グリューネヴァルトの帰還とお土産
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
突き抜けた自由人、モーリッツ。
332グリューネヴァルトの帰還とお土産
黒森之國の店は基本的に陽の日がお休みである。しかし、不定期に休みがあっても〈本日休業〉と札が下がっていれば、皆今日は休みかと納得する。いつ休むのかは、店主が決める事だからだ。
〈Langue de chat〉の場合は、イシュカが革や紙の仕入れに行く日は臨時休業となる。イシュカが居なければ、装丁の相談に客が来ても注文を受けられないからだ。
昨日の閉店時に、閲覧スペースにある窓台に〈本日休業〉という札を乗せた小さなイーゼルを置いてあるので、今日の朝は皆ゆっくり目に起床した。
「革問屋と紙問屋に行ってくるよ」
「気を付けてね」
朝食を食べた後、問屋に行くイシュカとカチヤを孝宏は見送った。玄関のドアに掛け金を下ろし、二階に上がる。居間からはすっかり元気になったルッツの声が聞こえて来た。
「おくすりのんだー」
敷地を聖域化したが、薬包がなくなるまで薬草茶を飲むようにとヴァルブルガに言われたルッツである。お薬を飲むとおやつが貰えるので、ちゃんと飲んでくれるのが有難い。
「ルッツお薬飲めた? じゃあ朝のおやつあげるね」
居間に入り、孝宏はご機嫌なルッツの頭を撫でた。目ヤニも無く、鼻も潤っている。オレンジ色の錆のある青黒毛もぽやぽやしていい感じだ。
「おやつ」
「アイスの林檎ゼリーのせだよ」
孝宏は台所に行き、アイスクリームの入った容器とゼリーの入った容器をそれぞれ取り出した。
「ミヒェル、アイス少し柔らかくしてくれる?」
「はーい」
テーブルの上にいた火蜥蜴のミヒェルがぺたりと前肢を容器に押し付けた。すぐにアイスクリームがスプーンで掬える柔らかさになる。おうちアイスなので素朴なバニラアイスだ。
「有難う、ミヒェル」
盃にアイスクリームと崩した林檎のゼリーを盛り、ミヒェルの前に置いてやる。ルッツ達用には蕎麦猪口サイズの器にアイスクリームと林檎のゼリーを盛った。器に木匙を突っ込み、盆に乗せて居間に運ぶ。
「はい、おやつですよー」
わらわらと妖精達が集まって来るのが、子供達が集まってくるようで可愛い。先に妖精達に渡してから、テオにも渡す。
「有難う。今日の恵みに」
「きょうのめぐみに!」
妖精達も食前の祈りを唱えてから、アイスクリームを口に入れる。
「冷たい!」
アインスが吃驚したような声を上げた。
「あいす、ちべたいよ? にーに」
「これ、牛乳と……何?」
「牛乳と卵と砂糖、それとバニラが少しかな。冷凍の保冷庫があれば氷の精霊魔法が使えなくても作れるよ」
「そうなんだ……」
黒森之國は圧倒的に焼き菓子が多いのである。保存を考えても当然だと孝宏も思う。
「栄養価が高いから、風邪ひいた時や体調が悪い時にも食べたりするんだ。カスタードプリンと材料殆ど同じだよ」
「プリンと……」
プリンも〈Langue de chat〉に来てから食べたアインスである。アインスやシュネーバルの母親も料理上手らしいので、孝宏はお菓子のレシピをアインスが帰る時に渡す予定である。
「きゅっきゅー!」
廊下の奥から突然聞き覚えのある鳴き声が聞こえて来た。てちてちとせわしい足音の後に、居間の入口にグリューネヴァルトが現れる。飛んでこなかったのは、赤い肩掛け鞄を引き摺っていたからだろう。
「きゅっきゅー! きゅきゅきゅー!」
木匙を咥えていたエンデュミオンにグリューネヴァルトが突進し、頭をぐいぐい押し付けた。
「美味しいもの食べてずるいって? 丁度朝のおやつの時間だったんだ。孝宏、グリューネヴァルトの分も頼む」
「すぐに持ってくるよ。待っててね、グリューネヴァルト」
「きゅっ」
孝宏が笑いながら台所へ行く。エンデュミオンは食べ終えた器をソファーの前のテーブルに置き、グリューネヴァルトを肉球で撫でた。
「ご苦労さん、グリューネヴァルト。父さん達は王都を出たのか?」
「きゅっきゅ」
グリューネヴァルトは赤い肩掛け鞄を前肢で叩いた。
「手紙があるのか」
肩掛け鞄をグリューネヴァルトから外してやり、鞄の蓋を開けて前肢を突っ込む。これで〈魔法鞄〉は中に入っている物が頭の中に浮かぶのだ。
「はい、グリューネヴァルトおやつだよ」
「きゅー」
グリューネヴァルトは大喜びで、孝宏が持つ器に顔を突っ込んだ。ご褒美は孝宏に任せ、エンデュミオンは鞄の中を確認する。
「ええと、父さんとモーリッツの手紙に……ラルス宛の薬草が結構あるな、届けに行かないと。あとは何だこれ? ああ、マクシミリアンからの王都土産かな?」
王宮の菓子職人が作ったケーキの箱が入っていた。二つあるので、片方はラルス宛だろう。
まずはフィリップからの手紙を取り出す。読み易い文字で書かれたフィリップの手紙には、鞄の内容物が書かれていた。予測通り、薬草はラルス宛で、ケーキも片方はラルス宛だった。
「王の私室に入った? おまけに城中の魔道具を直したって、何やってるんだか」
王の私室は一部が池にせり出していて庭がとても美しかったので今度見せて貰えと書いてあるが、エンデュミオンとしては遠慮したい。誰だそんな設計をしたのは。おまけにマクシミリアンとフィリップが友人になっているのは何故だ。
「解せぬ……」
親とは言え他人の交友関係に口は出さないが、解せない。
グリューネヴァルトはきちんとローデリヒ王子の木竜に会えたようだ。名前はラプンツェルと言うらしい。木竜の里の次はヴァイツェア公爵領に向かうと書かれていた。森伝いに山を越えるのだろう。ヴァイツェア公爵ハルトヴィヒへの紹介状も、持たせておいた方が良い気がして来た。確実に精霊樹に会いに行くだろうからだ。あそこはハルトヴィヒとフォルクハルトが管理している。フィリップ達が入れば、フォルクハルトに憑いているコボルトのフリューゲルが気付くに違いない。
あとで手紙を書こうと心に記し、エンデュミオンはケーキの箱を引っ張り出した。
「孝宏、マクシミリアンからのお菓子だ」
「マクシミリアンって王様じゃないの?」
「うん。父さんたちが数日王宮で雨宿りをさせて貰ったそうだ。モーリッツが魔道具を修理したらしいから、そのお礼らしい」
「そうなんだ」
グリューネヴァルトにアイスクリームを食べさせ終わっていた孝宏が、ケーキの箱をテーブルに乗せ蓋を開けてみる。
「うわ、凄い!」
「きれーい」
覗き込んだルッツも歓声を上げる。丸いケーキは様々な色の付いたクリームで描かれた花で埋め尽くされていた。
「くだもののケーキみたい」
ふんふんと鼻を鳴らし、ヨナタンが言った。流石コボルト鼻が利く。
「イシュカ達が帰って来たら、皆で頂こうか」
「では氷の精霊に冷やしておいてもらおうか」
台所に運ばれたケーキの箱に、エンデュミオンが氷の精霊を呼んだ。
「孝宏、エンデュミオンはラルスの所に行ってくる」
「お父さん達、薬草入れてくれてるんだっけ?」
「うん」
王の森にしかない翡翠草が入っているのだ。その他にもリグハーヴス周辺では数が少ない薬草も入っていた。
〈Langue de chat〉のお休みに合せてアインスとシュネーバルも今日は家にいるようなので、エンデュミオンは一人で〈薬草と飴玉〉に転移した。
「ラルス」
「ん? エンデュミオンか」
〈薬草と飴玉〉ではいつものようにラルスがカウンターにいた。ラルス仕様にカウンターの内側にぐるりと台が巡らせてあり、簡易台所も使えるようにしてある。カウンターの背後には壁一面の薬草棚があるが、高い場所にある物を取る時は、風の精霊に頼んで浮遊しているラルスである。
エンデュミオンは飾り棚を登ってカウンターの前に行き、〈時空鞄〉から赤い肩掛け鞄を取り出した。
「グリューネヴァルトが戻って来たんだ。この鞄の中にモーリッツからの手紙や薬草、マクシミリアンからのお菓子が入っているぞ」
「何故マクシミリアン?」
ラルスが怪訝そうな顔になる。
「ローデリヒに森の中で会って、数日王宮で雨宿りさせて貰ったんだそうだ。その間に、モーリッツは王宮で不具合のあった魔道具を手当たり次第直していたらしい。そのお礼だな」
「魔道具の腕だけはいいからな……。マクシミリアンやローデリヒに迷惑を掛けなかったか心配だ」
それ以外は無邪気な子供のようなモーリッツだ。外見は父親似だが性格は生真面目な母親似のラルスとシュヴァルツシルト兄弟である。
「マクシミリアンが私室に招待した位だし、大丈夫じゃないか? 王の私室は入れる者が限られるし。ジルヴィアと昼寝をしても咎められないだろう」
マクシミリアンと共にいるツヴァイクはかなり寛容な性格だ。彼ならバロメッツのジルヴィアを面白がりそうだ。
「父さん達は王都を出たのか?」
「そうだな、もう移動を始めているかもしれん。次はヴァイツェアに向かうと手紙に書いてあった」
「ヴァイツェアと言えば、精霊樹か?」
「行くだろうな。あとでハルトヴィヒに手紙を書いて送っておく。きっとフリューゲルやエデルガルトの庭に居るコボルト達が気付くだろうからな」
ハルトヴィヒに預けられたコボルト達は、森の中を遊び場にしている筈なので、遭遇率も高い気がする。
「まあ、会えばフィリップがエンデュミオンの血族だと解る気がするが……」
「そうだが……」
エンデュミオンと父親のフィリップは目の色以外そっくりなのだ。
「そうそう、ちゃんと翡翠草が入っていたぞ。他にも王都周辺で採取される薬草が沢山入っていた」
「それは有難いな。この間ルッツに処方した眩暈薬にも翡翠草を使うんだ。これからもルッツに使うだろうから、うちでは切らせないな」
「そうなのか。足りなくなったらグリューネヴァルトに採取して貰うか?」
「無くなる前に頼む。この鞄は薬草を処理するまで預かっても良いのか?」
「ああ、構わないぞ」
ラルスは一度鞄を隣の作業室へと運んで行き、戻って来た。簡易台所の鉄瓶に水を入れてから、熱の魔法陣が刺繍された布の上に乗せる。すぐに沸いたお湯で硝子のティーポットを温め、茶葉を入れてお湯を注ぐ。さあっと青くなったお茶を蒸らしてから、白磁のカップに注いだ。そこに檸檬シロップで漬けた氷砂糖の入った瓶から、シロップを一掬いずつ垂らした。青いお茶がほんのりと赤紫色に変わる。
「ほい」
「うむ」
お互いに自分のお茶を飲み頃に冷まし、ぺろりと舐める。
「しかし、今回の燃ゆる月は長かったな。あそこまでルッツが体調を崩したのも初めてだった」
「ふむ。外に魔物は出なかったようだが、深い場所で大物が出たのだろうかな」
「魔物は殆ど階層移動はしない筈だから、強い冒険者しか行かないとは思うが」
腕試しとばかりに深い場所へ潜る冒険者以外は、冒険者ギルドで素材回収の依頼を受けている者が殆どなのだ。かなり深い階層へと行ける〈紅蓮の蝶〉も、基本的にはギルドの依頼を受けた魔物を倒して素材を回収している。〈紅蓮の蝶〉は安全確認を重視しているからこそ、少人数にも関わらず事故に遭っていないといえた。
エンデュミオンは〈時空鞄〉から、カラメル掛けの胡桃の入った缶を取り出し、カウンターに置いた。蓋を開けて一つ摘まむ。
「そう言えばエンデュミオンが昔読んだ古文書に、燃ゆる月は地下迷宮の核が移動する時に起きる、と書かれていたな」
「へえ?」
興味深そうにラルスの左右色の違う目が煌めいた。
「核が移動するのか?」
「ずっと同じ場所にあって冒険者に見付かったら破壊されるかもしれないから、移動するのだと書いてあった。本当かどうかは知らないが」
「確かに、何百年も核が見付かっていないのだから、有り得る話かもしれないなあ」
ラルスも胡桃を摘まみ口に入れ、カリカリと音を立てて胡桃を噛んだ。
地下迷宮は謎が多いのだ。
「エンデュミオンはケットシーの身体で地下迷宮に入る気はしないがなあ」
「ラルスもだな」
ケットシーは身体が小さく柔らかいので、戦闘には向かない。基本的なケットシーの最大攻撃方法は〈呪う〉なのだ。のんびり自給自足をしながら気候の良い場所で昼寝をしている位が、ケットシーにとっては身の丈に合った幸せなのだ。そもそも裸族なので、武器は爪位しかない。
コボルトの方がケットシーより余程文明的な生活をしているし、種族的性質から主を得れば献身的に尽くす。ケットシーの方がどこまでも自由である。
「お茶ご馳走様。モーリッツの手紙、ちゃんと読んでやれよ」
「まともな事が書いてあればな」
「本人は真面目なんだろう」
「だから余計に始末が悪いんだ」
ラルスは鼻の頭に皺を寄せた。モーリッツは並み居るケットシーの中でも、自由度が突き抜けた個体なのである。
お茶を全部舐め終えて、「胡桃はおやつに食べろ」とエンデュミオンは帰って行った。
ラルスは茶器を洗って布巾の上に伏せて置いた。手拭いで前肢の水気をしっかりと拭い取り、階段状の足場から下りて隣の作業場へと行く。
作業場はドロテーアとブリギッテが飴を作ったり、作り置きの香草茶のティーバッグを作ったりする場所だ。今日は二人揃って街にいる妊婦の健診に行っている。リグハーヴスの街に薬草魔女はこの二人しかいないので、それなりに忙しいのだ。もし急患が来た場合は、魔女グレーテルか魔女ヴァルブルガに連絡を入れる事になっている。一応この二人も妊婦を診られるからだ。応急処置を魔女に任せ、追ってドロテーア達が駆け付ける手筈だ。
ラルスも魔女になれる程の知識はあるが、薬草師の資格しか取っておらず、薬草魔女でも魔女でも無い。ラルスが処置をする位なら、エンデュミオンを派遣した方が瀕死の患者でも復活するというものだ。
昔、根元が腐った木が倒れて下敷きになったケットシーを、エンデュミオンはあっという間に治癒してみせた。皆が諦めそうになった程の大怪我だったのにも関わらず。あの時エンデュミオンが治癒したケットシーは、今でも元気に里で暮らしている。
ドロテーアがケットシーの里に来た時、一緒に行くか里に残るか迷ったラルスに、「資格のある者にきちんと学んでこい」と送り出したのは幼馴染みの鯖虎ケットシーだった。
数十年後に再び出会った時、あの時はまだ何者かも解らなかった〈名持ち〉の鯖虎ケットシーは、本当の名前と主を得て大魔法使いになっていた。
どうやら自分は大魔法使いに追い掛け回されて、薬草の知識を叩き込まれたらしいと気付いたのは今更だろうか。
毒ならばぶっ叩かれるので、安心して草を口に入れていたと知ったら、エンデュミオンは大きな魔石の付いた杖を振り翳しそうなので、一生秘密にしておくつもりだ。
ラルスはエンデュミオンから預かった赤い肩掛け鞄に前肢を入れた。中には沢山の種類の薬草と、お菓子の箱、そして封筒に入った手紙が一通。
白い封筒を取り出し、中から便箋を引っこ抜く。便箋を開くと、モーリッツの片目の色と同じ青いインクで書かれた癖のある文字が数行書いてあった。
「我が愛しき息子へ。荷物有難う。雨が降ったので王宮に泊まった。魔道具を直しながら王宮探検をしたので、地図を送る。ジルヴィアは元気だから安心してほしい。父より」
たった数行の中にとんでもない事が書いてある。恐る恐るラルスは数枚重なっていた便箋を広げた。
「何送って来てんだ、あの馬鹿親父ーッ!」
数行の手紙以外の紙には、詳細な王宮の見取り図が描かれていた。使用人が移動する通路や抜け道まで描かれている。きっと案内された以外の場所にも勝手に潜り込んだに違いない。王宮の見取り図、それは國家機密である。
モーリッツはどこまでも自由だった。
グリューネヴァルトはエンデュミオンとしか、念話をしません。
ケットシーとしてのエンデュミオンの最初の弟子はラルスなのかも……。
モーリッツは悪気はないんです。フィリップが気付いていたら勿論止めたのですが、知らない内に手紙を書いて封をしていたので見逃された見取り図でした。