ヒューの往診と見習い薬草師
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ヒューの往診に行きます。
325ヒューの往診と見習い薬草師
毎月一回、ヴァルブルガはハイエルンのヒューの所へ往診に行く。
ヒューは北方コボルトの幼児で、〈異界渡り〉の子孫であるカイと人狼の司祭ロルフェの養い子である。
「エンデュミオン、ヒューの往診行くからついてきてほしいの」
「良いぞ。ああ、ついでにラルスを連れて行くかなあ」
「お薬?」
「ああ。アインスに会わせようかと思って」
アインスはシュネーバルの長兄である。ちなみに次兄のエンツィアンは〈黒き森〉入口の森番小屋に住むヘルマンに憑いている。
「今日はヨナタンとカチヤは行かないのか?」
「今織っているのがファルベンが染めた糸を使った反物なんだって。織り上がったら見せに行くって言ってた」
「そうか」
ヨナタンの兄のファルベンも、ヒュー達と同じ村に住んでいる染物師なのだ。
エンデュミオンは、ヴァルブルガと孝宏のいる台所に顔を出した。孝宏はシュネーバルと紙袋数個にクッキーを詰めていた。
「エンデュミオン、おやつ持って行って。シュネーに聞いたけど、往診行くんだろ?」
「うん」
エンデュミオンはクッキーの紙袋を受け取り、〈時空鞄〉にしまった。
「じゃあ行くぞー」
「うん」
「う」
「いってらっしゃい、気を付けてね」
自分を含め、ヴァルブルガとシュネーバルの足元に転移陣を広げ、エンデュミオンはまずは〈薬草と飴玉〉に〈転移〉した。
「ラルス、ハイエルンに行こう」
「何だ、藪から棒に」
いつものようにカウンターにいたラルスが、〈転移〉して来るなり「出掛けよう」宣言をしたエンデュミオンに呆れた眼差しを向ける。兄弟同然で育ったので、お互い遠慮がない。
「ヒューの往診に行くんだが、ついでにハイエルンの薬草師を一人、弟子にしてほしくてな」
「ふうん? 誰だ?」
ラルスが金色と青色の瞳を細める。
「シュネーバルの兄だ」
「ん? エンツィアンじゃないのがいるのか?」
「エンツィアンは下の兄だ。上の兄のアインスの方だな」
「コボルトは勤勉だから、ちゃんとした薬を作るだろう?」
「ちゃんとした薬だが、苦いらしいんだ。味の改善を頼みたい」
「ああ、蜜を混ぜても味が酷くなるだけの薬もあるからな。どれ、行くか。一寸待ってろ」
ラルスは手際よくヒューの薬草茶を作って紙袋に入れた後、カウンターから下りて奥に入って行った。隣には調剤や飴作りの作業室があり、大抵ドロテーアかブリギッテが作業していた。
五分もせずに、店内にあるドアが開いてブリギッテとラルスが出て来る。
「たまには出掛けて来るといいわよ、ラルス」
「ふん」
ラルスは基本的には、エンデュミオンの温室に〈精霊水〉を汲みに来るぐらいしか外出しない。一応自分でも自覚しているのか、ラルスが鼻を鳴らした。
「では行ってくる」
エンデュミオンは今度こそハイエルンの人狼の集落に〈転移〉した。
ヒュー達が暮らす村は、ハイエルンの〈黒き森〉の中にある人狼とコボルトの集落だ。地下迷宮がない分、ハイエルンの〈黒き森〉の方が、部分的に開拓されているのである。昔から〈黒き森〉には人狼とコボルトの集落がある。ハイエルンの南側の山脈には鉱山があるので採掘族が街を作っているが、山脈以北の〈黒き森〉では村規模の集落が点在している。
孝宏よりも何代も前に〈異界渡り〉したカイの先祖は、降りた先が人狼の村だったので、そのまま殆ど移動しなかったと思われる。エンデュミオンでさえも直接会った事がなく、噂しか聞いた事がなかったからだ。例え王であっても、人狼から番を取り上げたりは出来ない。
ロルフェの勤める教会の前にも出られるが、人狼の村のすぐ近くに〈転移〉専用の場所があるので、エンデュミオン達もそこに出た。
コボルトの村では転移陣の近くに魔法使いコボルトが数人常駐している。大抵日向ぼっこか追いかけっこをして遊んでいるので、彼らにおやつのクッキーの袋を一つ渡してから村に向かう。
ロルフェは村で唯一の司祭なので、教会に隣接して立つ司祭館にカイとヒューと住んでいる。顔見知りになっている人狼やコボルト達と挨拶しながら司祭館まで辿り着き、ドアの下の方にも付いているドアノッカーを鳴らす。妖精が多い場所では、妖精仕様になっているものがぽつぽつある。
「はーい」
家の中からカイの返事が聞こえ、ドアが開いた。片腕にヒューを抱いたカイが、エンデュミオン達を視界に入れて笑顔になる。
「今日は往診の日か!」
「そうなの」
「どうぞ入って入って」
ぞろぞろと家の中に入る。ハイエルンもリグハーヴスと同じで雪が降るので、玄関から居間への間にもう一枚ドアがある。
「ん? ロルフェは居ないのか」
「角笛の子が引っ越してきてね、家を建てる場所に〈祝福〉をしに行ったんだよ」
「ほう」
角笛の子とは、集落の血が濃くなりすぎるのを防ぐ為に、他の集落から移動して来るコボルトの事で、角笛を首から提げているのが特徴だ。
元々は三頭魔犬を召喚出来る角笛が一つだけだったのだが、次第と複製品が幾つも増えたらしい。現在本当の角笛を持つのは、大工クルトの母親エーリカに憑いたホーンである。
「……!」
暖炉の前の敷物の上に下ろされたヒューは挨拶代わりにエンデュミオン達に抱き着いた。ヴァルブルガが来ると耳が楽になると覚えたらしく、往診に来る度に歓迎される。
「カイ、ヒューの調子はどう?」
「耳の赤みが引いてきたと思う。聞こえの方も、前よりは聞こえているみたい」
「そうなの。はい、お口開けてね」
カイの膝の上に乗せられたヒューがぱかりと口を開ける。今日の診察用の飴は白く濁った薄いピンク色をしていて、桃味のようだ。舌を押さえた棒付き飴をヒューに渡し、ヴァルブルガは耳の中も診察する。勉強の為、シュネーバルもヒューの耳の中を覗き込んでいる。
「大分腫れが引いてきたの。お薬そろそろ切れそう?」
「うん。追加欲しいな」
耳のスプレー薬はヴァルブルガが、薬草茶はラルスが〈時空鞄〉から取り出した。
「ラルスの薬草茶、苦くないから助かるよ。ヒュー、苦い味が駄目なんだ」
診察代と薬草茶の代金を支払いながら、カイが困った顔で笑った。ラルスが首を傾げる。
「ここの薬草師は苦くない薬にしないのか?」
「薬効を変えずに処方を変えまくるのは、ラルス位だぞ」
薬草の薬効を変えずに、味だけを変えるのはかなり難しいのだ。ラルスは趣味で味の良い薬を研究しているだけである。
「この集落は結構子供が多いんだ。風邪が流行る時期は薬を飲ませるのに、親が苦労しているよ」
「成程」
ちらりとラルスが横目でエンデュミオンを見た。何故連れて来られたのか解ったらしい。
コンコンと玄関からノックの音が聞こえた。
「誰かな?」
カイが立って玄関に向かう。エンデュミオン達が居るからか、ヒューはカイの後追いをせずに飴を舐めている。
「お邪魔しまーす」と言って居間に入って来たのはアインスだった。
「にーに!」
「シュネーが来たよって、転移陣番が教えてくれたんだ」
飛びついてきたシュネーバルを撫でながら、アインスが顔を綻ばせる。シュネーバルの家族は皆仲が良いが、末っ子のシュネーバルは特に可愛がられていた。
「お茶淹れるね」
「カイ、これ孝宏からおやつにとクッキーを預かってきた」
「有難う。孝宏のクッキー皆好きなんだよ。わ、色んな種類入ってる」
紙袋を覗き込んで、カイが嬉しそうに台所へ行く。〈Langue de chat〉で出すクッキーはほぼ日替わりなので、孝宏は残ったクッキーを〈保存〉の魔法陣が刻まれたクッキージャーに溜めている。小腹が空くと皆そこからクッキーを取って食べているのだが、急に誰かにおやつを渡す時にも重宝していた。
「アインス、丁度いいところに来たな。診療所に行こうと思っていたのだ」
「アインスに何か用事だった?」
口元の白い小麦色のハチワレ模様のアインスがぱちぱちと瞬きする。
「アインスは魔女兼薬草師だろう? 薬草師の修行をこのラルスの所でしてみないか?」
「ラルスだ。リグハーヴスで薬草魔女の診療所兼薬草店で薬草師をしている。趣味は美味しい薬の研究だ」
ラルスが右前肢を上げ、先端が曲がった鍵尻尾を一振りする。
「美味しい薬?」
「苦いと誰も飲まん。美味しければ無理矢理飲ませる手間が省ける」
「合理的だが、それで研究を始めるラルスもラルスだな」
「自分でも苦い薬は飲みたくない」
呆れるエンデュミオンにラルスがきっぱりと断言した。エンデュミオンは前肢で頭を掻いた。
「そう言う訳でな、話に聞くとハイエルンの薬は苦い物が多いと言うから、美味しい薬に興味があるならどうかと思ってな」
「興味はある。うちにはもう一人薬草師が居るから修行に行っても大丈夫かな」
アインス達の母親のヴィオレットも薬草師なのだ。
「うちに客室があるから、〈Langue de chat〉から〈薬草と飴玉〉に通えばいいんじゃないか?」
「しゅねーばる、にーにといっしょにねれる?」
「アインス修行に行く!」
きらきらした瞳で見上げたシュネーバルをアインスが抱き締めた。
確実にシュネーバル効果の気がするが、やる気があるなら問題ない。
「美味しい薬って助かるよ。効くのは解ってても苦いと飲むのに気合が居るんだよね」
カイが盆にお茶の入ったカップと、クッキーの盛られた籠を乗せて運んで来た。
「はいどうぞ」
「有難う」
ミルクティーのカップを受け取ったアインスが、ふうと水面を吹く。
「薬効を変えずに味を変えるのは難しいんだ。試してみた事もあるんだけど」
「ラルスのは趣味だからな。エンデュミオンと同じだけ生きているし、子供の時から草をむしってたぞ」
「エンデュミオンにも甘い草を教えてやっただろう」
「何でも食うなと後でギルベルトに二人で怒られたな。毒草ではないと認識はしていたのだが」
ごふっとカイがお茶に噎せた。
「そ、そんな可愛らしい時代……」
咳き込みながらカイが笑う。
「エンデュミオン達にも子供の頃があったんだぞ」
「ギルベルトには可愛い可愛い言われていたがな」
好き勝手に行動する二人を育てたギルベルトは、中々大変だったのではないかとカイは思ってしまった。エンデュミオンとラルスは探求心という部分では恐ろしく似通っている。
「美味し?」
「う!」
「……!」
会話に参加していないヴァルブルガは、シュネーバルとヒューにクッキーを食べさせていた。こちらはこちらで独自路線だ。
「カイ、最近のハイエルンの情報はあるか?」
エンデュミオンが刻んだドライラズベリーの入ったクッキーを半分に割り、片方をラルスに渡しながらカイに訊く。店に出すクッキーは大振りなので、半分にした位が口に入れやすい。ラルスは黙って受け取りクッキーを齧った。
咳が落ち着いたカイがゆっくりとお茶を飲んでから答える。
「南で鉱山風邪が出たみたいだけど、ハイエルンでは免疫ある人が多いからそんなに広がらなかったみたい。あとはコボルト解放令が出て以降、コボルトが森に戻って人狼の庇護下に入ったから、街の方では職人探しが大変みたいだよ」
コボルトを大切に扱ってきた店や人には、そのままコボルトは残ったので、従業員を大切にしない店かどうかは誰にでも解る。そういう店はハイエルン以外の商人からの取り引きが解消されたりしているようだ。
コボルトを庇護する人狼に対して文句を付けて来る者もいるが、人狼はコボルトを外敵から守っているだけで、彼らは自由に生活しているのだ。取引をする時も、人狼はコボルトと双方納得する対価を支払う。
國から〈黒き森〉の一部の自治を認められている人狼に、ハイエルン公爵もコボルトの庇護を一任している状況なのだ。
「ハイエルンは公爵以外にも、鉱山管理を依頼されている商人の力が強いんだよ」
「フィッツェンドルフも商人が強い領だったなあ」
リグハーヴスは新興の領であり、冒険者が圧倒的に多いが、リグハーヴス公爵への信頼が高い。ヴァイツェアは長寿の森林族の治める領なので、勢力図が変わらないのだ。〈暁の砂漠〉も族長を中心とした一族が治めている領地だ。
「暫くはコボルトが手掛けていたハイエルンの生産品の供給が落ち込むかもね」
「そうだなあ」
場合によっては商人を経由せずに、ギルドを通して生産者であるコボルトに直接注文する他領の商人も出てくるだろう。
「ま、自業自得だな」
黒森之國の商人は信用商売である。信用を失った商人は苦労するだろう。
「ん」
ラルスが胡桃とチョコレートが入ったクッキーを二つに割り、片方をエンデュミオンに差し出した。
「うむ」
エンデュミオンは受け取りクッキーを齧る。
シュネーバルがヒューにアスパラガス狩りを話しているのが聞こえる。動作を交えながら話しているので、ヒューにも解り易そうだ。そしておもむろにシュネーバルが、〈時空鞄〉から籠に入ったホワイトアスパラガスを取り出した。
「う!」
これがホワイトアスパラガスだとヒューに現物を見せている。手間がかかるので、ホワイトアスパラガスは余り作る人がいない作物である。王都であれば高く売れる。
魔女で薬草師の修行をしているシュネーバルだが、趣味が畑いじりなので庭師の才能もある。
「え、分けてくれるの? これロルフェが好きなんだよ」
籠に入っていたホワイトアスパラガスの半分をカイに分け、シュネーバルが籠を〈時空鞄〉にしまう。残りは家族に渡すらしい。
これからアインスの修行について、診療所に居るアーベント達に話さなければならない。コボルトは修行に行くのが珍しくないし、アインスは戻って来る事が前提なので特に反対されないだろう。それよりアインスがシュネーバルと暮らす事が羨ましがられそうである。
賑やかになりそうだと、エンデュミオンは少し冷めたミルクティーを舐めたのだった。
ヴァルブルガは人見知りなので、慣れていない場所にはエンデュミオンを同行させます。
薬効は高いけど苦いハイエルンの薬をどうにかするべく、ラルスを投入するエンデュミオンです。
同じころに生まれて、同じころにギルベルトに預けられたエンデュミオンとラルス。
見知らぬ草を求めてあちこち動き回るラルスに、エンデュミオンが付いて行っていました。
叡智があるとはいえ子供なので、なんでも噛んで確認しようとするラルスを、やばいモノに関しては必死で止めていたエンデュミオンです。
魔女のドロテーアにラルスが憑く事になって、ほっとしたとかしないとか……。