フォンゼルとリット
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新しい司教とそのコボルトです。
321フォンゼルとリット
フォンゼルは月の女神教会の司教である。なりたてほやほやの。本人としては司教になるつもりは全くなく、真偽官というそれ程表に出ない職を長年していたし、相棒の南方コボルトのリットと一緒にどこか僻地でのんびりしたいとすら思っていた。
その欲のなさが女神の琴線に触れたのか、互選の最後の一票〈女神の票〉にはフォンゼルの名前が書かれていたのだった。
大概は逝去するまで司教の任に付く慣例だが、前任者のマヌエルは「余生は友人の近くで暮らしたい」と引退をしたのだ。司教が引退すると聖職者としての権威を落とし隠者となる。隠者は貴族や準貴族の邸に併設されている礼拝堂の管理をしたり、森の中に庵を立てて質素に暮らし、殆ど人前には出なくなる。名声があった司教であればこそ、次の司教の聖務に差し障りが出るからだ。故に、マヌエルは隠居先を告げずに大聖堂を去った。
そんなマヌエルから精霊便が届いたのは先週の終わりだ。
リグハーヴス女神教会地下に、古王國時代の神殿遺跡が発見されたという知らせだった。神殿遺跡は〈柱〉の神殿であり、当代〈柱〉であるエンデュミオンの管轄になり、管理補助としてリグハーヴス女神教会の首席司祭ベネディクトと副司祭イージドールが当たる。神殿遺跡は過去に月の女神シルヴァーナを祭っていた遺跡として観光地にし、入場料等は孤児院に寄付される。それが管理者たるエンデュミオンの意思である、と。
詳しくは兄弟ベネディクトと兄弟イージドールに訊くように、としっかりとした筆跡で書かれた手紙を読むに、マヌエルは壮健でリグハーヴスにいるようだ。
「冬は大丈夫なんですかね、リグハーヴスは雪が多いのに」
「たう」
膝に乗っていた黒褐色のコボルトの頭を撫でながら呟くフォンゼルに、リットが頷く。
リットはコボルト言語しか話さない。コボルトには時々コボルト言語以外の発音が出来ない子供が生まれるらしいのだが、知能などは全く変わらない。
しかし、黒森之國語が話せないリットがフォンゼルにきちんと物事を伝えられないと勘違いしている者が結構いて、噂話の回収には役立つ。リットは黒森之國語の読み書きは出来るのである。
リットは猟師コボルトである。罠を仕掛けるのがとても上手い。そもそもフォンゼルがリットに出会った切っ掛けは、リットの仕掛けた罠にフォンゼルが間違って掛かったからである。
フォンゼルと共に来ると決めた後も、リットが猟師を辞めた訳ではなく、フォンゼルが赴任した先々で防犯の為の罠を張りまくり、盗賊などを捕まえている。野営をしてもとても心強いコボルトである。
フォンゼルは元々他人が嘘をついているのが解る〈真偽〉スキルを持っており、善人か悪人か解るコボルトも憑いた事から、長年真偽官をしていた。真偽官というのは裁判の時に偽証していないかを確認したり、王家に嫁ぐ者の身体の潔白を証明したりする役職である。
おかげで一部の準貴族や商人からは毛嫌いされている。手練れの娘や息子を王族に嫁がせようとしてもフォンゼルとリットが看破したり、賄賂や不正を暴いたりしたからだろう。
時々刺客も送られるので、リットは張り切って大聖堂のあちこちに罠を張っている。司教執務室や寝室にも沢山の罠が張られていて、視覚出来るものならかなり視界が賑やかだろう。
リットの罠はリット本人や魔力がかなり高い者しか見えないのだ。フォンゼルはそこそこ魔力はあるが見えないので、どれだけ高度の罠を張っているのか知れない。
聖職者は武器を持てないのだが、リットは聖職者ではないので、いつもナイフと輪にした縄を腰から提げている。本人はフォンゼルの護衛を自負しているらしい。
「たーう」
リットがフォンゼルの膝の上から床に飛び降りた。とことこと簡易キッチンの前に行き、踏み台を登る。
司教にもなれば従者にお茶やお菓子を頼めるのだが、フォンゼルの場合リットが従者のようなものである。その為、執務室に簡易キッチンを入れて貰い、お茶が飲みたくなるとリットがお茶を淹れる。焜炉の下にオーブンが付いているので、時々簡単な焼き菓子すら作っている。司教執務室から焼き菓子の匂いが漂ってくるなど前代未聞なのだが、フォンゼルはリットの好きなようにさせている。別に害はない。人族に合わせた簡易キッチンなので、時々オーブンを開けて欲しいと頼まれる位なのだから。
今日は来客があると知っていたリットは、昨日の内にシロップ漬けのサクランボの入ったシートケーキを焼いていた。
「そろそろですかね」
面会時間だ。コンコンと白地に金の模様のあるドアがノックされ、ドアの前を守っている聖騎士が顔を出した。
「司祭ベネディクトがいらっしゃいました」
「司祭イージドールはどうしました?」
「おりますが」
「私は兄弟ベネディクトと兄弟イージドール、彼らの妖精を案内しなさいと伝えた筈ですが、これほど簡単な仕事も出来ないのですか?」
「し、失礼しました」
フォンゼルに睨まれた聖騎士が慌てて引っ込み、ドアが大きく開かれた。灰色の髪の青年と、蜜蝋色の髪の青年がそれぞれの妖精を抱いて執務室に入ってた。彼らの背後でドアが閉まる。
(全く嘆かわしい。マヌエル師もご苦労なさっていましたが、聖騎士は変わりませんね)
〈女神の貢ぎ物〉の教会での地位は低い。司祭になった〈女神の貢ぎ物〉はイージドールだけである。マヌエルを師としたフォンゼルだから、エンデュミオンに頼まれてイージドールをリグハーヴスに派遣した経緯は聞いていたが、そもそも〈女神の貢ぎ物〉は〈聖人〉の為にいる護衛である。決して王族や司教の為の使い勝手位の良い駒では無い。
ベネディクトとイージドールが床に膝を付く司教への敬意を表す挨拶をし終えたのを見計らい、フォンゼルは二人を応接用のソファーに案内した。
「どうぞこちらに。可愛い子達も楽にしてください」
「あいっ、しゅゔぁるちゅしると! このこはもんでんきんと!」
「あいっ」
イージドールとベネディクトの膝の上で、黒い修道服を着た黒いケットシーと、灰色の修道服を着たクリーム色の巻き毛のコボルトが右前肢を上げる。
「私はフォンゼル。この子はリットですよ」
ワゴンでお茶を運んで来たリットの頭にフォンゼルは掌を乗せた。
「たうっ」
リットを見た後、ちらりとイージドールが執務室内に視線を走らせた。〈暁の旅団〉の族長候補者でもあったイージドールには罠の場所が見えているようだ。
「たーう、たうたう」
「あいっ。いーじゅ、けーきたべたい」
「じゃあ、お祈りしてね。今日の恵みに」
「きょうのめぐみに!」
リットとシュヴァルツシルトは普通に会話していた。リットにサクランボのケーキを勧められたらしく、シュヴァルツシルトが嬉しそうにイージドール食べさせて貰う。
「おいしーねー」
「あー」
それを見ていたモンデンキントが口を開ける。
「モンデンキントもどうぞ」
「んーまっ」
ベネディクトにケーキの小さな欠片を口に入れて貰い、モンデンキントが前肢で頬を押さえる。
子供の妖精二人が美味しそうにケーキを食べるのを見て、リットが尻尾をブンブン振っていた。派遣先では孤児院の子供達に作ってあげたりしていたが、最近は御無沙汰だったので嬉しいようだ。妖精は自分より年下の子供の世話が好きなのだ。
お茶を配り終わったリットが、フォンゼルの座るソファーによじ登る。
「お茶を頂きながら、リグハーヴスの神殿遺跡の事を教えて頂いてもいいですか?」
「はい、猊下。先に手紙でお知らせした通り──」
ぽんっ。
ベネディクトが説明を始めた矢先、執務室の中に鯖虎柄のケットシーが現れた。
「あっ、エンデュミオン! 踏んでます!」
イージドールが鯖虎柄のケットシーの足元を見て咄嗟に指摘する。
「ん?」
エンデュミオンと呼ばれたケットシーが足元を見ると同時に、踏んでいたらしい魔法陣が光った。
「〈凍結〉」
一言エンデュミオンが呟いた瞬間、ぱりんと音を立てて魔法陣の光が砕け散った。
「暫くこの部屋に来ない間に賑やかになったな。ふむ、この魔法陣は良く出来ている」
エンデュミオンには部屋の中にある魔法陣がすべて見えているようだ。自分が踏んで発動しかけた魔法陣の前にしゃがんで観察している、エンデュミオンの灰色と黒の縞々尻尾がピンと立ってゆらゆら揺れる。イージドールがエンデュミオンの背中に声を掛ける。
「〈解除〉しなかったんですか?」
エンデュミオンが振り返り、なで肩を竦める。
「これは防犯の為の罠だろう。〈解除〉したら勿体無いじゃないか。エンデュミオンがドアから入らなかったのが悪いのだし。すぐに入れて貰えないだろうから面倒でな。聖騎士は頭が固い」
確かにケットシーが一人で大聖堂にやって来ても、聖騎士達は中に入れないだろう。
「新しい司教フォンゼルだな? エンデュミオンだ」
じっとフォンゼルを見詰めた後、黄緑色の瞳をきらりと光らせ、エンデュミオンが黒い肉球の付いた右前肢を上げた。フォンゼルの隣でリットも右前肢を上げた。
「たうっ」
「リットだな。罠を張るという事は猟師か?」
「たう」
「うちのカチヤや魔法使いコボルト達が喜びそうだなあ。カチヤは元猟師だし、魔法使いコボルト達は魔法陣に目がないんだ。今度、うちに遊びに来い」
「たうたう」
ぽんぽんとリットが自分の隣の座面を前肢で叩いた。ここに座れと言っているらしい。
「いや、エンデュミオンはマヌエルに頼まれた物を持って来ただけなんだが。本当はベネディクト達に渡しておこうと思ったのに教会で入れ違いになったんだ」
「たーう」
えー、という声を出したリットに、エンデュミオンが頭を掻いた。リットが残念そうなので、フォンゼルもエンデュミオンを引き留めるのに手を貸す。
「これからリグハーヴスの地下遺跡の話をお聞きしようとしたところなのですよ。当代の〈柱〉であるエンデュミオンにも是非お話を聞かせて頂きたいのですが宜しいですか?」
「あー、そうか。ならお邪魔する」
エンデュミオンはソファーの背後を回ってリットの隣に登ってきた。
「あー」
エンデュミオンに、モンデンキントが尻尾を揺らす。
「一緒に連れて来てもらったのか、モンデンキント。ご機嫌だな」
「あいっ」
ベネディクトの膝の上でモンデンキントは大人しくしている。珍しい菫色の瞳のコボルトだが、リグハーヴスで大事に育てられているようで話に聞いていただけのフォンゼルも安堵する。確か、モンデンキントの名付け親はエンデュミオンだった筈だ。
イージドールの膝の上のシュヴァルツシルトも、まだ幼いのに良い子にしている。穏やかな主に育てられると憑いたケットシーも大人しいのだろうか。
リットが〈時空鞄〉から取り出したカップに、手近にティーポットがあったフォンゼルがお茶を注ぐ。
「ミルクはたっぷりで頼む。温めで」
「たう」
お茶よりミルクを多めにリットが注ぐ。ケットシーは温めのお茶が好みらしい。
エンデュミオンは器用にカップを持ってお茶を舐めた。
「美味い。すまん、エンデュミオンが話の腰を折ったのだな。ベネディクト続けてくれ」
「では地下遺跡を見付けた経緯をお話しますね」
ベネディクトの説明にイージドールが補足する形で、どのようにして地下遺跡を見付けたのかをフォンゼルとリットに話した。
「……リグハーヴスの女神教会が遺跡の上に建てられたのは知っていましたが、地下にも神殿が眠っていたとは……」
「おそらく神殿戦争で地上にある神殿が破壊されてからは、地下神殿は放置されたんだろう。ベネディクトの魔力を一気に魔法陣が奪い取ったのだから、神殿に込められていた魔力は殆どなかったと思われるんだ」
エンデュミオンが肉球で顎を擦る。
「〈柱〉の神殿の役割とは何ですか?」
「ん? 司教でも知らないのか。神殿が無くなった後、エンデュミオンの前任者が各地に作った補助〈柱〉と同じだ。元々〈柱〉は複数人居たんだが、神殿戦争で一人になった。〈柱〉が生まれ変わる間、黒森之國を支えるのが補助〈柱〉だな。だから、見付かった地下神殿にも魔力を注いでおけば補助〈柱〉として機能してくれるんだ」
「補助〈柱〉ですか」
「今はどこに補助〈柱〉があるのか知られていなかったりするのか? リグハーヴスのケットシーの里、ハイエルンのコボルトの里、王宮の魔法使いの塔、王都大聖堂、ヴァイツェアの魔法使いの塔、フィッツェンドルフの湿地、〈暁の砂漠〉、聖都地下聖堂が太い所だ。細い柱も幾つかあるぞ。正確な場所は教えないが」
「いえ、不要です。その場所には常駐者がいるのですね」
「そうだな。知っていて魔力を捧げている所もあるし、知らずに祈りを捧げている所もある。どちらも月の女神シルヴァーナに捧げられているものだからいいんだ」
「地下神殿の遺跡を観光地にするとの事ですが」
「今度視察に来た時に見るといいが、地下神殿に女神シルヴァーナ像があるんだ。黒森之國の民ならあそこで祈りを捧げるだろうから、女神シルヴァーナも喜ぶだろう。昔女神シルヴァーナを祭っていた場所、という過去のものだし、今の教会に影響はないだろう。なにしろ管理しているのが教会なんだ。神殿信者なんて、エンデュミオンが産まれる前に死んでるぞ」
「確かに」
現在と同じ女神シルヴァーナを信仰しているのは変わらないのだ。
「アルフォンスは地下神殿に絡むつもりはないそうだ。寄進代わりに地下への入口の建物を作って貰う事にした」
「良いのですか!?」
ベネディクトも聞いていなかったらしく、驚きの声を上げる。
「エンデュミオンが水晶で指輪でも作って、お守りとして渡しておく。あの水晶は長年凝り固まった聖属性だから、呪いなんて弾き飛ばすぞ」
ニヤリとエンデュミオンが笑う。
「あの、陛下には献上しなくても宜しいのですか?」
「あー、マクシミリアンかー。ツヴァイクに光竜ゼクレスが憑いているから、呪いに掛かっても〈浄化〉出来ると思うぞ? 王家の人間はな、結構しぶといから」
「一応献上しておきましょうか、エンデュミオン」
ベネディクトに渋い顔で答えたエンデュミオンに、イージドールが苦笑する。
王家に苦労させられている二人なので、そこはかとなく酷い。
「フォンゼルとリットにも渡しておくか」
エンデュミオンは〈時空鞄〉から、虹色に光る透明な糸で三センチ程の水晶を包むように編んだお守りを二つ取り出した。離れて見ると、片方の端が薄緑色のきらきら光る水晶にしか見えない。
「闘将蜘蛛の糸で編んだ物だ。ブローチに仕立ててあるから、服に付けておくといい。あとでベネディクト達にも渡すから」
「頂いても宜しいのですか?」
「たうっ」
「フォンゼルが呪われると困る。マヌエルも心配していたし。そうだ、マヌエルに頼まれていた物を渡すんだった」
本来の目的を思い出したエンデュミオンが、再び〈時空鞄〉に前肢を突っ込み、二十センチ四方ほどの小箱を取り出した。油で磨いた無垢な表面で、蝶番の付いた蓋には鷲の横顔と交差する剣が浮き彫りにされている。
「これは?」
「薬箱だ。〈魔法箱〉だから見た目よりは入っているぞ。箱の蓋を閉めていれば劣化しないからな。これが中身の一覧だ」
はい、とエンデュミオンが四つ折りにした紙をフォンゼルに寄越してきた。
「有難うございます」
フォンゼルは紙を開いて一覧を見る。
「……すみません、この〈蘇生薬〉や〈完全回復薬〉、〈魔力回復飴〉というのはなんですか?」
「そのままだが? 使い方も書いてあるだろう?」
「……幾らするとお思いですか」
「王都価格は知らん。素材の在処を知っているから、取って来て調合して貰ったものだからな。〈魔力回復飴〉はエンデュミオンが作ったし。材料費がただなんだ。強いて言えば技術料だけだな。マヌエルには里の子供達が世話になっているから相殺だ。マヌエルはエンデュミオンの友だしな。フォンゼルはマヌエルの弟子だろう。だから良いんだ。足りなくなったら言え。追加してやる」
エンデュミオンはカップを両前肢で支え、ちゃむちゃむとミルクティーを舐める。
「たーう」
リットがサクランボのケーキをエンデュミオンに勧める。
「お、サクランボのケーキか。うん、美味い。リットは料理も上手いんだな」
「たーうー」
「お礼に孝宏のお菓子詰め合わせをやろう。孝宏はエンデュミオンの主だ」
両手でなんとか抱えられる大きさの硝子瓶に入ったお菓子の詰め合わせを〈時空鞄〉から取り出し、エンデュミオンはリットに渡した。
「たうっ」
リットが大喜びで尻尾を振る。エンデュミオンの〈時空鞄〉には一体何が入っているのか。色々と入り過ぎだ。
エンデュミオンはお茶とサクランボのケーキを綺麗に平らげ、「マヌエルもいるし、〈Langue de chat〉にも遊びに来い」と言って帰って行った。
「マヌエル師がいらっしゃる? 一緒に住んでらっしゃるんですか?」
エンデュミオンの言葉に首を傾げたフォンゼルに、ベネディクトとイージドールは揃って首を横に振った。真似してモンデンキントも首を振り、ベネディクトの膝の上でころんと転がった。まだ頭の方が重いようだ。
「敷地内と言えば敷地内なんですが……」
ベネディクトがモンデンキントを撫でつつ、イージドールに視線を向ける。イージドールが引き受けて口を開いた。
「遊びに来いと言うのですから、教えて良いのだと思いますが、エンデュミオンの温室の中から行ける場所に、隠者マヌエルの庵があるんです。隠者マヌエルはそこで聖職者コボルトのシュトラールと暮らしています。詳しくはリグハーヴスにおいでになった時に見て頂いた方が宜しいかと。ただし、聖騎士は連れて行けないと思いますが」
「エンデュミオンのお眼鏡に適わないものは連れて行けないと?」
「はい。裏庭にすら入れません。〈Langue de chat〉の敷地はケットシーと木竜と火蜥蜴の守りがありますから」
「……王宮以上ですか」
「〈Langue de chat〉の住人は皆妖精憑きですので、過剰防衛ですね。リットに憑かれている猊下には御理解頂けると思います」
「そうですね……」
リットはシュヴァルツシルトに「ひろのおかしおいしーのー」と教えて貰って、嬉しそうにしている。この温厚そうなコボルトが、執務室を埋め尽くす罠を仕掛けるのである。過剰防衛なのは、どこの妖精も同じだ。
「リグハーヴスに行くのが楽しみになって来ましたね」
リグハーヴスは今や妖精の宝庫なのだ。
微笑むフォンゼルに「お待ち申し上げております」と、ベネディクトとイージドールは頭を垂れた。
マヌエルの弟子フォンゼルが新しい司教です。四十代前半位。
若い頃、巡回司祭をしていたフォンゼル、森の中でリットの罠に引っ掛かって助けて貰いました。
リットはケットシーのエンデュミオンと同じくらいの歳です。
罠を張るのが好き。噂話の回収も得意です。