雨の日
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
ケットシーも雨の日は苦手な子も居ます。
368雨の日
フィリップがロリンとケルビーと一緒に森の中にある滝壺で魚釣りをして戻って来るのを、エデルガルトの家の掃き出し窓で執事コボルトのリンが待ち構えていた。南方コボルトのリンは四肢の先が手袋を履いたように白い。
「お帰り。早かったね」
「雲行きが怪しくなって来たからな」
各自数匹ずつ釣り上げた所で、梢から見える空に灰色の雲の端が見えたので、切り上げて帰って来たのだ。雨が降れば川の水が急に増えるかもしれないからだ。フィリップ達は雨雲に追い掛けられるように帰って来たのである。
晴れていれば靴は掃き出し窓の外に帰るまで置いておくのだが、雨が降り出しそうなのでリンが窓の近くに用意してくれた浅い木箱に入れる。
「あれはモーか?」
居間の敷物の上に、毛布の塊があった。その隣にバロメッツのジルヴィアがもふりと膝を折って座っていた。
「頼まれていた動かないオルゴールの修理をした後で、頭が痛いって丸まっちゃった」
「モーがこの状態って事は雨はすぐに止まないぞ」
モーリッツは長雨になると、頭痛や倦怠感を訴えて動かなくなる時がある。
フィリップは〈時空鞄〉からキルトの巾着に入った熱鉱石の行火を取り出した。
「モー、行火だ」
「……」
毛布の中から黒い毛におおわれた前肢が出て来て行火を掴み、すすすと戻って行く。結構重症である。
「大丈夫でしょうか。魔女を呼びますか?」
「薬草茶があるから飲ませる。暖かくして休ませて、天気が良くなれば治るかな」
心配そうなエデルガルトに、フィリップはモーが潜っている毛布をぽんぽんと叩いた。
「鱒を釣って来たから、焼いて粥に入れてやる」
「うう」
毛布の中かくぐもった返事が返って来る。
「ロリン、ケルビー、まずは鱒を捌こうか。リンはモーリッツに飲ませる薬草茶を淹れてくれ」
父親の症状を知っているラルスから、薬草茶を預かっているのである。フィリップは〈時空鞄〉から出した薬草茶のティーバックをリンに渡す。
「蜂蜜玉を一つ入れてやって」
「解った」
執事コボルトのリンは家事スキルもあるので、お茶を淹れるのが上手だ。この家には森林族のメイドのロスヴィータしか居なかったので、執事スキルのあったリンはそのまま住み込みで執事業をしている。
「今日もお願いしていいですか?」
「いいよー」
「やるよー」
ロスヴィータは尾頭付きの魚を捌くのは苦手らしく、猟師コボルトのロリンとケルビーが釣ってきた魚を次々と捌いている。三枚におろしたら、そこからはロスヴィータに交代だ。
「ロスヴィータ、魚に合う香草も摘んで来た」
「有難うございます。香草焼きにしますね」
「塩を振って焼いたものも欲しい。モーの粥に入れるから」
「粥に……ですか?」
ロスヴィータが不思議そうな顔をした。黒森之國の粥は甘いのである。
「甘い粥じゃないのを作るから大丈夫だぞ」
フィリップは米を研ぎ、土鍋に米と水を入れて、簡易焜炉の上に乗せた。沸いて来たら一度混ぜて、あとはゆっくりと米が柔らかくなるまで炊いて行く。孝宏がケットシーの里で教えてくれた粥の作り方だ。
米がふっくら柔らかくなったのを、味見して確かめる。
「こんなもんかな」
「フィリップ、塩焼き出来ましたよ」
「有難う」
香ばしく焼けた鱒を解し、骨を取る。スープボウルに白粥を注ぎ、鰹節と鱒の解し身をたっぷり乗せ、フィリップはモーリッツの元へ行った。
「モー、粥だ。食べたら薬草茶を飲んで寝ろ」
「……鼻詰まってるよう」
毛布から出て来たモーリッツは涙目だった。鼻水も出ている。
「久し振りに酷いな」
「ううう」
フィリップはモーリッツの耳の周りを揉んでやった。何だか少し凝っている気がする。
リンは薬草茶を置いて、「ベッド温めて来るから」と居間を出て行った。今日はエデルガルトの家に泊まらせて貰うしかないだろう。
湯気の立つ粥をふうふうと吹き冷ましながら、モーリッツが匙で口に運ぶ。食欲はあるようだから、天気が良くなればけろっと元気になるだろう。
粥を食べ終えたモーリッツは、丁度飲み頃に冷めた薬草茶を飲み、リンが用意しくれた客間にジルヴィアに乗って移動する。フィリップも後について客間へと向かう。
客間は当然人族用なのだが、ベッドの脇に妖精用に布張りの階段が置いてあった。
湯たんぽを入れて温めてあったベッドに、モーリッツとジルヴィアを入れて寝かせる。
「ぬくい……」
「メエ……」
「大人しく寝てろ」
すやすやと、あっという間に寝始めたモーリッツに、フィリップは溜め息を吐いた。ずっと旅を続けているから、疲れもあったのだろう。
しとしとと雨音が聞こえ始めた窓のカーテンをリンと一緒に閉め、居間に戻った。
「眠ったから、後は天気次第かな」
フィリップは心配そうなエデルガルトとロスヴィータに告げて、土鍋に残っていた粥をスープボウルに移す。粥は出来立ての方が美味しいから、モーリッツの食事の時に又作るつもりだ。
鰹節と先程の残りの鱒の解し身を粥の上に乗せる。おかずはロスヴィータが作った鱒の香草焼きで鱒が被るけれど、魚は好きなので問題ない。
「今日の恵みに。月の女神シルヴァーナに感謝を」
食前の祈りを唱えて昼食を始める。
今日ここにいるコボルトはリンとロリンとケルビーだが、ヴァイツェア公爵領に移住したコボルトはもっといる。庭師と大工と家事スキルを持ったコボルトがそれぞれ数匹ずついて、家事コボルトの中には機織りが出来るコボルトも居た。ジルヴィアの抜け毛を集めた大袋をモーリッツがあげたら大喜びしていたので、今頃毛を紡いでいるに違いない。
庭師コボルトはフォルクハルトのフリューゲルと一緒に森の管理や精霊樹の手入れをしている。大工コボルトは領主館の手入れをしたり、小物を作ったりしている。
領主ハルトヴィヒの正妃のイングリットは森林族だが余り動物型の妖精とは馴染まないようだ。それでもたまに会うと小袋に入ったおやつをくれるらしい。
毎回会う度におやつをくれるのなら、常に用意しているのではないかとフィリップは思うのだが、コボルト達はそこに気が付いていないようだ。
なんにせよ、コボルト達はヴァイツェアの領主館の住人に可愛がられているようである。
食事を終えたフィリップは、ロリンとケルビーと一緒に窓辺で釣竿を取り出して手入れを始めた。急いで帰って来たので、そのまま〈時空鞄〉に突っ込んで来たのだ。
釣竿を固く絞った布で拭いてから、乾いた布で拭く。釣り糸も同じように拭いて巻き直す。
灰色の雨雲で覆われ薄暗くなった庭に、いつもの突然雨とは違う、しとしととした小粒の雨が降っている。
隣り合っている〈暁の砂漠〉では殆ど雨が降らないのに、ヴァイツェア公爵領では豊かな水源があるのが不思議である。そもそも元々は〈暁の砂漠〉の民族がヴァイツェアに暮らしていたのだが。
手入れの終わった釣竿を〈時空鞄〉にしまい、フィリップは紙袋を取り出した。
領主館に来た日にエンデュミオンと孝宏が送ってくれた荷物の中には、ハルトヴィヒ達やエデルガルト宛のきちんと包まれたお菓子もあって、それはエンデュミオンからの手紙で確認したあとに渡した。それ以外の紙袋に入ったものは、フィリップとモーリッツ、コボルト達のおやつとして入れてくれたものだった。
「これ何だったかな?」
紙袋の中身は細長く平たい、黄色とも茶色ともつかない、コルクのような色のものだった。甘いのか、少しぺたぺたする。端っこを齧ってみると甘かった。
「甘い。芋かな? あ、干し芋か!」
手紙に書いてあった「干し芋」という単語を思い出す。
「芋?」
「芋?」
フィリップの両脇に居たロリンとケルビーが、勢いよく振り向いた。
「食べるか?」
フィリップは干し芋を取り出して、ロリンとケルビーの口に入れてやった。
もぐもぐと二人が口を動かす。咀嚼が長い。ごくりと飲み込んだ後、ちらりとフィリップを見る。
「美味しい」
「まだある?」
「あるぞ。気にいったのなのなら、これごとやるから皆で分けるといい」
フィリップは紙袋をロリンに渡した。干し芋はまだ〈時空鞄〉にある。
「有難う!」
「いっぱいある!」
ロリンとケルビーの尻尾がぶんぶんと左右に揺れる。
「あ、リン! これ食べてみて!」
食器を拭くのを手伝っていたリンが通りがかり、ケルビーが呼び止める。
「なあに?」
「甘い干し芋だよ」
「食べる」
すっと前肢を差し出したリンに、ロリンが干し芋を一つ渡す。干し芋の端を噛んだリンの青い瞳がカッと開いた。
「これ、素材は? 作り方は?」
「んあ? 一寸待て」
干し芋を咥えたまま、フィリップは〈時空鞄〉に前肢を突っ込んで手紙を引っ張り出す。
「確か書いてあった筈……。素材は甘藷だな。作り方はこれだ」
エンデュミオンは干し芋の作り方を紙に書いて手紙に同封してくれていた。
「リン、書き写して来る」
「あ、うん」
リンは紙とペンがある場所へ、あっと言う間に消えていった。速い。
「ロリン、ケルビー。干し芋は温めても美味いらしいぞ」
フィリップは簡易焜炉とスキレットを取り出し、改めて〈時空鞄〉から取り出した干し芋を焼き始めた。甘い匂いがふわんと立ち上り始める。
「おおお」
「罪な匂い」
何の罪だよ、と言いたいのを我慢しつつ、フィリップは調理用のトングで干し芋を引っ繰り返す。熱せられて黄色くなった干し芋の所々に焦げ目がついていた。
「わうう」
「お焦げ」
「ほら、熱いからな」
干し芋をフォークで刺して皿に乗せてやる。ロリンとケルビーははふはふしながら干し芋に齧り付いた。
「んん、温めると柔らかくなるね」
「甘いね」
「ああっ、リンがいない間に食べてる!」
「はいはい。リンも食え」
戻って来たリンにもフィリップは焼いた干し芋を渡した。
「エデルガルトとロスヴィータも食べてみるか? 女性が食べると身体にいいらしいぞ」
繊維質なので通じが良くなるとエンデュミオンの手紙に書いてあったが、そのまま女性に伝える程野暮では無いフィリップである。
「甘いのですか?」
「干し芋と言う事は保存食でしょうか」
エデルガルトとロスヴィータも初めて見るらしく、興味深そうに受け取った干し芋を口に運ぶ。
「あら、美味しいわ」
「甘くて、不思議な食感ですね」
女性陣にもお気に召したようである。
「甘藷自体はヴァイツェアでも育てているんじゃないのか?」
「ええ。ですが干したりはしないですね」
「そうなのか。これは倭之國のやり方らしいぞ」
「まあ、倭之國の」
輸出入はしているが、殆どは食品ではなく反物や美術品なのだ。倭之國の食品を一番多く輸入販売しているのが、実はリグハーヴスだったりする。
「ヒロの国が倭之國に食文化が近いらしくて、作ってみたそうだ」
干し柿消費が供給に追いつかないので干し芋を作ったのだが、干し芋は干し芋でコボルトに人気が出たらしい。
「フィリップ、もっと焼いて」
「ほら、好きに焼け」
干し芋の袋とトングをコボルト達に渡してやる。
「ふふふ、おやつにこうやって食べるのは楽しいですね」
きゃっきゃとはしゃぎながらスキレットで干し芋を焼いているコボルト達を見て、エデルガルトが微笑む。
「騒がしくないか?」
「いいえ、楽しいですよ。この子達が来る前までとても静かでしたから」
「そうか」
フィリップもエンデュミオンからイシュカの家庭事情は聞いていた。息子二人を持つフィリップは、イシュカの可愛い盛りを見られなかったエデルガルトに同情した。そして取り敢えず犯人を呪っておいた。
「暖かいお茶を淹れて来ましょう」
ロスヴィータが台所に立ち、干し芋を咥えたリンが手伝いについていく。
コボルトは成長しても人族の幼児程度の大きさしかないし、ここにいるコボルト達は若いコボルトばかりだから、手伝いをしているのか邪魔をしているのか解らない時もあるだろう。
でもそれがエデルガルトを癒しているのだろうと、フィリップは思う。
「フィリップ、お芋焼けたよ」
「ん、一つくれ」
しとしと冷たい雨が降る中、暖かい部屋でおやつを食べるのは、なかなかの贅沢だ。
「モーが起きたら焼いてやらないとな。芋だから、ジルヴィアも食べるかな?」
その時にはまたコボルト達にねだられそうだなと思いつつ、香ばしく焼けた干し芋を齧るフィリップだった。
領主館に残ったコボルトよりも、ヴァイツェアに移住したコボルトの方が少し多いです。
日によって家事コボルト達が、エデルガルトと刺繍や編み物を一緒にしていることも。
庭師コボルトは主に領主館や精霊樹のお世話を。猟師コボルトが森の管理をしています。
フィリップは最初に会ったロリンとケルビーと仲良し。
リンは執事コボルトなので、アイロンかけが上手だったりします。
干し芋の作り方をリンが記録したので、その内ヴァイツェアでも干し芋が作られるようになるかも?
ヴァイツェアにいるどのコボルトよりも、フィリップとモーリッツの方が年上です(100歳前後です)。