竜騎士訓練のはじまり
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訓練の始まりです。
343竜騎士訓練のはじまり
竜騎士訓練初日は朝から快晴だった。
宿舎の部屋が隣だったプラネルトと雷竜レーニシュと一緒に朝食を食べ、一度部屋に戻ってから準備をして孝宏はエンデュミオンと木竜グリューネヴァルトと共に広場に行った。
広場には肩に幼竜を乗せた竜騎士達が三々五々散らばっていたが、先に広場に出ていたプラネルトとレーニシュが手を振ってくれたので隣に行く。
「竜騎士が集まると、中々壮観だね」
にこやかに笑うプラネルトの回りは他に人がいなかった。人狼と対等の戦闘力を持つ〈暁の砂漠〉の民は、敬遠される事も多い。特に上流階級では。平民にとっては人当たりが良く誠実な者が多い〈暁の砂漠〉の民は、珍しいものを売りに来る商人や頼れる冒険者といった印象だろう。
孝宏としてはテオの地元だし、会った事のある〈暁の砂漠〉の民は皆気持ちの良い性格の人ばかりだった。
今日のプラネルトは長い蜜蝋色の髪の毛を一本の三つ編みにしていた。飛行訓練があるからだろう。
〈暁の砂漠〉の民はテオ以外は髪が長く、編み込んだり魔石の飾り玉や硝子の蜻蛉玉を通している。プラネルトも、髪の所々に魔石らしい飾り玉を通していた。
「きゅー」
グリューネヴァルトがおねだりの鳴き声を上げて孝宏の袖を引いた。
「おやつ?」
「きゅっ」
訓練前におやつをくれ、とおねだりらしい。付き合いが長くなって来たので、孝宏も段々グリューネヴァルトの言いたい事が解るようになってきた。何しろ家には寡黙な北方コボルトだっているのだ、最早慣れである。
「メレンゲでもいいかな」
「重くない方がいいから、それでいいぞ」
エンデュミオンに確認してから〈魔法鞄〉のポーチから、フリーズドライで粉末にしたラズベリーを入れて焼いたピンク色のメレンゲの紙袋を取り出す。一口サイズに絞り出したメレンゲを、孝宏はグリューネヴァルトの口に入れてやった。
「きゅっきゅー」
サクサクとメレンゲを食べ、グリューネヴァルトが嬉しげに鳴く。
─レーニシュにも頂戴!
「ほい」
プラネルトの肩から飛んで来たレーニシュにも口に入れてやる。
─んまー!
「りゅっりゅ!」
「ほい」
くいくいと袖を引かれ、そこにいた木竜のあーんと開いた口にもメレンゲを入れる。
「りゅー」
「ん?」
あぐあぐと口一杯にメレンゲを頬張る木竜を見て、エンデュミオンが首を傾げた。それから孝宏を見上げる。
「孝宏、この子グリューネヴァルトじゃないぞ?」
「え!?」
「きゅっきゅ!」
ぽすりと孝宏の肩にグリューネヴァルトが乗ってきた。
「鳴き声違う!」
今更気付いて孝宏は驚いた。目の前の木竜はグリューネヴァルトと良く似ていたのだ。ぱっと見、見間違える程に。良く見るとグリューネヴァルトより小さい気がする。
「グリューネヴァルトの娘のラプンツェルだそうだ」
「似てる訳だ……」
そういえば、第一王子ローデリヒにグリューネヴァルトの卵を託したと聞いていたし、先日その子にグリューネヴァルトが会ってきた筈だった。
「メレンゲ食べさせて良かったのかな」
「食べられる月齢だから問題ない」
そういう意味ではないのだが。
「りゅっりゅー」
メレンゲを食べたラプンツェルの孝宏を見る目がキラキラしている気がする。
「……餌付けた?」
ぽそりとプラネルトが隣で呟く。そういうプラネルトの雷竜レーニシュも孝宏に二個目のメレンゲをねだっている始末である。食べさせていいのか悩みつつ、誰も止めないので孝宏は竜達にメレンゲを与える。
─もー! ラプンツェルここにいたー!
文句と共に空から白い幼竜が飛んで来た。
エンデュミオンが前肢を上げる。
「ゼクレス。訓練にはツヴァイクも参加するのか」
─そうだよ。ローデリヒと待ち合わせしてたのに、窓からラプンツェル飛んで行くんだもん。
「グリューネヴァルトの声が聞こえたんだろう。ゼクレス、メレンゲ食べるか?」
─ヒロの? 要るー!
躊躇いなくゼクレスが口を開けた。孝宏は舌の上にピンクのメレンゲを乗せてやった。
プラネルトが苦笑する。
「ヒロ、竜の知り合い多くないか?」
「うーん、リグハーヴスの竜達とゼクレス位だと思うけど。あと火竜アルタウスと水竜シャルンホルストかな。ラプンツェルはグリューネヴァルトの子供だし、あと名前は知らないけどヴァイツェアで砂竜に会ったよ。人の姿の」
「砂竜?」
「うん、氷の屋台やってた」
「ああ、うちの守護竜か」
「砂竜は誰かに憑いたりしてないの?」
「あれは〈暁の砂漠〉を守護してる竜なんだ。一応ヴァイツェアもかな?」
「そうだな。ヴァイツェアには精霊樹があるから、半々といったところか。砂竜が暇潰しに遊びに来るからついでに守護してくれてるんだろう。キルシュネライトみたいなものだな」
エンデュミオンも頷く。
守護がついでとは、砂竜も大雑把で寛容である。
話ながら竜達にメレンゲを食べさせていると、唐突に誰かが吹き出した。
「帰ってこないと思ったらもう広場に居たのか」
笑いながらそう言ったのは、ツヴァイクだった。隣にはローデリヒもいる。いつの間にか広場に来ていたらしい。回りに居た竜騎士達が姿勢を正して注目しているのは、ツヴァイクは正妃と同等、もしくはそれ以上の立場の人物だからだ。
「おはようございます」
孝宏は会釈をした。孝宏は位階が高いので、正式な場以外ではこれでいいと教えられている。そもそも孝宏は騎士ではなく、敬意はあるが忠誠を誓っている訳ではないからだ。
淡い茶色の髪のツヴァイクは、人好きのする良く笑う男である。三十路にはなっているのだろうが、もっと若く見える。光竜ゼクレスの竜騎士だが、王弟ダーニエルと比べると細身だ。普段はマクシリミアン王の側近として、文官仕事をしているからかもしれない。腰に帯びている剣も、一般騎士よりは幾分細い。
ローデリヒは孝宏よりは背が低いが、手足が長くこれから成長しそうな身体をしていた。気が強い顔つきをした弟に比べると、穏やかな表情をしている。
既に臣籍降下する事が決定しているというが、まだ若いのに将来が決まっているというのは複雑だと思う。
─これ美味しい! ツヴァイクにもあげる!
「りゅりゅ!」
ゼクレスが孝宏に貰ったメレンゲを持って飛んで行き、ツヴァイクの口に押し込んだ。それを見ていたラプンツェルもローデリヒの口にメレンゲを突っ込む。
周囲がどよめく。それはそうだろう、本来なら毒味が必要な身分の人達である。ローデリヒの側仕えの騎士があわあわしているのを見て、孝宏は一寸同情した。
「こら二人共、口に無理に突っ込むんじゃない。吃驚するだろう」
エンデュミオンがゼクレスとラプンツェルを叱る。
「エンデュミオン、皆毒味の方気にしてるんじゃないの?」
「散々グリューネヴァルト達が食べているだろう」
「いやあ、俺も食べ物に毒を盛る趣味はないけど。材料勿体無いし。大丈夫ですか?」
メレンゲが嫌いだったら困るので、一応孝宏はツヴァイクとローデリヒに確認した。ツヴァイクが笑って手を振る。
「ああ、美味しいな。陛下にも差し上げたい位だ」
「宜しければどうぞ。〈時空鞄〉に入れておけば湿気らないと思います」
孝宏はポーチから新しいメレンゲの紙袋を出してツヴァイクとローデリヒに差し出した。
「うん、そういう子だよね君は。有難う」
ツヴァイクが紙袋を受け取って、やはりポーチ型の〈時空鞄〉にしまった。ローデリヒも目を丸くして礼を言い素直に受け取る。
「ヒロは余りリグハーヴスから出ないのに無理を言ったね」
「アルフォンスに頼まれたからな。煩いのがいるんだろう?」
エンデュミオンが鼻を鳴らす。ツヴァイクが腕を伸ばし、抱っこ紐で孝宏とくっついているエンデュミオンの頭を撫でた。
「君達は社交界にも出ないからね。でもヒロにちょっかいを掛けたら、リグハーヴスとヴァイツェアと〈暁の砂漠〉を敵に回す事になるからね。そんな馬鹿はいないと信じたいけど」
孝宏はリグハーヴス在住を王宮と聖都に認められている。しかし保護者のイシュカはヴァイツェア公爵の長子なので後ろ盾はヴァイツェアになる。そして〈暁の砂漠〉はリグハーヴスとヴァイツェアと同盟関係にあるのだ。
「こちらも一々呪いたくないから、そう願いたいな」
エンデュミオンも宙に浮いた肢をぷらぷらと揺らしながらそう嘯いた。
王弟ダーニエルが闇竜ヴェヒテリンと広場に現れたのは、それから十分程後だった。集合時間ぴったりだ。流石軍人、時間には正確だ。
今日は竜の手入れの仕方や鞍付ハーネスの付け方の確認の後、飛行訓練になるらしい。竜騎士毎に従騎士が付いて、ハーネスの点検をしてくれる。孝宏の元に来たのは、昨日会った従騎士だった。トーマと名乗った彼は、職業従騎士で、孝宏より年上だった。
「これは良いハーネスですね。付け方も御上手です」
「年代物だが、丈夫でな」
点検の為コボルトサイズになったグリューネヴァルトもぐるぐると喉を鳴らす。
孝宏は気になっていた事をトーマに訊いた。
「今回は人が乗れる大きさの竜の訓練だったと思うんですが、ローデリヒ殿下も参加なんですね」
「ええ。竜に乗って空を飛ぶ感覚をお知りになりたいとおっしゃられて。ツヴァイクのゼクレスに同乗されます」
竜は生まれて数年で人を乗せられる大きさまで成長する。ゼクレスは若い方の竜だが、二人を乗せられる年齢だ。
その後は竜の手入れの仕方の講習だったのだが、解ったのは明らかにリグハーヴスの竜達とは違うという事実だった。
なぜか竜を本当の大きさにしてから手入れを始めるのだ。数人がかりで脚立を持ってきたりと忙しい。手入れの見本を見せる為に大きくなっているのかと思ったら、そうではないらしい。
思わず孝宏は唸る。
(雇用の為なのか? そもそもリグハーヴスでは竜舎に入れてないもんな……)
リグハーヴスの竜達は常に幼竜化して主と一緒に暮らしている。食べる物も同じ物を食べ、風呂に入り、暖かな寝床を与えられている。エンデュミオンとキルシュネライト以外、実際にまだ幼竜だというのもあるが、成龍になっても変わらない気がする。
恐らく王都の場合は、竜騎士と竜を民に見せる行為が重要なのではないかと思われる。他領の場合は逆に、王都に慮り成龍を表に出すのを控えている。
爪などの手入れをするなら、コボルトサイズになって貰った方がやりやすいだろう。わざわざ本当の大きさになって貰うよりも。
「きゅ」
コボルトサイズのグリューネヴァルトが孝宏の膝に頭を擦りつけて来たので、指を立てて掻いてやる。
「きゅー」
気持ち良さそうに目を細めるグリューネヴァルトを、闇竜ヴェヒテリンが凝視していたのだが、孝宏は気付かなかった。
講習の後は一度休憩になった。孝宏は飽きて来たらしいグリューネヴァルトに水筒に入れてきた〈精霊水〉を飲ませながら、エンデュミオンに小声で言った。
「竜を大きくしてから手入れするのって、大変じゃないのかな」
「昔からの慣例と誇りだろうな。竜も竜騎士も。グリューネヴァルトはべたべた触られるのが好きじゃないから、エンデュミオンが世話をしていたがな。そもそも普段は幼竜化しているし」
グリューネヴァルトは食べたい物があればねだる。水浴びも温室やケットシーの温泉で好きな時にしている。かなり自由自適な生活である。
「随分長い間グリューネヴァルトは王領の森に籠っていたから、好きにさせてやりたいんだ」
「リグハーヴスの竜達は皆結構自由だよね」
「まだ揃って子供だからな。飛行訓練位しか出来ないんだ。もう少し大きくなったら魔法の訓練も始める。その時にはグリューネヴァルトとキルシュネライトが先生だな」
「そっか」
つまり、フィッツェンドルフの水竜シャルンホルストの時のようになるのだろう。キルシュネライト先生はスパルタである。飴と鞭なら飴用のおやつをたっぷり作って持たせてやろうと孝宏は心にメモした。
「では飛行訓練を始める。名前を呼ばれた者から上空で待機するように」
ダーニエルの指示でヴェヒテリンが竜騎士と竜の名前を呼んで行く。孝宏達は邪魔にならないように広場の端に異動した。どうやら身体の小さな竜から呼んでいるらしい。
「プラネルト、レーニシュも結構大きいですよね?」
「そうだね、グリューネヴァルトより若いけどね」
プラネルトによれば、レーニシュは四百歳位だという。先に名前を呼ばれたプラネルトとレーニシュが「お先に」と青紫色の被膜のある翼を広げ空に飛び立っていく。次に呼ばれたのがツヴァイクとローデリヒ、ゼクレスだった。ゼクレスはレーニシュよりも小さいが、充分二人を乗せられる大きさだ。純白の身体の光竜は神々しい美しさだ。ツヴァイクが珍しい光竜の卵に選ばれた時、誰も反対しなかったのは王妃と対になる王の伴侶たるツヴァイクだったからだろう。光竜は高位の癒しの術が使えるので、神殿の神官の元で生育される風習があるのだ。
「タカヒロ、エンデュミオン、グリューネヴァルト」
「はい」
先にコボルトサイズのグリューネヴァルトがとてとてと広場の中心に走って行く。やっと飛べるので嬉しそうだ。ふわりとグリューネヴァルトの姿が一瞬揺らいで、一気に目の前の質量が増す。
「きゅっきゅー!」
大きくなっても可愛い鳴き声は健在で、孝宏は口元に笑みが浮かぶのを止められない。
「背中に乗るね」
「きゅっ」
声を掛けてからハーネスに掴まり背中の鞍に座ってベルトを締める。エンデュミオンの抱っこ紐もゆるみがないか確認する。
「よし行こう、グリューネヴァルト」
「きゅー」
ばさりとグリューネヴァルトが翼を広げる。翡翠色の被膜や鱗は宝石を伸ばしたような色合いでとても美しい。
ゆっくりと秋の薄青い上空に浮かび、レーニシュの隣に行く。プラネルトが笑っているのが見える。
「はは、本当に大きいんだね」
─グリューネヴァルト、おっきいー。
「俺も初めて見た時には驚きました」
身体を拡縮出来る仕組みが理解不能である。
下からダーニエルを乗せた漆黒の鱗を持つヴェヒテリンが飛んで来て、他の竜の一段上に停滞した。やはりヴェヒテリンはグリューネヴァルトと同じ位大きかった。
「隊列を組んでの飛行訓練をする。私の右手先頭から風の精霊の動きを追え」
凛としたダーニエルの声が済んだ空気に響く。
「……精霊の動きを追う?」
孝宏は眉間にぎゅっと皺を寄せた。孝宏の視界に精霊は見えない。
どうやらここに居る竜騎士は皆精霊が見えるらしい。
(じゃなくて精霊が見えない方が少ないんだっけ)
見えないものは仕方がない。
「エンデュミオン、宜しく」
「うん」
上空での指示はエンデュミオンに任せるしかない。元々孝宏はグリューネヴァルトの背中に乗っているだけのようなものだ。せいぜい落っこちないように頑張ろう。
ダーニエルかヴェヒテリンに頼まれた風の精霊の後を竜達が追い掛ける。後方から見るその風景は圧巻だ。途中から二列や四列、上下二段などの隊列を組む訓練を行う。流石に王都の竜達は普段から訓練をしているだけあって、きっちりと飛んで行く。他の領から来た竜は、竜の多さに慣れないのかあまり集中出来ていない感じがした。
─たーのしー!
「きゅっきゅー!」
レーニシュとグリューネヴァルトは普通に楽しんでいたが。
「こら、訓練中は私語禁止!」
─ぶー。
「ぎゅー」
ヴェヒテリンからのお叱りに不満を漏らしつつも、初日の訓練は終了したのだった。
かなり自由なグリューネヴァルトです。エンデュミオンと孝宏の命令しか聞きません(〈Langue de chat〉の家族のお願いは聞きます)。
黒い騎士服イコール王族レベルの人なので、孝宏とツヴァイクが話しても邪魔されないのです。
ローデリヒとは殆ど会った事のない孝宏ですが、子供にはお菓子をあげます。