リグハーヴスの〈柱〉の神殿
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
エンデュミオンの神殿遺跡で小金を稼ごう。
319リグハーヴスの〈柱〉の神殿
リグハーヴスも春になり段々暖かくなってきていて、外套も少し薄手のものでも外に出られるようになっていた。
「洞窟かあ、楽しみだなあ」
うきうきと孝宏は春物のハーフコートに袖を通した。
昨日イージドール達が見付けた神殿遺跡の調査に行くとエンデュミオンが言ったので、一緒に行きたいとお願いしたら許可が出たのだ。
前司教であるマヌエルにエンデュミオンが相談したところ、「調査してきて下さい」と頼まれたらしい。遺跡には階段が多いので、マヌエルはまた今度という話になったのだ。
「孝宏は外部放出魔力が殆どないからな。イシュカもだが」
外部放出魔力がないので、うっかり魔方陣に乗っても魔力を取られないようだ。イシュカも仕事柄古代文字を多少読めるらしく、エンデュミオンに勧誘されていた。
「テオとルッツが居たら物凄く喜びそうなのにね」
「帰って来たらイージドールに見せて貰えば良い」
テオとルッツは〈暁の砂漠〉に帰省中だった。雪解け後の忙しくなる前にと、顔を出しに行っているのだ。
「本当に俺も行っていいのか? エンデュミオン」
玄関のドアの前で問うイシュカに、エンデュミオンは鷹揚に頷いた。
「ああ。綺麗な物が見られると思うから、イシュカの仕事の役に立つだろう。普段散歩位しか外に出ないしたまにはよかろう」
「ヴァルブルガもそう思う」
イシュカの腕の中でヴァルブルガが頷いた。イシュカが行くなら当然ヴァルブルガもついてくる。
ケットシー的にはイシュカは働き過ぎなのである。
「留守番頼むね、カチヤ、ヨナタン」
「はい。いってらっしゃいませ」
今日は店は臨時休業だ。カチヤとヨナタンは温室に遊びに行くようだ。
「んっんー」
シュネーバルは孝宏が首から提げたスリングの中にいる。今日はモンデンキントと遊ばせるのだ。「昨日の今日でベネディクトは遺跡に連れて行かないぞ」とエンデュミオンが言っていたので、モンデンキントもベネディクトと一緒にいるだろう。
教会まで散歩がてら歩いて行こうと皆でぞろぞろと石畳を歩く。
「あ」
〈針と紡糸〉の前をリュディガーとギルベルトが箒で掃いていた。エンデュミオンを見るなりギルベルトの大きな緑色の瞳がきらりと光る。
「朝から出掛けるのか? 坊や」
「教会の地下に神殿の遺跡を見付けたんだ。ギルベルトは知っているか?」
「見た事はないが、知っている」
「行くか?」
「行く」
くるりとギルベルトはリュディガーに振り返った。
「リュディガー、お出掛けしよう」
「俺も行っていいの!?」
「リュディガーは常識人だから頼む」
驚くリュディガーにエンデュミオンが頼んだ。
暗にギルベルトが好き勝手に動くのを止める役目を頼みたいのだろう。イシュカの年下の叔父であるリュディガーは生真面目である。薬草採取を仕事にしているが、それ以外の素材も頼まれれば集めて来たりする。
「準備して来るから一寸待ってって」
箒と塵取りを持って店に戻り、数分後二人はマリアンと一緒に出て来た。リュディガーとギルベルトは外出用の服を着ているが、マリアンは見送りに来たようだ。
マリアンは金髪の森林族で孝宏の美的感覚で見てもとても綺麗だと思う。リュディガーは黒髪の森林族だ。イシュカの父親の弟なので、面立ちの雰囲気が何処となくイシュカと似ている。
「気を付けていってらっしゃいね」
「マリアン、魔物は出ない場所だから大丈夫だと思うぞ」
「それなら少しは安心ね」
神殿遺跡なので聖属性の聖域である。魔物は寄り付けない。
マリアンに手を振り、市場広場に出て冒険者ギルドの屋根の向こうに見える教会を目指す。
「遺跡があるって、リグハーヴス公爵には知らせたの? エンデュミオン」
ギルベルトと手を繋いで歩きながら、リュディガーが孝宏が抱くエンデュミオンに訊く。
「精霊便でな。調査をしてから詳しく報告に行くと書いておいた。何しろ、エンデュミオンもギルベルトも直接見た事がなかった遺跡だからな」
「教会の下に埋まってればねえ」
「聖属性の塊のベネディクトが触れたから反応したのだしな。本来ならエンデュミオンはあの場所には行かないからなあ」
エンデュミオンが先に触れていれば、当然エンデュミオンに反応したのだと言う。
冒険者ギルドと魔法使いギルドを超えて、教会前の広場に入る。教会の扉の前にシュヴァルツシルトを肩に乗せた、イージドールが立っていた。
「おはようございます」
「おはよう。ベネディクトの様子は?」
「眩暈は治まって起き上がれるようになりましたが、今日は様子見ですね」
「だろうな。シュネーバルをモンデンキントと一緒に、ベネディクトにくっつけておくといい。シュネーバル、あの指輪をベネディクトにあげるんだぞ」
「う!」
スリングの中からシュネーバルが右前肢を上げた。あの指輪とは昨日エンデュミオンと作っていた幸運魔石の指輪だろう。身に着けていると少しだけ幸運値を上昇させられるアイテムである。
ベネディクトは善人なのにも関わらず、明らかに幸運値が低い人なのだが、それはベネディクトが〈聖人〉だからなのだ。〈聖人〉は自分の幸運を他人に分ける性質を持つらしい。だからこそ、早世で長生きせず歴史にも残っていないとエンデュミオンに聞いて、全力でベネディクトに幸運魔石の指輪を渡す事を推した孝宏だった。
ベネディクトの幸運は、〈女神の貢ぎ物〉であるイージドールと出会った事で、使い果たしているのではないかと思わないでもない。良い人過ぎるベネディクトには是非長生きして貰いたい。
顔馴染みの見習い修道士コンラーディンにシュネーバルをベネディクトの部屋に届けて貰うように頼み、イージドールの案内で地下遺跡に向かう。
司祭館の一階の奥にあるドアの鍵をイージドールが開けてドアを開く。ドアの向こうは古い石材の階段が下っていた。イージドールが先頭で下りていくのに合わせて、壁に仕込まれた光鉱石が灯る。
「凄いね」
「見えにくいが、人が近付くと光るように魔法陣が刻まれているんだ」
「ここにクヌートとクーデルカとホーンを連れてきたら大喜びしそう」
「まずここで暫く動かなくなるぞ。一日時間を取って連れて来ないと」
魔法使いコボルトは魔方陣研究が大好きである。遺跡の魔法陣などと聞いたら「連れて行って!」と強請られる事間違いない。
階段を下りた先には書庫があり、こちらのドアも開けて皆を通した後、イージドールは内側から鍵を掛けた。
「間違って誰か入って来られると困るので閉めておきます」
「そうだな。遺跡に迷い込まれると困る。捜索するのが面倒だ」
「そんなに広いの?」
「広い」
孝宏にエンデュミオンが重々しく言った。
「遺跡へのドアを開けたら階段になっているから、ヴァルブルガはスリングに入っていた方が良いぞ。結構高い場所にあるから」
「うん」
先程までシュネーバルが入っていたスリングにヴァルブルガが入り、イシュカの胸にくっつく。ヴァルブルガはあまり高い場所が好きではないのだ。
「では開けますよ」
本棚を避けたままにしてあった壁にイージドールが触れて魔法陣を浮かび上がらせてから白い鍵を鍵穴に差し込む。カチリ、と小さな音が孝宏の耳にも聞こえた。
鍵を差し込んだまま、イージドールが壁を押せばするりと向こう側に開いた。孝宏の位置からはぽっかりと黒い空間が見える。
「えい」
エンデュミオンが光の球を黒い空間に幾つも放つ。
「階段を下りても、魔法陣が光っている広場には入るなよ。先にエンデュミオンが魔力を満杯まで注入しないと、他の人も魔力を取られてしまうからな」
「解りました。僕が先に下りますね」
イージドールが修道服の頭巾の中にシュヴァルツシルトを入れたまま、階段を下りていく。その後ろから孝宏が下りた。孝宏の後ろには尻尾をぴんと立てたギルベルトがついてくる。
エンデュミオンの出した光の球が足元を照らしてくれるものの、中々に怖い。
『手摺がない!』
『端に寄り過ぎなければ大丈夫だ。崩れたりはしないから』
思わず日本語で叫ぶ孝宏に、エンデュミオンが返す。黒森之國の成人男性が三人並んだくらいの横幅がある階段だが、辺りが見えない中下りていくのはドキドキする。
孝宏達が下りている階段の突き当りが、魔法陣が光る円形の広場だった。広場の手前にも小さな踊り場あるので、イージドールはそこで待っていた。
「よし、エンデュミオンが魔力を突っ込んで来るから、このまま動くなよ」
孝宏は屈んでエンデュミオンを魔法陣の光る広場に下ろした。
「うーん、気持ち悪いな。入るだけで魔力を取られるのか」
とことこと魔法陣の真ん中まで歩きながら、エンデュミオンの耳が伏せる。
「よいせ」
エンデュミオンが〈時空鞄〉から黄緑色の魔石が付いた杖を取り出した。エンデュミオンの身長より長い。その杖の石突を魔法陣にぶつける。
コーン、という音がやけに長く反響していく。
「我は当代の〈柱〉エンデュミオン。この神殿を受け継ぐ者なり。我が魔力を持って、悠久の眠りから目覚めよ。されば再び祈りを得ん」
古めかしい単語を使っているので、孝宏には意味が解らない部分も多い呪文のようなものをエンデュミオンが唱えた。
じわっとエンデュミオンの足元から魔法陣の光が強くなったと思ったら、一気に銀色の光が立ち昇ったった。
「うわ」
「坊やは結構短気だからな」
孝宏が驚くと、隣にいたギルベルトがくふくふと笑った。どうやら時間を掛けて魔力を注ぐのが面倒なので、エンデュミオンは最高出力で遺跡に魔力をぶち込んでいるらしい。
イシュカとヴァルブルガとシュヴァルツシルトは楽しそうに見ているが、イージドールとリュディガーは呆れた顔をしている気がする。
「エンデュミオンは魔力多いんだね」
「坊やは多いなあ」
何でもない事のように、ギルベルトが肉球でピンと生えている白い髭を撫でる。基準を知らない孝宏と、親馬鹿のギルベルトの会話を聞いて、背後にいるイージドールとリュディガーは額を押さえていたのだが、それに気付いていたのはイシュカだけだった。
「あれ、明るくなってきた?」
真っ暗だったのに魔法陣のある広場を中心に次第に明るくなってきていた。広場を囲んでいる白っぽい石が内側から発光し始めたのだ。光っていると、石の根元が淡い緑色だと解る。
「これはセレナイトかな」
石の前にしゃがみ込んで観察したリュディガーが呟いた。
「セレナイト?」
「所謂、水晶だよ。ここは巨大な水晶窟なんだ」
「うわあ……」
じわじわと白く発光していく水晶は壁も天井も覆い尽くしていた。明るくなってくると、六角柱に成長した水晶の塊があちこちから生えているのが見えた。
すっかり洞窟内の水晶を発光させるまで魔力を注ぎ込んだのか、「よし」とエンデュミオンが杖を〈時空鞄〉にしまった。
「もう広場に入っても大丈夫だぞ」
「うん」
孝宏達はエンデュミオンに呼ばれるまま、まだ魔法陣が光る広場に移動した。振り返り、改めて水晶窟の広さに驚く。おまけに明るくなって解ったが、洞窟内に幾つもの階段が浮かんでいるのが見える。
「階段が浮かんでる」
「〈柱〉の神殿だからな。重要な部分には勝手に入れないようになっているんだ。〈柱〉は洞窟内に手を入れられるんだ。今はエンデュミオンがこの洞窟の管理者だから、あちこちいじれるぞ。イージドール、正面の壁が見えるか?」
「ええ、あれは……女神シルヴァーナ像ですか?」
「そうだ。一先ずあそこに行けるように道を作るぞ」
コーンと遠くで音がした。どうやら階段が動くと音が鳴るらしい。コーンコーンと鳴りながら、宙に浮いていた無数の階段が動き出す。階段は回転したり上下に動いたりしながら、天井から伸びている水晶の柱を回避しつつ、女神像までの道を作り上げた。道の端は、孝宏達が居る広場にきちんと接続された。
「行くぞ」
真っ先にエンデュミオンが出来上がったばかりの道に飛び乗った。手摺のない沈下橋のような道に、なるべく下を見ないようにして孝宏も追い掛ける。
女神像に近付くにつれ水音が聞こえて来た。
「水?」
「下が天然の聖水湖になっているんだ」
「エンディ、それ教会に知らせても大丈夫なの?」
「ここの聖水を全部運べる訳もないしな。イージドール、小瓶に詰めて冒険者に売るか?」
「……後程ベネディクトと相談させてください」
エンデュミオンがここを観光資源にしようとするのは、ベネディクトとイージドールが神殿遺跡で手に入れたお金を、教会と孤児院の為に使うと解っているからだろう。
時々階段になって上下移動しつつも、最短距離で女神像までやって来た。
「うわー、凄い……」
巨大な薄桃色の女神像は全身水晶で作られていた。背後には後光のように放射線状に金色の針水晶の六角柱が生えている。回りにあるのは花の形に作られた緑や青の水晶達だ。
「これ、昔の人が作ったのかな」
「自然にあった物と彫刻した物とを合わせてあるな。正面にあるのが祭壇だ」
女神像のある広場に下りると、足元に沢山の小さな水晶が転がっていた。
「踏むと危ないから拾い集めよう」
エンデュミオンが革袋を取り出し、足元の水晶を拾い出す。皆で拾って袋に集めた。
「これで飾り紐や護符を作って売ろう。聖属性のお守りになる」
「ああ、観光土産みたいに?」
「うむ」
いそいそとエンデュミオンが革袋を〈時空鞄〉にしまい込む。
「ここが祭壇ですね」
イージドールが女神像の足元にある、水晶で出来た長方形の祭壇にそっと触れた。今は何も載っていない。
「掃除に来て、花を捧げないといけませんね」
「エンデュミオンは聖職者ではないから、イージドール達に任せる事になるな。イージドールとベネディクトの魔力も吸っているから、二人は問題なく入れるからな」
「エンデュミオンに毎回頼むのは悪いので、助かります」
「なあリュディガー、ここは観光地になりそうか?」
「充分なるよ。綺麗だし、こんなに大きな水晶窟なんて聞いた事ないもの」
「では観光用の順路を作らねばならんな。それからアルフォンス達を連れてこよう。教会からのドアはエンデュミオンが魔力を入れに来る専用の場所にして、観光用と繋がらないようにしないと」
「外に入口を作るんですか?」
確かに水晶とは言え、これだけあると防犯が気になる。
「アルフォンスにしっかりとした入口用の建物を作って貰えば良いかな。リグハーヴス領にある遺跡だから、保護する理由があるだろう? そこにエンデュミオンが魔法陣を組み込んでおけば泥棒は入れない」
エンデュミオンがニヤリと笑った。イージドールが苦笑する。
「何だか凄い魔法陣を仕込みそうですね……」
「教会孤児院の資金源になる神殿遺跡に手を出すのなら容赦は要らん」
「うん。ギルベルトも手伝おう」
クックックックとエンデュミオンとギルベルトが二人揃って悪だくみ顔になっている。盗賊には諦めて貰った方が良さそうである。
「では、この洞窟の見所を探すぞ。色々と通路を作るから、好きなように見てくれ」
「あいっ」
危ないのでイージドールの頭巾の中で大人しくしていたシュヴァルツシルトが張り切った声を上げた。
「えーと、ここが滝になっているね」
ベネディクトや領主に説明するのに地図が要ると気付いたリュディガーが、ヴァルブルガの持っていたクリップ付きの板に紙を挟んで地図を作製する事になった。エンデュミオンは「連れて来れば早い」と思っていたようだが、観光地点を決めるのにも必要になる。
『パンフレットみたいなのも作ったりする?』と孝宏が言ったのも、決め手になったようだ。
普段から採取場所などを地図にしているリュディガーなので、解りやすく書き込んでいる。勿論、教会からの入口の場所は書かれていない。最終的には観光客からは見えないように水晶で隠す予定だ。
「滝の裏に窪みがあるみたいだから、そこに光鉱石入れたら綺麗かも。聖水湖を覗き込める場所にも、幾つか光鉱石を置いてみたら水の中が少し見えるし」
「ふむ、面白いな」
孝宏の腕からエンデュミオンが身を乗り出して、リュディガーの持つ地図に赤鉛筆で書き込みを入れる。この地図で検討の後、道順や光鉱石を仕込む場所を決めるのだ。
「イシュカ、あそこ綺麗」
「本当だ」
イシュカとヴァルブルガは滝壺の縁に溜まった小さな水晶が、大きな水晶の光に当たってチラチラと輝くのが気に入ったようだ。
奥の通路から尻尾をぴんと立てたギルベルトが、イージドールとシュヴァルツシルトと一緒に戻ってきた。
「ギルベルトは向こうの巨大な水晶が通路の上に迫っている場所が良い」
「しゅゔぁるちゅしると、あっちのとりのかたちのしゅき」
「羽を広げた鷹か鷲みたいだったね」
イージドールが指先でシュヴァルツシルトの顎の下を撫でる。
水晶の中には動物の形に似た物もあり、シュヴァルツシルトはそれがお気に入りらしい。
「ふむ、この地図ではどの辺だ?」
「ここだな」
ギルベルトが前肢の爪をにゅっと一本出して、地図の一点を突いた。
「鷹の水晶があったのはここかな」
ギルベルトの場所と近いが別の場所を、イージドールが指先で示す。
「よし。観光通路については地図に起こせたな」
「エンディ、この水晶窟って結構伸びてるの?」
「ここは結構地下深い場所にあるんだが、領主館の下の方まで伸びてるぞ。温度的にワインセラーにするといいかもな。クラウスが喜びそうだ」
「ギルベルトも欲しい」
「ん? ワインセラーをか?」
「いや坊や、耳を貸してくれ」
エンデュミオンの耳にギルベルトがひそひそと囁く。
「作るのはいいが、叱られないか?」
「でもギルベルト欲しい」
「解った。作ったら魔法陣を知らせる」
「うん」
ギルベルトは尻尾をぴんと立てて、先っぽをゆらゆら揺らした。
「……うちのギルは何を頼んだんだろう」
「フラウ・マリアンに怒られないかだけは見ていた方が良いと思いますけど」
何で見ている前で内緒話にならない内緒話をするのか。呆れつつも何も言わないリュディガーもギルベルトに甘い。
「ではそろそろ教会に戻るか」
まだ教会への通路は残してあったので、再び沈下橋通路を歩いて書庫まで戻る。
「観光通路には手摺いるよ、エンデュミオン。子供が落ちたら大変だよ」
「そうだなあ。順路が決定したら付けよう」
書庫のドアにしっかり鍵を掛け、皆で司祭館に上がる。
「休憩しましょう。こちらの食堂で休んでいてください。お茶を淹れてきます」
「俺手伝いますよ」
食堂の続き間になっている台所のドアをイージドールが開ける。
「ベネディクト!?」
「お帰り」
台所にはベネディクトとモンデンキント、シュネーバルが居た。どうやらおやつに林檎を剥いてやっていらしい。薄い櫛形の林檎を両前肢で持って、モンデンキントとシュネーバルがしゃりしゃりと齧っていた。
「御加減は大丈夫なんですか? 司祭ベネディクト」
「はい。ふらついて遺跡の階段から落ちたら困るので遠慮させて頂いたんですが、落ち着きましたよ」
穏やかに微笑んで、ベネディクトがお代わりの林檎をモンデンキントとシュネーバルに渡す。ベネディクトの右手の薬指にはちゃんと幸運魔石の指輪がしてあった。
「林檎の皮と芯を頂いても良いですか? お茶を淹れます」
「皮と芯ですか?」
「はい」
孝宏はイージドールが沸かしてくれたお湯で大きめのティーポットを温め、茶葉と林檎の皮と芯を入れて熱湯を注いだ。ふわっと林檎の香りが立つ。
盆にティーポットと人数分のカップを載せて、食堂に移動する。
「ベネディクト、歩き回っても大丈夫か?」
椅子の上に立って〈時空鞄〉から、孝宏のおやつの作り置きを出していたエンデュミオンが振り返る。
「すっかり良くなりましたよ」
ヴァルブルガがイシュカの膝の上から、魔女の顔をして言った。
「暫くは魔力回復飴を一日一つ舐めてね。瓶のがなくなるまで」
「解りました。皆さん無事に戻られて良かったです。神殿遺跡はどうでした?」
「観光資源になりそうだぞ」
ニヤリとエンデュミオンが笑う。リュディガーが地図を取り出してベネディクトの前に置いた。
「これが観光で使う範囲の地図です。実際はもっと広いらしいんですが。安全なのがここまでのようです」
「広いですねえ」
地図を見たベネディクトが感嘆の声を上げる。
「きれいだった。べねでぃくとともんでんきんともいこう」
「是非、見たいですね」
「一応見本通路は作ったままにしてあるから、ベネディクトとアルフォンスは下見をしたらいい。後は──今の司教も来るか?」
「元宗教施設ですから、猊下にも見て頂かないとならないでしょうね」
「マヌエルに精霊便でも書いて貰うか。正式に呼ぶならアルフォンス経由だろうが、面倒臭い事になりそうだ」
「面倒臭いって言わないの」
孝宏は蒸らし終わった林檎のお茶をカップに注いだ。イージドールが配ってくれる。
「だって堅苦しくなるのが面倒臭い」
エンデュミオンが鼻の頭に皺をよせ、飲み頃温度にした林檎のお茶を舐める。ベネディクトも「良い香りですね」とお茶を一口飲んだ。
「近々猊下が顔見せに各領の教会にいらっしゃる予定ですから、その時に見て頂きましょう。リグハーヴス公爵も挨拶にいらっしゃるでしょう」
「確かコボルト付きの司教だったな」
「司教フォンゼルです。憑いているコボルトの名前はリットですよ。ハイエルン出身で、かなり若い頃からコボルト憑きです」
「へえ」
エンデュミオンが興味を覚えた顔になる。リットは騎士という意味の名前だ。戦闘能力のあるコボルトだろう。
エンデュミオンもギルベルトも長年生きていてもケットシーなので、コボルトに関しては顔見知り以外は知らないのだ。
「当然、孝宏にも会いに来るんだな?」
「俺!?」
唐突に自分の名前が出て来て、孝宏はお茶に噎せるかと思った。
「孝宏は〈異界渡り〉だからな。顔を繋げておく必要があるだろう。マヌエルとも会っているだろう?」
「そう言えばそうか」
マヌエルはエンデュミオンの友人だったのもあって、すんなり会ったのだった。今度の司教フォンゼルがどのような人かは知らないが、憑いているコボルトに会うのが楽しみだ。
「それでだな、ベネディクト。良い物があるんだがこれで土産物を作らないか? 本物の聖属性のお守りだぞ?」
どこか悪い顔をしてエンデュミオンが〈時空鞄〉から小さな水晶の沢山入った革袋を取り出した。エンデュミオンの隣でギルベルトもこくこくと頷いている。
どうやらエンデュミオンの〈神殿遺跡で教会孤児院を潤す計画〉は始まったばかりだった。
極貧ではないけれど、決して潤ってはいない教会孤児院のために小金を稼ごうとするエンデュミオンです。お金があれば王都の学院にも行かせてあげられるので。
ギルベルトとエンデュミオンは似た所があるので、いそいそと悪だくみをします。
魔法陣が大好きな魔法使いコボルト、連れて来たら(そして水晶の欠片も貰えたら)大喜びです。
ちなみに、遺跡で小金を稼いでも、落ちてる水晶や天然聖水を売っても女神さまに怒られません。
神殿を復活させて、〈聖人〉と〈女神の貢ぎ物〉に祈りを捧げられる方が重要です。