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リグハーヴスの騎士(後)

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

フロランタンと画策を。


32リグハーヴスの騎士(後)


 大晦日ズィルヴェスターの日、ディルクは教会に行った帰り道に<Langueラング de chatシャ>に寄り、本を借りた。

「ヘア・リーンハルトとフラウ・エルゼにも」

 焼き菓子(プレッツヒェン)が入っているらしい蝋紙で作られた袋を貰った時、孝宏たかひろはディルクの聞き覚えの無い人物の名前を言った。フラウ・エルゼとは領主館のキッチンメイドだと言う。

 <Langue de chat>を出て領主館への丘を登りながら、何処に行けばエルゼに会えるかと考える。

 領主館の使用人は、安息日でも領主家族の世話をする為に全員が休みにはならない。使用人は交代で週の内のどこか一日を休むのだ。

(特に大晦日ならキッチンメイドは休みにはならないだろうなあ)

 大晦日はともかく、年明けの領主の食卓は常より豪華になる。特に数日前から領主館には客人が来ていた。

(台所に行くのが良いかな)

 キッチンメイドなら若い筈なので、宿舎で呼び出すのははばかられた。もし許嫁などが居る娘なら、面倒な事になる。知り合いなら兎も角、ディルクはエルゼの名前を認識した上で、会った事が無いのだ。

 先日降った大雪が並木の向こうに山積みにされているので、小さな谷間の様な道を領主館まで歩く。領主館の正面では無く、囲壁いへきの横手にある門から護衛騎士に声を掛けて中に入る。

 領主館の裏側にある使用人用のドアから入り、一度宿舎の部屋に上がった。

「ただいまー」

「お帰り」

 部屋に居たリーンハルトに声を掛け、ベッドの上に本が入った革袋と菓子が入った布袋を置き、一度剣帯ごと腰のポーチを外す。コートを脱いでからもう一度剣帯を付ける。

「又出掛けるのか?」

 ディルクがもう一度剣帯を付けたのを見て、リーンハルトが怪訝そうな顔をする。

「うん。一寸ちょっと届け物。はい、これお前にって<Langue de chat>で貰ったよ」

「有難う」

「台所行くからついでにお茶(シュヴァルツテー)貰って来ようかな」

「お前と一緒に冷たい風が入って来たな。冷えて来たのか」

「大分ね。じゃ、行って来るわ」

 菓子の袋を一つ持ち、ディルクは部屋を出た。宿舎にも食堂はあるのだが、基本的には本館の使用人用の食堂で食事をする。宿舎の方の食堂は主に守衛夫妻の食事作りに使われる。材料を持ち込めば台所を借りる事も出来る。

 ディルクは生活魔法が使えるので、茶器があれば湯を沸かしお茶位入れられるのだが、生憎茶器を持っていなかった。

(今度買おうかなあ)

 そう思いつつ数年経っている。

 てくてく歩いて本館の一階にある台所をディルクは覗き込んだ。ここの料理長シェフオーラフとは、ディルクとリーンハルトがリグハーヴスに来て以来の顔馴染である。

「こんちわー」

「おう。何だい、お茶でも入用かい?」

 入口に近い作業机で野菜の皮を剥いていた、金髪を短く刈った体格のいい男がオーラフだ。年齢は四十代半ばだろう。いつも笑顔で居る事が多い男だ。

「うん、寒かったから」

「外に行ってたのかい。エルゼ!」

 オーラフは洗い物をしていた少女に声を掛けた。根元の色の濃い金色の髪を後頭部できちんと編んでまとめた少女がこちらを振り返る。

「はい」

「ポットで持ち帰り用にお茶を用意してくれるかい」

「はい、承知しました」

 濡れた手を手拭いで拭き、エルゼはポットとカップを用意し始める。

「彼女がフラウ・エルゼ?」

「ああ、そうだ。エルゼに何か用かい?」

 薄い青色のオーラフの瞳が、ディルクを検分する様に見定める。

「俺とリーンハルトが行っているルリユールに、フラウ・エルゼも通っているみたいで、お菓子を渡して欲しいって頼まれたんだ」

 証拠にとオーラフの前に、<本を読むケットシー>のスタンプが押された菓子袋を見せる。仄かに焼き菓子の香りが鼻に届く。

「そうかい。まあ、あんた達は紳士だから心配は無いがね」

 キッチンメイドに<フラウ>と付けて丁寧に呼び掛ける位階持ちは少ない。そもそも、名前を覚え様とすらしない者の方が多い。下々の名前を憶えている方がはしたない、と書いてあるマナー本もあるらしい。

(そっちの方がおかしいと思うけどな)

 もともと庶民なディルクは、母親に女性には丁寧に接しろと叩き込まれている。

 エルゼはお湯でティーポット二つを温め、片方のティーポットで紅茶を淹れ、蒸らし終わった物を、もう一つのティーポットに茶漉しを通して移し替えた。

 盆の上に保温用の覆いを掛けたティーポットとカップを二つ乗せて、ディルクとオーラフの元までやって来る。

「有難うさん。一度ここに置いてくれるかい」

「はい」

 オーラフが指示した作業机の端に、エルゼがお盆を置いたのを確かめ、ディルクは声を掛ける。

「フラウ・エルゼ、<Langue de chat>に通っていますよね?」

「はい」

 突然何を言われると思ったのか、エルゼが青い大きな瞳を瞬かせる。ディルクは紙袋を差し出した。

「これ、<Langue de chat>であなたに渡して欲しいと頼まれたんです」

「まあ、わざわざ有難うございます。ヘア・ディルク」

 エルゼは頬を染め、嬉しそうに紙袋を受け取った。

「随分嬉しそうだな、何が入っているんだい」

焼き菓子(プレッツヒェン)だと思うよ。俺もまだ見てないけど」

「ルリユールなんだろう?」

「お客にはお茶と菓子を出してくれるんだよ。しかも美味い」

「ルリユールなんだろう?」

 そんなディルクとオーラフの会話を、エルゼはにこにこと聞いていた。


 精霊ジンニーからの連絡の後、ディルクとリーンハルトが守衛室まで降りると、初老の守衛は「応接室で待っているよ」と言った。守衛夫妻は王都の学院宿舎から引き抜かれて、今はここの守衛をしている。

 使用人の宿舎は守衛夫妻の住まい部分を挟んで、男女の宿舎に分かれている。間にある食堂と応接室はどちら側からも入れるが、応接室は守衛に鍵を開けて貰う必要がある。

「失礼します」

 ドアを開けて中を覗く。

「こんにちは」

 中に居たのはエルゼだけだった。何となく安心してディルクとリーンハルトは応接室に入った。士官候補生時代の、ドアを開けたらリグハーヴス公爵が居た衝撃が中々忘れられない。一応ドアは開けたままにしておく。

 今日のエルゼは休日らしく、いつもまとめている髪は解いていて背中に広がっていた。素朴な冬物の杏子色あんずいろをしたワンピースが良く似合っている。

「今日、<Langue de chat>に行って来たんです。珍しいお菓子を頂いたので、お二人にもと思って」

 テーブルを挟んだ向かいのソファーに座った二人に、エルゼは見覚えのある蝋紙で出来た袋を渡す。

「フロランタンと言うそうです」

「有難う」

「わざわざ済まん」

 エルゼに軽く頭を下げ、受け取る。

「お茶はいかが?」

 開いたままのドアがノックされ、小柄でふっくらとした体形の守衛夫人がワゴンに茶器を乗せて現れた。

「フラウ・ゲルダ」

 ゲルダは守衛夫人の名だ。因みに守衛はヤンと言う。

 エルゼも手伝い、テーブルにお茶が並ぶ。

「フラウ・ゲルダ、頂き物ですけれど、お菓子を召し上がりませんか?私は先程頂きましたから」

 ゲルダはエルゼが渡した紙袋の中にフロランタンが二つあるのを見て、「お一つ頂くわ」と言った。

「ヤンと半分ずつね」と微笑む姿が、仲の良さを窺わせる。それが少し羨ましい独身三人だった。

 ゲルダが奥に戻ってから、ディルク達はフロランタンを齧りつつお茶を飲んだ。

「相変わらず変わった菓子を作るよね、ヘア・ヒロは」

「異國の方なのではと思いますけれど。最初は黒森之國くろもりのくにの言葉も話せない様でしたし」

「黒髪黒目だからな、説話集せつわしゅうにある<異界渡り>の様でもあるな」

 フロランタンが甘いので、お茶に砂糖を入れずに飲んでいたリーンハルトがぽつりと呟く。ディルクとエルゼは顔を見合わせた。

「なるほどねー」

「そうかもしれませんね」

 物語の本を貸し出したり、珍しい菓子を作ったり、ケットシー憑きだったり。しかも<Langue de chat>にはケットシー憑きが三人も集まっている。普通では無い。

「あの方達は珍しい事を大っぴらに広げようとはしていませんけれども、珍しいお菓子などはここの料理長や菓子職人に食べさせた方が良いのでしょうか?」

「うーん、オーラフは良いけど、イェレミアスは煩そうだな。食べた後が」

 イェレミアスは領主館の菓子職人だ。前任者が老齢になった為、最近彼の推薦で王都から若い菓子職人が来たのだが、王都で学んだ自分の菓子が最先端だと思っている節がある。

 自分が食べた事の無い菓子を目の前に出されたら、どんな反応をするだろうか。

(オーラフは「こりゃ凄い」って喜びそうだけどなあ)

 オーラフは懐が深い男だ。しかしイェレミアスは若い分まだまだ器が小さい。若いと言ってもディルク達と変わらない歳だろうが。

「試してみる?」

「リグハーヴスの菓子の発展に?」

「奴の高い鼻をへし折る為に」

「そんな事だろうとは思ったが」

「いや、実際この間執事のクラウスが食費が跳ね上がったってこぼしててさ。オーラフは無駄使いしないだろ?って事はイェレミアスかなーって」

 ディルクは紙袋の中にまだ一つ残るフロランタンを見る。

「やってみるかねえ」

 領主の食事内容を落とさない為に、使用人の食事の等級を落とされては堪らない。こちとら肉体労働なのだ。従業員の士気が落ちるのは、領主館としても拙い。

師匠(エンデュミオン)に一言言っておいた方が良いだろうけれど)

 それは後で精霊に頼んで手紙を送っておこうと思う。

 三人は顔を見合わせ、頷いたのだった。



大晦日にディルクが預かったお菓子は、きちんとエルゼに渡りました。

ディルク、リーンハルト、エルゼは友人になっています。

この三人は、孝宏が<異界渡り>だと薄々気付いていますが、騒ぐ気は全くありません。

菓子職人イェレミアスのお話は、もう暫く後で登場です。



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