アルフォンスと御守り
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ギルベルトはギルベルトです。
355 アルフォンスと御守り
気が付くと闇の中に立っていた。どうにも知っている雰囲気の闇なので、「クラウスの闇か」とアルフォンスは独り言つ。
「エンデュミオンが指示を出していたからなあ」
クラウスが従ったのなら、拒否した方がアルフォンスの為にならなかったからだろう。
「出口はどっちかな」
闇属性使いの闇に包まれている場合は、外から起こして貰うか、自分で出口を見付けるかすれば目を覚ませる。
こうしてアルフォンスが意識内で自由に動けるのだから、自然な目覚めが近い筈だ。
「ん? 何か聞こえたか?」
遠くで何か声が聞こえた気がした。アルフォンスは迷わずそちらに足を向けた。
実際には歩いていないからなのか、ふわふわとした感覚だ。
暫くして声の内容が聞き取れ始めた。
─ににゃにゃん、ににゃにゃん。
それはケットシーの言葉だった。
─ににゃにゃん、ににゃにゃん、にゃんにゃんにゃん。
何だか節回しがお呪いのようだ。
─ににゃにゃん、ににゃにゃん、にゃんにゃんにゃん。
それにこの声には覚えがある。喋り始めにどもってしまう、可愛い笹かまケットシーの声だ。
「カティンカ?」
─ににゃにゃん、ににゃにゃん、にゃんにゃんにゃん。
声がどんどん大きくなってきて、回りがぼんやりと明るくなって、アルフォンスの身体がふわりと浮いた。
「……ィンカ? っけほっ」
喉がからからで、アルフォンスは目を覚ますと同時に咳き込んでしまった。
「ににゃ!」
「気が付きましたか?」
少し体温の低い掌が額に乗せられる。
「クラ、ウス?」
「はい。まだ、少し熱がありますね。薬を飲んでください。ラルスのですから」
つい嫌そうな顔をしたからか、クラウスは飲みやすい薬を作った作者の名前を言った。
クラウスに手を借りて起き上がり、小さなグラスに入った澄んだ黄緑色の液体を口に流し込まれる。花と薬草の香りが鼻を抜け、すうっと爽やかな味の液体が喉を落ちる。薬と切っても切れないアルフォンスにとって、ラルスの薬は有難い美味しさだ。彼等がリグハーヴスに移住してきてくれて本当によかった。
「頭痛が消えた」
「魔力不足だったんですよ。今のは魔力回復効果もある薬です。一昨日のうちにヴァルブルガとラルスが診察に来てくれたんですよ」
「一昨日?」
「丸二日経ってますから。今は倒れられてから翌々日の明け方です。負担を掛けないように少しずつ魔力を戻したんです。カティンカに手伝って貰って」
「そうだ、カティンカだ。……寝てる?」
カティンカはアルフォンスの傍で、ココシュカとくっついて寝息を立てていた。
「ずっと御前に魔力を分けてくれていたんですよ。奥様もずっと付き添われていましたが、流石に今は仮眠を取られています」
「ロジーナにも心配を掛けたな」
アルフォンスはそっとカティンカとココシュカを撫でた。
「目を覚ます前に、カティンカのお呪いが聞こえた」
「カティンカは正しく呪文を発音出来ないので、弱い魔法しか使えないそうです。なので、繰り返し呪文を唱えていたんです」
「ここに居るという事は、エルゼにカティンカを借りてしまったのか」
カティンカはキッチンメイドのエルゼと契約しているケットシーだ。本来なら、夕方にはエルゼの元に帰している。
「エンデュミオンに頼まれたのと、カティンカが御前が治るまで居ると言ったんですよ」
「何かお礼をしなくてはな」
カティンカが起きたら何が良いか聞かなくては。
カティンカと寝ているココシュカも、尻尾の蛇だけは起きていて赤い舌をチロチロ出している。
「なんだこれは?」
腕を持ち上げようとして、アルフォンスは左手首に巻かれていた数珠に気が付いた。真珠よりも小粒の水晶が連なっている数珠だが、珠と珠の間に魔銀製のチャームが幾つも付いている。
ティーワゴンの上の小鍋から、スープカップに湯気の立つコンソメスープらしきものを注いでいたクラウスがこちらを見ずに答えた。
「元々は〈浄化〉に来てくださった司祭イージドールが御守りにと下さった数珠なんですが、昨日ギルベルトが来まして」
「ギルベルト」
思わずアルフォンスは身構えた。
ギルベルトは胸元が白い、黒毛の元王様ケットシーである。薬草採取兼細工師をしているリュディガーに憑くまで、〈黒き森〉で暮らしていたからか、時々エンデュミオンよりも非常識である。
「御前が倒れたと聞いたらしく、ギルベルトの知り合いの強い聖属性持ちに頼んで、チャームに聖魔力を込めて貰ったと持ってきてくれました」
「これ、全部聖属性の護符か……? 聖遺物でも見た事ないぞ」
「星のチャームが聖職者で、団栗と花のチャームが妖精だそうです。エンデュミオンは聖属性がないので、魔法陣を刻んであるやつです」
丸くて平たいチャームが一つあり、そこに物凄く精密な魔法陣が刻まれていた。
王族や貴族は嫌いだと事あるごとに言うが、エンデュミオンはアルフォンスの身体の為になるものをせっせと寄越す。言いたいのは孝宏が安心して暮らせる場所を作れと、ただそれだけだろう。
ほんのりと光るチャームの中で、翼の形のチャーム2つだけが光り方が鈍い。これだけが闇属性なので、クラウスとココシュカが闇属性で作った護符だろう。一応どの属性でも護符は作れるのだ。
「これを飲んだらまた横になってください」
「はいはい」
掛布団の上にナプキンを敷かれ、スープカップを受け取る。持ち手が二つあるスープカップの中の金色のスープをふうと吹き、口を付ける。野菜と肉の旨味をぎゅっと溶かし込んだ贅沢なスープだが、病み上がりには負担が少ない。しかし少し物足りなかった。
「これにパンとチーズを入れてオーブンで焼いて欲しいな」
「魔力がちゃんと回復したら良いですよ。今はまだ胃が受け付けませんよ。今日の午後にヴァルブルガが診察に来ますから、許可が出ればお作りします。朝食はもう少しお腹に溜まるものにしますから」
「うん」
領主館の料理人オーラフは腕が良い。料理人としては健啖家の方が主にするなら良いのだろうが、生憎アルフォンスもロジーナもどちらかと言えば少食だ。その分質の良い材料を使えるからか、今のところ料理人からは文句は出ていない。
「さあ、明るくなるまで寝てください」
空になったスープカップを取り上げられ、横になったアルフォンスにクラウスが掛布団を肩まで掛ける。クラウスはココシュカとカティンカにもちゃんと布団を掛け、枕元のランプの光を弱めた。
「隣の部屋におりますから、何かあればベルを鳴らしてください」
「解った。おやすみ」
「おやすみなさいませ」
クラウスはココシュカと契約してから、一般的な平原族からは少し外れている。力は強くなり、恐らく老化が遅くなっている。おまけに睡眠時間も少なくて済むらしいが、六時間は寝ろとアルフォンスは命じている。
でも短い睡眠時間はこういう時に活用されているのだろう。
「ににゃにゃ……」
カティンカが寝言で呪文を唱えている。
「もう大丈夫だ。有難うな」
アルフォンスはカティンカのお腹を撫でた。いつもは服で隠れているお腹の毛は柔らかかった。
「ん?」
ちろり、と毛布からココシュカの尻尾が顔を出していた。目が合う。
「お前も寝なさい」
声を掛けると、すすすと毛布の中に潜って行った。ココシュカの尻尾の意識がどうなっているのかアルフォンスには解らないが、本体が寝ていても動いているのが不思議である。
そう言えばハイエルンへの連絡はどうしたのだろう。クラウスが代理で手紙を書いてくれたのだろうか。
気になってベルに手を伸ばし掛けたが、クラウスに「寝ろ!」と怒られる予感しかしなかったので、アルフォンスは諦めた。起きてから聞けばいい。
エンデュミオンが突撃していないといいなと願いつつ、アルフォンスは目を閉じた。
「エア、ぐずってるのか?」
お茶を飲みに一階の居間にやって来たイシュカが、孝宏にしがみ付いている魔熊のエアネストを見て言った。
「うん。エア、プラネルト達今日の内に帰って来るんだよ?」
「おあ……」
四本の腕で孝宏にしがみ付いたまま、エアネストが情けない声を出す。
実は〈暁の砂漠〉の族長ロルツィングから手紙が戻って来たのだ。引き継ぎもあるので一度戻れと書いてあり、プラネルトと雷竜レーニシュはテオとルッツと一緒に里帰りしている。ルッツの〈転移〉で移動しているので、夕方には戻って来るだろう。
エアネストは砂漠の熱さに負ける可能性がある為お留守番なのだ。身体の大きさは成体のケットシーと変わらないが、エアネストはまだ赤ん坊である。保護者のプラネルトがいなくて寂しいのだ。
「どれ、俺が抱っこ変わろう」
イシュカが孝宏からエアネストを抱き取る。イシュカにも慣れているエアネストは、すんなりと移動した。
「やっぱりケットシーより重いな」
「お」
腕が多い分、エアネストは重いのだ。
ぽんぽんとエアネストの背中を優しく叩き、イシュカがあやしている間に孝宏は台所に行って焜炉に水の入った薬缶を乗せた。
プラネルトのリグハーヴスへの出向は〈暁の砂漠〉としては構わない、という結論になったようだ。
エンデュミオンによると、リグハーヴス公爵の方も出向には好意的だったそうなのだが、なにやら事件が起こったらしくエンデュミオンはここ数日飛び回っている。丁度遊びに来たギルベルトとこそこそ相談していたので、何をやらかすつもりなのか心配だ。
「ただいま」
ぽんっとエンデュミオンが〈転移〉で戻って来た。
「お帰り、エンディ。どこまで行って来たの?」
「マクシミリアンとアルフォンスの所だ。マクシミリアンがぶち切れ掛けていたが、アルフォンスは目を覚ましていたぞ」
文脈が解らない。
「そこに至る過程を話して。お茶淹れるから」
「うん」
孝宏はおやつ用の店出しするには形の崩れたクッキーを皿に並べ、ティーポットにお茶を淹れてマグカップと一緒に居間に運んだ。
「エアは蜂蜜とミルク入れる?」
「お!」
肯定する時は前肢を上げる、と覚えたエアネストが右前肢を二本とも上げる。孝宏はエンデュミオンにもミルクたっぷりのミルクティーを作った。ケットシーは猫舌である。
「始まりはエアネストとプラネルトの出向の相談をしに行った時でな」
エンデュミオンがお気に入りの抹茶とココアの市松クッキーを口に放り込む。
「アルフォンスが呪われたもんだから」
「は!?」
「呪われた!?」
孝宏とイシュカが同時に動きを止める中、エアネストがシガールを端からサクサクと齧る。
「んま」
「美味しい? それでどうなったの?」
「エンデュミオンが〈解呪〉した後、イージドールにも〈浄化〉して貰ったから、アルフォンスは大丈夫だ。問題は呪いの送り手だな。手紙に仕掛けられた呪いだったんだがハイエルンの鉱山からだったんだ。あ、呪い自体は相手に返したぞ」
エンデュミオンがお茶を舐め、蜂蜜を一匙足してかき混ぜる。
「手紙の内容と呪いに違和感があったから、クラウスにハイエルンに確認の手紙を送って貰っていたんだ。鉱山の様子を確かめてくれと。本来はあちらで片付ける案件だからな」
「うん」
「さっきアルフォンスの様子を見に行った時には、まだ返事は来ていなかった。返事が遅いとクラウスが直々に閉山させに行きそうだから、さっさと返事が欲しいんだが」
「クラウスって、執事の?」
白虎と白蛇がメインのキメラであるココシュカの主だ。
「魔剣憑きは魔物憑きでもあるから、クラウスは魔法剣士としては最強じゃないかな。アルフォンスが主じゃ無かったら、王宮勤めをしていると思う。クラウスとココシュカなら単独で地下迷宮のかなり深い場所まで行けるぞ」
何となく鍛えられているのは解るが、普段はやや細身の中肉中背に見えるクラウスである。
『脱いだら凄い系……?』
人は見かけによらないようだ。
「そんな訳で、今はハイエルンの手紙待ちなんだ。向こうで手に負えなければ、こっちに依頼が来そうでな」
「あんまり危ない所に行って欲しくないんだけどなあ」
「エンデュミオンとクラウスで閉山させるのは簡単なんだが、マクシミリアンに怒られるからなあ」
「そりゃあ、鉱山は國の資産だからな」
イシュカが苦笑いしながら、中心に苺ジャムが乗せてあるステンドグラスクッキーをエアネストに食べさせている。
「エンデュミオンとイージドールの予想では、ハイエルンの新しい鉱山は地下迷宮と繋がっているかもしれない」
「え、それって拙いんじゃあ」
「地下迷宮は階層ごとにどこにあるのか正式には解っていないんだ。だから繋がっているとしても、その階層が浅いとまだマシなんだがなあ。大抵の魔物は階層を移動しないんだ。マクシミリアンにはエンデュミオン達の予想と、アルフォンスが呪いで倒れたと伝えに行ったんだ」
それはぶち切れもするだろう。何しろ地元ハイエルンが気付いていないのだし。
「ハイエルンはリグハーヴスと違って、地下迷宮の氾濫に合わせた街じゃないから」
リグハーヴスは住人の殆どが冒険者や元冒険者であり、エンデュミオンと木竜グリューネヴァルト、水竜キルシュネライトが密かに防御網を張り巡らせている。
「隠密系のスキルの冒険者が鉱山に確認に行くだろうが、きっと手には負えないだろう。知能が高い魔物なら交渉次第で何とかなるが。それが駄目なら鉱山と繋がっている場所を封印だな」
「それ、誰が封印するの?」
「エンデュミオンじゃなければ、司教位の聖魔法の腕が欲しいから、イージドールかな。封印魔法は魔力を食うから。司教フォンゼルが出て来れば別だが」
司教を危険な場所に出して来るかは解らないなと、エンデュミオンは鼻を鳴らした。
「まずはどの種類の魔物が出ているかで地下迷宮の深度が解る。今は〈紅蓮の蝶〉も地上に戻っているだろうから、話を聞く事になるだろう」
人狼アーデルハイド達〈紅蓮の蝶〉は、地下迷宮の最深部を進行しているパーティーだ。魔物の情報もまとめている筈なので、階層の参考になるだろう。
「雪も降って来たし、エンデュミオンは家の中に居たい……」
窓の外では大粒の雪が舞い落ち始めていた。
その頃、ハイエルン公爵に依頼された冒険者が鉱山を探索し、地下迷宮と同じ魔物が出現すると確認していた。
王を始め各領の領主に緊急連絡の精霊便が届くのは、同日の夜の事だった。
ギルベルト、聖遺物レベルのお守りをアルフォンスに渡しています。
クラウスは孝宏よりは大きいけれど、180センチあるかないかくらいです。
魔物憑きなので、そもそもの身体能力が人狼並みになっています。
魔力が増えたため、老化が少し遅くなっているので、エルゼとの歳の差を気にしなくてもいいんじゃないの? とアルフォンスやエンデュミオンは密かに思っていたりします。
カティンカは強い魔法を使えないけれど、継続して長時間弱い魔法を使えます。
ココシュカの尻尾は、別視点なので、ココシュカは背後も見えています。噛まれると毒を食らいます(解毒も出来ます。解毒の時も噛まれます)。