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逃亡者の誤算

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

地図製作者は貴重です。


35逃亡者の誤算


 イグナーツの所属する〈黒き戦斧シュヴァルツアクストゥ〉と言えば、階層踏破順位に名が出るパーティーだ。〈紅蓮の蝶ティフォターシュメタリング〉と並ぶパーティーと言って差し支えない。

 他のパーティーはどうか知らないが、〈黒き戦斧〉は魔物から取れる魔石を宝石商に高く売り付けて、差額を儲けとしていた。

 そして今回の地下迷宮ダンジョンに入る前、〈黒き戦斧〉の代表であるヨハンは、宝石商に「珍しい物を」と言われたらしい。

 〈黒き戦斧〉は地下迷宮に潜り、珍しい魔石を手に入れた。魔物を倒して手に入れた物もあれば、他のパーティーから強請ゆすり取った物もある。

 地図担当のイグナーツは、汚い事をして欲しく無いのだが、ヨハンは聞く耳を持たない。

 ヨハンは地上に出れば、毎回月の女神シルヴァーナ教会に礼拝に行くイグナーツを小馬鹿にする男だ。

(その内罰が当たるだろう)

 しかし、それはヨハンを止められないイグナーツにもだろうが。

 引き取る魔石の値段交渉で、首を縦に振らない管理小屋の職員をいきなり斬りつけるとは思わなかった。

 持ち金がなくても売れる算段があるのだから、支払いを後日にしてもらう等交渉のしようはあっただろうに。

 ヨハンに斬られた職員は、すぐに管理小屋専属の魔女ウィッチに治療され、命は助かったと言う。

 イグナーツは石壁で囲まれた個室牢の床に膝を着き、硬いベッドに肘を付いて管理小屋の職員の回復を女神に祈った。

 カタリ。

 祈りの途中で小さな音がしたが、イグナーツは気に止めず祈り続けていた。


 リグハーヴス騎士団の半地下にある留置所は天井が高い。それは個室の窓を高い位置に付けるためらしい。それと、雪で窓が埋まるのを防ぐ為なのだとか。しかし騎士団の一階玄関は通常の高さにあるように見え、土地の勾配を利用した作りになっていた。

 そんな事を副団長ベンノと騎士ギードに説明されながら、テオとルッツは留置所に来ていた。

 所謂いわゆる面通めんとおしである。ルッツが見たのが間違いなく〈黒き戦斧〉の面々なのか、確かめて欲しいと頼まれたのだ。

(まさか〈黒き戦斧〉とはね)

 〈紅蓮の蝶〉に所属していた時に名前は良く聞いていたが、直接会っては居なかった。

 遣り口が汚いと噂には聞いていたが、代表のヨハンの気性が荒いのだと言う。

 リグハーヴスの留置所は清潔だ。領主も団長も、不衛生にしていて病気が騎士団にまで広がったら困る、という考えの様だ。

「扉の小窓を開けて貰うと、中が見えます」

「大丈夫なんですか?」

「窓には細工格子が嵌まっていて、向こうからこちらは見えません」

「なるほど」

 ベンノが小窓を塞いでいた板を持ち上げる。細かな細工格子の向こうが透けて見えた。この細工格子が植物の柄なのは、癒し効果を狙っているのだろうか。余り効果の出ていない個室もあるようだが。

 ルッツを小窓まで持ち上げ、中を覗かせる。すると小さなケットシーは、「いた」「いない」と個室を覗く度に答えた。

 ベンノは〈黒き戦斧〉以外の収容者も、テオとルッツに見せているらしい。

 カタン、と持ち上げた板の向こうを覗き、ルッツが「いた」と答えた。

「ませき、おとしたひと」

 そこに居たのは真摯に祈る少しやつれた細身の青年だった。明るい麦藁色の髪をしている。

「地図担当のイグナーツです。怪我をした管理小屋の職員の為に毎日祈っています」

 何故〈黒き戦斧〉に居るのか解りません、とベンノは言うが、生活の為だろう。

「イグナーツ、いいこ」

「ええ、彼は常にヨハンを止めようとしていたそうですから。その辺の情状酌量はありますよ」

 イグナーツは学院に通ってはいないが、中級魔法使いレベルの魔法が使えるらしい。独学で学んだのならば、かなり優秀だ。

(惜しい人材だな)

 それに地図作成者となると、扱いは難しい。下手に領外には出せないだろう。〈黒き戦斧〉ともなれば、地下迷宮の階層ごとの地図を作っているだろうし、リグハーヴス自体の地図も作っている筈だ。

(地図は軍事機密だからな)

 もし、他領や他國に地図を流出されると、かなりまずいのだ。

 ルッツがイグナーツに好感を抱いているのは間違いないので、善人らしい。ケットシーは人の悪意に敏感だから。

 イグナーツの隣の個室は空き部屋で、その隣がヨハンだった。飾り格子をひょいと覗くだけで、ルッツは「いた」と言った。

 ヨハンはパーティー名の通り、黒鉄の戦斧を振り回す大柄で強面の男だ。一度見たら忘れられないだろう。

「チッ」

 牢の中に居るヨハンが近付きドアを蹴る。しかし、木の間に鉄の板を仕込んであるドアは、派手な音を当てたがびくともしなかった。

 イグナーツの部屋と間が空いているのは、ヨハンが騒がしいからだろう。

「大人しくしていろ!」

 ベンノが鋭く叱責するが、ヨハンはドアの飾り格子に顔を押し付けるようにして、通路を見ようとする。その凶相にルッツは鼻の頭に皺を寄せて唸った。

「ヨハン、わるいやつ」

 ルッツ判定でも黒らしい。

 ヨハンはガタガタとドアを揺らした。

「その声は副団長サマだろう?どうだった、俺達の姿を見た奴は居たか?俺達が持ち逃げしたって言う魔石も見付かったのか?見付からなかったら、俺達は濡れ衣って事になるなァ」

「安心しろ。お前達が夜中に街を移動する姿を見た者も、転んだ時に魔石をばら蒔いたのを見た者もいる。魔石も見付かった」

「何だと!?……ははっ面白ェ、わざわざ拾った魔石を提出するなんざ、奇特な奴も居たもんだな。誰だよ、ソイツ」

 実際は報告はしているが、提出はしないのだが。誰が取得したのか、ヨハンに知らせる義務は無い。

「お前には傷害罪もあるからな。どちらにせよ無罪にはならん」

「あんな攻撃位避けろってんだ!」

「後ろから斬りつけて良く言えたものだな」

「へん!魔物だってわざわざ何処から斬りつけるかなんざ言わねェだろ」

 飾り窓に頬を押し付けたまませせら笑うヨハンに、ルッツが動いた。テオの腕の中から身体を伸ばし、飾り窓の隙間から爪を突っ込む。

「えい」

「っ痛ぇ!」

 多分ぷすっと行ったに違いない。ヨハンがドアから飛び退いた。

「何だよ!?」

「虫だろうよ」

 ケットシーの形をした。

「今週末には広場で裁判がある。心しておけ」

 ベンノは手でテオとルッツに外に出る様に示した。ヨハンが後ろで喚いていたが、相手にせずに階段を上がり、監視部屋に上がる。

 階段と監視部屋の間にある鉄格子が閉められる。監視部屋とその外の廊下の間にも鉄格子があり、後ろで閉まる鉄格子の音にテオはほっと息を吐いた。

 天井が高くても、やはり牢のある場所は閉塞感がある。

「気が滅入る事をお願いして申し訳ありません」

「いえ、こちらも色々融通して貰っていますから」

 大魔法使い(マイスター)フィリーネとギードから話は聞いていたのだろうが、実際ルッツの持つ魔石を見た団長とベンノは絶句していた。

 博物館級の魔石がケットシーの玩具おもちゃなのだから当然かもしれない。

 この事を知ったら、ヨハンはどう思うだろう。彼らが苦労して地下迷宮から盗み出した魔石が、一ハルドモンド半銅貨も手に入らずに、拾ったケットシーの物になるなど。

(憤死するかもしれないなあ)


 戻った副団長室で、ベンノはギードにお茶(シュヴァルツテー)を淹れさせた。部屋に簡易台所があるのだ。

 ギードはベンノの側仕えだった。

 ルッツを膝に乗せてソファーに座り、テオはベンノに疑問をぶつける。

「イグナーツは転んで魔石を落とした時、何故拾わなかったんでしょう。本当に気が付かなかったんでしょうか」

 そもそも、貴重な魔石を転んだ位でばら蒔いてしまう様な場所に入れておくなど、冒険者のテオとしても考えられない。

「告発したかったのかもしれませんね。冒険者ギルドの掟にも抵触する事もしていたと、他のパーティーから苦情が上がっていたそうですし」

 もしルッツが拾わなくても、翌朝には掃除に出たイシュカが凍った雪の上の魔石に気が付いただろう。イシュカなら、騎士団に届け出るだろうし、すぐに地下迷宮から不法に持ち出された物と判明したに違いない。

「魔石が見付かった事で、イグナーツが〈黒き戦斧〉と取引をしていた宝石商を教えてくれるといいのですが」

「ルッツがイグナーツを気にしていましたが、彼はどの程度の罪状になりますか?」

「裁判を仕切るのは領主か、領主の執事ですからねえ。イグナーツは地図作製が出来ますし、魔法使いです。恐らく領主預かりになるでしょう」

 領主に忠誠を誓う魔道具を付けられ、雇用されるだろうと言う。当然勝手にリグハーヴスを出られない。

「そうですか……」

「ヨハンは魔法封じの魔道具着用の上、王都編成地下迷宮魔物狩りの荷物持ちになるでしょう。期限はどれ程の物になるか解りませんが」

 武器を持たされず、戦闘には参加出来ない。ただ、集めた素材を背負う仕事だ。危機的状況になれば、捨て置かれる事もある。〈黒き戦斧〉の代表としては屈辱的だろう。

 他のパーティーメンバーもヨハン程ではないが、同様の処罰を受けると言う。

「とうぞ」

 ギードがお茶を運んで来て、テーブルにカップを置く。お茶と一緒に鮮やかな黄色のタルト(トルテ)の皿も置かれる。

「ここの食堂の料理長が作った物です」

 女騎士も居るが殆どが男所帯の騎士団では、家庭的な菓子は望めない。その為、騎士団の食堂では一日一品だが、昼食の時に菓子が出るのだそうだ。

「南瓜のタルトかな?」

「かぼちゃー」

 蒸して裏漉しした南瓜に生クリームや卵、砂糖、干し葡萄を交ぜ、土台の生地に流して焼いた物だ。土台の生地もしっとりとしていてスプーンでも掬え、ルッツでも食べやすいタルトだった。

「おいしー」

 スプーンを握ったルッツが、目をキラキラさせる。

「ほしぶどう、あまい」

 甘い菓子が多い黒森之國くろもりのくにだが、意外にもこの南瓜のタルトは甘味が押さえめだった。代わりに所々に出てくる干し葡萄が甘い。

 ルッツの足の間から出ている尻尾が、ご機嫌にパタパタと動く。

「昨日頂いた焼き菓子(プレッツヒェン)も美味しかったです。味が色々あったのでジャンケン大会になりました」

 にこにことした笑顔でギードが言う。

 夕食後の食堂で、野郎共のジャンケン大会。暑苦しい事この上ない。リグハーヴスの騎士団は若い者が多いので、賑やかなのだ。

 ここに来る時も、副団長の部屋まで会う騎士毎にきちんと挨拶された。

「ヒロに伝えておきます」

 喜んで貰えたと知ったら、孝宏たかひろはその内又差し入れをするだろう。

 テオの分も少し貰う位ルッツが気に入った南瓜のタルトは、その日の騎士団食堂で〈ケットシーも喜ぶ南瓜のタルト〉と銘打って登場するのであった。


 数日後、リグハーヴスの市場マルクト広場で衆人監視の下行われた裁判で、ベンノの予測通りにイグナーツは領主預かりとなり、イグナーツ以外の〈黒き戦斧〉のメンバーは、地下迷宮の荷物持ちとなった。期間は無期限。これは見せしめ懲罰でもあるのだろう。

 地下迷宮絡みの事件であり、この判決には王都も口を挟んだと思われる。

 イグナーツは衆人の前で領主アルフォンス・リグハーヴス公爵に忠誠を誓い、魔道具チョーカーを首に着けられた。彼には常に監視が付く事になる。

 ヨハン達も魔法封じの魔道具を付けられ、地下迷宮行きの護送馬車に乗せられ、広場から去って行った。彼らも常に騎士や傭兵の監視下で生活するのだ。

 予想以上の重い判決に、ヤジも飛ばずに裁判は終了した。

 イグナーツが領主とは別の馬車に乗せられ、領主館への丘を上っていくのを見送り、裁判に集まっていた街の住民は三々五々散って行く。

「イグナーツ、あえる?」

「気になるか?ルッツ」

「あい」

「その内街にも下りてくるよ」

 青みのある黒毛にオレンジ色の毛の混じる頭を撫で、テオは広場から踵を返す。

 イシュカ達は店があるので、裁判には来ていない。帰って判決を教えてあげなければ。


 一つの事件が終わったリグハーヴスの街は、冬の終わりに向かっていた。



魔石強奪事件の終わりです。

地図製作者イグナーツ。彼はこれ以降のお話にも登場します。

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