孝宏の〈天恵〉と的当て
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話し合いは正座で。
345孝宏の〈天恵〉と的当て
「で、なんだって竜から孝宏の菓子を取り上げようとしたんだ? 本当に危険な行為だぞ?」
ダーニエルの執務室の床に正座する竜騎士の青年、名前はディーツェと言うらしい彼の正面に立ち、エンデュミオンはぺしんと尻尾で床を打った。
「ぎゅうー」
エンデュミオンの頭の上に乗ったグリューネヴァルトも不機嫌そうな声を上げる。ダーニエルとヴェヒテリンは一先ずエンデュミオンのしたいようにさせてくれている。
「昔から居るうちの竜の世話係は、竜には野菜と木の実しか与えてはいけないと。他の物は竜の身体に悪いからと言われていたから……です」
ダーニエル達がいるからか、微妙な敬語を使いつつディーツェが答える。その内容にエンデュミオンとヴェヒテリンが揃って「はあ?」と声を上げた。
「竜は雑食だぞ。好みにもよるが食べられない物以外は食べるぞ?」
「ああ、野菜も肉も調理した物も食べられるぞ」
「きゅっきゅ!」
そうだそうだ、とグリューネヴァルトも頷く。ダーニエルが指先で顎を擦った。
「ああ、それは昔の慣習じゃないかな。内乱時代の竜の飼育書があるんだが、それだ」
「そんな物があるのか? ダーニエル。エンデュミオンは読んだことがなかったな」
「内乱時代の竜騎士隊に伝えられていた飼育書だからな。それには空腹時に騎士を襲わないように肉の味を覚えさせるなと書いてあった」
「竜は魔力を摂取しているから、口から食べるのは娯楽じゃ無かったか? ヴェヒテリン」
「うむ、そうだな。恐らくヴェヒテリン達のような属性竜と、荷物竜とを混同しているのだろう」
荷物竜とは属性竜より知能が低く、会話での意思疎通が出来ず翼のない竜種で、主に荷運びに利用される竜である。寒いと動きが鈍る為、王都以南で利用されている。
「人間にしてみたら竜は竜だものな」
「残念な話だな。道理で竜舎の食事に草しか出ない訳だ」
「草って言うな、あれは王領の畑で作られた野菜なんだぞ」
ヴェヒテリンのぼやきにダーニエルが突っ込む。
王領の畑で作られた野菜は、基本的に王城でのみ消費される特別な物である。
「それからな、ディーツェ。竜達におやつをやるのはちゃんとダーニエルとヴェヒテリンに許可を貰ったんだからな。文句を言うならこの二人に言ってくれ。孝宏は竜達にねだられても、最初断ろうとしたんだから」
「え!? そうなんですか? それに竜達がねだった!?」
「昨日グリューネヴァルト達がおやつを食べているのを見て、羨ましかったらしい。特に孝宏が作るお菓子は珍しいからな。それ以外にも多分孝宏の〈天恵〉だろうなあ」
「彼の〈天恵〉は余りはっきりしていないのではなかったか?」
ダーニエルも臣籍降下しているとはいえ、王弟である。〈異界渡り〉についての情報は与えられていた。
「現在黒森之國では〈異界渡り〉の子孫がハイエルンの人狼の里にいるんだが、先祖返りしている彼の〈天恵〉は〈浄化〉らしい。元々孝宏の一族は神官というか巫子の系譜だというから、基本的に聖属性に近いんだと思う。孝宏も〈浄化〉は持っている。あと異常に精霊と妖精と幻獣に懐かれる。孝宏程じゃないがイシュカもだから、これは魔力放出出来ない者の体質かもしれない。誰か研究していないのか?」
「魔力放出出来ない子供は、職人として徒弟に入るという風潮が強いからな……」
「兎に角、孝宏は精霊と妖精と幻獣に懐かれる。主がいようといまいと関係なくな。だから孝宏が仲良くなった彼らにお願いしたら、一寸街が滅ぶかもしれない」
「は!?」
「やらないけどな?」
「待て待て待て! どういう意味だ?」
ダーニエルがエンデュミオンの両脇の下を掬い上げて持ち上げる。だらんと尻尾を垂らし、エンデュミオンは溜め息を吐いた。正面に来たダーニエルの紫色の瞳を見据える。
「孝宏のお願いは最上位なんだ。主持ちであろうが、主より孝宏のお願いの方が正しければ、精霊も妖精も幻獣も孝宏のお願いを優先する。孝宏はそういう体質を持っている。さっきも孝宏が竜達の気を逸らさなかったら、ディーツェは彼らに襲われていたぞ」
「確かにな」
ヴェヒテリンが無慈悲に同意し、ダーニエルとディーツェの血の気が引いた。
「孝宏は善悪に対する理性が強いから、戦争は嫌う。権力にも興味はない。だから安心しろ」
そもそも孝宏はそういった自分の体質の〈使い方〉を知らない。妖精達が懐いてくれて嬉しいと思っているだけである。
「もしマクシミリアンが孝宏の〈天恵〉を利用しようとするなら、エンデュミオンもそれ相応の対処をするが、庇護してくれているからな」
「それ相応の対処が何か聞いても良いだろうか」
「エンデュミオンはケットシーだから呪うぞ? 孝宏の知り合いの妖精全員で」
「……解った」
知り合いの中には元王様ケットシーも含まれているのは、ダーニエルも知っている。
床に下ろして貰ったエンデュミオンは、正座をしたままだったディーツェの肩を肉球でぽんと叩いた。
「自分の竜とよく話し合って、食べたがるものを食べさせてやれ。寝床に関しても、好むものを与えてやるといい。信頼度が上がると思うぞ。それと孝宏については誰にも話すなよ?」
ニヤリと笑って爪をにゅっと出す。
「う、はい」
ディーツェがこくこくと何度も首肯する。
「エンデュミオン、うちの竜騎士を脅さないように」
「こいつはさっき孝宏を突き飛ばしたからな。本当だったらプスッとしてやりたい位だぞ。あそこにルッツかグラッフェン、ルドヴィクが居たら確実に呪われていたんだからな?」
年少組は容赦なく呪うのである。
「よし」
ぱん、とダーニエルが切り替えるように手を打った。
「訓練に戻ろうか。ディーツェ、君はちゃんと竜と孝宏に謝るように」
「はい、団長」
立ち上がろうとしたディーツェは、脚が痺れていたのか呻き声を上げて引っ繰り返った。勿論エンデュミオンは痺れている脚を前肢で突いてやったのだった。
エンデュミオン達が広場に戻ると、おやつを食べていた竜達はそれぞれの主の傍で盛んに鳴き声を上げていた。
「孝宏、これはどうしたんだ?」
エンデュミオンに問われ、ラプンツェルとアルタウスを膝に乗せて敷物の上に座っていた孝宏が苦笑いする。
「なんかね、皆食べたい物の希望や柔らかい毛布が欲しいって訴えてるみたい」
竜達は気付いてしまったらしい。新鮮だし野菜も悪くないけど、別に野菜だけじゃなくてもいいじゃないかと。寝床も柔らかくていい匂いのする毛布で、幼竜姿で埋もれてもいいじゃないかと。
ディーツェの風竜もびしっと彼の顔に張り付いて、きゅうきゅうと何かを訴え始めた。取り敢えず仲直りは出来そうである。
「リグハーヴスの竜達って、騎士と同じ部屋で暮らしているから、俺は竜舎に居る方が驚いたんだけどね」
「リグハーヴスでは竜の世話は主がやるからな」
リグハーヴスに竜舎はないのである。
「訓練の続きをやるぞ!」
ダーニエルの声で、竜達は敷物の上にぞろぞろと戻ってきた。
「おやつ食べたし、お昼寝する?」
孝宏は追加で毛布を出して敷物の上に広げてやった。歓声を上げて竜達が毛布の上に群がる。適当な毛布の皺の間に身体を埋めて丸くなる竜達に和む。
「……毛布一枚で機嫌が良くなるならいいか」
「おやつも大量に食う訳でもないし……」
それを見ていた竜騎士達がぶつぶつ言いながら広場に異動していく。
王都の竜騎士は自分で卵を孵していない者が多い。血族相続で竜騎士になっている。そういった場合は、竜との信頼度は最初から高い訳ではない。毛布や食事、おやつで仲良くなれるのなら、と柔軟な考えの者もいるようだ。
広場では従騎士達が木製の的を並べていた。どうやら的当てをするらしい。
「手段は問わないので、あの的に向かって攻撃を当てるように」
ダーニエルの説明は、魔法を使わない孝宏も含めたものだった。とは言え孝宏以外は皆それぞれの属性で使える攻撃魔法を使っている。
「孝宏はあれか?」
「そうだね。コボルト達に教えてもらったのが役に立つね」
広場まで一緒についてきたエンデュミオンに孝宏は笑い掛け、ポーチに手を突っ込んだ。孝宏が手に取ったのはスリングだ。コボルトには魔法を使えない者もいて、彼らは普通に武器を使う。その中で持ち運びにもかさばらないスリングを孝宏は教えて貰ったのだ。〈魔法鞄〉であるポーチには弾になる小石も沢山入っている。
「次!」
「はい」
孝宏の番になったので、小石をスリングに挟んで振り的へと投げ付ける。
ヒュッ! バシュッ!
的に小石が当たったとは思えない音を立てる。的に中った小石は爆散していた。
「やった、一発で当たった」
「待った!」
慌ててダーニエルが喜ぶ孝宏を止める。
「はい?」
「命中力は素晴らしい。だが今のはなんだ? 何を投げた?」
「小石です」
「あれは小石の威力では無いだろう」
「小石は小石なんですよ。これです」
孝宏はポーチから小石を一つ取り出してダーニエルに渡した。
「これは……」
小石には〈爆散〉の魔法陣が赤い魔力インクで描かれていた。
「他に〈凍結〉と〈電撃〉と〈豪雨〉と〈蔦絡〉とかありますけど」
〈魔法鞄〉なので欲しい小石がすぐ手に取れるのだ。次々と魔法陣が描かれた小石を取り出す孝宏に、ダーニエルの顔が引きつる。
「これは誰が?」
「うちに遊びに来るコボルト達が教えてくれて。魔力インクがあれば俺でも作れるからと」
ダーニエルはこめかみを押さえた。
「エンデュミオン……」
「何かな?」
「彼の攻撃力は魔法使い並みだろう!?」
「孝宏は人に向かって投げないからなあ」
襲われれば容赦なく投げるだろうが。コボルト達も護身用に孝宏に教えたのだ。あの魔法陣に関してはクヌートとクーデルカ監修なので結構えぐいのだが、相手がひるんでいる間に逃走する目的なのでエンデュミオンが許可した。
「全く、予想外過ぎるな君達は。これは街中の警備をしている騎士にも利用出来るかもしれない代物だぞ」
「強くぶつければ発動するから、捕物に〈蔦絡〉辺りは使えるかもな。火事場には〈豪雨〉辺りか? 特許は取ってあるから、魔法使いギルドに連絡してくれ」
クヌートとクーデルカのお小遣いが増える。
「今なら私も兄上の気持ちが解るよ」
「どういう意味だ」
時々リグハーヴスからの報告に、マクシミリアンが頭を抱えている姿をダーニエルは知っている。あれは多分、目の前の彼らが何かをやった時に違いない。
「心外です」と顔に表している孝宏とエンデュミオンだが、〈異界渡り〉と大魔法使いはやはり一筋縄ではいかない相手だったと、ダーニエルは兄王の苦労を改めて慮るのだった。
孝宏は主持ちの妖精の契約を一時的にリセット状態にするような体質です。
そうなると妖精は正しい方に付くので、孝宏が間違っていなければ孝宏に加担します。
地味に恐ろしい体質なのですが、本人は知りません。