二人の父とローデリヒ(下)
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
お城にご招待。
328二人の父とローデリヒ(下)
チカチカと書き物机の上に乗っていたランプの光鉱石が点滅して、ローデリヒは集中して読んでいた書物から目を上げた。
土台は真鍮の花の形で、白い傘に青い花を持つ妖精鈴花の絵付けのあるこのランプは、ローデリヒが文字が読めるようになった年に、父親のマクシミリアンが贈ってくれたものだ。
それからずっと愛用しているが、このところ魔石の消費が激しい。どうやら組み込まれている魔法陣が崩れているのかもしれない。
「殿下、魔石をお持ちしましょうか?」
「いや、いいよ。この間変えたばかりだ」
護衛兼側仕えのニコラウスに断り、ローデリヒは本に栞を挟んで閉じた。
ローデリヒは黒森之國の第一王子だが側妃カサンドラの子だ。弟で王太子の第二王子レオンハルトが即位するのに合わせて臣籍降下する事が決まっている。
自分が王太子に選ばれなくても、ローデリヒはがっかりしなかったし、嫉妬もしなかった。なにしろ母親のカサンドラの性格に問題があるので、ローデリヒを王にした場合に、あとあと困った事になるだろうと子供ながらに気付いていた。
王になろうが臣になろうが、國の為に働ければいいと思っていたので、将来即位するレオンハルトを支えるべく励んでいた。
カサンドラの親族はそんなローデリヒにがっかりしたらしいが、継承争いなどをする方が愚かしい。レオンハルトは以前は我儘な所もあったが、注意を受ければきちんと反省出来るし、最近では成人後に〈黒き森〉に行ってケットシーに契約して貰えるようにと、勉強も剣術も頑張っている。そもそも、兄弟仲は悪くないのだ。
そんな面倒臭い親子関係があるのを父親のマクシミリアンも知ったのか、王太子発表の後、ローデリヒとレオンハルトはマクシミリアンが居住する宮に移動していた。
臣籍降下時に、ローデリヒはロンメル名誉公爵の叙爵を受け、婚約者のシャルロッテと結婚して、王宮の敷地内にある館を与えられる予定だが、現時点では子供なので将来王の補佐たる宰相になるべく教育を与える為という建前だ。実際はローデリヒとカサンドラを離しておきたいのだろう。カサンドラはローデリヒの養育は他人任せだったので、彼女の生活は今までと余り変わらない。
即位する王の兄弟は予備継承者として王宮に残る者もいれば、臣籍降下する者もいる。臣籍降下にも色々あって、そこそこ上級位階の臣に婿入りや嫁入りさせたりするのが手っ取り早い。ローデリヒの場合は婚約者のシャルロッテに家を継ぐ兄がいる関係上婿入りは出来ない。その為、丁度空位になっていたロンメル名誉公爵という爵位が転がり込んで来たのだ。名誉公爵は王の兄弟に与えられる爵位で、実子以外には継承出来ない爵位である。もし子供が出来なければ、ローデリヒとシャルロッテの死後に再び空位になるだろう。
ロンメル名誉公爵は領地はなく、王宮の敷地内にある館と貴族年金が財産である。贅沢な暮らしをしなければ、不労所得で生活出来るが、ローデリヒとしてはレオンハルトの在位の間位は補佐をしたいと思っている。
王宮の敷地内に名誉公爵家が建っているのは、監視下にあるからでもある。レオンハルトに王太子が決まるまで、王宮は一時期かなりきな臭かったのだ。ローデリヒは神輿に乗るつもりはない。
「りゅ?」
ローデリヒが本を読むのを止めたので、ソファーの上にお気に入りの浴布を丸めて埋まっていた翡翠色の木竜が、期待する眼差しを向けてきた。ローデリヒは書き物机からソファーに移動して、木竜の頭を撫でてやる。
この木竜はエンデュミオンの木竜グリューネヴァルトに育てるのを許された卵から産まれた子で、ラプンツェルと名付けた。幼体化しているグリューネヴァルトよりもまだ小さいが、ローデリヒに懐いてくれて、良く食べてよく眠る。
ラプンツェルと付けたのは、なんとなく女の子のような気がしたからだ。
「王領の森に散歩に行こうか? ラプンツェル。今晩から雨みたいだから、今のうちに」
「りゅっりゅー!」
ラプンツェルは大喜びでローデリヒに飛びついてきた。
「おっと」
ローデリヒは慌てて抱き止めて、柔らかい布を底に敷いてある肩掛け鞄にラプンツェルを入れ、ローデリヒの部屋付きメイドに留守を頼み、ニコラウスと部屋を出た。
敷地内にあるとはいえ、王宮から王領の森までは馬で行った方が良い距離だ。王宮の敷地は広大である。
王宮の馬を飼育管理している馬場付きの厩舎まで行き、これまたマクシミリアンから誕生日に贈られた駁栗毛の馬オースタラに鞍を乗せる。この馬を贈られた時もカサンドラは「王子にふさわしくない毛色だ」と横槍を入れて来たが、気立てのいい賢そうな眼差しの雌馬で、ローデリヒは一目で気に入った。
白地に栗色の駁があるオースタラは切り揃えられた白いたてがみの下で、長い睫毛をぱちぱちさせて鞄から顔を出しているラプンツェルに鼻先を近づけた。
「りゅー?」
「オースタラだよ、ラプンツェル」
「りゅりゅ」
小さな前肢を伸ばし、ラプンツェルはオースタラの鼻に触れた。最強種に近い竜の子だからか、怖いものなしだ。
ふんふんとラプンツェルの匂いを嗅ぎ、オースタラは自分の背中に乗せていいモノだと判断したようだ。ちなみに気にいらなければ蹴とばそうとする。ローデリヒやニコラウスには最初から友好的だったのだが。
乗馬の練習はしているがまだ一人での速駆けを許されていないローデリヒは、馬場の外ではニコラウスに後ろに乗って貰っている。
ラプンツェルもいるので、ゆっくりポクポクとオースタラに歩いて貰い、王領の森に行く。
王領の森は王宮に近い浅い場所には遊歩道があるが、ローデリヒが行くのはそれより深い森番が守る柵の向こうだ。勿論迷う程奥にはいかないが、過去に誰かが探索した細道は残っていて、ラプンツェルを連れて通ううちに、比較的浅い場所にある泉までの道のりは覚えたのだ。主にオースタラが。
「今日も泉まで頼むよ、オースタラ」
「ブルルル」
首筋を軽く叩けば、機嫌よく鼻を鳴らす。オースタラが知っている場所なら、頼めば勝手に行ってくれるのだ。特に泉の近くにはオースタラが好きな草が沢山生えているので、喜んで行ってくれる。
「こんなに晴れているのに、夜から雨か」
「先見師によれば、数日降るそうです」
今は気持ちの良い青空が広がっているが、もう暫くすれば雨雲が伸びて来るだろう。
遊歩道を抜けて、森番に柵を空けて貰う。一応戻る目安時間を告げ、森の奥へとオースタラを進める。
「りゅっりゅー」
ローデリヒが腹の前に据えた蓋を開けた鞄から顔を出し、ラプンツェルが何やら歌っている。まだ幼いのでローデリヒとも意味の解る会話は出来ないが、頭を左右に振る仕草がとても可愛らしい。
さくさくとオースタラの蹄が下草を踏む足音を楽しみながら見覚えのある泉の近くまで来た時、ローデリヒの鼻に美味しそうな香りが掠めた。
「これ、スープの香り?」
「そうですね」
王領の森は王家直轄地なので、当然一般人の侵入は禁止されている。おまけに木竜の棲み処でもある為、森の全容は把握されておらず、そこで料理をする者などいない。
ローデリヒ達の方が風下に居るので、スープの香気と共にぼそぼそと何者かの声が流れて来た。
「子供?」
聞こえてくる声が、ローデリヒと同じくらいの少年のようだ。おまけに時折メエーという鳴き声も混じる。どういう状況なのか全く判断出来ない。
そこに「きゅっきゅー!」という鳴き声が登場した。
「りゅっ!」
「ラプンツェル!?」
突然ラプンツェルが鞄から飛び出し、ぱたぱたと灌木の向こうへと飛んで行った。あそこは泉のある場所の筈だ。
慌ててローデリヒはニコラウスに手綱を持ってもらい、オースタラの背中から下りラプンツェルを追った。ニコラウスもオースタラを連れて後ろからついて来る。
「ラプンツェル!」
ローデリヒの胸高にある灌木の上から覗き込む。
「ケットシー!?」
泉のほとりで、ケットシーが二人テントを張っていた。切り株の上に赤い魔法陣が刺繍された布が広げられ、小鍋が乗っている。
ラプンツェルは自分よりも二回りほど大きな木竜に頭を擦り付けていた。
「いかにもケットシーだな」
鯖虎柄のケットシーがローデリヒに答えた。なんだか、知っているケットシーに似ている。もう一人の黒いケットシーは金と青の色違いの瞳を真ん丸にしている。
鯖虎柄のケットシーが立ち上がった。
「フィリップだ。こっちはモーリッツ。そこのバロメッツはジルヴィアで、あそこの大きい方の木竜はグリューネヴァルト」
「ローデリヒです。供をしているのがニコラウスと駁栗毛のオースタラ。小さな木竜は私の育てているラプンツェルです。あの、グリューネヴァルトはエンデュミオンの木竜では?」
「エンデュミオンはフィリップの息子だ。今荷物を運んで来てもらったんだ」
良かった! 丁寧な言葉遣いで話し掛けて良かった! とローデリヒは自分の判断に冷や汗をかいた。よもやエンデュミオンの父親だとは思わなかった。
「グリューネヴァルトはラプンツェルの父親です」
「ああ、だから懐いているのか。卵から孵したのか?」
「はい。エンデュミオンに紹介して貰って、グリューネヴァルトの番から卵を預けて頂きました」
「ふうん?」
中心が緑色をした金色の瞳をきらりと光らせ、フィリップがニヤリと笑った。物凄く、エンデュミオンとそっくりだ。時折目付きが悪くなるところも。
「ところでここは王領の森ですが、何故ここで野営をなさっているんですか?」
「木竜に会いに来たんだが、そこのバロメッツに食料を荒らされてな。荷物が届くまで動けなかったんだ。グリューネヴァルトが来たし、明日には木竜に会いに行こうと思っている」
「ンメエー」
バロメッツが不満げな声を上げる。何故バロメッツを連れて来ているのか解らない。
ニコラウスが恐る恐る口を開く。
「差し出がましいようですが、今晩から王都周辺では数日雨になります。森の中を移動するには不向きかと」
「そうなのか? うーん、確かに湿気が増えてきているか」
「濡れるのやだな」
モーリッツがバロメッツの鼻先を撫でながら、へにょりと耳を伏せた。
「フィリップも風呂以外で濡れるのは嫌だな。木竜の里についてしまえば、屋根のある場所もあるだろうがなあ」
フィリップが黒っぽい前肢で頭を掻く。
「宜しければ、雨が止むまでうちに逗留なさいませんか? エンデュミオンの父君達を雨の中放置したとなれば、私が陛下から叱られます」
「迷惑でなければ頼みたい。礼は壊れた魔道具があれば修理するぞ、モーが」
「魔道具師なんですか?」
「モーは魔道具師としては腕がいいから安心してくれ」
それ以外はポンコツだ、とフィリップが真顔で言った。そしてモーリッツも反論しなかった。
「ところでローデリヒは王宮関係者でいいのか?」
「はい」
第一王子なので王宮関係者である。
「じゃあ、これを。エンデュミオンが書いた紹介状だ。王宛とツヴァイク宛もあるんだが、要るか?」
「是非。陛下とツヴァイクに届けます」
緑色のリボンで束ねられた封筒には、緑色のインクで宛先が書かれていた。フィリップとモーリッツがテントを畳んでいる間に、ローデリヒは王宮関係者用と書かれた封筒を開けて中の手紙を読む。手紙の内容はフィリップとモーリッツの身元保証書だった。間違いなくフィリップはエンデュミオンの父親であり、モーリッツはリグハーヴスの〈薬草と飴玉〉の薬草師ラルスの父親だと記されていた。
木の棒数本と防水布で作られた簡単なテントはあっという間に解体されて、フィリップの〈時空鞄〉にしまわれた。鍋などの調理道具もフィリップがしまっていく。モーリッツはバロメッツに手綱を付け、背中に綺麗な色糸で織られた布を掛けて、腹側をベルトで留める。どうやらバロメッツは彼らの馬代わりらしい。
グリューネヴァルトはラプンツェルと一緒にローデリヒの鞄の中に入った。
「きゅっきゅー」
「りゅっりゅー」
グリューネヴァルトは人型になれる筈なのだが、竜の姿の方を好んでいるのか、以前会った時もエンデュミオンの頭の上に乗っていたなと、ローデリヒは思い出した。そもそもグリューネヴァルトは、エンデュミオン以外には念話もしないらしい。
「向こうに灌木が切れている場所があるから、少し待っていてくれ。そちらに回る」
フィリップとモーリッツはバロメッツに跨り、とことこと歩いて行った。暫くして、ローデリヒ達がいる側にやって来る。
「ゆっくり歩いてくれれば、ジルヴィアでも追い付けるから」
「解りました」
ローデリヒとニコラウスもオースタラに跨り、馬首をめぐらせる。
オースタラの後ろから、バロメッツに跨るケットシーが付いて来るのを見た森番の目が零れ落ちそうになっていたが、ケットシーに人族が作った決まりなど通用しないので、無害であれば放置するしかないのである。
「こっちは道があるな」
「王宮側は遊歩道になっているんですよ。森の奥は木竜の棲み処なので、彼らに任せています」
どうやらフィリップ達は森伝いに王領の森に入って来たらしい。
「人族の道を使うと馬車に撥ねられるだろう? だから大抵森伝いだな。下から風を当ててやればバロメッツは飛ぶから、川越えなどはそれで」
「そう言えばそのバロメッツは、蹄が緑色ですね。どこのバロメッツですか?」
ローデリヒが出掛ける前に読んでいたのは、黒森之國各地の生産品についてをまとめた資料だった。黒森之國のバロメッツはハイエルンとヴァイツェアで生産されているが、蹄の色は黄色と白だったと記憶している。
「緑の蹄はリグハーヴスだ。野生種で〈黒き森〉の中にいる。最近ケットシーの里で糸を紡ぐようになったから、リグハーヴスの服飾ギルドで扱い始めるんじゃないか?」
「ケットシーの毛が混じるから、魔力の通りがいいぞ。魔法使いや魔道具師には嬉しい素材だな」
フィリップの説明にモーリッツも言葉を続ける。
「うちの坊やが服飾ギルドにバロメッツを登録しにいったから発覚したらしいぞ」
「エンデュミオン絡みでしたか……」
どうりで商人が王宮に売り込みにこない訳だ。エンデュミオンならば直接服飾ギルとリグハーヴス公爵とやり取り出来る。そもそも規格外な事をやらかしやすいので、リグハーヴス公爵は目を光らせているだろう。
ポクポクとオースタラを進ませて王宮に近付いて行くにつれ、「おー」「でかー」と背後からフィリップとモーリッツの声が聞こえ始める。バロメッツは殆ど足音がしなかった。
厩舎でオースタラから下りて、厩務員に預ける。いつもなら鞍を下ろしたりブラシを掛けたりもローデリヒ自らするが、今日はフィリップ達を案内しなければならない。
「こちらにどうぞ」
ローデリヒは厩舎に近い場所にある通用口に案内した。正面に回るより近いし、ケットシーは結構合理的だとローデリヒは知っていた。そもそも普段裸族の彼らは見栄を張らない。
フィリップとモーリッツは名前といい服を着ているところといい、一度主に憑いた経験のあるケットシーだろう。ならば人族の生活様式の知識もあるに違いない。
「お邪魔するぞ」
バロメッツに乗ったまま、フィリップとモーリッツがローデリヒに続く。歩幅が違うので仕方がない。
ローデリヒは王の居住棟にある自分の部屋にフィリップとモーリッツを案内した。部屋の中に入ってから、ニコラウスに王とツヴァイク宛の手紙を渡し、届けて貰う。
「客間をご用意しましょうか?」
「いや、この部屋の隅にでもテントを張らせてくれればいい。ケットシーは場所を取らないからな」
「それに人用の家具はケットシーには大きいから」
ローデリヒの部屋は居間と寝室、寝室と続き間の浴室で構成されている。フィリップとモーリッツは居間の片隅にテントを手際よく建てた。
「このテントは見た目より中が広いんだ。空間拡張の魔法陣が仕込んである」
テントに刺繍されているのは、飾りだけではなく魔法陣も含まれているのだそうだ。テントの入口の布をめくって、フィリップが中を見せてくれる。
テントの中ではモーリッツが、茶色い防水布の上にくるくると巻かれている柔らかそうな敷物を敷いているところだった。確かにフィリップとモーリッツ、ジルヴィアが寝ても余裕のある広さだ。
「ジルヴィアは基本的には大人しいが、口が届くところに植物があると食べられるから気を付けてくれ」
「解りました」
ローデリヒはメイドに頼み、食事用のテーブルに子供用の椅子を二客用意して貰った。
グリューネヴァルトとラプンツェルはソファーの上に座らせる。仲良く話しているので、大丈夫だろう。
「殿下、ただいま戻りました」
マクシミリアンとツヴァイクに手紙を届けに行っていたニコラウスが戻って来た。
「有難う、ニコラウス。陛下からお返事はあったかい?」
「お返事はこちらに」
封筒に入ったカードには、明日ケットシー二人を交えてお茶をしたいので午後に迎えを寄越すと書かれていた。
「フィリップ、モーリッツ、明日陛下にお茶に招かれたのですが、宜しいですか?」
「いいぞ。マクシミリアンだろう? エンデュミオンから話を聞いた事がある。ローデリヒは王子か?」
「はい、第一王子になります。王太子は第二王子のレオンハルトです」
「ああ、ケットシー憑きになりたい第二王子か」
ぽんとフィリップが肉球を打ち合わせる。ケットシーの間でも噂になっているらしい。
「弟が成人をしたら、里にお邪魔すると思います」
「そうだなあ。王子であれば正攻法でケットシーを得るしかないだろう。縁があればちゃんとケットシーの里に辿り着くし、誰かは憑くだろう」
「縁ですか」
「レオンハルトは既にエンデュミオンと知り合いだから大丈夫だ。レオンハルトのツヴァイクと一緒に森に放り込め」
笑いながらフィリップが凄い事を言っている。エンデュミオンの父親らしい。
「寝床作ったよ」
テントからモーリッツが顔出て来た。モーリッツと入れ替わりでジルヴィアがテントに入って行き、敷物の真ん中でもふりと肢を畳んで落ち着いた。
「あ、ランプがある。あれ魔道具だよね」
目敏く書き物机にあるランプをモーリッツが見付け、部屋を横断して書き物机の前にある椅子によじ登った。テントウムシの形をしている釦を押し、チカチカと点滅する光鉱石にモーリッツが首を傾げた。
「んー、これ解体していい?」
「接触不良か? モー」
「それと魔法陣が駄目だねー。魔法陣はフィルが直した方がいいかな」
「直りますか?」
「すぐに直るよ」
「大切な物なので、直して頂けると嬉しいです」
「いいよー」
早速モーリッツが床に紺色のフェルトの布を広げた。そこにローデリヒがランプをそっと下ろす。
「魔法陣を描き込んでいるインクが劣化したんだね。古いけど良い物だから」
ケットシーとは思えない程器用に動くモーリッツの前肢が、ランプを解体していく。部品を一つずつ布で磨いていく手付きに迷いがない。
フィリップは外した土台の底に隠されていた、魔法陣が描かれた魔銀製の板とにらめっこをしていた。
「んー、魔法陣の構成に無駄があるな。だから魔力消費が多いんだ。これ、コボルトは手掛けていないんだろうな」
コボルトがいれば無駄のない魔法陣を作るから、と言いつつフィリップが紙に新しい魔法陣を描き込んで、モーリッツに渡す。
「ほい」
「有難う」
魔銀製の板に書かれた魔法陣を、何かの薬品を使って綺麗に拭きとり、モーリッツは硝子ペンにつけた赤いインクで新しい魔法陣を描き込んだ。
「インクを乾かしたら状態保存の魔法を掛けて組み立て直して……」
土台に魔法陣の描かれた板を嵌め込み直し、綺麗に拭き上げた部品を元に戻していく。あっという間にランプは元の形を取り戻した。
「ボタン押してみて、ローデリヒ」
「はい」
ぽつ、と真鍮のテントウムシを押す。ぱっと光鉱石が今までよりも明るい光を放った。チカチカもしない。
「凄いです。有難うございます」
「これがモーリッツの仕事だから」
嬉し気にモーリッツが鍵尻尾をぴんと立て、工具を片付ける。
「他にも調子の悪い魔道具があれば直すよ」
「雨が止むまで世話になるからな。フィリップも魔法使いだから、魔法陣なら見られるぞ」
「では……」
ローデリヒはメイドに城の中の魔道具で壊れている物があれば知らせるように頼む。城の掃除などを担当するのもメイド達なので、メイド長に情報は集まっているだろう。
魔道具の修理にはそれなりの金が掛かる。表宮であればすぐに修理するだろうが、後宮ならば目立たないところの物と取り換えて、修理を保留にしている物がありそうだ。
パラパラと窓硝子に軽いものが当たる音がした。
「あ、もう降って来た」
露台に面した窓にフィリップが走っていく。
いつの間にか風が強くなっていて、黒い雨雲を運んで来ていた。雨粒が窓硝子を濡らし始めていた。
「少し冷えてきましたね。暖炉に火を入れましょうか」
石造りの建物なので、雨が降ると底冷えする。ニコラウスが慣れた手付きで、居間にある暖炉の灰の中から熱鉱石を掘り起こす。
「おお、暖炉!」
「暖炉だ!」
ケットシー二人が暖炉の前にしゃがみこむ。
「森の中だと危ないから、暖炉は作れないからな」
「暖炉いいのにな」
暖炉がお気に入りらしいフィリップとモーリッツの為に、ローデリヒはニコラウスに敷物とクッションをそっと頼んだ。
ケットシー、普段裸族なので見栄を張らない。
お城にご招待されたフィリップとモーリッツです。
エンデュミオンの父親達を放置出来ない!(いろいろな意味で)と、常識人なローデリヒにご招待されました。
実際、物凄く対応に困るだろうなあ、と思います。ただの上級魔法使いと魔道具師なんですけどね。
フィリップとモーリッツは100歳くらい。でもケットシーでは若い方です。
ぬくぬくと暖かい場所が好きなので、暖炉が好きです。