ハイエルンの地下迷宮(上)
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
戦闘系ばかり集まるとこうなる。
357ハイエルンの地下迷宮(上)
ハイエルン魔法使いギルドに現れたエンデュミオン達を見たギルド職員は微妙な表情を崩さなかった。
その気持ちが解らないでもない、とエンデュミオンは思う。
エンデュミオンはケットシーだが単独だし、冒険者だと解るテオはケットシーのルッツを肩車している。竜騎士の制服を着ているプラネルトは、腕の多い魔熊エアネストを抱いているし、漆黒の仕立てのよい外套を着ているクラウスの胸元からは、キメラのココシュカが顔を覗かせている。異様である。
「リグハーヴスのクラウスです。騎士団副団長がお待ちだとお伺いしています」
「承っております。こちらにどうぞ」
微妙な表情のギルド職員が、応接室に案内してくれる。
「こちらで結構です。有難う」
クラウスは応接室の前で職員を受付に戻した。そして自分でドアをノックする。
「どうぞお入りください」
「失礼します」
クラウスが開けたドアの隙間から、エンデュミオンは応接室の中に滑り込んだ。室内には騎士服を着た背の高い焦げ茶色の髪の男が居た。
男はエンデュミオンには気付かず、クラウスを見てソファーから腰を浮かせた状態から勢い良く立ち上がった。
「白翼の殺戮者!?」
「なんだ、今の副団長はハーラルトですか」
どうやらクラウスの知り合いらしい。
「白翼の殺戮者? 随分物騒な二つ名だなクラウス」
エンデュミオンはクラウスを見上げてニヤリと笑った。
「学院時代の地下迷宮演習で一寸やらかしまして。ハーラルトは騎士科の時の同期です」
「ほう」
ココシュカが憑いているからか、ハーラルトよりクラウスの方が幾分若く見える。
「クラウス、このケットシーは?」
「大魔法使いエンデュミオンです」
「は? これが?」
ハーラルトがエンデュミオンを指差す。
「あ?」
失礼な態度にギロリとエンデュミオンが睨むと同時に、クラウスがハーラルトの手を叩き落とした。
「本物だから失礼な真似をしないでください」
「す、すまん」
「こちらは〈暁の砂漠〉のヘア・テオとヘア・プラネルト、ルッツとエアネストです。ココシュカは知っていますね?」
「おはよー」
「おあ」
ルッツとエアネストがハーラルトに前肢を振る。
「おい」
ハーラルトがクラウスの胸元から顔を出すココシュカの額を指先で突く。ココシュカがムッとした顔になった。
「お前何でそこにいるんだよ」
「ココシュカ寒い。主ぬくい」
「寒さに弱い魔剣ってなんだよ」
「魔剣寒くない。ココシュカ寒い」
魔剣状態であれば寒くないが、魔物状態だと寒いとココシュカが主張する。ハーラルトがクラウスを横目で見て笑った。
「魔剣を随分甘やかしているな」
「……こちらにも事情があるのでね」
アルフォンスを執務机に向かわせるには、ココシュカが魔物状態の方が効果的だからだろう。ココシュカを甘やかしているのは、アルフォンスである。アルフォンスは意思疎通出来るココシュカを武器としては見ていない節がある。領主としては甘いなとエンデュミオンは思うが、そういう所は嫌いではない。
エンデュミオンはソファーによじ登り、ハーラルトの膝を強めに叩いた。
「よし、さっさと鉱山の状況を話せ」
「あ、ああ。まずは掛けてくれ」
ソファーに落ち着き、ハーラルトは地図を取り出してテーブルに広げた。
「これは鉱山付近の地図だ。ここに新しい坑道を掘ったら、魔物が出たと報告を受けてな」
「斥候が入ったと報告を受けましたが」
「そこで見掛けたのがラミアとアリアドネだ」
ハイエルンで繋がった鉱山と地下迷宮の内部地図もハーラルトが広げる。部分的な地図だが、高い場所から確認したのか、遠景スケッチも描かれている。
「ではこれと照らし合わせろ」
エンデュミオンが、現時点で冒険ギルドで公開されている地下迷宮の地図がまとめられた本を取り出した。
「七階層だ」
ハーラルトが頁をめくり、地図と並べる。
「遠景で見えるこれが、ココシュカが居た古城だろう」
エンデュミオンの前肢が地図を指し示す。
「リグハーヴスの地下迷宮から下りていくと、こちらの平地にある森側から入るんだ。だがハイエルンの坑道は奥の山間部に繋がっている。ココシュカ、この山には誰が居る?」
「ラミアのおばちゃんとアリアドネのお姉ちゃん。ココシュカ小さい時遊んでくれた」
クラウスの胸元から顔を出したココシュカが、ご機嫌で答える。
「という訳で、地下迷宮に繋がっているのは間違いない」
エンデュミオンが断言し顔を上げると、ハーラルトが眉間に皺を寄せてこめかみを押さえていた。
「それからラミアかアリアドネ、どちらかもしくは両方人に化けているぞ。鉱山の管理事務所にいる筈だ」
「はあ!?」
「アルフォンスが手紙で呪われたんだ」
「はああ!?」
「場合によってはエンデュミオンとクラウスは鉱山潰すぞ」
「待て待て! 落ち着こう!」
「エンデュミオン達は落ち着いている。ハイエルンと相手の出方次第だ」
ハーラルトは両手で顔を覆って大きく息を吐いた。小さく「何で団長が来なかったんだ」とぼやいているのが聞こえた。
「……よし」
気を取り直したのか顔を上げる。
「彼女達と話し合いは出来そうか?」
「まずは話し合うさ。エンデュミオンもクラウスも話し合いもなしに魔法をぶっぱなさないぞ」
「そうですね」
しれっとした顔でクラウスが答えるが、真っ先に閉山させに行きたがったのは彼である。
「何かあってもテオとプラネルトが取り押さえてくれると思うし」
テオとプラネルトが、魔物を取り押さえるとは言っていない。
「解った。ヘア・アルフォンスに手を出したとなれば、ハイエルン公も何も言うまい」
「ならばさっさと鉱山の管理事務所に行くか。転移陣は据えてあるのか?」
「ああ。近くに直接跳べる。私も一緒に行くよ」
ハーラルトが立ち上がり、ついでとばかりにエンデュミオンを抱き上げた。
「にゃっ」
咄嗟にエンデュミオンは爪を出した。ちくりとハーラルトの腕に刺さる。
「痛てて、爪出さないでくれ。ケットシーの身体は柔らかいんだな」
「おい、放せ」
「早く行くんだろ?」
「チッ、仕方ないな」
エンデュミオンは舌を鳴らした。武骨な騎士の手だが、見掛けよりも丁寧な扱われ方だったのでそのまま運ばれる事にする。
「おあ」
エアネストは初めて見る場所に、プラネルトの腕の中でしきりに辺りを見回しては胸に抱きつき直すのを繰り返している。落ち着きがない。
ルッツとココシュカは楽しんでいるように見えるが、きちんと辺りを警戒していた。
先程出てきた転移陣がある部屋に戻り、鉱山管理事務所の近くにある転移陣まで転移する。
鉱山管理事務所近くの転移陣は、小屋の中にあった。
ハーラルトが小屋のドアを開け、外に出る。小屋の隣に管理事務所の建物が建っていた。恐らく最初に転移陣の小屋を建ててから、管理事務所の建物を作ったのだろう。
二つの建物の周りは木が払われていて広場になっていた。広場からは馬車が通れそうな幅の道が作られているが、山に向かう方の道は鉱山に続くのだろう。
ふんふんとココシュカが空気を嗅ぐ。何か気付いたかと、エンデュミオンは声を掛けた。
「ココシュカ、何か解るか?」
「ぎゃう。魔力、濃い?」
「そうだな、地下迷宮への入口が開いたからだろう。この辺りの魔力濃度が上がっているな」
「リグハーヴスからの入口と違って扉がないけど、他の魔物達は出てこないのかな?」
テオがルッツに尻尾で背中を叩かれながら言った。
「七層で最強なのがラミアだ。外への出口に一番近い場所に彼女の縄張りがあるから出てこないんだろう」
「そっかあ」
昨日は雪が降らなかったのか、バリバリと凍りかけの雪を踏みながら、管理事務所へ向かう。
「ん?」
ハーラルトがドアを開けようとした時、奥からドドドという足音が近付いてきてドアが勢い良く開いた。
「うわ!」
「にゃう!?」
思わずハーラルトが飛び退く。エンデュミオンも目を瞠った。
「ココシュカの魔力!」
ドアを開けた人物は飛び出して来るなりそう叫んだ。現れたのは紫色の艶のある黒髪を綺麗にまとめた美しい女性で、ぐるりとエンデュミオン達を見回す。彼女は事務員の制服を着ていた。
「わあ、お姉ちゃーん」
空気を読まないココシュカが、女性に声を掛ける。お姉ちゃんと呼ぶのなら、アリアドネだろう。上手く人化している。
「ココシュカ!」
「おっと」
アリアドネに飛び付かれてクラウスが後ろに飛び退く。魔剣ココシュカを出さなかったので、危険は感じていないのだろうが、相手の勢いが良すぎて避けたようだ。
「一寸! なんで避けるのよ!」
「待ってお姉さん、落ち着こうか」
「ハイエルン吹っ飛ばされるからね」
テオとプラネルトの二人がアリアドネの肩に手を置くが振り払われる。
「うちの可愛いココシュカを誘拐したのそっちでしょ!?」
「誤解です。誘拐ではないですし、ココシュカを地下迷宮から連れ出したのは私ではなく、そこのエンデュミオンです」
きっぱりとクラウスが否定して、エンデュミオンに回してくる。
「さりげなくエンデュミオンに擦り付けるな! クラウス!」
「事実でしょう」
バッとアリアドネがハーラルトに抱っこされたエンデュミオンに振り返る。咄嗟にハーラルトの腕に力が籠った。
「エンデュミオン……?」
アリアドネがエンデュミオンとハーラルトを見て怪訝そうな顔になる。
「エンデュミオンだ」
エンデュミオンが右前肢を上げる。アリアドネの表情が困惑したものに変わる。
「エンデュミオンは森林族では?」
「森林族だって六百年も経てば死ぬぞ。生まれ変わったらケットシーだったんだ」
「なるほど。それでココシュカを誘拐した理由は?」
「誘拐ではなくて、保護だ!」
エンデュミオンは溜め息を吐いた。
「仕方ないだろ。ココシュカが冒険者の噂になって討伐されそうだったんだから。ラミアとアリアドネの知り合いがいたなんて知らなかったんだ。知っていたら連絡したぞ。それにココシュカはもうクラウスに憑いているぞ」
「そうなの? うちのココシュカが選んだ主なら許すわ。心配だっただけだから」
その辺りは魔物らしくあっさりしている。無事ならいいらしい。
「冒険者に聞こうにも、麓から上がってこないからずっと聞けなかったのよ」
「そうか、心配をさせたな。ところでこちらも聞きたい事がある。リグハーヴスの領主が呪われたんだが心当たりはあるか?」
「あれね! 使うなって避けておいたのに普通の便箋代わりに使われたの。本当はハイエルンの領主を呪ってココシュカの話を聞き出そうとしたのに」
不本意そうにアリアドネが口を尖らす。
やはり手違いでアルフォンスは呪われたようだ。不運である。
「整理すると地上と階層が繋がったから、これ幸いとココシュカの行方を探ろうとしたら、呪い先を間違ったと?」
「そうね」
「リグハーヴスの領主は身体が弱くてな。一寸危なかったんだがなあ」
うふふ、ははは、とアリアドネとエンデュミオンが笑い合うが双方目が笑っていない。
ぽんとエンデュミオンが肉球を打ち合わせた。
「よし、とっとと鉱山に戻れ。エンデュミオンが封印してくれるわ!」
「待ってよ! やっとココシュカに会えたのに! ラミアにも会って貰いたいわ」
流石に素直に封印されてはくれない。
「ラミアは鉱山か?」
「ええ、そうよ」
「なら会いに行こう。ハーラルトはどうする?」
「行くよ。一応なんだが、ハイエルンから地下迷宮の入口を開けたままにするって出来るのか?」
ハイエルンからも地下迷宮に入れるようになれば、経済効果がある。だがそれは簡単ではない。
「扉が要るぞ。あれは特殊な金属なんだ。鍛冶屋と聖職者に頼まないとならないし、扉の周囲には防御の魔法陣が要る。それこそアリアドネやラミアがほいほい出て来られたら困る」
大物の魔物が出て来られないように、阻む為の魔法陣を敷く必要がある。リグハーヴスに居る吸血鬼のマーヤや淫魔のライヒテントリットのように穏やかな気性の魔物なら、領内のみ行動を許可する聖別されたメダルを授ける場合もあるのだが。
「扉を作るのなら、ハイエルンが大聖堂と相談するんだな。七階層の出入口の縄張りはラミアのものだから、彼女に筋を通す必要もある。彼女を討伐しようなんて考えない事だ。七階層の均衡が崩れるからな」
ラミアもアリアドネも、冒険者を自ら襲ったりはしない魔物なのだ。他の階層へ行く魔法陣があるポイントまで通してもらうだけなら許可して貰えるだろう。取引は必要かもしれないが。
エンデュミオンは、先に立って山への道を歩き出していたアリアドネの背中に声を投げる。
「おーい、アリアドネでいいんだよな?」
「あたしはアリアドネよ。アリアドネのフェリツィア」
フェリツィアが振り返って答えた。
「七階層にナーガは居るのか?」
同じ下半身が蛇の魔物でも、ラミアは女性型、ナーガは男性型だ。
「居るわよ。それぞれに巣を持っているわ。ラミアとナーガ、アリアドネの縄張り全てをまとめているのがラミアのべアトリクスよ」
「七階層のどの位の範囲をベアトリクスは治めているんだ?」
「半分くらいね。山岳地帯は全部ベアトリクスの支配下よ。冒険者は麓までしかこないから、放置しているの。もし奥まで来たら帰してあげられないから注意して」
フェリツィアの説明は、ハーラルトには物足りなかったようだ。エンデュミオンの頭頂部を突いて来る。エンデュミオンはハーラルトを睨み上げた。
「突くな!」
「いや、帰せないってのはどういう意味なのかと思って」
「ラミアもナーガもアリアドネも、淫魔と似た性質があるんだ。皆美しい外見をしている。つまり魅了されて巣に囲い込まれて精気を吸われるって意味だ」
エンデュミオンが答えてやると、ハーラルトの顔が引きつった。フェリツィアがけらけらと笑う。
「勿体無いから殺さないし、ちゃんと愛情たっぷりお世話して大事にするわよ? 貰うもの貰うんだし」
「生々しい言い方するな!」
こういう所が魔物である。
「テオなーにー?」
「おー?」
ルッツとエアネストはテオとプラネルトに耳を塞がれていた。幼児にはまだ早い話である。
「まあ、こういった意味でも交渉や契約は大事だと言う話だ。魔物の方が契約はきちんと守ってくれるからな。ハイエルン公爵にもちゃんと伝えろよ?」
「わ、解った」
「ではフェリツィアを追ってくれ。テオ、プラネルト、ルッツとエアネストを離すなよ。ココシュカもクラウスにくっついているように」
エンデュミオンは顔色の悪くなったハーラルトを急かし、軽々と山道を登って行くフェリツィアの細い姿態を追い掛けるのだった。
七階層は山全体がアリアドネとラミアとナーガの巣窟になっています。
彼らは縄張りに入られなければ、冒険者を襲わないので、現時点で冒険者の被害はありません。
冒険者は本能的に山を避けていた模様です。