ノーディカのお仕事
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
家事コボルトのノーディカです。
363ノーディカのお仕事
北方コボルトのノーディカは家事コボルトである。コボルトは仲間同士で協力して生活するが、中でも家事コボルトは他人のお世話をするのが好きという性質がある。
領主館で保護されたコボルトの内、家事コボルトはノーディカとタンタンだった。タンタンは騎士隊の騎士と知り合いになった縁で、騎士詰所の賄いさんになった。ノーディカは人族のメイド達と仕事をするには身体が小さすぎたので、厨房の下拵えなどを手伝っている。
厨房をまとめている料理長のオーラフが気の良い男なので、厨房で働くのは嫌いではないが、野菜の下拵えなどは数人でやるからすぐに終わってしまうし、鍋や調理器具が大きすぎて危ないので、ノーディカは調理には加われない。仕事のやりがいとしては物足りないな、と思ってしまうのは仕方のない事だった。
「ノーディカ」
今日も野菜の皮剥きが終わって三本足の椅子に腰かけていたノーディカを、厨房の戸口に現れた執事のクラウスが手招きした。
「なあに? エルゼ呼ぶ?」
クラウスがエルゼを好ましく思っているのを、妖精達は全員知っている。歳が離れているからと遠慮しているが、何年経っても差は縮まらないのだから、さっさと番になればいいのにと皆思っている。そもそも魔剣ココシュカに憑かれているので、クラウスは老いが緩やかなのである。
「いえ、ノーディカに頼みがあります。一緒に御前の執務室まで来てくれませんか」
「いいよ」
料理人達にしてみれば、ノーディカのしている仕事など子供の手伝い程度のものだ。ノーディカがいなくても何ら問題ない。
「ノーディカをお借りしますよ」とクラウスが厨房に声を掛けてくれたので、ノーディカはそのままクラウスについていった。
「失礼します」
階段の前でクラウスに抱き上げられる。ノーディカは他のコボルト達と違って、特定の人と仲良くなっていたりしないので、誰かに抱き上げられるのは久し振りだった。
良く磨かれた廊下を進んで、飾り彫りのあるドアをクラウスが開けた。執事は主の部屋をノックせずに開けられる。
「御前、ノーディカに来て貰いましたよ」
執務机で書類を眺めていたアルフォンスが顔を上げる。何故か膝の上にカティンカが居た。
「ああ。呼びつけてすまないな、ノーディカ」
「ううん」
ローテーブルを挟んだソファーの片方にノーディカは下ろされた。同じソファーの逆側に置かれたくしゃくしゃの毛布の上にココシュカが丸くなっていた。すっかり魔剣から出ている事に慣れている。
アルフォンスがカティンカを抱いて向かい側のソファーに座る。そこでノーディカは、カティンカが弱い〈治癒〉を使い続けているのに気付いた。カティンカは強い魔法は使えないが、継続して弱い魔法を長時間使える。体調を崩しがちなアルフォンスを、カティンカが補助しているらしい。
「実はノーディカに頼みたい事がある」
「なあに?」
「人狼のゲルトと番のイグナーツを知っていると思うのだが、この度イグナーツが子供を身籠った。ノーディカにはイグナーツの悪阻が重いようなので家事手伝いを頼みたい。あそこには極東竜のピゼンデルをはじめフュルとヨアヒムもいるから大変だと思うが、人狼は縄張り意識が強いからな」
アルフォンスの言いたい事は解る。ゲルトの気が立つので、それ程親しくない人族のメイドは不向きなのだ。それに対してコボルトは人狼と親和性が高い妖精である。ノーディカもゲルトと顔を合わせる度に頭を撫でて貰う位には友好的である。
「解った。ノーディカお手伝いする。踏み台とか用意して貰わないといけないけど」
「すぐに誂えよう」
「じゃあノーディカ行くね」
「今日から行ってくれるのかい?」
「うん。イグナーツの様子もみたいから」
基本的には通いで平気だろうが、イグナーツの状態によっては泊まり込みもありうる。コボルトは場所を取らないので、ソファーに毛布があれば充分寝られる。
「クラウス、ゲルト達の部屋まで送ってあげてくれ」
「承知しました」
ノーディカ達コボルトも宿舎に暮らしているので、ゲルト達の部屋の場所を知っていたが、クラウスに運んで貰った方が速い。ノーディカは自分で移動するよりも何倍も速く、本館から宿舎に移動したのだった。
「おお……」
汚れものが洗い桶にそのままの台所。なんとなく埃がありそうな床。くすんだドアノブ。そっと覗き込んだバスルームには、想像通り洗い桶に山になった洗濯物。
予想通りの部屋の状況に、ノーディカは思わず感嘆の声を上げてしまった。番が一番な人狼は、番に何かあると周りが見えなくなりがちだ。はっきり言って仕方がない。
それでも洗い物も洗濯物も今日の分だけのようだから、ゲルトはかなり頑張っている。
クラウスに連れられてゲルト達の住まいに来たノーディカは、さっさとゲルトをイグナーツの居る寝室に追いやった。子供達は魔法使いコボルトのクヌートとクーデルカと一緒にエンデュミオンの温室に行ったと言うから、お昼御飯は食べて来るだろう。
ノーディカは紺色のワンピースの上に着けている、フリル付きの白いエプロンの紐を結び直した。それから窓の下に置いて貰った椅子に登り、窓を開けた。風の精霊に頼んで部屋の埃を外に出して貰う。水の精霊に頼んで床を拭って貰い、再び風の精霊に頼んで乾かして貰う。細かな作業指示は家事コボルトの十八番だ。
洗い場の前にも椅子を置いて貰ったので、鼻歌を歌いながら食器を洗い拭き上げる。基本的に使う食器は決まっているから、そのまま重ねて置いておく。バスルームに行って汚れ物を水と木の精霊に頼んで洗濯しつつ、水と風の精霊に頼んで掃除をする。
くすんだドアノブは、一度椅子を〈時空鞄〉に収納してからドアの前に出し、登って磨き剤と古布で磨き上げる。真鍮のドアノブがぴかぴかになると気持ちが良い。
窓硝子は外側を業者が定期的に拭くので、内側だけ水と風の精霊に頼む。
洗濯乾燥の終わった洗濯物は、風の精霊に頼んでソファーの上に置いて貰い、畳んで積み重ねる。コボルトには解る匂いの違いで仕分けし、フュルとヨアヒムの分は彼らの部屋に持って行き、ついでに掃除をした。ゲルトとイグナーツの洗濯物は後で持って行けばいいだろう。
ノーディカは保冷庫を開けて覗き込んだ。好きに使って良いと、ここに来た時にゲルトに言われたのでそうする。
食欲のないイグナーツに何か食べさせないとならない。まずは〈時空鞄〉から低い作業台を取り出し、そこに〈熱〉の魔法陣を刺繍した布を広げる。水を注いだ鉄瓶を置き沸くのを待つ間に〈保温〉の布の上にティーポットを置いて、乾燥した妖精鈴花を入れておく。
お湯が沸いたらティーポットに注ぎ蒸らす。妖精鈴花はそのまま入れておいても一定以上濃くならないので気にせず置いておける。
鍋で細かく刻んだ燻製肉を炒め、油が出て来たらみじん切りの玉葱、薄切りの馬鈴薯を入れて油が回ったら水をひたひたに注いでコンソメスープの素を放り込み、柔らかくなるまで煮る。馬鈴薯に火が通ったらよく潰して牛乳を注ぎ、塩胡椒で味を調える。
妖精鈴花のお茶を先に飲ませれば、このスープ位なら口に出来る筈だ。
微かな音を立てて、寝室のドアが開いてゲルトが出て来た。
「イグナーツ、起きた?」
「ああ。喉が渇いたと言うから、飲み物を取りに来た」
「妖精鈴花のお茶があるよ。コップある?」
「これでいいか?」
ゲルトが食器棚から耐熱ガラスのコップを取ってくれたので、ノーディカは妖精鈴花のお茶を注いで冷たくなりすぎないように注意して冷まし、硝子のストローを挿した。
「はい。まずはそれを飲んで貰って。お腹空いているならスープもあるよ」
「有難う」
ゲルトはコップを受け取り、ノーディカの頭を一撫でして寝室に戻って行った。
ノーディカは白パンをサイコロ状に切り、カリカリに浅鍋で焼いた。パンを一枚食べきるのは無理でも、スープに乗せれば少しは食べられるだろう。
すぐにゲルトが戻って来た。
「スープを食べてみると言っている」
「用意するね」
スープボウルを取って貰い、二人分馬鈴薯のスープを注ぎ、カリカリに焼いたパンを散らす。ゲルトの持つ盆にスープボウルとスプーンを乗せて送り出す。ピゼンデルはゲルトのスープを分けて貰うだろう。
妖精鈴花のお茶を魔法瓶に移し、スープの鍋を〈保温〉の布に移動させる。
「夕飯はどうするのかな?」
宿舎にも食堂はあるので、そこでも食事は出来る。ゲルトと子供達は人狼なので食事はしっかりと食べるだろう。
ノーディカは食事が終わる頃を見計らい、細く開けてあったドアから寝室に顔を出した。
「イグナーツ、食べれた?」
「ノーディカ、美味しかったです」
イグナーツがノーディカに微笑んだ。丁度食べ終えたスープボウルをゲルトに渡しているところだったようだ。ここ数日臥せっていたと聞いていたが、少し痩せた気がする。これはいけない。元々イグナーツは痩せているのだ。
「果物のシロップ煮、食べられそう?」
「少しなら」
「持って来るね」
ノーディカは台所に戻った。エンデュミオンが置いて行ったと言う果物のシロップ煮の瓶があるのだ。
「これロシュだよね? 珍しい」
ロシュと言うのは地下迷宮に生えている果樹なのだが、魔力が多い土地なら植生するので、〈黒き森〉でもたまに見つかる。畑作りが趣味のケットシーが里でも色々と栽培しているらしく、実がなると「取りに来い」とエンデュミオンが呼ばれるのだろう。
ロシュは一本の木に赤、白、黄色、黄緑などの色の実がなるおかしな果樹である。大きさは杏くらいの実だが、色によって多少甘味や酸味が異なるがどれも美味しい。この瓶はエンデュミオン達が採ってきたロシュを孝宏がシロップ煮にしたものだろう。
「よいしょ」
瓶に抱き着くようにして蓋を開け、熱湯をかけたスプーンでロシュの実を掬い上げる。種を取る為に半割りにしてあるので、色が偏らないように掬いあげて硝子のボウルに入れた。
このロシュ、竜種の好物でもある。そして、地下迷宮でのみ採取されると一般では思われているので、市場価格は高く、基本的に王都で消費される。そんなのは知った事かといわんばかりに瓶一杯のロシュのシロップ煮を寄越して来るエンデュミオンは、一寸常識がない。
ロシュを採取すると言う労働の対価に現物支給されているのだろうから、手に入った分はエンデュミオンが自由にする権利があるのは確かだが。
きっと孝宏もエンデュミオンに、「里でなった木の実を貰って来た」としか説明をされてないに違いない。テオなら気付いていそうだが、「〈黒き森〉なら生えててもおかしくないかな」で済ませそうだ。自家消費するんだし、いいかと。
ロシュは栄養価も高い果物だ。子供を宿している身体にはぴったりではある。
ロシュの入ったボウルにフォークを添えて、ノーディカは寝室に運んで行った。
「はい、どうぞ」
「綺麗な果物ですね」
イグナーツはロシュを見た事がなかったようだ。地下迷宮でロシュがなっている地帯を通らなかったのだろう。
「これはロシュだな」
ゲルトはロシュを知っていた。
─ととさま、美味しいの頂戴。
あー、とピゼンデルが口を開く。
「ノーディカ、竜種は白いのが好きって聞いたよ」
「白?」
ゲルトは白いロシュをフォークで刺して、ピゼンデルの口に入れた。
─美味しー!
「美味しいですね」
イグナーツも赤いロシュを食べて目を細めた。
「ゲルトに聞いたんですが、ノーディカがお手伝いに来てくれるんですか?」
「うん。家事コボルトだから、お手伝いするよ」
炊事洗濯掃除に子守まで、家事コボルトはお手伝い出来る。アルフォンスがノーディカを派遣したのは、子守の手伝いまでを含むだろう。ハイエルンでは家事コボルトは乳母代わりにされているのだ。
「ノーディカ、通いで大丈夫?」
「朝御飯の支度位は俺と子供達でも出来るから、ノーディカが朝御飯食べてから来てくれたらいい。俺が訓練に行く時は泊まりを頼むかもしれないが」
「解った」
ノーディカも朝は寝起きの悪い司書コボルトのアルスを起こして、朝食を食べさせるという仕事がある。
「食料や日用品は、宿舎の厨房に頼めば一緒に注文してくれる。あとで注文票の場所を教える」
「うん」
「その位かな。フュルとヨアヒムが家にいるともっと賑やかなんだが」
リグハーヴスの子供達は毎日は学校に行かない。家業があれば家業を手伝ったり、家の手伝いをしているのだ。フュルとヨアヒムはエンデュミオンやコボルト達に学んでいるので、街の子供達よりも勉強しているし、宿題も出されている。剣の使い方や体術も教わっている。子供なので短時間ずつ教わっているが、非番の騎士達が覚えの速い人狼の双子を構っている姿は、ノーディカもよく見かける。
話し合った結果、掃除と洗濯、昼食と夕食とおやつ作りをゲルトとノーディカが協力してする事になった。子供部屋もいつもは子供達が自分で掃除しているらしい。
「僕も体調が良くなればやりますから」
「今は大事な時期だから、イグナーツは無理しないで。今まで働いていた分ゆっくりして」
ノーディカはきっぱり断った。もし今の状態のイグナーツに家事をさせたりしたら、リグハーヴス中の知り合いの妖精達がやってきて世話を焼き始めるだろう。イグナーツはどの妖精達にも優しく接してくれるので、人気が高いのだ。特にルッツはイグナーツを気に入っている。そのうち見舞いに来るだろう。
「ノーディカ、ここにきてからゆっくりさせて貰ってたから、久し振りにお仕事出来て嬉しい」
ご飯を作って食べさせ、洗濯させたものを着せ、子供の面倒を見る。家事コボルトはそういったお手伝いをするものなのだ。
「ノーディカ、フュルとヨアヒムのおやつ作ってくるね。オーブン使う時はゲルトを呼ぶから」
人狼の双子は食べ盛りに入っている。少し動けば腹が減る。
イグナーツのお世話は番のゲルトに任せれば問題ない。なので、ノーディカは居心地よくおうちを整えるのだ。
「んっんー」
鼻歌を歌いながら台所に戻り、綺麗に拭き上げたテーブルの前に置いた椅子によじ登る。
〈時空鞄〉からボウルや麺棒、小麦粉などを次々と取り出して並べていく。
「林檎が沢山あったから、林檎のケーキにしようかな」
型に焦げないように煮た林檎を敷き詰めて、タルト生地を被せ焼き上げる。食べる時にはひっくり返し、林檎が上になるケーキだ。クリームに良く合う。
オーブンに入れられる状態まで仕上げたらゲルトを呼ぼう。人用のオーブンは、コボルトには取っ手に手が届かないから。
領主館にお世話になっていたから、自分で料理を作るのは久し振りだ。ノーディカは機嫌よく小麦粉を量り始めた。
ノーディカは今まで本館の厨房のお手伝いをしていました。
前肢が小さいので、細かな作業が得意です。
これからはゲルト一家のお手伝いさん兼乳母になります。
食べ盛り、汚し盛りのフュルとヨアヒムの面倒もみたりするので、家事コボルトとしては充実することに。
ノーディカのワンピースは、領主夫人ロジーナが嬉々として用意した物で、紺色の他に黒、茶、深緑、葡萄色などがあります。
エプロンとおパンツはフリル付きです。紅一点ノーディカ、ロジーナやメイド達から地味に可愛がられています。厨房の使用人とも仲良しです。