地下迷宮からの逃亡者
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
号外が出ます。
33地下迷宮からの逃亡者
夜の静寂の中を男達が走っていた。春が近くなり始め、緩み始めた雪に足元を取られながら、まだ雪がうず高く左右に積み上げられている街道を走る。
途中までは風の精霊の力を借りて空を飛んでいたが、街が近付いても<飛行>の魔法を使っていれば、街に住む魔法使いに勘付かれるかもしれない。
リグハーヴスの街を囲む壁の四方にある門は真夜中なので当然閉じられている。
男達の中にいた魔法を使える者が、精霊に手紙を持たせ壁の中に送る。暫くすると精霊が新たな手紙を持って戻って来た。
光の精霊の力で明かりを指先に灯し手紙を読み、男達は足音を殺して壁を右回りに歩き始めた。
門と門の間まで来たところで、ぱさり、と小さな音を立てて、上から縄梯子が落ちて来る。男達は無言のまま、するすると縄梯子を上った。全員が塀の中に入れば、縄梯子は速やかに回収される。
男達は迎えに来た案内役と共に、街中を駆け出した。
「っ!」
途中、男達の中の一人が緩んだ後固まった雪に足を取られて転倒する。
「早くしろ!」
呼気だけ使う発声で叱責され、転んだ男は周りを確認する事もせずに仲間たちを追い掛けた。
「……」
窓からルッツはその様子を見下ろしていた。目を覚ました時に、走る複数の足音が聞こえたので、ヘッドボードに登ってカーテンの下に潜り込んだのだ。
夜目が利く妖精猫の瞳には、転んだ男が何かをばら撒いたのが見て取れた。
ぽん、と床に飛び降り自分の宝箱から小さな巾着型の革袋を取り出す。そして店の外に<転移>した。
凍り出した雪の上に、ぽつぽつと落ちている。生憎今日は月が出ていなく、闇の中なので色までは解らない。
ルッツは革袋の中に落ちている物を拾い集めた。<黒き森>では裸の状態で落ちている<これ>は、拾った者の物なのだ。全部で十数個だったが、辺りに落ちている物を全て拾い、満足そうに目を細める。
そうしてルッツは寝室に<転移>し、口を紐で締めた革袋を宝箱に入れ、テオが眠るベッドに潜り込んだ。
「ん……?ルッツ肉球冷たいよ……」
冷えた身体でくっついたからか、テオが束の間目を覚まし、ルッツを抱き込んでくれた。
くるくると喉を鳴らし、ルッツは再び眠りに付いた。
「号外だよ!」
イシュカが日課の店前掃除をしていると、新聞配達の少年が号外を持って来た。銅貨を一枚ポケットから出して渡してやり、イシュカは号外を受け取った。
黒森之國ではそれぞれの領で新聞がある。新聞と言っても両面に印刷された紙が一枚だけだ。基本的には國内や領内でのお知らせなので、毎日発行される物でも無い。月木金の日に市場広場で売り子が売り、配達を頼んでいる家に届けられる。
<Langue de chat>でも配達を頼んでいるので、号外も届けてくれたらしい。先程のは号外を届けてくれたお礼のチップだ。
店に戻り掃除道具を片付けてから、イシュカは二階の居間に上がった。
「号外が来たよ」
「号外?」
台所で目玉焼きとマッシュポテトの皿に焼いたベーコンを乗せていた孝宏が反復する。知らない単語だったらしい。
『号外だって』
ケットシー用の椅子に座っていたエンデュミオンが翻訳する。こくりと同様に椅子の上に居たヴァルブルガも頷く。
「じゃあ、事件か何かなの?」
「まだ読んでいないから、一寸待って。……地下迷宮から出て来た冒険者が、管理小屋の職員を襲って、魔石を持ち逃げしたらしい」
「それ、本当か!?」
居間にいたテオがソファーから背中を浮かせる。配達をしに行っているから、管理小屋の職員とは顔馴染なのだろう。
「怪我をした職員の命には別条ないって書いてあるぞ。魔石を持ち逃げした冒険者は現在も逃亡中だってさ」
読み終わった号外を、イシュカはテオに渡す。テオは厳しい表情で号外を睨んだ。
「魔石って一度管理小屋に提出するんだよね?」
フライパンを焜炉に戻し、孝宏は皿を各自の席の前に置く。
「そう。それで欲しい魔石は適正価格で買い取れる。市場に出回るよりは安く買えるけど」
冒険者が命を張って手にした魔石だからだ。
「つまり、盗んだ人はお金を払いたく無かったって事なのか」
「もしくは、稀少な魔石が出たのかもしれない。買い取れない様な額になる魔石が」
「ふうん。ごはん出来たよ。ルッツ起こして来て良いよ。お茶入れるから」
「うん」
テオは号外をテーブルに置き、寝室にルッツを起こしに行った。
「ルッツ。ご飯だぞ」
「うー」
俯せの体勢からもじもじと起き上がり、ルッツはテオに前肢を伸ばした。今日はまだ覚醒している方だ。
「はいよ」
ルッツを抱き上げ、バスルームで顔を拭いてやり、台所へ連れて行く。ケットシー用の椅子に座らせてやる頃になって、目が開き始める。
食前の祈りを皆でして、朝食を摂り始める。
「魔石って冒険者が手にした場合ってどうするの?自分が買ったより高く売れば儲けになるけど」
「自分でコレクションしていない冒険者なら、そうすると思う。あとは高く買ってくれる豪商や貴族に売るか」
「貴族?」
「公爵家やその分家だね」
公爵を名乗れるのは継嗣だけであり、他の兄弟が居た場合は学院に入り、騎士や魔法使いの資格を得て位階を得る。親が公爵であれば誰が気を回すのか、あっという間に三等程まで昇格するのが慣習になっている。
位階が上がれば俸給も上がる。公爵を継がなくても、生活に困らない収入を得るのだ。彼らは生家の姓を名乗れなくても、貴族に準じる扱いを受ける。そんな彼らなら、高価な魔石を買い集める事も出来るだろう。
「人間にとっては魔石は高価だからな」
孝宏に細く切って貰っている黒パンにマッシュポテトと卵の黄身をスプーンの背で塗り付けながら、エンデュミオンが意味深長な口振りで言う。
「ケットシーにとっては違うの?」
「ケットシーにとっては玩具だ。<黒き森>で朽ちた冒険者の落とした硬貨も魔石も、見付けたケットシーの物になる。人間は誰も樹海の中を捜索したりしないからな」
「だから、お金や魔石を持っていたのか……」
何故ケットシーのエンデュミオンが所持していたのか不思議だったイシュカは、漸く納得した。ケットシーが地下迷宮に潜るとは思って居なかったので、疑問だったのだ。
「ケットシーは主の為以外には、魔石もお金も使わないからな。自分の木の洞に貯めて玩具にするんだ」
<黒き森>でお金や魔石を持っていても使い道は無いからだという。
「<黒き森>では裸石は拾った者の所有物になるんだ」
これがもし名前が書かれた革袋に入っていたりしたら、そっと管理小屋に届けると言う。ギルドカードも見付けたら、集めて管理小屋に時々届けに行くらしい。そうしなければ、いつまでも行方不明者だからだ。
「遺族に渡して欲しかったら、革袋に名前を書いておく事だ」
「冒険者ギルドに伝えておくわ」
テオがコーンスープをスプーンでかき混ぜながら苦笑する。そんなルールは知らなかったが、人間より前に<黒き森>に生息するケットシーのルールは大切だ。
「しかし、今なら深い雪で道が限定されるだろうに」
「魔法で空を飛んだにしても、限界があるしね」
高位精霊の力を借りられなければ、長距離は飛べないのだ。
「恐らく地下迷宮の浅い層に居る冒険者に声を掛けて、捜索が始まっているだろうし」
冒険者たちは地下迷宮に近い集落から虱潰しに当たって行くだろう。集落に潜んでいると言うのは考え難い。そして季節柄、夜営も無い。凍死する。
「となるとやっぱりリグハーヴスの街だよね。夜は門が閉まるし、巡回している騎士が居るから、手引きした者が居るって事になるね」
朝食の後、テオはルッツに服を着せ、裏起毛のケープで包んで冒険者ギルドに出掛けた。
ギルドの中は流石に慌ただしい空気に包まれていた。魔法が使える者は空を飛んで来たり、精霊を使って逃亡者の調査結果を報告している様だ。
「おはよう。忙しい所悪いけど、知らせておく事があって」
顔見知りのギルド職員に、先程エンデュミオンから聞いた内容を知らせる。ケットシーが朽ちた冒険者の財産を回収して玩具にしているとは思ってもみなかったのだろう。ギルド職員は顔を引き攣らせたが、ケットシー本人から聞いた情報なので偽りはない。
地下迷宮に出入りする過程で<黒き森>に迷い込む、と言う事例は少なくない。ケットシーの集落に迷い込み、外まで案内されるのはかなり稀有である。<黒き森>では磁石は使えず、樹海を出るまで飛行魔法も使えない。
<黒き森>の道を見極められなければ地下迷宮に潜るな、と言われる所以である。
「革袋に名前を書いて置けって、掲示板に貼っておくよ」
「宜しく」
用が済んだテオが丁度良い依頼が無いか、依頼掲示板に向かう途中で、ギルドのドアが勢い良く開いた。びくっと身体を震わせたルッツの頭を撫でてやり、テオは入って来るなり息を整えている冒険者風の男を見た。
寒風の中走って来たのか、ぜいぜいと息を切らせている男は、ギルドにある食堂から水を貰い漸く口を利いた。
「……見付かった。逃亡者が見つかったぞ。今騎士団に連行されて行くところだ」
わっとギルド内に居た冒険者たちが飛び出して行く。誰が逃亡者だったのかを見極めに行ったのだろう。冒険者は國とギルドが決めたルールに則って、地下迷宮に潜っている。それを足蹴にされたとあっては、冒険者としての誇りが許さない。
とは言え、テオは逃亡者に興味は無かった。依頼掲示板にテオが請け負う様な依頼が無かったので、<Langue de chat>に戻る事にした。家賃が安いおかげで、生活費には余裕がある。
ギルドの玄関を出た所で、白い騎士服の騎士達が、縄で繋がれた複数の男達を連行して行くのが見えた。一様に憔悴している男達の中で、一人だけにやついている男が居た。
何故あんな顔が出来るのか、テオは不思議に思いながら、彼らが進むのとは逆の方向へと、脚を向けた。
寝起きの悪いルッツですが、夜中に目を覚ましたりもします。
ルッツが拾ったモノのお話は、次回。




