雷の素
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
雷の贈り物。
339雷の素
九の月に入り、リグハーヴスは早くも秋の気配がして来た。北にあるリグハーヴスは冬が早い。この間まで暑い日もあったのになあと、孝宏は二階の居間で洗濯物を畳んでいた。
今日は午前中にルッツ達年少組が温室で水遊びをしてきたので、いつもより洗濯物が多いのだ。それでもエンデュミオンに洗濯乾燥して貰った小さな服達は可愛らしくて、畳むのは苦ではない。
洗濯物を量産してきたルッツとヨナタン、シュネーバルとアインスは、昼御飯の後で座布団を並べて毛布を掛けてお昼寝中だ。寝息が可愛い。
エンデュミオンとヴァルブルガは、定休日の店でイシュカとカチヤと一緒にランプの火屋を磨いていた。前肢の小さなケットシーは火屋を磨くのが上手い。
「暗くなって来たな」
愛馬エルシャの鞍をオイルを付けた布で磨いていたテオが、窓を見上げた。孝宏もつられてどんよりと紫がかった灰色の何とも言えない色合いの空を見た。
「変な色の空だね。ホーンの天気予報で雷に注意って書いてあったけど」
リグハーヴス新聞には先見師ホーンの天気予報が載っている。今週の予報では天気は崩れがちで、雷に注意になっていた。雷雨では無くて、雷。少し変わった予報だと孝宏は思ったものだ。
ゴロゴロゴロ、と遠くで雷の音が聞こえ始めた。次第に雷鳴が近付いて来るのが解る。
「うわあ、来るかなあ」
「リグハーヴスはエンデュミオンの他に、木竜グリューネヴァルトと水竜キルシュネライトの守護があるから大丈夫だと思うけど」
竜の守護がある土地は、大きな災害にはならないらしい。それでも暴風雨が襲ってきた事もあるのだ。災害大国生まれの孝宏としては、はらはらしてしまう。
「わ、光った」
灰紫色の雲の間からチラチラと黄色い稲妻が走るのが見える。
「……なーに?」
雷の音が耳に触ったのか、ルッツが目を擦りながら起き上がった。耳が大きなルッツは音に敏感なのだ。
「ルッツ、今雷が──」
テオが説明しようとした瞬間だった。
ビカッ! と窓の外が鮮やかな金色に染まり、ドカーン! と凄まじい音が響き渡った。ビリビリと窓硝子と床が揺れる。咄嗟に孝宏とテオはルッツ達の上に覆い被さった。
ゴロゴロゴロ……と次第に雷鳴が遠ざかって行くまで、孝宏達はそのまま動けなかった。
「……通り、過ぎた?」
「と思う」
はあ、と息を吐いてテオが身体を起こした。孝宏も緊張で強張った背中を戻す。
「皆大丈夫だった?」
流石に全員目を覚ましていたが、目を見開いたままぷるぷると震えている。
「うええー」
「ううー」
最初に泣き出したのはルッツで、シュネーバルも続けて泣き出した。ヨナタンとアインスも涙目だ。
「怖かったね、もう大丈夫だよ」
頭を撫でて額にキスをして、妖精達は漸く落ち着き出した。
「孝宏、テオ、皆怪我はないか?」
一階からエンデュミオンとヴァルブルガを抱えたイシュカが二階に上がって来た。後ろからカチヤも付いて来ている。
「吃驚しただけかな。あーいや、一寸耳が遠くなってるかも」
大きな音を聞いたので、鼓膜がやられている気がする。
「おみみ、いたい」
ルッツが、ズビと鼻を啜りながら前肢で耳を押さえた。イシュカに床に下ろして貰ったヴァルブルガがすぐにルッツの診察を始める。
アインスも自分の耳に〈治癒〉を掛けて確認してから、シュネーバルとヨナタンの耳に〈治癒〉を掛けていく。
「どれ孝宏診せてみろ」
「ん」
エンデュミオンがやってきたので、孝宏は抱き上げた。むに、とエンデュミオンの黒い肉球が耳に押し当てられる。その柔らかさに思わず笑いが込み上げる。
「少し鼓膜が傷んでいるな。〈治癒〉しておこう」
ぽわ、と耳が暖かくなった。耳の中に感じていた違和感が消えていく。
「エンデュミオン達は大丈夫だったの?」
「店に居たから、この部屋より雷から遠かったしな。雷が落ちたのは裏庭だ」
「うえっ、火事になってない?」
「イシュカと確認したから大丈夫だ。エンデュミオンの結界もあるしな。それより面白い物があったぞ。治癒が済んだら皆で裏庭に行こう」
「面白い物?」
「うん」
エンデュミオンが立てた縞々尻尾を緩く振った。どうやら実際見るまで教えてくれないようだ。
「〈暁の砂漠〉でも雷は落ちるけど、ここまで近いのは初めてだったなあ」
ルッツの後にヴァルブルガに〈治癒〉して貰ったテオが苦笑する。
〈暁の砂漠〉は点在するオアシス以外は流砂を含む砂漠であり、雷雲が出た場合は雷が落ち放題なのだそうだ。
「そんな雷の後には、時々変わった物が落ちてるんだ」
「変わった物? あっ」
もしかしてとエンデュミオンの顔を孝宏が見ると、口元がふくふくしていた。当たりのようだ。
端切れ布で鼻を綺麗にしてもらったルッツが元気を取り戻すのを待って、皆で裏庭に下りる。テオが先に立って裏庭に続くドアを開け、確認してから外に出た。
「うわー、こりゃ凄いわ」と言うテオの声を聞きながら、孝宏も裏庭に出た。
そして目を瞠る。
「なにこれ!?」
シュネーバルと一緒に丹精込めている裏庭いっぱいに、鮮やかな黄色い金平糖のような物が散らばっていた。しかも大きい。孝宏の感覚では五百円玉サイズのスーパーボール並みだ。
エンデュミオンが足元にあったそれを一つ拾い上げる。
「これは〈雷の素〉と言われる、雷の落し物だな。食べられるし、錬金術の素材にもなるんだ。通常は〈暁の砂漠〉で採取されるもので、街中で降るのは珍しいぞ」
「へえー。あっシュネー!」
食べられる、と聞いたシュネーバルが拾い上げた〈雷の素〉を咥えた。
「ぶー」
しかしすぐに初めて聞く音を立てて、シュネーバルが〈雷の素〉を吐き出した。
「シュネー!?」
「うう、いちゃい」
「危険なの!? シュネー、お口見せて」
慌ててアインスがシュネーバルに口を開けさせる。
ぱかりと開いたシュネーバルの口の中に怪我はなかった。エンデュミオンがすまなそうな顔で、頭を掻く。
「〈雷の素〉はピリピリするんだ。飲み物に入れると炭酸水みたいになる。細かく砕くと口の中で弾ける素材になる。このままの大きさだと一寸ピリピリが強すぎるんだ。まあ、それを好む奴もいるんだがな。竜とか。キルシュネライトが好きだったと思う」
それは身体の大きさが違い過ぎる。キルシュネライトが好きなら、後で供物としてあげようと孝宏は心にメモしておく。
「各ギルドにも売れるから拾い集めよう。多分ここに落ちたのが解ると、分けてくれと言って来ると思うぞ」
「〈雷の素〉は嗜好品として売られているんだよ」
一度母屋に戻って台所から籠を持ってきたテオも、シュネーバルの頭を撫でながら言った。
「じゃあ拾い集めるか」
イシュカの声で、皆が近くにある物から拾い集める。
「あ、微妙に色が違うんだ」
籠の中に集まってくると、〈雷の素〉の色は、濃いものと薄い物があるのが解った。
「濃い方がピリピリが強いんだよ」
テオが集めた〈雷の素〉を、掌から籠に流し入れた。慣れている者が買う場合は、色で選んで買うのだと言う。
「私これで作った食べ物って、聞いた事ないです」
カチヤが指先で摘まんだ〈雷の素〉をしげしげと見詰めた。
「そうだなあ、通常は酒や果汁の器に入れてピリピリする刺激を楽しむものだからな。あとは細かく砕いて風味を付けて舐めるんだ。珍しいものだから単価が高いし、買う奴は限られるな」
せっせと〈雷の素〉を拾い集めながら、エンデュミオンが答える。つまり、物好きな冒険者以外は、上流階級で買い占められるのだろう。
「炭酸みたいなものなら果物と薄いシロップと一緒にこれ入れておいておけば、しゅわっとする果物出来ると思うけど。あと細かく砕いたやつアイスクリームに入れると、パチパチ弾けるんじゃないかな。砕いたやつに飴がけしても使えるのかな?」
「飴の中に入れた物は王都であった気がするから平気だと思う。ふむ、ならラルスにもやるか」
ラルスの居る〈薬草と飴玉〉は色々な飴を作って売っている。
「これで全部かな?」
畑の野菜の陰もシュネーバルが覗き込んでいたので、ほぼ見逃しはないだろう。シュネーバルが吐き出したものも、エンデュミオンが〈洗浄〉をかけて回収した。
〈雷の素〉は持ち手付きの籠一杯に山盛りになった。拾い集めで腰が痛い。孝宏は握った拳で腰を叩いた。
「シュネー、温室で葡萄取って来てくれる? おやつに食べる位の量で」
「う」
「アインスも行く」
仲良し兄弟が温室へ行くのを見送り、孝宏達は母屋に戻った。
「イシュカとテオはギルドへ渡す分の寄り分けを手伝ってくれ」
「ああ」
「いいよ」
エンデュミオン達は一階の居間で〈雷の素〉を袋詰めにするようだ。ヴァルブルガが作りためた生成りの布袋を入れている引き出しから、小さな巾着をまとめて抱えていく。
「ええと、これ乳鉢で砕けるのかな」
孝宏は台所の作業台の上に、握っていた濃い黄色とそれよりも薄い黄色の〈雷の素〉をばらばらと転がした。濃い黄色の中の一つは、シュネーバルが吐き出したやつだ。〈洗浄〉してあるので問題ない。
香辛料を砕く為の深型の乳鉢に〈雷の素〉を一つ入れ、手で蓋をするようにしながら乳棒で叩いてみる。バチッというおよそ香辛料とは似てもつかない弾ける音を立てて、砕けた感触が手に伝わって来た。意外と簡単に砕けた。
「まあ、小さなものは歯で噛み砕けるんだから……」
バチッバチッと音をさせつつ心持ち大きめに砕く。これを飴がけしてからまた砕くのだ。
濃い色と薄い色の〈雷の素〉を幾つか砕いて小鉢に集めておく。
「ぶどう、とってきた」
「緑のと紫の両方あるけど」
上下に別れている裏庭へのドアの下側が開いて、シュネーバルとアインスが戻って来た。孝宏が出したボウルに〈時空鞄〉から葡萄を入れてくれる。
「有難う。ついでに洗ってくれる?」
「うん」
アインスが水の精霊に頼んでボウルの葡萄を洗ってくれた。
「で、葡萄を房から外します」
「う」
「うん」
椅子に登ったシュネーバルとアインスがぷちぷちと葡萄を房から外してくれている間に、カチヤにサイダー程度の甘みのシロップを作ってもらう。孝宏は砕いた〈雷の素〉を飴がけする。
「房から取った葡萄を蓋つき容器に入れて、シロップを注ぎます。そこに濃い色の〈雷の素〉を一つ入れ蓋をします。これで保冷庫に入れておけば明日には食べられると思うよ」
「あした?」
「今日のはこれから作るやつ。シュネーにも手伝って貰うね」
残念そうなシュネーバルの耳の付け根を掻いてやり、孝宏は開けたついでに保冷庫からアイスクリームの材料を取り出す。
「あいしゅ!」
「そうそう」
氷の精霊魔法が得意なシュネーバルには良く手伝って貰っている。
「パチパチのアイスと言えば、ほんのりミントフレーバーのあれだよな」
元の世界に会った、バニラとミントグリーンのアイスクリームに、赤や濃い緑の弾ける飴が混ぜてあったものを思い出す。多分あれに近いモノが出来上がる筈だ。
ボウルに入れたアイスクリーム液に、ミントエキスと緑色の色素をほんの少し落とす。うっすらと色の付いたアイスクリーム液をシュネーバルに冷やして貰いながら、カチヤが木べらで混ぜていく。
孝宏は飴が固まった〈雷の素〉を再び少しずつ乳鉢に入れて細かく砕いた。面白い事に、砕いても〈雷の素〉は粉っぽくはならなくて、一番小さな破片でもグラニュー糖状態だ。
細かな破片を指に付けて舐めてみる。
「ん」
パチパチっと懐かしい刺激が舌の上で弾けた。
「ヒロ、固まってきました」
「良い感じだね」
孝宏はジェラード状になったアイスクリームに、〈雷の素〉の飴がけを投入して混ぜて貰う。薄いミントグリーンのアイスクリームに、鮮やかな黄色い粒が自己主張している。
「青い妖精鈴花で色を付けたアイスクリームに入れたらもっと綺麗かも……」
「凄く贅沢なアイスクリームになりそうですけど。多分献上品並みになっちゃいますよ」
〈Langue de chat〉では見慣れた妖精鈴花だが、本来は稀少素材の為市場での売価は物凄く高いのだ。
「うん。でも多分作る事になるよ」
シュネーバルとアインスの目が輝いている。きっとあっという間にケットシーの里のケットシーに伝わって、妖精鈴花のエキスを持って来るだろう。
「ケットシーの里の大鍋で作れば一度に沢山出来るかな」
里のケットシー分を作らねばならない予感がする。エンデュミオンは家の分の〈雷の素〉はしっかり確保するだろうし、皆に作る分はあるだろう。
「アイスクリーム出来たし、おやつにしようか」
「おやつ!」
妖精達の歓声が上がる。
ぱちぱちと舌の上で弾けるアイスクリームは、思いの外全員に好評だった。
「これも商業ギルドに登録しないと……」とエンデュミオンがぶつぶつと呟いていたが。
翌日のおやつになった〈雷の素〉に浸した葡萄も、しゅわっとする食感が面白かったらしく、竜と妖精達のお気に入りになった。後日テオが実家に頼んで〈雷の素〉を取り寄せたほどである。
幾ばくかの〈雷の素〉と共に、〈雷の素〉を使ったレシピをもたらされた商業ギルドは、〈異界渡り〉の恩恵として王宮に献上に走る事になったらしい。そんな状況とは知らずに、孝宏は通常運転でクッキーに飴がけの〈雷の素〉を練り込んで焼き、〈Langue de chat〉の客に提供していたのだった。
不思議な事が起きる黒森之國、たまに空から素材が降ってきたりします。
そして、とりあえず口に入れるシュネーバル……。
パチパチするアイスが好きであのアイスクリーム屋さんに行くと頼んじゃいます。
喉の奥で弾けると噎せるやつ。