面倒な巡礼者
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
やっとベネディクトにお知らせします。
336面倒な巡礼者
「面倒な巡礼者ってなんです?」
木箱に入れ掛けていた本を手に持ったまま、ぽかんとした顔でヨハネスが言った。
ヨハネスはフィッツェンドルフの〈木葉〉だったが、前領主が隠居及び流刑に処されてからは、繋がりが切れている。それにイージドールが〈女神の貢ぎ物〉であるのは、聖職者なら誰でも知っている事だ。
「僕が〈女神の貢ぎ物〉だと知っていますね?」
その場の全員が頷く。
「先程僕の甥のテオフィルとルッツが、南門の先の街道沿いにある休憩所で、聖人候補だとされる少年をつれた巡礼者達を見たそうです」
「えっ、聖人候補ですか!?」
コンラーディンが目を瞠る。
「お迎えとかどうするんですか?」
「必要ありません。彼等は通常の巡礼者として扱って構いません。何故なら、彼は聖人ではないからです」
きっぱりと言い切るイージドールに、ベネディクトが息を飲む。
「それは……ヘア・テオでも判断出来た、と考えて良いんですか?」
「正解です。聖人には一定条件があると解っています。一つ、敬虔な女神シルヴァーナの信者である事。一つ、強い聖属性を持つ事。他の属性はないか、あっても生活魔法止まりです。一つ、聖人には聖人の自覚はない事。最後に聖人とは〈女神の貢ぎ物〉が自ら見出だす事」
右手の指を折り込みながら、イージドールが説明していく。
「少年が〈治癒〉を使うのをテオフィルとルッツは見たそうですが、聖属性を感じなかったと。ケットシーのルッツが、少年には聖属性がないと言ったので間違いありません」
「聖属性がない時点で、聖人ではない?」
「そういう事です」
「ええと、でも聖人だって向こうが強く主張してきたらどうするんです? 聖人には身体的特徴なんかはないんですよね?」
ヨハネスが本を胸元で抱えて、眉根を寄せる。
「体質的特徴はありますが、目に見える痣なんかはありませんね。ただ、僕が見れば聖人かどうかはわかります。聖人に関して、僕は嘘偽りは言いません」
「解りました。では通常通りに巡礼者用の宿舎の準備をしてきます」
てきぱきと虫干しの終わった本を木箱に移し、ヨハネスはコンラーディンを連れて部屋を出ていった。
教会には大小の違いはあるが、必ず巡礼者用の宿舎が併設されている。
リグハーヴス女神教会の巡礼者用宿舎は、孤児院と同じ建物だ。子供達の安全を考えて、入口は別方向にあり中でも繋がっていない。
巡礼者用宿舎には幾つかの個室と大部屋、風呂と台所が備え付けられている。自炊も出来るし、頼めば教会からスープとパン、果物程度を貰う事も出来る。
ヨハネスとコンラーディンは、巡礼者用宿舎の換気とリネン類を取り出しに行ったのだ。
「イージドール、本当に良いのか? 通常通りの対応で。もし本当に聖人だったら」
ヨハネスとコンラーディンが出ていったので、いつもの言葉遣いになったベネディクトが、イージドールの袖を掴んだ。
「それは絶対にない。聖人は一時に二人存在しないからね」
「は……? 待てその言い方って、イージドールはもう聖人は見付けてるのか!?」
「うん。もうずっと前に見付けてるよ」
「じゃあ、猊下にお願いして聖人の元に派遣して貰わないと!」
慌てるベネディクトに、イージドールは笑った。
「派遣して貰ったから僕はここにいるんだけど」
「え?」
「ちゃんと挨拶しとこうか」
イージドールはその場に片膝をついて、ベネディクトの着ている修道服の裾を手に取り唇を落とした。
「〈女神の貢ぎ物〉イージドール・モルゲンロートは、聖人ベネディクトと生涯共にある事を、月の女神シルヴァーナに誓います。どうぞよしなに、我が君」
「……は? 誰が、なに?」
「ベネディクトが、僕の聖人」
「……」
呆然とした顔のまま、ふらりとベネディクトが後方に倒れる。
「ベネディクト!」
慌てて立ち上がり、イージドールはベネディクトを抱き止めた。
「モーント抱いてるのに倒れるなよ!」
「うう、私は良いからモーントを……」
「どっちも落とせないから! モーント、しっかり掴まってるんだよ」
「あう!」
モンデンキントが修道服にしがみついたのを確認して、イージドールはベネディクトを横抱きにして、会議室の壁際に並べてあった椅子の上に寝かせた。
「ねっど」
「大丈夫、軽い貧血だよ」
ベネディクトの膝を立たせてやり、胸の上に乗ったままのモンデンキントを撫でる。
シュヴァルツシルトはイージドールの肩からするすると下りて、ベネディクトの頭にぴたりと抱き付き〈治癒〉を掛けた。少しだけ白くなっていたベネディクトの顔色が戻る。
「お前は……っ」
ベネディクトは唸るように呟いて、手の甲でイージドールの胸を叩いた。
「いつからだ」
「気付いたの? 最初に会った時だよ」
「神学校の時じゃないか!」
「そうだよ。まだ聖職者になってない時だから、言うに言えなくて」
根回しされて、どこかの貴族や準貴族の私設教会司祭にされると困るのだ。聖人ベネディクトを手に入れればイージドールもついてくる。〈暁の砂漠〉の民は人狼に近い身体能力がある。イージドール一人でも一寸した戦力になるため、地域の力関係が変化しかねない。
「卒業と同時にベネディクトは人気のないリグハーヴスに赴任すると決まったから、まあ大丈夫だろうと」
誠実で出世欲もないベネディクトは、人に恨まれる事もない。このまま離れていても見守れると思っていたのだが。
「会議の時にエンデュミオンにばれたんだよ」
「あ、今はケットシーだもんな……」
「エンデュミオンがマヌエル師に僕の異動を頼んだみたいだ。マヌエル師は聖人の研究をされていたから、正しい知識を持っておられたんだ」
聖人と〈女神の貢ぎ物〉は共になければならない。それが月の女神シルヴァーナの思し召しである。
教会と言う軛から離れなければ、何処の教会に居ても良いだろうと、あっさりイージドールの異動は決まった。これは人望のあるマヌエル師が音頭をとったからだろう。
地下迷宮のあるリグハーヴスに、有事の対応が出来る司祭が必要だ、等とも理由をつけたらしいが。
「ううう」
「大丈夫大丈夫。聖人と〈女神の貢ぎ物〉が一緒に居ても、別に何も天変地異起きたりしないから」
聖人の寿命が〈女神の貢ぎ物〉に引っ張られて延びる位なのだ。
「待て、じゃあもう猊下も陛下もご存知なのか?」
「僕が異動した時点でね。黒森之國では、王族の姫がなる聖女の方が有名だから、民の関心はあちらに集めておこうと言う配慮で公表されてないんだよ」
本当の理由は騒ぎになって、聖人の寿命が縮んだら目も当てられないからである。
「確かにリグハーヴスに来られても何もないしな……。私に何か面白みがある訳では無し」
若白髪交じりで鋼色の癖のない髪を持つベネディクトは、整った顔立ちをしているのだが地味に見えるのだ。しかし、温和な性格をしていて誰にでも平等に対応するベネディクトの人望は厚いし好まれている。良く寝込むベネディクトに食べさせろと、右区の肉屋から美味しいレバーペーストが定期的に届くほどだ。
リグハーヴスの住人は、主席司祭の祈りの度に、銀色の光が降る光景に慣れているだけなのではと、イージドールは言いたかったが口をつぐんだ。王都や聖都だったら大騒ぎだ。多分リグハーヴスの住人の方がどこかおかしい。土地柄なのか、独特の価値観があるのだろう。
「猊下も陛下も既に聖人がいるのに、新たな聖人の噂が出たから、すぐにお知らせ下さったんだ。その上でのさっきのテオフィル達の話だ」
「何が目的なんだろうな」
「さてね。ベネディクト、気分はどう?」
「もう大丈夫だよ。驚かせたね、モーント」
ベネディクトはゆっくりと起き上がり、胸元のモンデンキントのくりくりと波打つクリーム色の毛で覆われた額にキスをした。先程からずっと心配げにキュウキュウ鳴いていたのだ。
「彼等が来たら、ヨハネス達に案内を頼んだ方が良いかもしれない。特にベネディクトは余り関わるな」
「そうは言っても聖務がある」
巡礼者である以上、彼等もミサには参加するだろう。
顔を見合せ溜め息を吐き、イージドールはベネディクトに手を貸して立ち上がらせた。
「こんにちはー!」
ドンドンと司祭館の玄関ドアを誰かが叩く音が聞こえた。
「誰だ?」
巡礼者が来るにはまだ早い。
イージドールとベネディクトは、もう一度顔を見合せたのだった。
黒森之國には各地に大小の女神教会がある。村以上の規模の集落には必ず教会が建てられる決まりだからだ。
黒森之國の神は月の女神シルヴァーナ一柱のみであり、國教である。故に願を掛けたい者は、各地にある女神教会を巡礼する慣習がある。
巡礼には幾つか方法があり、馬車を使い各街にある大きな女神教会のみを巡礼するのが観光を兼ねた巡礼として人気がある。女神シルヴァーナに対する願いが大きければ大きい程、巡礼は苛酷になり、黒森之國にある全ての女神教会を徒歩で回る方法が、古代からの正式な巡礼とされる。
巡礼者の中には一生を巡礼に懸ける者もいる。純粋に祈りの為に巡礼する者と、そうでない者とがいるが。
巡礼者は巡礼に掛かる費用をある程度は貯め、何処かのギルドに預けておいてそれを小出しにしながら旅路を回るのが普通であるが、巡礼路で通りかかる街や村でお布施を施される時もある。このお布施は自分の代わりに巡礼路を回って貰うという意味合いの物で、食べ物の事もあるが、お金を施される場合も多い。
巡礼者の中にはこのお布施目当てで巡礼をする者もそれなりに存在した。國が目溢ししているのは、一か所に固まられスラム街を作られた方が厄介だからだ。
働き口のない体力のない子供や老人は雪の少ない王都のスラムに多く残ったが、体力のある者は巡礼者となり、冬は南に夏は北にと移動を繰り返す。常に巡礼路を旅する彼らを、犯罪を犯さない限り、どこの領主も咎めなかった。
ラーモンドはそんな巡礼者の両親から生まれた。生まれたのも教会の宿舎の中だった。ラーモンドは孤児院に預けられる事なく、親に連れられて巡礼に道に入った。両親が冬の流行り病で相次いで亡くなった後も、ラーモンドは巡礼を続けた。それしか生き方を知らなかったからだ。
聖人の話を聞いたのは、子供の頃に何処かの教会の司祭からだった。市井のどこかに聖人はいるが、中々見付からないものなのだと。もし聖人が見付かったら? と尋ねたラーモンドに、その司祭は「唯人が見付けられるものじゃないんですよ」と真面目な顔で首を振った。
ラーモンドは司祭に色々と質問をしたが、司祭もどのような者が聖人なのかは知らなかった。だからラーモンドは考えた。聖人とは素晴らしい資質を持った者に違いないと。一緒に巡礼していた者達とも、聖人に相応しい人物像を話し合った。
きっと聖人とは、美しく病み傷付く者には無償で〈治癒〉を施すような者に違いないと。それからラーモンドは聖人を捜しながら巡礼をするようになった。教会宿舎に泊まる度に、情報収集してみたりもした。
ある時、ヴァイツェアの教会にいた年老いた修道士と話していた時、彼から驚くべき話を聞いた。聖人は〈女神の貢ぎ物〉にしか見付けられないのだと。
「今代の〈女神の貢ぎ物〉はあそこにいるよ」と老修道士が指差したのは、背の高い蜜蝋色の髪をした美丈夫だった。金髪とも色の違う腰まで届くような長い髪を束ねている〈暁の砂漠〉の民が〈女神の貢ぎ物〉だった。
「〈女神の貢ぎ物〉は勝手に教会から出られないからね。今じゃ聖人を捜すのは難しいだろうね」と言う老修道士にラーモンドが驚けば、「〈女神の貢ぎ物〉は〈暁の砂漠〉の民を従属させる為の人質だよ」と答えてくれた。
なるほど、見付けだす筈の〈女神の貢ぎ物〉が國中を捜せないのならば、聖人がいない訳だと納得した。
ならば。
聖人に相応しい人物を見付けて、ラーモンドが〈女神の貢ぎ物〉の前に連れて行けばいいではないか。
そこからラーモンドは更に聖人について知っている年寄りに話を聞いて回った。ヴァイツェアには森林族が多いから、親に聞いた事があるという者も多かったのだ。
彼らから聞いた話によれば、聖人とは毒の〈治癒〉が出来、〈浄化〉や〈祈り〉の際には身体の周りが光ったという。つまり、〈治癒〉能力があって、その精霊魔法を使っている時に身体が光るものを捜せばいいのだ。
インガルを見付けたのは偶然で、スラム街で転んだ仲間の怪我を治しているのを見たのだ。薄暗い建物の陰でインガルの身体が光っているのを見た時は息が止まるかと思った。この子供こそが聖人だと確信した。
インガルは癖のない金髪で青い目をした綺麗な顔立ちの少年だった。親は既に居なかったが、周りの大人達によれば何処かの準貴族の庶子だろうと言っていた。母親が生きていた頃は、インガルにきちんとした躾をしていたらしく、食事の仕方もスラム育ちだとは思えない仕上がりだった。
ラーモンドはインガルに、聖人と認められれば今より良い生活が出来ると説得してスラム街から連れ出した。怪我人を見るたびにインガルに〈治癒〉をさせ、それを見た巡礼者の同行が一人二人と増えた。
以前〈女神の貢ぎ物〉がいたヴァイツェアの教会に行ったが、既に彼はリグハーヴスの教会へ異動した後だった。ラーモンド達は巡礼をしながら、今度は〈女神の貢ぎ物〉を捜してリグハーヴスを目指す旅を始めた。
リグハーヴスに街に近い場所にある休憩所で、立派な馬に乗った〈暁の砂漠〉の民に会ったが、髪は短くあの司祭では無かった。変わった毛色のケットシーを連れていて、インガルの〈治癒〉を見ても顔色一つ変えず、馬に水を飲ませて街がある方へと発って行った。
こんな北に〈暁の砂漠〉の民がいるのは珍しいのだが、きっと冒険者なのだろう。
インガルに子供の蜂刺されを〈治癒〉して貰った父親に、半銀貨一枚と銅貨数枚のお布施を貰った。半銀貨一枚と言うのが、リグハーヴスでの魔女や医師に渡す定額治療費なのだそうだ。これは他の街より安い。
インガルの〈治癒〉に対するお布施はその地域の定額治療費で貰っていたので、リグハーヴスでは実入りが少ない事になる。
馬車の親子を見送り、ラーモンド達も街道を歩き出す。
リグハーヴスはもうすぐだった。
自分が聖人だとこれっぽっちも思っていなかったベネディクト。
イージドールの異動に自分が関わっていたと知って吃驚です。
モンデンキントはほぼベネディクトに憑いていて、〈豊穣の瞳〉の効果はベネディクトにのみ使用しています。
モンデンキント、実はベネディクトの寿命を延ばすのに一役買っています。