紙を両前肢で頭上に翳す。それ程欲しかったのだろうか、この魔法陣を。
飴を舐め終わると、大喜びでリンは部屋から出て行った。若いコボルトは元気だ。
モーリッツから飴の棒を回収し、もう一度妖精鈴花のお茶を飲ませて毛布を掛け直す。
「お、雲が切れてきたかな?」
窓の外に見える空が、少し明るくなって来た気がする。
漸く雨が止む兆しに、フィリップは安堵した。モーリッツの具合もこれで回復するだろう。
「メエエ」
「しーっ、ほらおやつだ」
フィリップは〈時空鞄〉から取り出したおやつ用のラベンダーを数本取り出して、ジルヴィアに与えた。それで満足したのか、ジルヴィアは伏せて目を瞑った。
モーリッツは起きていれば賑やかだが、寝ていると静かすぎる。
明日にはいつもの元気さを取り戻すだろうなと思いつつ、フィリップは魔導書の読みかけの頁を開くのだった。
何か頼む時は、ほぼフィリップからエンデュミオン経由でラルスに行きます。
モーリッツの手紙は、色々と足りない事が多いので。
ついに果物味(ラムネ味も含む)のミント飴が出来た模様です。
ルッツとギルベルト大喜び。
ヴァイツェア公爵家の図書館、地味にエンデュミオンの本が潜んでいました。
ちまちまとした生活魔法が多いのは、エンデュミオンが魔法使いの塔で暇を持て余して作った魔法陣だからだったりします。