石のスープ
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
〈暁の砂漠〉の伝統料理です。
360石のスープ
プラネルトは大体決まった時間に目を覚ます。
「……暗いなあ」
どうやら今日は雪模様らしい。カーテンの隙間から差し込む光は弱く、部屋の中が夜明け前のようだ。
任務に就いた以上は規則正しい生活をするのが騎士だ。プラネルトは軽く欠伸をしつつ、ベッドから起き上がった。
「うー」
隣で寝ていた魔熊エアネストも目を覚まし、二対の腕を彷徨わさせてプラネルトを捜す。
「起きるか、エア」
「ぶー」
抱き上げて背中を撫でると、不機嫌そうに唇を鳴らした。どうやら今朝はおしめが濡れているようだ。確率は五分五分なのだが、赤ん坊なのでおねしょをするのは当然である。
プラネルトはそのまま部屋を出て、二階にあるバスルームに入った。エアネストのおむつを外し、一緒にシャワーを浴びる。
エアネストはどこかのケットシーとは異なり、風呂好きである。弱めにシャワーを降らせてやれば、自分の肉球で顔をこしこし擦るのが可愛い。
浴布で包んでざっと水気を取った後、風の精霊に乾かして貰う。
〈魔法鞄〉に入っていた服を身に着け、プラネルトはエアネストを片腕で抱え、バスルームから出た。そしてドアを開けてある同居人シェンクの部屋を廊下から覗き込んだ。
シェンクのベッドの枕元から、プラネルトの雷竜レーニシュが顔を上げる。
─シェンク、夜起きなかったよー。
持病の喘息で安静中のシェンクが夜中に急変した時の為に、レーニシュにはシェンクと一緒に寝て貰っていた。
プラネルトはエアネストをシェンクのベッドの上に乗せた。早速エアネストが毛布の下に潜っていく。
簡易焜炉に乗せていた吸入用の鍋を取り上げ、バスルームに行ってすっかり減った精霊鈴花水を新しい物に入れ替える。
用意するのは〈魔法鞄〉から取り出したる〈精霊水〉入りの水差しと、乾燥させた精霊鈴花の入った瓶である。どちらも王都で買えば、金貨が吹き飛ぶ。
ところがテオフィルの従兄弟であるプラネルトを身内認定したエンデュミオンは、どこかの精霊の泉と繋いだ水差しと、大瓶に入った精霊鈴花を寄越したのである。聞けばエンデュミオンは〈黒き森〉で精霊鈴花の畑を管理しているのだそうで、そこでの養蜂に関しては領主館のコボルト、バーニーも噛んでいるという。バーニーは養蜂師だった。
鍋を一度綺麗に洗ってから、精霊水と精霊鈴花を入れ替える。鍋を持ってシェンクの部屋に戻った。吸入用の鍋を簡易焜炉に置き、熱鉱石の発熱加減を調整する。
エアネストはシェンクに抱き着いて二度寝していたので、プラネルトはそのまま一階に下りた。
殆ど使われていなかったおかげで綺麗だった台所には、保冷庫もついている充実ぶりだった。流石、隔離用の施設だった家である。
プラネルトは〈魔法鞄〉から鍋を取り出した。中身は昨日皮を剥いて切っておいた馬鈴薯や人参、玉葱が入っている。
「水とコンソメの素、腸詰肉も入れて、後は」
緑色の魔石を一つ鍋に入れる。
これは〈暁の砂漠〉で日常的に食べられる石のスープだ。魔石を入れる事でほんの少し、付与効果が付く。緑なら回復効果がある。
くつくつと煮て、野菜が柔らかくなったら出来上がりだ。
石のスープを煮ている間にパンケーキを焼く。蜂蜜や樹液はエンデュミオンに、ジャムは孝宏に色々貰ったのがある。
居間の暖炉の前の敷物にプラネルトの〈魔法鞄〉に入っていた座卓を置く。お尻が痛くないようにクッションを置き、座卓の真ん中に保温の刺繍の入った布を広げ、パンケーキの皿を置く。石のスープの鍋は、暖炉の炉台の上に乗せた。蜂蜜やジャムはお盆があったのでまとめて置いた。
階段を上り、再びシェンクの部屋を覗く。
「シェンク、朝御飯食べられそうか?」
「うん……」
ぴょん、と寝癖をつけたまま、シェンクがもそりとベッドから起き上がった。隣にいるエアネストに驚く。
「あれ、エアいつの間に」
「さっきね」
「おあ!」
「はい行くよー」
ご飯と聞いて、ばっちり目を開けているエアネストを回収する。
─ごっはんー。
レーニシュも一階に飛んで行く。
「あ、台所じゃないんだ」
暖炉の前に用意された食事を見て、思わずと言った風にシェンクが呟いた。台所に食卓テーブルがあるのだ。
「ここが一番暖かいし、〈暁の砂漠〉だと床に座って食べるんだよ」
「へえー」
「座って。スープを注ぐから」
スープボウルにたっぷりと湯気の立つ石のスープを注ぐ。レーニシュの分はお盆を床に置いてその上に小さな器を乗せてやる。
プラネルトは自分の分のスープも注いで座る。エアネストは食事用のエプロンを付けて〈Langue de chat〉に居る間に作って貰った子供用の椅子に座らせている。
「今日の恵みに。月の女神シルヴァーナに感謝を」
─今日の恵みに!
「おあ!」
食前の祈りを唱え、木匙を手に持つ。プラネルトはシェンクに注意した。
「あ、魔石が入っているかもしれないから、飲み込まないでね」
「何で魔石?」
「これ石のスープだから」
「石のスープ!?」
シェンクは木匙を持ったまま何故か恐々とスープボウルを凝視した。
「〈暁の砂漠〉の伝統的なスープなんだ。煮込む時に魔石を入れると軽い付与効果がある。疲れている時や病気の時は緑の魔石。身体の熱を取る時は薄い青の魔石。逆に暖まりたい時は橙の魔石とかね、使い分ける」
「初めて聞いた」
「古い風習だから。エンデュミオンは知っているかも」
「んぎゃっ」
スープを口に入れたエアネストが叫ぶ。
「エア、ふーふーしなかったろ。ゆっくり食べなさい。少し冷ましてやるから」
治癒効果があるので舌の火傷はすぐ直ったのか、プラネルトに冷まして貰ったスープをふーふーしてエアネストが食べ始める。下の前肢にはパンケーキを握って時々齧っている。
「エア、パンケーキに何も付けなくて良いの? 後で?」
「お」
甘いパンケーキは後で楽しむつもりらしい。この小熊、食欲旺盛なのである。
─レーニシュは楓の樹蜜掛けて。
「はいよ」
レーニシュのパンケーキに琥珀色の樹液を垂らしてやる。
「楓の樹蜜って、ハイエルンの?」
「コボルトが採取加工してるだろ? だから物々交換出来るよ」
コボルトは物々交換である。人狼と共同で暮らしているコボルトは普通にその村の市場広場に出店するので、他領から行く場合はその土地の特産物や、地下迷宮産の眠り羊の毛や凶暴牛の皮や魔石などを持って行くと喜んで交換してくれる。
「こっちのジャムも貰い物。どれも美味しいよ」
スープを食べた後に、パンケーキに甘いジャムを塗って食べるとデザートになる。
ティーポットに茶葉を入れ、水の精霊に熱湯を注いで貰う。蓋付きの茶碗も用意して、こちらにはシェンクの薬草茶を一包入れて熱湯を入れて蓋をする。
「こっちはシェンクの薬ね。ラルスの処方だから、飲みやすいよ」
「有難う」
「おあ」
エアネストが蜂蜜の瓶を示して開けてくれと強請る。
「お茶にも入れる?」
「お」
蜂蜜を垂らしたパンケーキを、皿から前肢で千切って食べるエアネストは幸せそうだ。彼の中でパンケーキはパンと同じ分類なのか手掴みで食べる。
ガタガタと窓が音を立てた。窓に顔を向けたプラネルトはぎょっとした。
「うわ、外真っ白じゃん」
カーテンを開いた居間の窓の外は、真っ白で何も見えなかった。本当に横殴りの雪しか見えない。確かこの家の周りには木立があった筈だ。
「シェンク、これ外警生きてる?」
「それぞれの門の横に小屋があるから、そこに避難すると思うけど、巡回組は拙いかも。自分がいる場所が解らなくなりそう」
丘の上の領主館の敷地は結構広い。領主館の他に温室と、使用人と騎士隊の宿舎、詰所、訓練場、菜園、果樹園もあるのだ。この吹雪の中ではうっかり遭難もあり得る。
プラネルトは〈魔法鞄〉の中から携帯用のランプを取り出した。最大限の出力に光らせ、窓台に置く。こちらも眩しいのでその窓のカーテンは引いた。
暫くしてドンドンドン!とドアが殴りつけられるように叩かれた。
「寒いから俺が出る。シェンクはエアの前肢拭いてくれる?」
食べ終えてすぐに捕まえて拭かないと、被害が出る。
プラネルトがドアを開けるなり、真っ白に雪まみれの騎士が三人転がり込んで来た。すぐにプラネルトはドアを閉める。
「し、死ぬ」
「やばい、指動かない」
「俺肺が死にそう」
雪がこびりついた外套を脱ごうにも脱げない騎士達を手伝い、なんとか濡れた外套やブーツを脱がせる。
「ハノ、キーランド、エトガル、大丈夫か?」
エアネストを抱いたまま、シェンクが座り込む三人に心配そうに訊く。
「門番小屋過ぎて暫くしてからすっごくなって、戻るに戻れなくてさ」
「ランプ点けて置いてくれて助かったわ」
「敷地内で遭難とかないわー。あ、可愛い子がいる。ハノだよー」
一番小柄な騎士がエアネストに手を振る。
エアネストを見ても驚かない三人に、プラネルトはバスルームから取って来た手拭いを渡して濡れた髪を拭わせた。
「もしかして来るって言ってた竜騎士の人か? 俺はキーランド」
「うん。昨日から着任だったんだ。〈暁の砂漠〉のプラネルトだ。その子はエアネスト。それと雷竜のレーニシュ」
「よろしく。俺はエトガル」
「俺はハノ」
大柄な騎士はキーランドで、小柄な騎士がハノ。その二人の中間の大きさの騎士がエトガルだった。
「スープならあるけど、食べるかい?」
「おおお、有難う」
三人で拝まないで欲しい。
凍えた手でも持ちやすいように、マグカップに石のスープを注ぎ、木匙を突っ込んで渡す。
三人揃ってスープを啜り、「はあーあったまるー」と呻く。
「あ、指がずきずきしてたの治った」
「ばっか、お前眠り羊の手袋してなかったのかよ」
「洗ってたんだよ。ほら、ちゃんと動く」
キーランドがわきわきと、マグカップを持っていない方の手を握ったり開いたりする。
「俺も冷たい風の中走って胸が痛かったの治った」
エトガルも胸を擦る。
「ああ、それ石のスープだから」
「石のスープ!?」
三人が仲良く声を揃える。プラネルトはシェンクにしたのと同じ説明を三人にもした。
「おおお、スゲエな〈暁の砂漠〉」
「食い物に付与するとは」
「しかも美味い」
孝宏は普通に作った料理にふんわりと付与が付いていた気がするが、プラネルトは黙っておく。
「食堂でも作って欲しいな、石のスープ」
「魔石どうするんだよ」
「……双子に頼めば良さそうだけど。ディルクとリーンハルトとヨルン経由で」
双子は温室に遊びに来ていたクヌートとクーデルカの事だろう。
「兎に角、吹雪が治まるまでは外に出るのは危険だから、ここに居るといい。シェンクは薬草茶飲んだら寝室な」
「はーい」
シェンクは吸入をしている状態での安静が、ヴァルブルガから言い渡されているのだ。ヴァルブルガはシェンクの為に〈Langue de chat〉の貸本を借りて来てくれていたので、シェンクは大人しく二階に上がって行った。その後ろをレーニシュが付いて行く。
「シェンク、どしたの?」
スープを飲み終えたハノが、暖炉の前でエアネストを抱えていた。あむあむと手を甘噛みされているが、気にしていない。
「この天候と寒さで体調崩して、ヴァルブルガに安静を言い渡されているんだ」
「あいつ診療所行ったの?」
「俺がヴァルブルガを喚んだ」
「だよねー。ヴァルブルガが主治医になったら安心かな」
ちゃんと療養しない患者には、魔女ヴァルブルガは厳しいのだ。可愛らしい外見だが、実際は五十年以上生きているケットシーである。そう、大抵の騎士よりは年上なのである。
騎士達がエアネストと遊んでくれるようなので、プラネルトは大工のクルトに作って貰った拍子木の形の積み木を出しておいた。これは数本ずつ交互に積み重ねて置いてから、崩れないように一本ずつ引き抜いて遊ぶ玩具だ。子供用に太い大きさの拍子木になっている。端材で作られた玩具で、木の色は様々だがお手頃価格だった。
「ようしエア、そーっとだぞ、そーっと」
「おあ」
「上手い上手い」
何故か子供の扱いが上手い騎士達にエアネストを任せ、プラネルトはお昼御飯のスープの下拵えをする。朝のスープは綺麗に食べきってくれたから、別のスープにしよう。
〈時空鞄〉からトマトピューレの瓶と、干し豆を取り出す。保冷庫に入れた燻製肉も使うと味が出る。玉葱もたっぷりざく切りにして炒めよう。
「よし」
まずは鍋を洗おうと、プラネルトは腕まくりをした。
結局吹雪は夕方にやっと治まった。エアネストとたっぷり遊び、乾いた外套と靴を身に着けたハノ達三人は元気に詰所に戻って行った。
翌日領主館の菓子職人が作った焼き菓子を持って訪れた執事のクラウスによると、捜索隊が出される寸前だったらしい。
「ところで石のスープと言うものの話を聞いたのですが……」
三度目の石のスープの説明をしたプラネルトだった。
石のスープは実際にポルトガルやヨーロッパに伝わるスープだったりします。
〈暁の砂漠〉の石のスープは、魔石を入れたスープ全般を指します。
プラネルトの料理は野外調理で覚えた物なので、基本はテオの料理と似ています。
過酷な砂漠で竜騎士をしているプラネルトなので、色々と装備を持っています。
備えよ常に。