リグハーヴスへの帰還と密談
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妖精は身勝手に契約するものです。
350 リグハーヴスへの帰還と密談
魔熊は竜騎士隊本部についても元気だった。プラネルトに抱っこ紐でくっついているのも構わず、きょろきょろと辺りを見ている。
「講堂に入って待機して下さい!」
待ち構えていた従騎士の指示に従い、幼竜化した竜達を連れて孝宏達も講堂に移動した。講堂は竜騎士達全員を集めて会議等をする為の部屋で、横長の机とベンチが並んでいる。
抱っこ紐から下ろしたエンデュミオンと魔熊を孝宏とプラネルトの間に座らせる。
「お?」
ぽんぽんと魔熊が机を叩く。
「これは机だよ。はい、干し杏」
孝宏は竜達と魔熊の口に干し杏を入れてやった。
「……!」
魔熊の目が輝く。沢山咀嚼してから飲み込み、にぱーと笑う口には白い小さな歯が綺麗に並んでいる。
「本当に子供なんだな。まだ歯が小さい」
プラネルトが魔熊の耳の付け根を掻いてやりながら言った。魔熊は気持ち良さそうにぐるぐると喉を鳴らし、ころんとプラネルトの太腿を枕に転がってそのまま目を閉じる。
この電池の切れ方は正しく幼児だと、孝宏は〈魔法鞄〉から取り出した浴布を魔熊に掛けてやりながら微笑んだ。
「全員揃っているか?」
最後に飛んで来たらしい王弟であり竜騎士隊隊長であるダーニエルが、人型になったヴェヒテリンと共に講堂に入ってきた。
孝宏とプラネルト、ディーツェが並んでいる場所に視線を止めたダーニエルが怪訝な顔をしたので、孝宏はプラネルトとの間を指差した。机からエンデュミオンの頭は見えているが、寝ている魔熊は見えていないのだ。
一つ頷いたダーニエルはヴェヒテリンに頼んで紙を配り始めた。プラネルトから送られてきた紙を受け取り、孝宏は目を落とす。当然ながら文字は黒森之國語だ。
二枚ある紙は、一枚は報告書の雛型で、もう一枚は罫線のみの白紙だった。
「おおう……」
孝宏はまだまだ調べながらでないと読み書き出来ない単語が多い。報告書に使うような単語は解らない物がちらほらあった。
「解らない単語があるのか? よいしょ」
エンデュミオンが孝宏の膝の上に座り、〈時空鞄〉から鉛筆を取り出した。雛形に書かれている文章の訳をさっさと記入していく。
『別の紙に日本語で書いてまとめるしかないなあ』
そうでもしないと訂正だらけになってしまう。基本的に書類はインクを使ったペンで書くのだ。
ダーニエルの説明を聞いたあと、一先ず〈魔法鞄〉から取り出した紙に日本語で今回の訓練についての報告書を書いていく。
『あ、騎士用の携帯食について書きたいけど、食べてないから味が解んない。不味いの?』
『孝宏の作る携帯バーに比べたら不味いな。孝宏のはキャラメルやマシュマロで固めているが、騎士用のはおやつ系というより、食事系だから干し肉と木の実と油脂で固めていた気がする。あとは焼き締めた黒パンだな』
『そっち系かー』
顎が疲れそうな奴だ。
孝宏は自分で作った携帯バーを取り出した。いつもテオとルッツに渡している物だ。
「ねえディーツェ、これ食べてみて下さい」
プラネルトの背中側からディーツェに渡す。
「え、何? 携帯食?」
「俺が作った奴です。騎士用の奴と比べてどうなのかなと」
「騎士用の食べた事ないんだっけ?」
ディーツェは蝋紙の上から携帯バーを半分に折り、蝋紙を開いて半分をプラネルトに渡した。もう片方を自分で齧る。
「うっま!」
目を瞠ったディーツェは、慌てて口を押さえた。
「これ菓子じゃないのか?」
「携帯食というか行動食ですよ。同居している冒険者用に作っているんです」
ルッツは移動中のおやつにもしているようだが。
「そっか、食事用じゃなくて行動中の栄養補給用か」
「これいいよね。覚悟して食べなくて良い。携帯食ってたまに凄いのあるから。栄養重視で不味い奴」
覚悟して食べる携帯食とはなんだろうか。怖い。
「油脂で固めてある携帯食を冷たい水で食べなきゃいけない時は憂鬱になるぞ」
「あー、油脂が口の中で溶けないんですね」
油脂で固めてある携帯食は暖かい飲み物と食べるべきだろう。どうせ固焼きパンを作るなら、それに木の実やドライフルーツをぎっしり入れて焼いた方が美味しいだろうに。
プラネルトとディーツェの齧りかけの携帯バーを、レーニシュとキーランががりがりと齧っている音が講堂に響く。
「こらそこ!」
「すみません。携帯食の味について教えて貰っていて」
ダーニエルに謝り、孝宏は報告書に取り掛かる。
「お?」
「ん?」
くい、と服が引っ張られる。下を向いた孝宏を、魔熊が物欲しそうに見上げていた。
「……君も食べる?」
「お」
孝宏は魔熊にも蝋紙を剥いた携帯バーを渡した。がりがりと言う音が増えたが、孝宏は報告書に向き直った。取り敢えず、食べている間は大人しいし筈だ。案の定、食べ終えた魔熊は再びプラネルトの太腿を枕に転がった。もそもそと下側の腕で、ちゃんと浴布を掛け直している。賢い。
『ううう、時間内に自分で黒森之國語で書くのは無理だ』
『エンデュミオンが訳そうか?』
結局孝宏は日本語で書いた報告書を、エンデュミオンに清書してもらった。受け取ったダーニエルは、エンデュミオンの清書については特に何も言わなかった。
報告書を提出したら、解散となる。
「タカヒロ、これを持っていなさい」
帰り際、ダーニエルにギルドタグのような物を貰った。魔銀製のタグには、リグハーヴス所属の竜騎士としての、孝宏の身分証が刻まれていた。孝宏の名前と、リグハーヴス領の紋章と竜の紋章が組み合わさったものが刻印されている。ダーニエルはエンデュミオンにもタグを渡していた。孝宏の場合はエンデュミオンと二人で一人前の竜騎士扱いである。孝宏とエンデュミオンは、非常勤の竜騎士という扱いになるらしい。
「リグハーヴスにはグリューネヴァルトとキルシュネライトしか成竜がいないから、何かあった時には手伝ってくれると助かる」
「出来る事は少ないと思いますけど、助力します」
「宜しく頼むよ」
ダーニエルは孝宏とエンデュミオンの頭を撫でて、他の竜騎士達に声を掛けに行ってしまった。
「ディーツェ!」
孝宏は少し離れたところにいた、キーランを頭に乗せたディーツェに手を振った。駆け寄って話し掛ける。
「リグハーヴスに来たら、〈Langue de chat〉に寄って下さいね」
「うん。纏まった休みが取れたら行くよ」
「冬に来るなら暖かい格好で来い。リグハーヴスはもうすぐ雪が降る。転移陣で来る方が安全だぞ」
エンデュミオンもディーツェの膝を肉球で叩いて言った。
竜騎士隊の寮で暮らすディーツェとはそこで別れ、孝宏とプラネルト達は竜騎士隊本部から広場に出た。
「……」
魔熊はしっかりプラネルトの脚にしがみついていた。
「懐かれたな、プラネルト」
「うーん、何でだろう? ご飯食べさせたのはヒロなのに」
「孝宏にはエンデュミオンが憑いているからな」
ケットシー憑きの場合、余り他の妖精は憑かないのだ。ケットシーが拒む為だ。孝宏は火蜥蜴のミヒェルとも契約しているが、ミヒェルは基本的には竈憑き妖精である。
「ヒロ、荷物はそれだけ?」
「はい。〈魔法鞄〉に入れちゃってるので」
「じゃあこのまま〈転移〉出来るんだ。リグハーヴスまで竜で飛ぶという手もあるけど」
「そいつが大人しくしていると思うか?」
エンデュミオンがじろりと魔熊を見る。
「お?」
きょとんとした顔をしているが、訓練用の夜営地から竜騎士隊本部までの飛行中に大はしゃぎしたのはこの魔熊である。
プラネルトが苦笑する。
「無理かなあ。レーニシュから落っこちそう」
「だろう? だから魔法使いの塔に行って転移陣を借りる。ここからでも〈転移〉出来るが目立つからな」
「解った。じゃあ行こうか。ほらおいで」
プラネルトは魔熊を抱き上げた。レーニシュは先程からプラネルトの肩に乗っている。
孝宏もエンデュミオンを抱き上げ、グリューネヴァルトを肩に乗せた。
「このまま裏から魔法使いの塔に行こう」
エンデュミオンの指示で王宮の敷地を横切って、反対側にある魔法使いの塔まで歩く。警備している王宮騎士団の騎士とすれ違うが、こちらも竜騎士隊の騎士服なので、お互い挨拶をして通り過ぎる。
「ここが魔法使いの塔だな」
辿り着いたのは円形で五階建て位の高さのある塔だった。回り込んだ正面には頑丈そうなどっしりとした大きな扉が付いている。
「魔法使いの塔って登録された限られた人しか使えないんじゃなかったかい?」
「エンデュミオンは使えるぞ」
エンデュミオンは孝宏の腕の中から扉に前肢を伸ばして、肉球を押し付けた。
カタンゴトンカラカラと扉から音が聞こえ始め、間もなく塔の内側に向かって扉が開いた。
「よし、入れ」
「良いの!?」
元々魔法使いの塔はエンデュミオンに与えられた建物である。改造したのもエンデュミオンだ。現在は大魔法使いフィリーネとその一番弟子ジークヴァルトに管理を任せているが、エンデュミオンの所有者権限はまだ生きている。
エンデュミオン達が塔の中に入るのとほぼ同時に、上へと続く階段から赤い火竜が飛んで来た。
「ぴゅーう!」
「アルタウス!」
孝宏が差し出した腕に掴まり、エンデュミオンに頬擦りしたのは、ジークヴァルトの火竜アルタウスだ。
「おーいアルタウスー? 下に居るのは大師匠ですかー?」
上階からジークヴァルトの声が降ってきた。
「そうだぞー! リグハーヴスに帰るのに転移陣借りるぞー!」
「今行きまーす!」
靴音を鳴らして階段を下りてきたのは、小麦色の毛色の人狼だった。エンデュミオン達を見て、ぶんぶんと大きく尻尾を振る。
「竜騎士訓練お疲れ様でした。行き先の指定はどうします?」
「真っ直ぐ〈Langue de chat〉に帰るから自分でする」
「了解です。アルタウス、おいで」
「ぴゅ」
アルタウスがジークヴァルトの肩に飛んで行く。
孝宏達が転移陣の中に入るのを確かめ、ジークヴァルトが転移陣から一歩離れた。
「ジークヴァルト、アルタウス、その内また顔を出す」
「お待ちしています、大師匠」
「ぴゅぴゅ」
ジークヴァルトが頭を垂れる。
エンデュミオンが転移陣に魔力を走らせ、銀色の光が立ち上った。一瞬で目の前の景色が薄暗い塔から、秋の薄い光が降り注ぐ見慣れた裏庭に切り替わった。
プラネルトが周囲を見回す。
「ここが?」
「〈Langue de chat〉の裏庭だ。正面に出ると路地なんでな」
既に畑仕舞いをして殺風景な裏庭には、硝子に鋳鉄が蔦のように絡む温室が建っている。温室は外からだと植物園のように見えるが、中身は詐欺レベルだ。
「まずは着替えて一休みしましょうか」
孝宏はプラネルトを誘って、裏口のドアを開けた。一階の居間には誰も居らず、皆仕事をしているようだ。
孝宏は一足先に居間を抜けて店へ顔を出した。
「テオ、ルッツ、ただいま」
カウンターにはテオとルッツが立っていて、孝宏の声に振り向いた。
「お帰り」
「おかえりー」
「テオとルッツにお客さん連れてきたよ。うちに泊まるから後でゆっくりしてね」
「俺達に客? 誰?」
「俺だよー」
プラネルトが孝宏の後ろから顔を覗かせた。テオが目を瞠る。
「ルト!? あ、そっか竜騎士だっけ! ルトも訓練に呼ばれてたんだ?」
「そういう事。イーズにも会おうと思ってさ」
「そっか。ところでその子は?」
テオの視線が魔熊に向く。
プラネルトが抱いている魔熊は、初めての場所の匂いを嗅ぐのに忙しそうだった。もぞもぞとプラネルトの腕の中で動いている。
「この子は魔熊。人手が足りないから俺が抱いている感じ」
「コボルトじゃなかったんだ」
バーニーを知っているテオも、魔熊をコボルトだと疑ったらしい。
「野営の訓練をしていたら出て来たんだ。うっかり討伐されたら困るから連れて来た。マヌエルの所かケットシーの里か、領主館のコボルト達と暮らせないかと思ったんだが……」
エンデュミンがちらりとプラネルトを見上げる。テオも抱いているプラネルトの騎士服を前肢で掴んでいる魔熊を見る。
「ルトに懐いているね」
「もうエンデュミンはプラネルトが魔熊に名前を付ければいいと思う」
エンデュミオンが撫で肩を竦める。
「一寸待って、この子野性の魔熊だろう!?」
慌てるプラネルトに、エンデュミオンは鼻を鳴らした。
「その子は妖精に近いと言っただろう? 妖精は気に入った相手に〈憑く〉ものなんだ。憑かれる方に拒否権はない」
「俺にはレーニシュがいるんだけど」
─レーニシュ気にしなーい。
プラネルトに後方支援は無かった。
「そもそも〈暁の砂漠〉に連れていけないだろう!? まだ幼児だぞ!?」
「問題はそこだな」
北側に暮らす魔熊は暑さに弱いだろう。
テオが腕を組んで唸った。
「うーん、あとでイーズの所に行くなら、俺とイーズとルトで相談してから、養父さんに伺いを立てるしかないかな」
「相談も何も、俺がこの子を引き取るなら、リグハーヴスに来るしかないだろ……」
「ならばアルフォンスを巻き込むか。その前にモルゲンロートの竜騎士が移動しても良いのか?」
あっさりとエンデュミオンが、リグハーヴスの領主を巻き添えにする。
「ルト以外にも雷竜と契約している竜騎士はいるから、その辺りは大丈夫かな。レーニシュはそもそもモルゲンロートの血族としか契約しないし」
「なら移籍じゃなくて、出向にすればいいか。リグハーヴスには幼竜ばかりだから、指導官として出向という名目で。リグハーヴスと〈暁の砂漠〉は同盟を結んでいる事だし」
「その辺りが落としどころかな?」
エンデュミオンとテオが密談らしくない密談をまとめる。
プラネルトが溜め息を吐いた。
「……テオフィル、お前族長継げよ」
「何で!?」
プラネルトは自覚のないテオの髪を、ぐしゃりとかき回したのだった。
訓練終わりました。収穫は竜騎士のタグと魔熊……?
テオは現在も〈暁の砂漠〉の第一位継承者です。
妖精は気に入った人を主に勝手に選ぶので、主に拒否権はありません。