黒森之國の〈不死者〉
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住人が増えるようです。
364黒森之國の〈不死者〉
鼻の頭が冷たい気がして、ヘルマンは目を覚ました。指先で触れた鼻は気のせいではなく冷たく、昨夜の冷え込みの厳しさを物語っていた。
「あれ?」
いつもは隣で寝息を立てている北方コボルトのエンツィアンの姿がなかった。
「エンツィアン?」
「うー」
呼びかけに対して、布団の中から返事があった。ヘルマンの腹の横がこんもりと盛り上がっていた。もそもそと盛り上がっている部分が動いて、掛布団の端からエンツィアンが眠そうな顔を出す。
「お鼻が冷たくて起きちゃった……」
「眠れなかった?」
「お布団潜ってヘルマンにくっついて寝た」
冬場は一日中居間の暖炉を燃やしているが、寝る時は弱火にする。いつもはそれでも寒くないのだが、昨夜は急激に気温が下がったのだろう。
ヘルマンは起き上がり、ガウンを羽織りエンツィアンを膝掛けにくるんで抱き上げた。部屋を出て居間に向かう。居間なら直接暖炉に当たって暖まれる。
居間には先客がいた。同居している漂泊の民のハシェが、暖炉の前の肘掛け椅子に座っていた。膝掛けの上には火蜥蜴のリンケが丸くなっている。
「おはよう、ハシェ」
「おはよう、ヘルマン、エンツィアン」
「ハシェも寒くて起きた?」
「うん。寒いと脚が強張るのが気になって」
ハシェは沼蛇に噛まれた後遺症が左脚にある。いまだに麻痺が抜けきっていないので、天気によっては調子が悪そうだ。
「クレフは?」
「兄さんは鍛冶場までの雪を掻いて来るって。そんなに積もってないからすぐ戻るって」
ハシェが言っているそばから玄関のドアが開いた。ヘルマンとエンツィアンを見て、クレフがほっとした顔になる。
「良かった、起きてたか。この子を頼む」
クレフが抱えていた物をヘルマンに差し出した。ヘルマンはエンツィアンを床に下ろし、クレフから灰色の首巻に包まれた物を受け取る。そっと首巻を広げ、ヘルマンは驚いた。マフラーの中に、顔の中心と四肢の先が灰色の白いケットシーの赤ん坊がいたのだ。両掌に乗る程小さい。ぴゃあぴゃあと泣いているので、泣く元気はあるようだ。
「ケットシーの赤ちゃん!?」
「ヘルマン、暖炉の前に連れて来て!」
エンツィアンが自分が巻き付けていた膝掛けを暖炉の前の敷物の上に広げた。その上にハシェがリンケを置く。ヘルマンは湯たんぽ代わりのリンケの横に、ケットシーを寝かせた。
すぐにエンツィアンが診察を始める。
「いつから外に居たんだろう。身体は冷えてないみたい。でもお腹が膨らんでないから、空腹なのかな」
「ミルク作って来るよ」
ヘルマンは保存庫から粉ミルクと哺乳瓶を取って来て、台所でお湯を沸かした。森番小屋にはいざという時の保存食や備品がそれなりに置いてある。粉ミルクや哺乳瓶もその一つだ。
哺乳瓶は水の精霊に洗浄して貰い、沸いたお湯で粉ミルクを溶いて水の精霊に適温に冷やして貰った。
「うん、怪我や病気はないみたい。お腹が空いているだけかな」
「はい、ミルク出来たよ。ハシェ座ってるし、飲ませてあげて」
赤ん坊のケットシーとリンケを膝掛けごとハシェの膝に移動する。
「えっと、どうやるの?」
「頭をあげて吸い口を口に入れてあげて」
「こう?」
少しぎこちない手付きだが、ハシェがケットシーを支えて哺乳瓶を咥えさせる。
「あ、飲んでる」
ちゅっちゅっと勢いよくケットシーがミルクを吸い出した。
「ミルクが飲めれば大丈夫。後は温めてあげれば」
「おしめも用意するね」
ヘルマンは食品以外の備品を置いている倉庫から、おしめを取って来て畳み籠に並べた。ついでに使っていない大きな籠もあったので、毛布を畳んでシーツで包んで布団代わりにして詰め、掛布団用の毛布も取り出して居間に戻った。
「エンツィアン、ベッドとおしめはこれでいいかな」
「まだ小さいし、充分だよ」
ミルクを飲み終わったケットシーの赤ん坊にげっぷをさせ、おしめを着けてから籠に寝かせる。満腹になったからか、赤ん坊は寝てしまった。
「リンケ、湯たんぽ代わりにこの子と一緒に寝てて」
「いいぞ。見ててやる」
ヘルマンもリンケに子守をされた位である。任せて安心だ。
それにしてもなぜケットシーの赤ん坊がいたのかが解らない。ヘルマンは赤ん坊の籠に毛布を掛けてから、まだ外套を着たままだったクレフを見上げた。
「クレフ、あの子どこに居たんだ?」
「どこにいたと言うか……」
外套を脱ぎながらクレフが口籠った。壁のフックに外套を掛け、ブーツを脱いで部屋履きに履き替える。動きながら考えをまとめたのか、クレフが口を開いた。
「家の前から雪を掻き始めた時には、間違いなく居なかった。鍛冶場まで除雪して、戻って来る時に魔力の動きを感じたから、その時だと思う。家の前の階段の下に居たんだ。でもその子以外居なかった。足跡も俺の分しか無かった」
「森のケットシーならうちに声を掛けるよね」
「そもそも赤ん坊ならうちじゃなくても、里で預かって貰えるだろう?」
〈黒き森〉のケットシーの里では、親が森を出てしまった時には誰かが赤ん坊を引き受けて育てるのが普通だ。これだけ幼い赤ん坊だけが里の外に出るなどありえないのだ。
「となると、エンデュミオンかギルベルトに確認かな」
「その方がいい。親が捜しているかもしれないし」
「エンツィアン、精霊便書くよ!」
エンツィアンが右前肢を上げる。
「赤ちゃんの様子と合わせて書いて送ってくれる? 俺は顔洗って朝御飯作るよ」
「うん」
エンツィアンがソファーの前のローテーブルの引き出しから紙と万年筆を取り出して、手紙を書き始める。
クレフとハシェは赤ん坊を眺めているようだ。ぱたぱたと二人の銀毛交じりの黒い尻尾が動いている。人狼は感情が尻尾に出やすい。
エンツィアンが精霊便を風の精霊に託してから朝御飯にする。赤ん坊を見る為、交代で朝食を食べた。エンデュミオンが〈転移〉してきたのは、行火と入れ替えでリンケが朝食を食べている時だった。
わずかな魔力の揺らぎと共にエンデュミオンが居間に現れる。
「いらっしゃい、エンデュミオン」
「久し振りだな、ヘルマン。ケットシーの赤ん坊を見付けたって?」
「クレフが家の前で」
「そうか。うーん」
エンデュミオンが唸る。
「来る前に里に行って、居なくなった子供が居ないか確認したんだが、誰も居なくなっていなかったんだ」
「は?」
「王様ケットシーにも確認した。最近産まれた子供は全員里に居たんだ」
「じゃあ、あの子は?」
「とりあえず、会わせて貰おうか」
エンデュミオンはとことこと暖炉の前に移動する。クレフが場所を開けて、エンデュミオンを赤ん坊の居る籠の前に出した。赤ん坊は先程泣いておしめを取り換えて貰ったあと、再び寝ていた。
「〈不死者〉か」
赤ん坊を見た途端、エンデュミオンが呟いた。
「メトセラ?」
「行方不明者がいなくて当然だ。この子はさっき現れたので間違いない」
「どういう事?」
「エンデュミオンの〈柱〉みたいなもので、この子は〈不死者〉というモノだ。死んだらすぐに転生する。エンデュミオンと違うのは、エンデュミオンは記憶を継承したまま親から生まれるが、〈不死者〉は記憶を継承せずに赤ん坊の状態で現れる。その為大抵は捨て子として孤児院に引き取られ、その後教会預かりになる事が多い」
「なんで教会なんだ?」
「〈不死者〉は白く生まれるんだ。そして言葉に力を持つ性質がある。だから教会で隔離されて育つ。呪いの言葉を口にされるとうっかり人が死ぬからな。どの種族に生まれるかは解らないんだが、殆どが人族だと聞いているんだがなあ。今回はケットシーだったか」
「この子も教会にいくのか?」
指先でクレフが赤ん坊の額を撫でる。
「教会はこの子を引き取らないだろう」
「なぜ?」
「この子は白くない。教会が引き取るのは白い〈不死者〉だけだ。この子が白くないのは前回の生において呪いを使ったからだ。身体の一部だけが灰色だから、それ程長生きでは無かっただろう。可能ならヘルマン達が育てた方がこの子は幸せだ」
「ケットシーの里は?」
「誰かに憑いた時の事を考えるとなあ。それだとハシェに憑いて貰った方が安心だ。この子の名前はハシェが付けるといい」
「僕!?」
突然指名されたハシェが慌てる。
「ヘルマンはエンツィアンが憑いているし、クレフはリンケが唾付けてる状態だろう?」
「唾付けてるってなんだ!?」
クレフも初耳だったのか、尻尾の毛が逆立っている。エンデュミオンが呆れた顔になった。
「火蜥蜴が腕のいい鍛冶師を放っておくわけないだろう」
「はっはっはっは。ばれたか」
台所からリンケの笑い声が聞こえてくる。農具の修理くらいしかしていなかったヘルマンに比べ、クレフは上等のナイフを打てる鍛冶師だ。肩入れするのも解らないでもない。
リンケはヘルマンの家に憑いている火の妖精だが、中でも気に入った鍛冶師に力を貸すのだ。森番小屋の継承者であるヘルマンにも力を貸してくれるが、鍛冶師のクレフにも同等かそれ以上の力を貸していたのだろう。
「難しく考えずに、この子を可愛がって育ててくれればいいだけだ。普通に愛情を貰う暮らしをした事がないだろうからな」
「エンツィアンも可愛がるよ。シュネーのおしめ変えてたから手伝える」
「頼もしいな、エンツィアン」
「へへ」
エンツィアンが白い尻尾をぶんぶん振っている。弟が増えたようなものなのだろう。
「エンデュミオン、一寸いいかな」
ヘルマンはエンデュミオンを台所まで連れていった。
「さっきの話、あの子は前回教会に居なかったのかな」
「恐らくは。能力に気が付いたろくでもない奴に引き取られたんだろう。〈不死者〉は目が特徴的なんだ。とても美しい目だから、知っていればすぐ気付く。美しいが殆ど視力がない筈だ。だから囲われやすい」
「視力がない?」
「そうだ。あの子はケットシーだから、物の場所さえ覚えれば、視力がなくても自由に動けるようになると思うぞ。言葉に力があると言っても、意識しないと使えない力だから、日常生活では問題ないだろう。物心つく頃には使い方を教えてやる」
「知らないで使うより危険が減るもんね」
「そう言う事だ。〈不死者〉が現れたとアルフォンスには知らせないと駄目だろうなあ。黙ってたら駄目かなあ」
エンデュミオンがうんざりした顔でぼやく。
「お身体の具合でも悪いのか? 領主様」
「元々頑健ではないだけだ。なんていうか、こういう報告をエンデュミオンばかりが行くから、いい加減警戒されている節がある。エンデュミオンが行くと何かあったんだと。エンデュミオンのせいじゃない時もあるのに」
エンデュミオンが何かやる時もあるらしい。
「しかし〈不死者〉の不在は教会も把握しているだろう。教会の〈先見師〉が見えたかどうかによるが、真偽官が捜索はするだろう。もしここに来たらエンデュミオンの許可があると言え」
「解った」
「〈不死者〉だって、一度くらい損得無しで可愛がられてもいいだろう。面倒だから、フォンゼルに言っておこうかな」
「フォンゼル?」
聞き覚えのない名前に、ヘルマンは首を傾げた。エンデュミオンは隣家の住人を教えるようにあっさりと言った。
「今の司教だ。元真偽官でコボルト憑きだから話が解る」
「……知り合いの幅広いんだな、エンデュミオン」
「司教だったマヌエルと友人だからな。その流れでな」
「ああ……」
そもそも司教と知り合いだった。
「子守の手が足りない時は、春までならルッツやギルベルトを呼ぶといい。喜んで来るだろう。里のケットシー達にも伝えておくから、温泉に入りに来た時に顔を見せてやってくれ。手伝いに来てくれると思うぞ」
「うん」
〈不死者〉でも同族として生まれて来たのなら、ケットシー達の庇護下に入るのだろう。ギルベルトを呼べと言うのは、元王様ケットシーの加護を与える気なのだろうか。
「何かあれば遠慮せずにエンデュミオンでもヴァルブルガでも喚べ」
そう言ってエンデュミオンは帰って行った。
エンツィアンが来て、クレフとハシェが来て、今度は赤ん坊だ。元々家族が多い家で暮らしていたヘルマンにとっては、懐かしい賑やかさになってきた。
「あっ、なんか泣きそうだぞ」
クレフの声の後に、ぴゃあ、ぴゃあと赤ん坊ケットシーが泣き出した。
「ミルク? おしめ?」
あわあわとハシェがうろたえる。
「これは抱っこかな。よしよし良い子だねー」
エンツィアンが赤ん坊を抱き上げあやし出す。ふえふえ、と泣き声が下火になった。どうやら一番頼りになりそうなのは、エンツィアンのようだ。
「……やっぱりお手伝い頼んだ方がいいかな……」
なるべく早く、ケットシーの里に顔見せに行こうと決めたヘルマンだった。
小さな住人が森番小屋に増えました。名前はまだない。
クレフもハシェの子守はしていたのですが、赤ん坊ケットシーの小ささに慣れない状態です。
里のケットシー達は、赤ん坊の噂に会えるのを楽しみにしていたりします。