野外実習のお昼御飯
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孝宏、スープを作りすぎる件。
347野外実習のお昼御飯
ダーニエルとヴェヒテリンは最後の組と一緒に飛行した。とはいえ、飛んでいるのは最後尾だ。
今回の訓練は代替わりした等の理由で、親や親族から竜を引き継いだ新人竜騎士を主に選んでいる。内乱が集結したリグハーヴスでは、竜騎士は儀仗隊のような役割になっていた。竜を手に入れられるのも騎士や貴族のみという慣例にされたのもこの頃だ。
それが覆されたのは、エンデュミオンが王宮に竜の卵が多数保管されていると聞きつけ、全ての卵に主を見付けたからである。
王宮の面子を立ててくれたのか、竜の主を騎士から選出してくれたものの、騎士の職種には全く頓着しなかった。おかげで戦闘職でない騎士にも竜の主が選ばれたが、王すら文句は言わなかった。
エンデュミオンは黒森之國の〈柱〉である。〈柱〉は國によって崇められたり恐れられたり囚われたりと扱いは違うが、現在のエンデュミオンは解放されている状態だ。しかもケットシーであり主に孝宏を据えている。國が孝宏の求める環境を与えなければ、盛大に呪うだろう。さらにエンデュミオンを育てたのは元王様ケットシーギルベルトだ。ギルベルトはエンデュミオンよりも更に自由だった。
マクシミリアンによればエンデュミオンの実父は堅物らしい。しかし彼は一年の殆どを、親友のモーリッツとバロメッツを連れて旅をしているという。
ダーニエルが臣籍降下し竜騎士隊長になってからは、お飾り状態だった竜騎士を、叩き上げの一般騎士と同じ訓練が出来るまでに引き上げていた。
「災害などの有事に使える竜騎士を作れ」というエンデュミオンの竜の卵解放事件は、ダーニエルにとって追い風になったのは間違いない。黒森之國は貧しくはないが、お飾りの竜騎士に無駄飯を食わせる余裕はないのである。
そんな厳しい訓練を課すようになったからか、老齢に差し掛かった親が子に竜を続々と譲り始めたという実情がある。
─ちゃんと着いたな。
「そんな遠くもない場所で迷われたら困るぞ、ヴェヒテリン」
前方を行く竜騎士達が第一広場横にある発着場に降りていくのを見ながら、ヴェヒテリンが鼻で笑ったので、ダーニエルは黒曜石のような漆黒の鱗で覆われたその首を軽く叩いた。
発着場の脇で待機している従騎士から、風の精霊を通じて「全員到着」の伝言が飛んで来た。
「よし、全員降りたな。ヴェヒテリン私達も降りよう」
─了解。
周囲を確認しながらヴェヒテリンが発着場に降下する。ダーニエルが地面に降り立つのを待って、ヴェヒテリンは幼竜化して肩に乗ってきた。
「隊長、全員到着後広場に移動してテントを建てています」
「了解。私とヴェヒテリンは広場を見回って来るよ」
従騎士の報告にダーニエルは頷いて、そのまま広場へと獣道よりはましな小道を歩いて行った。
竜騎士達は広場の中心を囲むようにテントを建てていた。何故なら広場の中心には竜騎士達とほぼ同時に地上から到着していた従騎士達が天幕を張っていたからだ。天幕は隊長であるダーニエルの宿泊場所であり、会議の場所でもある。
広場ではあちこちで火を熾し携帯用の鍋で湯を沸かしている竜騎士達の姿が見える。専属の従騎士を雇っている者は別として、大抵の竜騎士は自分で料理を作れないだろう。故に新人竜騎士はせいぜいお湯を沸かしてお茶を淹れ、携帯食料を齧るという食事になる。これも是正していかねばならないだろう。
─む、良い匂いがする。
ふすふすとヴェヒテリンが鼻を鳴らした。ヴェヒテリンの鼻先が向かう方向にテントがあった。
「……戦時中の野営か!?」
そのテントを見て、思わずダーニエルは口に出してしまった。
テントは支給されたテントである。しかしテントの上空には複数の風の精霊がぐるぐると巡回して辺りを警戒していた。さらにはテントの周辺には侵入者感知の魔法陣が敷かれているのがうっすらと見える。
ヴェヒテリンの言う良い匂いとは、テント前に設置された竈の上に乗った鍋からだろう。携帯用の鍋ではなく、通常の鍋である。
更にテント前には折り畳み式のテーブルと椅子が置かれており、テントの主達はそこでお茶を飲んでいた。ダーニエルに気が付くと、ディーツェが真っ先に立ち、プラネルトと孝宏も立ち上がった。
「ああ、掛けてくれ。エンデュミオン、やり過ぎではないのか……。精霊に魔法陣まで使うとは。ここまでやると陛下が野営する時の設えだぞ」
「昔はこれが通常だったんだが。これはどの属性でも使える簡単な奇襲対策の魔法陣だぞ。仕方がないな、あとで竜達に教えておく」
「そうしてくれ。ついでに魔法陣が使える竜騎士にも頼む」
エンデュミオンの昔とは、どの位昔なのかが解らない。現在は初級魔法については発動呪文だけで発動するので、上級魔法を使う魔法使い以外は魔法陣を詳しく学ばないのだ。魔法陣を学ぼうとする魔法専門職以外の者はかなり珍しいが、竜騎士の中にも居る事は居るのである。
「解った。集めてくれれば後で講義をしてやる。ほれ、茶でも飲んでいけ」
エンデュミオンが折り畳みの椅子を追加で出して孝宏に渡す。孝宏は椅子を開いて地面に置いた。
「どうぞ。携帯用のカップをお持ちですか?」
「ああ」
ダーニエルは椅子に座り、琺瑯引きのカップを自分の腰に付けたポーチ型の〈魔法鞄〉から取り出した。幼竜のヴェヒテリンが使う浅いカップも一緒に取り出す。
孝宏はミルク鍋からカップに湯気の立つ紅茶を注いだ。
「牛乳と蜂蜜玉は好きに入れろ」
エンデュミオンが前肢で示す場所には、蜂蜜玉の小瓶と何故か牛乳の入った硝子瓶まであった。ダーニエルはヴェヒテリンのカップに蜂蜜玉と牛乳を入れた。自分のカップにも蜂蜜玉と牛乳を少し垂らす。
「クッキーもどうぞ」
─ダーニエル、一枚取ってくれ。
さっさとダーニエルの肩からテーブルに降りたヴェヒテリンは、しっかりとお茶を頂くつもりらしい。ダーニエルはヴェヒテリンにクッキーを一枚取ってやった。微かに生姜の香りがするクッキーだ。嬉しそうにヴェヒテリンがクッキーを受け取る。
濃く甘いミルクティーを啜り、ダーニエルは煉瓦を土台にした竈に掛けられた鍋に視線を向けた。
「昼から随分きちんと作ったんだな」
「それが……」
ディーツェが言葉を濁す。エンデュミオンが黄緑色の目を半眼にした。
「背嚢に食料が入っていなくてな。エンデュミオン達が持っていた材料で作ったんだ」
─食料じゃなくて煉瓦入ってたんだよー。
クッキーを齧りながら、レーニシュがテーブルを薄紫色の尻尾で叩く。
「は!?」
「まあ煉瓦は孝宏が竈に有効利用したがな」
「いや待て、食料が入ってなかった? 備品の荷詰めは複数人で確認するのにか!?」
「嫌がらせだろう。誰が絡んでいるのかは解っている。名前は知らんがな」
「馬鹿な事を……。本当に食料は問題ないのか?」
「大丈夫だぞ。一泊だし、エンデュミオンの〈時空鞄〉に色々入っているからな」
大魔法使いの〈時空鞄〉である、確かに心配はなさそうだ。
「そろそろ押し豆柔らかくなったかな」
孝宏が折り畳み椅子から立ち上がり鍋に向かう。鍋の蓋を取って、レードルでぐるりと大きくかき混ぜる。ふわりとトマトの香りがダーニエルの鼻先に届く。どうやらトマト風味のスープのようだ。
「うん、押し豆が膨らんでる。食べられるけどお昼御飯にする?」
「そうだな」
「ダーニエルとヴェヒテリンも召し上がりますか?」
「足りるのかい?」
「いつもの癖で作ってしまったので。うち家族多いんです」
孝宏が笑う。孝宏とエンデュミオンが暮らす〈Langue de chat〉は人の数より妖精の数が多いのである。妖精は人族の子供位の量は食べる。
「ではご相伴にあずかろうかな」
─うむ!
「器預かりますね」
孝宏は携帯食器を受け取ってはスープをたっぷりと注いで戻した。乾燥野菜と押し豆のスープらしい。
「パンはエンデュミオンの方から出そう」
エンデュミオンが〈時空鞄〉に前肢を突っ込み、四角い平籠を取り出した。入っていた生成りの布巾を広げると、平籠の中にびっしりと千切りパンが納まっていた。
「これは胡桃を練り込んだ生地と、白胡麻を練り込んだ生地を丸めて交互に並べて焼いた物です。こうやって千切れますから、お好きな分取って下さい」
孝宏が握り拳大の胡桃パンを手で簡単に切り離して見せる。孝宏が千切った胡桃パンはヴェヒテリンが受け取った。
─おお、柔らかいぞ!
食前の祈りの言葉を呟いて、早速齧ったヴェヒテリンが金色の目を輝かせる。ヴェヒテリンは基本的にはダーニエルと同じ物を食べているのだが、今まで食事についてこだわりを見せた覚えはない。だが、孝宏から貰ったクッキーは、ダーニエルときっちり半分に分けた。妥協せずに。
やはり孝宏の作る料理は特別らしい。
「うわ、美味しい! 野営でこんなに美味しい物食べていいのかな……」
「きゅうきゅう」
ディーツェがスープを一口食べて思わず呟く。風竜キーランは白胡麻パンを千切り、ディーツェのスープに浸して口に入れている。
「テオの奴、凄く良い下宿にいるよね!? 帰ってこない訳だよ!」
─うまー。
プラネルトもスープを食べて頭を抱えている。その手元で、雷竜のレーニシュは胡桃パンで器用にスープの豆を掬って食べている。
「陣営を張る位の状況なら、この程度の食事は昔も作っていたぞ? 冬の陣営なんて、暖かい物がないと士気が下がるだろうに」
エンデュミオンがスープをスプーンで掬い、グリューネヴァルトに食べさせながら呆れた顔をダーニエルに向けた。
「……エンデュミオンも参加した内乱以降、大規模な戦いがなかったんだ」
現在魔物は地下迷宮にほぼ封じられていて、地上の脅威は大型の野生動物である。
王政で統一され、各領も〈暁の砂漠〉地区以外は王族の分家で治められている。大切なのは國を沈めさせない事だと、この世界の者ならば知っている。例え革命を起こしたとしても、國が沈む前に平安を取り戻さなければならないという不文律があるのだ。
過去の戦乱の時代に何故國が沈まなかったのかといえば、國を支える〈柱〉が多かったからである。しかし、神殿戦争を経て、〈柱〉は一柱のみとなってしまった。エンデュミオンが王宮に居た時代は、國が荒れてもエンデュミオンが力ずくで支えていたのである。
前時代のエンデュミオンが死んだ後、流石に責任の取れない革命を起こす馬鹿は居なかった。皮肉にもエンデュミオンの不在が、黒森之國の平和と武力の低下を招いたとも言える。
「竜の力が悪用されない為の配慮だったとしても、竜騎士の訓練はしないと使えないだろう?」
「面目ない。私が隊長になってから訓練を再開しているんだが」
「やっと騎士が騎士としての標準になったところか?」
「その通りだ」
竜が、というより騎士を鍛える事から始めなくてはならなかったのだ。
─当初に比べるとマシになったんだぞ。
「ご苦労だったな」
エンデュミオンがヴェヒテリンに労いの言葉を口にする。何となくどんな状態だか想像がついたのだろう。家柄だけで竜騎士になった者も多かったので、本当に大変だったのだ。
「今日の午後から何をするんだ?」
「茸狩りだな。手持ちの食材がない時の訓練として」
おぼっちゃん育ちの竜騎士の多くは茸狩りの経験はない。しかし、この季節の野営ならば、森で手に入りやすいのは茸である。もしくは野兎や野鳥を狩るかだ。
じろりとエンデュミオンがダーニエルを睨む。やはり勘が良い。
「嫌な予感がするんだが、誰が毒判定するんだ?」
「エンデュミオン、頼む」
「あぁ!? エンデュミオンが検査するまで絶対に食わせるなよ!? 毒茸の解毒なんて医師じゃ間に合わんぞ!」
エンデュミオンは魔女の資格がないんだぞ! とぷりぷり怒りながら、食べ頃の温度になったトマトスープを食べるエンデュミオンだが、断らなかったので茸の毒判定はしてくれるようだ。
「竜騎士隊に魔女を配備させたらどうなんだ、ダーニエル」
「医師より魔女の方が少ないんだぞ、エンデュミオン」
学院でも資格が取れる医師と異なり、魔女は師弟関係で学び資格を得る。所謂徒弟制度に近い。複数の弟子を取る魔女もいない訳ではないが、一人の魔女が育てる弟子の数には限りがある。
「別に人族じゃなくてもいいだろう。コボルトには優秀な魔女が多いぞ」
「ケットシーはどうなんだ」
「ケットシーは主を得ないと里から出ないから、ケットシーの魔女の方が圧倒的に少ないんだ。エンデュミオンも資格持ちの魔女はヴァルブルガ位しか知らん。〈治癒〉は大抵出来るが、人里で仕事としてやるなら資格がないと駄目だろう」
「そうだな。ちなみに誰か居ないか?」
「うちで今預かっているのは、里に帰す約束だからなあ。ハイエルンの人狼の里の司祭に紹介状を書いてやるから、気立ての良い衛生担当の従騎士を選んで里に行かせろ。どこかの里にコボルトの魔女がいるかもしれないから」
「頼む」
エンデュミオンは食事を終えると紙と万年筆を出して本当に紹介状を書き、封筒に入れてダーニエルに渡してくれた。くれぐれも人格がまともな者を行かせるようにと念を押して。
それは妖精が相手の善悪を判断出来るのと、憑いてもいいかどうかを見定めるからだったのだが、ダーニエルはこの時そこまで深く考えてはいなかった。
後日、ヴェヒテリンが選んだ衛生担当の従騎士がハイエルンへ赴くのだが、それは又別のお話。
ダーニエルから見た野営地。エンデュミオン達のテントは、現役バリバリ戦時中バージョンの野営状態です。奇襲対策されてる状態。テント上空の風の精霊は孝宏と契約している精霊です。
孝宏はエンデュミオン、火蜥蜴ミヒェル、風の精霊五体と契約していたりします(ミヒェルは孝宏と〈Langue de chat〉のおうちと契約している感じ)。
竜騎士隊の従騎士と魔女コボルトのお話はその内出てくるかも。
アインスは里に帰す約束なので、竜騎士隊には紹介出来ないのです。
ケットシーできちんと資格をもった魔女や薬草師は、実はとても珍しいのです。




