竜騎士訓練の招待状
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
王都への招待状です。
340竜騎士訓練の招待状
「ひろ、おてまみ」
「有難う、シュネー」
アインスと温室に朝のベリー摘みに行っていたシュネーバルが、戻って来るなり台所に居た孝宏に白い封筒をくれた。庭で精霊便を風の精霊に渡されたのだろう。
「誰からだろ。相変わらず飾り文字は読めないなあ……」
黒森之國では流麗な飾り文字である程、地位が高い人間からの手紙だったりする。平民は読み易さ重視なのだ。
流石に宛名書きは読めた。孝宏の名前とエンデュミオンの名前が書かれている。
「エンディ、誰かから手紙来たんだけど読めない」
基本的に孝宏宛の手紙はエンデュミオンに翻訳して貰っている。大分会話には不自由しなくなって来たが、読み書きはまだ怪しい。
「どれ」
椅子に登ってテーブルにフォークとスプーンを並べていたエンデュミオンが、孝宏から手紙を受け取った。宛名書きが自分と孝宏の連名であると気付いて、鼻の頭に皺を寄せる。
くるりと封筒を裏面に返す。
「王都竜騎士隊? なんで竜騎士隊からうちに手紙が来るんだ?」
竜と剣の紋章がある赤い封蝋のある封筒を爪で開き、中から便箋を取り出す。
「……」
読んで行くうちに、エンデュミオンの鮮やかな黄緑色の目が据わっていく。
「どういう事だ? アルフォンスは何をやっていたんだ?」
「何書いてあるの?」
「エンデュミオン、手紙来たよ」
エンデュミオンが読み上げようとしたタイミングで、半分寝ているルッツを抱いたテオがやってきて封筒を差し出した。
「部屋の窓を開けたら風の精霊に渡されたんだ」
「有難う。むう、こっちはアルフォンスからか。……朝食の後で孝宏とイシュカと領主館に来てくれと書いてある。普段着で構わないそうだ」
「お仕着せでいいかな」
大抵領主館へ行く時は、店に出る時の服で行っている。
「それで大丈夫だ」
ふん、と鼻から息を吐いて、エンデュミオンは二通の手紙を〈時空鞄〉に放り込んだ。
朝食を済ませた後、店番をカチヤとテオに頼んで、エンデュミオンは孝宏とイシュカ、ヴァルブルガを連れて領主館に〈転移〉した。
自分だけで行くなら執務室に直接跳ぶが、孝宏達が一緒だときちんと玄関から訪問する。
イシュカがノッカーを掴んで扉を叩く。
「お待ちしておりました」
殆ど待たずに執事のクラウスが扉を開けた。クラウスの背後から白虎型キメラのココシュカも現れる。ココシュカは孝宏を見て嬉しそうな顔になった。
「ヒロ! おやつ!」
いつも温室に遊びに来るとおやつをあげているので、孝宏イコールおやつをくれる人になっている気がする。ココシュカの主食はクラウスの魔力であって、それ以外の食事は嗜好品である。
「ココシュカ、今日はアルフォンスに呼ばれたんだ」と言いつつ、エンデュミオンが〈時空鞄〉から雷の素入りチョコミントクッキーの紙袋をクラウスに渡す。
「有難うございます。執務室にご案内します」
クラウスはいつもの応接室とは異なり、二階に孝宏達を案内した。アルフォンスは領主館で執務をしているが、領主館は街から少し離れている為、街長以下リグハーブスの官吏は街の役所にいる。決裁書類は日に一、二度届けられ、急な連絡は精霊便で行う。
クラウスが執務室のドアをノックすると、すぐに「どうぞ」と返事があった。
「来たぞ」
クラウスが開けてくれたドアをくぐるなり、部屋の主に向かってエンデュミオンが言った。執務机に向かっていたアルフォンスが「呼び立てて悪かったね」と言いながらゆっくり立ち上がった。
「ふん、顔色が悪いアルフォンスが〈Langue de chat〉に来ても困る」
「後で診察するの」
「お願いします」
ヴァルブルガにアルフォンスより早く返事をしたクラウスが、お茶を淹れに続き部屋に消える。
「はあ……頼む。掛けてくれるかい」
アルフォンスが間に低いテーブルを挟んだソファーに腰を下ろす。孝宏達もそれぞれケットシーを膝に乗せて向かいのソファーに座った。アルフォンスの膝の上には、先にソファーに座っていた笹かまケットシーのカティンカがそっと移動した。自然な動きでアルフォンスがカティンカを撫でる。カティンカが移動した場所にはココシュカが丸くなった。
カティンカはメイドのエルゼのケットシーだが、日中はクラウスが預かっているので執務室に居るのだ。
「呼んだのは手紙に書いた事の説明だよ」
「朝から驚かされたが、なんだって孝宏が竜騎士の訓練に参加する事になったんだ?」
そうなのである。朝食の席でエンデュミオンに手紙の内容を教えられた〈Langue de chat〉の全員が「は!?」と声を揃えた位だ。吃驚以外の何物でもない。
「この間、領主会議があったんだ」
アルフォンスがこめかみを指先で押さえた。頭痛がするのかもしれない。かすかにカティンカの身体が緑色に光り、弱い〈治癒〉を発動したのがエンデュミオンに見えた。
「そこで各地域の竜の育成具合の報告になってね。王都以外は守護竜を除くと殆ど成竜はいないから、まだどこの領も幼竜の編隊を組んだ飛行訓練位しか出来ていないんだ。そうしたら王都の竜騎士隊の訓練に、他領の成竜だけでも参加すればいいじゃないかって言い出した奴がいてねえ……」
何だか恨み節になっている。そしてどんどん顔色が悪くなっている。
エンデュミオンは精霊鈴花の砂糖漬けの小瓶を、孝宏の膝から乗り出してテーブルに置いた。
「アルフォンス、食え」
「……」
黙って小瓶から塘衣のついた青い花を掌に一つ落とし、アルフォンスは口に入れた。
「カティンカ、アルフォンスのお腹に〈治癒〉してあげて」
「ああい」
ヴァルブルガの指示を受けて、カティンカがアルフォンスに抱き着いた。胃の辺りが緑色に光る。
奥の小部屋から戻ってきたクラウスが、薄青いハーブティーが注がれたティーカップをテーブルに置いて行く。テーブルの真ん中には持ってきた雷の素入りチョコミントクッキーの皿がそっと置かれた。アルフォンスの背後に戻る途中で、クラウスはココシュカの口にクッキーを一枚入れていった。もぐもぐと咀嚼していたココシュカがソファーから一瞬浮いた。
「ぎゃう!? パチパチする!」
「雷の素を入れてみたんだよ」
「ああ、丁度領主会議の日に雷の素が降ったそうだな。エンデュミオンが流したやつか? ギルドから王宮に献上されたそうだぞ」
ハーブティーを一口飲んで、アルフォンスが息を吐く。少し治まったのだろう。
「で、さっきの話に戻るが、少し前まで報奨で竜の卵を下賜していたから、王都以外にも成竜を持つ騎士家は確かに幾つかあるんだ。代々上手く継承出来れば、竜騎士になるからね」
学院の騎士科を卒業出来れば準貴族になれるので、竜を下賜された家の子供はほぼ騎士になるのが義務化されるようなものらしい。
「訓練に土地の守護竜は除外されるのは当然なんだが、リグハーヴスだけは例外だと。成竜が二頭いるから」
現在リグハーヴスの水の守護竜はキルシュネライトである。土地の守護をしているのはグリューネヴァルトだが、グリューネヴァルトはエンデュミオンの契約竜だ。
「二頭いるなら片方を訓練に出せと言われたか?」
「ああ。そうなると騎乗出来るのはグリューネヴァルトだけだろう? しかしケットシーのエンデュミオンは孝宏と契約している。だから孝宏も訓練に出せと」
イシュカは孝宏の保護者になっているので、イシュカの許可も必要になる。その為この面子で呼ばれたらしい。
「しかしヘア・アルフォンス、孝宏は戦闘訓練などは無理ですよ。今まで竜に乗ってもいません」
イシュカも孝宏も〈Langue de chat〉では非戦闘員である。カチヤの方が元猟師なのでよっぽど戦闘能力がある。
「私もそう言ったんだが」
「誰だ、そんな話を持ち込んだのは」
「王弟ダーニエルだ。ヴェルナー公爵家の当主で、闇竜ヴェヒテリンの契約者だ」
「今〈見張り〉は王弟と契約しているのか」
不機嫌そうにエンデュミオンの縞々尻尾が動く。
「〈見張り〉?」
「闇竜ヴェヒテリンは代々王家の誰かと契約するんだ。しかし王とは契約しない。だから〈王の見張り〉と呼ばれている。ヴェヒテリンと契約した者は、竜騎士隊隊長になる決まりだ。第一王子ローデリヒは木竜ラプンツェルと契約したが、あの子は騎士と言うより文官寄りだから、ヴェヒテリンと契約するより良かったと思うぞ」
「王弟ダーニエルって、俺会った事あるかな?」
孝宏の記憶にないので、直接挨拶していないのだろう。
「新年祝賀会に居たかもしれんが、臣籍降下しているからな。髪や目の色は王家の色をしているぞ」
王弟ダーニエルは前王の次男だが、子供の頃に闇竜ヴェヒテリンと契約したので、早々に王位継承権を失っている。現王マクシミリアンより数年早く結婚し、ヴェルナー公爵家を興した。現聖女フロレンツィアの父親だ。ちなみにマクシミリアンとは二歳違いらしい。
「竜の卵の配布に関しては、ひと悶着あったからな。功もない平騎士に与えるのはけしからんと王に訴えていた上級準貴族もいてな」
「文句があるなら申し込めと言ったんじゃなかったか?」
「マクシミリアンとツヴァイクがエンデュミオンとの面接まで通してやったが、そこで篩い落とされていたな。自称竜騎士になる予定の騎士も随分落ちたと聞いた」
「仕方ないだろう、ケットシーの目で見て不可だったんだから」
「それは仕方ないな」
あっさりとアルフォンスは頷いた。
「そんな事情もあって、孝宏を訓練に出すのはいかがなものかと思ってな」
「俺は炊飯係しか出来る気がしませんけど」
孝宏の言葉に全員が吹き出す。その通りだと思ったのだろう。
「まあ、王弟ダーニエル自体は公正な男だから大丈夫だと思うが」
「ヴェヒテリンもいるしなあ。ダーニエルが間違った事をしそうになったら、物理的に叩くだろうな」
「物理的に?」
「ヴェヒテリンは雌竜なんだ」
気が強いらしい。そういえばキルシュネライトも気が強いなと孝宏は納得した。
「ヘア・アルフォンス、俺としては孝宏の安全が確保されるのなら許可します……と言うしかないんですよね?」
「申し訳ないがそう言う状況だ、ヘア・イシュカ。断ると他の領に角が立つ。孝宏が〈異界渡り〉なのは知られ始めているから、いつまでリグハーヴスに隠しておくつもりだと囁かれているからな」
「うわ心外! この間皆でヴァイツェアとハイエルンに行ったりしてるのに!」
言いがかりも甚だしく、孝宏が憤慨する。エンデュミオンは苦笑いした。
「あそこは安全な領主の家と人狼の里だからなあ。とは言え、イシュカが孝宏を連れて社交界に出る訳で無し」
「ルリユールが社交界に出てどうするんだよ……」
イシュカが頭を抱える。ヴァイツェア公爵ハルトヴィヒに認知されたので、イシュカはヴァイツェアの第二位継承者であるが、平民として育っているので準貴族としてのふるまいなどは知らないのだ。孤児院時代にシスターに行儀を叩き込まれ、「行動が上品なのでそのままで大丈夫」とハルトヴィヒ達に言われてはいるのだが。
「つまり、この訓練は孝宏のお披露目も兼ねているっていうのか?」
「新年祝賀会に直接参加出来ない位階の者達に対しての、だな」
「仕方がない。久し振りにヴェヒテリンに会いに行くか。あれも〈準柱〉みたいなものだし」
「気に入らない事があれば、マクシミリアン王かツヴァイクに言ってくれればいい」
思い切りアルフォンスは王とその側近にぶん投げた。
「そうしよう。ええと、訓練用の騎乗服はどうしたらいいんだ?」
「生地と型紙を預かって来ている。フラウ・マリアンに依頼してくれ。請求は竜騎士隊宛で良い」
「こちらです」
クラウスが布包みが載ったワゴンを押して来る。
「どれ」
孝宏の太腿の上に立ったエンデュミオンが包んである布を捲る。中には畳まれた黒い布と紙袋が入っていた。紙袋に入っているのは型紙や糸などだろう。
「……漆黒か」
「〈異界渡り〉となりますと、扱いが準王族になりますから」
漆黒は黒森之國では特別な色の一つであり、黒い騎士服は王家の人間とツヴァイクのみが纏えるものだ。
「胸章と腕章の刺繍も必要だな」
竜騎士訓練は半月後だった。まるで嫌がらせのようである。恐らくは、どのくらい時間を掛けて騎乗服が作られているかなど知らないだけなのだろうが。
「エンデュミオン、刺繍はヴァルブルガがやるから大丈夫なの」
「頼む。胸章にリグハーヴスの紋章で、腕章に竜騎士の紋章だ」
「うん」
仕事が早いヴァルブルガなら間に合うだろう。
「手綱もオイゲンに確認して貰わないといけないし、孝宏にグリューネヴァルトに乗せる練習もいるな」
暫く忙しくなりそうである。エンデュミオンと孝宏は同時に溜め息を吐いたのだった。
本来ならエンデュミオンが呼ばれる訓練ですが、ケットシーが騎乗者で訓練はないだろうと契約者の孝宏も呼ばれる事に。
ヴェヒテリンはグリューネヴァルトよりも少し年上の闇竜。誰かと契約している竜としては一番の年上です。
グリューネヴァルトとキルシュネライトが同じ位の年齢かも。
キルシュネライトは人と契約していないので、誰かを背中に乗せたりするのは嫌がります。
基本的に契約竜は契約者以外を背中に乗せるのは好きではありません。
グリューネヴァルトの場合は、〈Langue de chat〉で可愛がられているので、家族ならオッケーという感じです。