領主館の預り人(前)
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イグナーツのその後です。
36領主館の預り人(前)
地下迷宮魔石強奪事件の裁判の後、イグナーツは領主館へと連れて行かれた。
着けられたばかりの魔銀製の魔道具が、まだ肌に馴染まず冷たい。
細い魔銀の鎖に、三日月の刻印のある硬貨大の魔銀の飾りが付いている。これは教会で月の女神シルヴァーナの聖別を受けた証だ。
つまり、女神シルヴァーナもイグナーツが犯した罪を知り、罰を与える許可を出したと言う事。
魔銀には魔法を組み込める。イグナーツに与えられた魔道具には、初めに組み込まれた領主の意に反する事をすれば、束縛される魔法が封じてある。どの様な行為に反応するのかは教えられていない。
(公爵やリグハーヴス、王家に危害を与えなければ良いと思うけれど)
ヨハン達は地下迷宮で無期限の無償労働であり、イグナーツは領主館で預りの身だ。どちらがどう、とは言えないだろう。イグナーツは一生涯、リグハーヴス公爵に仕えなければならないのだから。
騎士に連れられ、領主館の部屋の1つに通され目にしたのは、待ち構えていた領主とイグナーツが泊まっていた宿屋から回収して来たらしい荷物だった。
イグナーツは地図作成担当だったので、紐で束ねられた紙の束が幾つもある。大きさが違うと整理が面倒なので、統一した紙にまとめていた。
「この地図の説明をしてくれるかな」
ゆっくりとした話し方で、領主アルフォンス・リグハーヴス公爵がイグナーツに紙を示した。
「これは、〈黒き戦斧〉が今まで踏破した地下迷宮の階層地図です。固定階層部分のみですが、五十階層までの内部地図と出現魔物を記してあります」
地下迷宮の階層の中には、一定期間で変化する物もある。
「なるほど。では君にはこの地図の清書を頼みたい。紙やインクはこちらで用意しよう。色インクも欲しければ言ってくれれば良い。仕事にはこの部屋を使いたまえ」
「は、はい」
至れり尽くせりの条件で仕事を頼まれ、イグナーツは吃驚してしまった。
「地図はこの部屋から出さないように。君の監視はそちらにいる騎士ゲルトが担当する。後で案内させるが、寝室もゲルトと同室だ」
「はい」
ゲルトは市場広場からイグナーツを連れて来た青みのある黒髪の騎士だった。黒森之國では珍しく、人狼の騎士だ。狼の耳と尾が生えている。二十歳のイグナーツと同じ位か歳上に見える。
「特に君を拘束したりしないから、怯えなくても良い。ゲルトと一緒であれば街に下りても構わないよ」
「ええ!?何故ですか?」
「君はケットシーの御墨付きだからね」
驚くイグナーツにパチリと片目を瞑り、アルフォンスは部屋を出て行った。
「……良いんでしょうか」
「公爵が良いと言うのなら良いのだろう」
髪と同じ色の尾を一振りし、ゲルトが肩を竦める。
「今日は仕事をしなくても良いそうだ。部屋に行くぞ。来い」
「はい」
何故か手を繋がれ、仕事部屋を出る。ゲルトは首から下げていた鎖に繋がる鍵で部屋のドアを閉ざした。
それから手を繋がれたまま、別館の従業員宿舎に連れて行かれる。
途中部屋から出て来た砂色の髪の青年と会った。
「やあ、ゲルト。そちらは?」
「イグナーツ」
短くゲルトが応える。それだけで納得した砂色の髪の青年は「そっか、仲良くね」と言うと、イグナーツ達が来た方向へと行ってしまった。上着を着ていたのでこれから仕事か、出掛けるのだろう。
「あの方は?」
「ディルク。ディルクと同室なのがリーンハルト」
説明が簡潔だ。バスルームは階毎に4つずつあるが、この階は主に騎士が暮らしているので、空いている時に使える様だ。交代勤務で居ない騎士も居るので、それ程混雑しないらしい。
それに洗面器と水差しが部屋に用意してあり、軽く手を洗う位の事はそれで済ますのだそうだ。
「ここが部屋。これが鍵。魔力込めて」
ドアの前で真鍮の鍵を渡される。言われる通りに両手で挟んで魔力を込めると、鍵に付いている透明な魔石が白く変化した。この魔石は魔力を貯める性質がある。鍵穴の方に人数と魔力を識別する魔式があるのだ。
「ここは二人部屋だから」
つまり、二人分の魔力を登録すれば、他の鍵では開かなくなる。
がちゃりとドアを開け、イグナーツはすぐにぱたりと閉じた。後ろに居たゲルトを見上げる。
「ベッドが1つしかありませんけども」
「大きいから二人寝られる」
「そう言うものですか?」
「うん」
ゲルトはイグナーツの監視者だ。寝る時も一緒なのかと、この時のイグナーツは思ったのだった。
翌朝、眠い目をしょぼつかせつつ、イグナーツはゲルトに手を引かれ食堂に連れて行かれた。
「朝御飯、取って来るから座ってて」
「はい……」
空いている席を探していたイグナーツに、昨日会ったディルクが手招きしているのが目に留まる。
「おはようございます」
「おはようございます。リーンハルト、こちらはイグナーツ」
「ああ、ゲルトの」
ディルクの隣に居たのは昨日会わなかったリーンハルトらしい。ゲルト程ではないが、濃い色の髪をしている。
二人分空いていたディルクの向かいの席に座ると、顔を覗き込まれた。
「良く眠れなかった?」
「はあ」
昨夜はゲルトに抱き枕にされた。肩を甘噛みされて、夜中に目が覚めたりもして、寝不足だ。
「新婚さんだもんね」
「は……って誰がですか!?」
うっかり返事をするところだった。いきなり目が覚めた。それはもうパッチリと。
イグナーツの反応に、ディルクとリーンハルトが揃って首を傾げた。
「聞いてないのか?イグナーツはゲルトの番だよ?」
「ゲルトがまた自己完結しているのではないか?言葉が足りないから」
「つ、番って」
「ゲルトは人狼だろ?自分の番って解るらしいんだよ。で、相手が未婚なら他の人に取られる前に取る民族なんだよ」
「僕、男ですよ?」
「関係無いんだって」
性別関係無く番だと認識すると、人狼は誰かに取られる前に自分のものにしようとする習性があると言う。
「公爵に付いて行って牢の中のイグナーツを見たゲルトが、自分の番だって言って不穏になったもんだから、領主預りになるんだし永久就職しても同じだって事になったんだよ」
放置すれば、ゲルトは牢を破ってイグナーツを拐いかねないからだと言う。人狼は力も強く、魔法も使えるのだ。
「それ、もしかして……」
「領主館の人間は皆知ってるよ。イグナーツがゲルトの番だって」
イグナーツにちょっかいを掛ければ、ゲルトに襲撃されるかもしれないので、伝えない訳にはいかなかったと言う。
「卵焼いて貰ってて遅くなった」
そこにゲルトがベーコンと目玉焼きの皿と、スープの入ったカップが二つずつ乗った盆を持ってやって来た。パンはテーブルの上の籠に盛ってあるのを各自取って食べるのだ。
「ゲルト、ちゃんと説明をしてあげないと、イグナーツ解ってなかったぞ」
ゲルトが椅子に座るのを待ち、ディルクが苦言を呈す。
「ん?」
テーブル備え付けのカトラリーが入っている細長い籠から、フォークとナイフを取り出したゲルトが、不思議そうな顔になる。
「平原族は番の存在が人狼程はっきり解らないんだ」
リーンハルトも追従する。ゲルトは隣のイグナーツに振り向く。
「そうなのか?」
「う、うん」
「お前は俺の番だ」
それで完結して、ゲルトは「今日の恵みに」と食前の祈りを簡単に唱え、食事に取り掛かる。ディルクとリーンハルトは頭を抱えた。
「まあ、ずっと一緒にいるんだから、ゆっくり馴染んで行きなよ。そうだ、これあげる」
ディルクは騎士服のポケットから紙片を取り出した。ゲルトとイグナーツの前に置く。<Langue de chat>のショップカードだ。
「<Langue de chat>?」
「二人とも文字が読めるだろうから、行ってみると良いよ。それに、イグナーツは<Langue de chat>と関わる様になるから、挨拶して来たら?」
「ここはなんのお店なんですか?」
「ルリユールだよ。貸本もしている」
「リグハーヴスにルリユールがあったんですか。知りませんでした」
「去年の秋だからね、開店したの」
地下迷宮に潜っていれば、知らなくても不思議はない。
「散歩がてら行っておいでよ」
「いえ、そんな事は」
慌ててイグナーツは手を振る。イグナーツは虜囚の筈なのに、待遇が良過ぎる。そこまで甘えてはならないだろう。
「構わない」
ぼそりとゲルトが断言する。
「ね?ゲルトが一緒なら大丈夫だから」
虜囚であるよりも、ゲルトの番である方が重要の様な口振りだ。
事実、イグナーツが体調を崩したりすれば、ゲルトが荒ぶるのが予想されるため、人狼の精神安定の為にも健康で居て貰わなければならないのだ。
人狼は番が第一なのだ。特にゲルトは職業騎士であって、アルフォンス・リグハーヴス公爵を主だと忠誠を誓っていない。
職業騎士は、場合によっては仕える人間を鞍替え出来るのだ。
人狼の戦力は侮れない。ゲルトに出て行かれたくないリグハーヴス公爵としては、忠誠を誓わせたイグナーツを与えるのが最も利に適っていたのだ。
「息抜きも大事だからね」
そんな裏事情も知っているディルクだったが、仕事に根を詰めそうなイグナーツには、<Langue de chat>は良い気分転換になるだろうと本心から思っていた。
BL指定付けていた理由はこの辺り、という訳です。
草原之國(『ディートリンデ・リング』)の人狼と血統は違いますが、基本的な性質は同じです。
イグナーツは地図製作者なので、リグハーヴス公爵領から出られなくなりました。監視者兼番がゲルトです。
でも、ゲルトはイグナーツの方が公爵より大事なので、何かあればイグナーツを優先します。
公爵もイグナーツがリグハーヴスから出て行かない性格だと解っているので、ゲルトで束縛しています(魔道具付いているので、リグハーヴスから出られませんが)。ゲルトが居ればリグハーヴス内は移動可能。
貴重な地図製作者を潰す気は無い公爵です。




