ハイエルンの地下迷宮(下)
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
どちらも利がある契約です。
358ハイエルンの地下迷宮(下)
ハイエルンの鉱山までの道程はきちんと整備され、雪が踏み固められていた。途中で大きな広場があり、幾本もの道に分かれているのは、他の鉱山への分岐点なのだろう。
「おあー」
「んー? 雪欲しいの?」
プラネルトが雪玉を作り、エアネストに渡した。
「おー」
四本の前肢で雪玉を持っていたエアネストは次第に冷たくなって来たのか、雪玉をプラネルトに返す。プラネルトは笑って雪玉を近くの木に投げた。雪玉は幹に中って飛び散る。
「お! お!」
雪玉を投げられると知ったエアネストが、雪玉頂戴とせがむ。今度はテオが雪玉を作ってやった。
「エア、用事が済んだら、ルッツと雪遊びしようか」
「おあ!」
「帰ったらヴァルブルガが手袋作ってくれているんじゃないかな」
ヴァルブルガとヨナタンは、せっせとエアネストの手袋や靴下を編んでくれている最中だ。
「うー」
ぺいっとエアネストが投げた雪玉はそれ程飛ばずに落ちた。本人はそれで満足したらしく、冷たくなった前肢をプラネルトの首に押し付けて悲鳴を上げさせていた。
エンデュミオンはプラネルト達のやりとりを背後に聞きつつ、アリアドネのフェリツィアを追っていた。主にエンデュミオンを抱っこしているハーラルトが。
「……緊張感がないな」
「そうですか?」
ぼそりと呟くハーラルトの斜め後ろを歩くクラウスは、表情一つ変えていない。
「緊張でガチガチになっているよりいいだろう」
「ぎゃうー」
エンデュミオンとココシュカもクラウスに同意する。テオとプラネルトが移動中に気を抜くなどありえない。特にこれから地下迷宮に入ろうとしているのに。
「もうすぐ鉱山の入口よ」
フェリツィアが立ち止まり、前方を指差す。
彼女の立つ場所まで追い付けば、山肌を切り拓かれた鉱山がぽっかりと暗い口を開けているのが見えた。しかし入口の周りには誰もいない。不用心過ぎて、エンデュミオンは驚いた。
「見張りも立てていないのか?」
「冒険者も冬籠りの時季だからな。手配が付かなかったんだ。人狼が管理する森とは重なっていないしな」
人狼が管理する〈黒き森〉は北側である。鉱山があるのは南側の山なのだ。
「……だからアリアドネが出てくるんだ。騎士位立たせておけ」
「面目ない」
「フェリツィア、少し待ってくれ。ランプを点けるから」
明かりも持たずに鉱山に入って行こうとするフェリツィアを呼び止め、エンデュミオンは〈時空鞄〉から光鉱石のランプを取り出して明かりを点けた。テオとプラネルトも小さな携帯用のランプを取り出して、腰のベルトに提げていた。
実のところ、エンデュミオンも魔剣憑きのクラウスも夜目が利く。このランプはハーラルトの為である。
「準備出来たぞ、行こう」
「じゃあついて来てね」
鉱山の中に入るとフェリツィアの瞳がうっすらと光る。動物型の妖精であるエンデュミオン達の目も光っている事だろう。
まだ整備する前に地下迷宮と繋がって、採掘が中止になったらしく、坑道の壁には照明用の光鉱石が殆ど埋め込まれていない。
黒森之國の鉱山とは、〈湧き〉と呼ばれる鉱石が湧く場所が幾つもある山の事だ。属性のある魔力溜まりに鉱石が湧けば、属性のある魔石が採掘出来る。
採掘の場所を決めるのは土魔法に特化した魔法使いだ。彼らはどこにどの鉱石が埋没しているのか大体の判別がつくと言う。
「ハーラルト、この鉱山は何が採掘出来るんだ?」
「魔銀だそうだ。すでに〈湧き〉も見付かっている。他の採掘場所を探して、大きな魔力溜まりだと思って掘った先が地下迷宮の壁だったんだ」
「その土魔法使い、地下迷宮に入った事がなかったんだろう」
地下迷宮の魔力を知っていれば、間違えなかっただろうに。感覚的に地下迷宮の魔力の方が重いのだ。
「騎士科だと地下迷宮に入りますけど、他の科は選択制ですから」
騎士科と文官科を両方卒業したクラウスが言う。
「冒険者になろうとする学生以外入らないんですよ」
「そうなのか。昔は全員入ったんだが」
「エンデュミオンが若い頃って、結構内乱があったからじゃないですか?」
「そうだな」
しかしちょっぴり聞き捨てならない。エンデュミオンは今だって若いのだ。ケットシーとしてだが。
ここの採掘師としての土魔法使いの腕は中々良いようで、無駄な試し掘りは殆どなく、〈湧き〉を掘り当てている。
「む」
「ぎゃう」
「魔力が濃くなりました?」
「そうか?」
エンデュミオンとココシュカ、クラウスは魔力の質が変わったのにすぐに気が付いたが、ハーラルトは魔法使いとしての資質が低いのか、感覚が鈍いようだ。
「あれ? ここで魔力の濃さが変わったね」
「うん、ここかな」
後ろから来たテオとプラネルトもすぐに気付いて、ブーツの爪先で地面に線を引いた。
「ちょうどここで切り替わってる」
「じゃあ、取り敢えず魔物は出ないように結界の魔法陣を刻んでおいてやろう」
エンデュミンが宙に魔法陣を描いて飛ばす。丁度プラネルトが地面に線を引いた真上に銀色の魔法陣が浮かび上がった。
「その魔法陣を魔物は通り抜けられない」
「ココシュカやエアネストは平気なのかい?」
「二人は教会から認定を受けているから大丈夫だ。もし扉を付けるならその位置だ」
「えー、出られなくなっちゃったの?」
フェリツィアが口を尖らす。
「地上に出たかったらハイエルン領主と教会と交渉してくれ。人族に害を与えないと聖約出来るなら、聖別されたメダルを貰える」
「仕方ないわねえ。まあいいわ。こっちよ」
フェリツィアが坑道の先に進んで行く。段々と坑道の質感が変わって行き、ついには坑道が切れて木々が生い茂る山の中に出た。
ハーラルトが辺りを見回す。どちらを見ても深い山の中だ。
「ここが地下迷宮の中なのか……?」
「そうだ。うろちょろするなよハーラルト」
七階層は外と同じで四季のある階層だ。冬の今はここでも雪が積もっている。
「回り道になるけれど、道があるところを行くわね」
よく見ると木々の間で雪が押しつぶされている場所をフェリツィアが歩いて行く。
「この押し潰されている場所って」
「ラミアかナーガが通った場所だろうな」
「本当になんで団長来なかったんだよ……」
「中間管理職なんてそんなもんだろう」
「やめて、今の状況充分辛いから」
泣き言をいうハーラルトを追い詰めつつ、エンデュミオンは周囲を探った。あちこちに決して弱くない魔物の気配がこちらを伺っている。幸いなのは好戦的ではなく、興味の視線だという事だろう。
フェリツィアが案内した先には、ココシュカの古城より大きな城があった。
「立派な城だな」
「でしょ? このままベアトリクスの所まで行くわね」
「先触れは良いのか?」
「自分が誰だか忘れてるんじゃないでしょうね。エンデュミオンの魔力が来たら、先触れなんていらないわよ」
言っている傍から跳ね上げ橋が、ギャリギャリと鎖の音を響かせて降りて来た。門の左右に人化したラミアとナーガの門番が槍を持って立っている。フェリツィアが手を振る。
「ベアトリクスにお客さんよ」
「広間に」
短くラミアが言った。
「人化しているんだな」
「だって小回り利かないじゃない。のんびりする時は元の姿に戻るわよ」
門を通り過ぎてから言ったハーラルトの疑問に、フェリツィアが答えた。
「小回り……」
確かに大きな蜘蛛や長い蛇の尾は小回りが利かないかもしれない。
フェリツィアが城の中で働いている魔物達に挨拶しながら城の奥に進んで行く。言わばラミアのベアトリクスはこの山の領主のようなものなのだ。人族と同じように、城の中はきちんと整えられ、人化してお仕着せを着た魔物達が働いている。
「ここが広間。開けて貰って良い?」
大きな赤い扉のある部屋まで来て、フェリツィアは扉の左右に居たナーガ達に声を掛けた。ナーガ達が扉に手を掛け、殆ど音もさせずに左右に開く。
「ほう」
思わずエンデュミオンは感嘆の声を上げた。
広間には大きな赤いクッションに腰を下ろしたラミアが待ち構えていた。豊かな赤く輝く黒髪は長く床に広がり、豪奢な着物のように前を打ち合わせる裾の長い衣服の裾からは太い蛇の尾が伸びて、部屋の三分の一を埋めている。他のラミアと比べてもかなり大きい。
ココシュカは「おばちゃん」と呼んでいたが、おばちゃんと呼ぶには躊躇う美貌の持ち主だった。実際の年齢は兎も角、外見は決しておばちゃんと呼んでいい容貌では無い。
「ココシュカ見付けたわよ、ベアトリクス」
「魔力で気付いたわ。やっぱり地下迷宮の外に出ていたのね。エンデュミオンが関わったのなら見付からない筈だわ。ココシュカ、顔を見せてくれる?」
「ココシュカ、行っておいで」
クラウスは外套からココシュカを出して頭を撫でた。ココシュカは尻尾の蛇を揺らして、ベアトリクスに飛んで行く。
「おばちゃん、久し振り」
「随分と顔を見せないから、心配したのよ」
ココシュカを抱いて、ベアトリクスは頬ずりした。
「大事にして貰ってる?」
「あのね、主魔力美味しい。アルフォンスおやつに魔力くれる。お菓子もくれる。美味しい。主一緒に寝てくれる」
「うふふ、大事にして貰ってるのね」
ココシュカの言葉をきちんと汲み取れるベアトリクスは素晴らしい。
改めてエンデュミオンは、ココシュカを地下迷宮から連れ出した経緯をベアトリクスに説明した。
「ココシュカ、冒険者をからかっちゃいけませんと教えたでしょう」
「ぎゃうー」
めっと叱られてココシュカがうなだれる。ベアトリクスに注意されていたらしい。
エンデュミオンはココシュカを撫でているベアトリクスに話し掛けた。
「ここの代表がベアトリクスみたいだから確認したいんだが、ハイエルンと繋がった部分はどうする? さっきエンデュミオンの魔法陣で魔物は通れないようにしたんだが」
「エンデュミオンの魔法陣なら、扉と大差ないと思うのだけれど?」
ベアトリクスが小首を傾げる。
「ベアトリクス、あたし遊びに行きたいわ」
はいはいとフェリツィアが手を上げる。
「こういう意見もあってな。敵意がないのなら、教会に聖別したメダルを貰えるから、ハイエルンに居る知り合いの人狼の司祭に話をしてやる。問題は魔法陣だと、人族は入って来られるんだ。だから冒険者の流入を許可するのなら、ハイエルン領主と契約を結んでほしいんだ。ここはベアトリクスが治める場所だから、冒険者を決まった道で麓まで通すという契約で良い。もし決められた道を外れた場合の処遇は、ベアトリクス達に任せる」
「おい勝手に内容をまとめられても……」
「細かい所はハイエルンで決めるんだな、ハーラルト。基本契約は冒険者を麓まで通す、で構わないだろう。冒険者はタグを持っているから判別出来るだろう。当然敵対しないラミアとナーガ、アリアドネは攻撃対象にしないというのも含まれる」
「もし契約を破ったら……」
「そんなの、契約を破った冒険者がラミア達に美味しく頂かれるだけだろうが」
心底呆れてエンデュミオンはハーラルトの腕を叩いた。
「エンデュミオンが魔物と人族とどちらの味方かなどと聞くなよ? 魔物の方が人族より契約を守る、それだけだぞ」
道を外れた者はラミア達の獲物になる。当然だ。
「だからハイエルン公爵が代表して契約する必要があるんだ。魔物との契約はそれ程重いんだぞ」
「わたくしは同胞が襲われないのであれば、麓まで道を通すのは構わないわよ」
にっこりとベアトリクスが微笑む。
クラウスが一歩前に出た。
「では私がハーラルトとハイエルン公爵に報告に行きましょう。改めてハイエルンの文官が契約に来ると思いますので、フラウ・ベアトリクスは内容を確認の上ご契約ください」
「ええ、解ったわ。たまにココシュカを連れて顔を出してくれると嬉しいのだけれど」
「そう致します」
「主ー」
戻って来たココシュカをクラウスは抱き止めて、外套の中に入れる。
「フェリツィア、鉱山の入口まで送って差し上げて」
「はあい。雪に足跡が残ってるから大丈夫だと思うけど、他のラミアやナーガに攫われると困るものね。皆美味しそうな魔力してるし」
魔物は結構、魔力や精力が美味しそうか不味そうかで人族を見る傾向にある。
「ベアトリクス、これをやろう」
エンデュミオンは〈時空鞄〉から大人の握り拳大の濃い緑色の魔石を取り出し、ベアトリクスに投げた。魔石はぽとりとベアトリクスの膝辺りに落ちる。
「脱皮した抜け殻やアリアドネの糸があれば、それと交換出来る。取引したければ連絡をくれ」
「考えておくわ」
ひらひらと白い手を振るベアトリクスに見送られ、エンデュミオン達は広間を後にした。
「はあー、外の空気が美味い」
坑道の外に出て、ハーラルトが深呼吸した。一番魔力の少ないハーラルトが消耗するのは当然で、少々鬱陶しいのは我慢する。
フェリツィアとは魔法陣の所で別れたので、鉱山からは彼女抜きで出て来たのだ。
「エンデュミオン、さっきベアトリクスに渡したのは魔石かい?」
プラネルトが見ていたらしい。
「エンデュミオンの魔力を籠めた魔石だ。ベアトリクス達は冒険者を襲わないから、魔力を使わない代わりに摂取も最低限だろう? だからおやつ代わりだな。これから冒険者があそこを通るようになれば、彼女達の力も上げておかなければなるまい」
「物分かりのいい冒険者だけじゃないからね……」
「その辺りはフラウ・ベアトリクスも承知でしょう。必ず獲物は手に入りますからね」
クラウスも頷く。
「え? どういう事だ?」
解っていないハーラルトがエンデュミオンの頭頂部を突く。
「突くな! 言っただろう、人族は契約を破るって。道を外れる冒険者は必ず出る。彼女たちの手の中に落ちる冒険者が出るのは明白なんだ。だからベアトリクスは契約してもいいと言ったんだ。ハイエルンも利を得るかもしれないが、ベアトリクス達も利を得るんだ」
「おいおいおい……」
「魔物との契約はそういうものだ。だから気合を入れて契約を結べよ。言っておくがエンデュミオンは色々とハイエルンに迷惑をこうむっているんだからな。これ以上手間を掛けさせられるのなら〈柱〉として考えなければならないなあ」
「早まるな!」
「早まってない! 散々耐えてるわ! 突くな!」
ぎゃあぎゃあ喧嘩しながら、山道を下るエンデュミオン達だった。
ハイエルンの鉱山が地下迷宮七階層と繋がったと公式に発表されたのは一か月後である。
改めて鉱山の入口を別に作り、地下迷宮専用の入口はエンデュミオンがマクシミリアン王に頼まれ、もう一つ魔法陣を設置し二重防衛を施した。鉱山管理事務所には冒険者ギルドの支部が作られた。ちなみに、フェリツィアは冒険者ギルドの職員になった。
地下迷宮に入れるのは冒険者のタグを持つ者のみであり、麓までの道を外れずに歩くという誓約書は、入山する全ての冒険者が提出する決まりとなった。故意に道を外れた場合の保証はない。
歓楽街の飲み屋で「ラミアを捕まえてやる」と豪語していた冒険者の姿が数人、最近見当たらなくなったとの噂があるが真偽の程は定かではない。
ベアトリクスは数百歳なのですが、見掛けは二十代後半くらいです。
ベアトリクスをおばちゃんと呼べるのはココシュカだけ。
麓までの決められた道を外れると、色々な意味でラミア達に美味しく頂かれます。
(殺すのは勿体無いので、殺さない方向で美味しく頂かれます)