火蜥蜴とお見舞い
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
ハンスのお見舞いに行きます。
310火蜥蜴とお見舞い
エンデュミオンが寝癖を直し、着替えて朝食を食べてから、再びパン屋〈麦と剣〉に行った時、カミルと火蜥蜴達はおやつに南瓜のタルトを食べながらお喋りしていた。
「待たせたか?」
「ううん、のんびりお茶飲んでたよ」
カミルが答え、南瓜のタルトをエンデュミオンの分も切って皿に乗せてくれた。それから台所に行って、ティーポットにお茶を淹れ直してくる。
エンデュミオンは子供用の椅子によじ登った。グラッフェンが来るので用意されているのだろう。
南瓜のタルトは中々美味しそうだった。
「これはカミルが作ったのか?」
「うん、八百屋に南瓜がいっぱいあったから、昨日の午後は南瓜餡パンにしたんだよね。その中身の残り」
肉桂がふんわり香り甘さも丁度良い。
「美味い」
「へへ、良かった」
カミルとエッダは週に何度か、孝宏直伝の菓子パンや惣菜パンを作り、午後に売っているのだ。早朝から作るにはまだ身体が出来ていない為、午後からなのだが、子供のおやつなどに買っていく人も多い。
カミルがミルクがたっぷり入ったミルクティーを作り、ティーカップをエンデュミオンの前に置く。
「有難う。カールは仮眠中か?」
「うん」
午前3時から仕事をしているカールは流石に仮眠を取る。
「じゃあ話を聞かせてもらおうか」
南瓜のフィリングを口元に付けた火蜥蜴達が顔を上げる。
「いい加減カールと話しても良いんじゃないのか? ルビン」
「そうなんだがな」
いまだにルビンはカールに話し掛けていないらしい。だからエンデュミオンはカミルと火蜥蜴だけになる時間に出直したのだ。
「そちらの火蜥蜴の名前は?」
「……カルネオール」
縞瑪瑙柄の火蜥蜴が答えた。カミルが指先でカルネオールの顎を撫でる。
「さっき聞いたんだけど、左区の〈麦と花〉の火蜥蜴なんだって」
「何で家出してきたんだ? パン屋なら火蜥蜴を大切にするだろうに」
エンデュミオンはティーカップを両前肢で持ってペロリと舐めた。良い温度だ。
「……今ハンスが医師の所に入院してて」
ポツリポツリとカルネオールが話し出す。
「ヘア・ハンスは〈麦と花〉の親方だよ」
ハンスとは誰だ? とエンデュミオンが聞く前に、カミルが教えてくれる。
「怪我でもしたのか?」
「風邪を拗らせたんだ。左区で風邪が流行ってる」
「ふうん? 知らなかったな。ではパンは誰が焼いているんだ?」
「ハンスの息子のボリス。王都で徒弟をしているけど戻ってきてて」
ギラリとカルネオールの金色の瞳が鈍く光った。
「カルネオールに御飯も食べさせずに窯に生地を突っ込む」
「……んん?」
エンデュミオンは確認する眼差しでカミルを見た。
「うちの場合は朝の仕事の前にお茶を飲んで、仕事終わってから朝御飯なんだけど。火蜥蜴に何も与えずに仕事ってないって言うか。ヒロもミヒェルに食事あげるだろ?」
「そりゃあ、オーブンを守ってもらってるんだし。パン屋の窯でそれがないのか!?」
それは火蜥蜴も怒る。
「それにボリスはカルネオールが見えていないのか、扱いが酷い」
「妖精が見えない事はないだろう。実体化してるんだから。カルネオールが見えなければエンデュミオンだって見えない事になる。もしかしてさっきの怪我はボリスの仕業か」
「カルネオールの側に木べら を突っ込んできた」
「あれ? 火蜥蜴がいる場所って、生地入れる場所じゃないよね?」
カミルが不思議そうな顔になった。窯の中でも温度が違うらしい。
「普段王都で火蜥蜴がいない窯でも使ってるのか?」
「でも王都なら大きな窯のような気がするけど」
大きな窯なら火蜥蜴がいるものだ。
「で、ボリスとやらのパンはどうなんだ?」
「今のところ下手だな」
バッサリとカルネオールが切った。
「容赦ないな」
「まだ徒弟だからな。王都とリグハーヴスの気温の差も考慮出来ない程度には未熟だ」
「未熟なのと、妖精を傷付けるのは別だぞ。しかし、パン屋の息子なら子供の頃から工房にいたんじゃないのか?」
「ボリスは子供の頃は工房に寄り付かなかった」
「ああ……」
その辺りがカミルと違うのかと、エンデュミオンは納得した。カミルは子供の頃から毎日ルビンに挨拶をしていたらしい。
「エンデュミオン、この玉どうするの?」
カミルがマグカップに入った真珠大の玉をエンデュミオンに見せる。
「ああ、〈火蜥蜴の涙〉か。錬金素材で火耐性の護符が作れるんだが、ルビンの加護があるから、カミルの家族は使わないものだな。綺麗だから装飾品にもされるんだが。中に炎が見えるんだぞ」
「そうなの? ……本当だ、綺麗だね」
一つ玉を摘まんで覗き込んだカミルが目を瞠る。透明な玉の中に、小さな炎がちらちらと揺れていた。
「欲しかったらあげる」
「いいの? じゃあ何個か貰うね」
カルネオールにあげると言われて、カミルは五つ程貰っていた。何となく、その内の一つはグラッフェンに渡りそうだとエンデュミオンは思った。
「残りはあとでハンスに渡そうか」
エンデュミオンは小袋を取り出して〈火蜥蜴の涙〉を入れて、〈時空鞄〉にしまった。
「そろそろ左区の診療所も開いているだろう。カルネオール、ハンスのお見舞いに行くか?」
「連れて行ってくれるのか?」
「流石に誰かと一緒に行かないとならないだろう。どうにも流行り風邪のようだから、移らないエンデュミオンと行った方が良いだろう」
カミルに連れて行って貰って、風邪を拾って来ても困る。妖精には人族の風邪は移らない。
「診療所の場所は知っているが、入った事はないから手前に〈転移〉するか。カミル、ハンスの様子は後でカールに知らせに来るからな」
「解った。父さんにそう言っておくよ」
「よいしょ」
エンデュミオンは南瓜のフィリングが付いていたカルネオールの口元を端切れ布で拭いてから抱き上げた。ほんのりと温かい火蜥蜴は、ふかふかした手触りをしていたりする。
「よし、行くぞ」
エンデュミオンはその場から〈転移〉した。
エンデュミオンが左区にある診療所前に現れた時、丁度中から白い上着を着た青年が、患者を送り出す場面だった。患者が歩き去るの見送ってから、エンデュミオンは青年に声を掛ける。
「おはよう、青年」
「おはようございます、診察ですか?」
意外にも青年は普通に挨拶を返してきた。
「いいや、見舞いだ。ここに〈麦と花〉のハンスが入院しているだろう。この火蜥蜴はハンスの所のでな。エンデュミオンは付き添いだ」
「お見舞いですね。私は医師のマテウスです。どうぞ入ってください」
「有難う」
ドアを開けてくれたので、エンデュミオンはカルネオールを抱え直して診療所の中に入った。丁度患者が全て帰った後だったらしく、待合室は無人だった。
「案内します」
先に立ったマテウスが廊下を進む。左手にバスルームのドアがあって、その横に二階への階段があった。低めの階段だったので、エンデュミオンはマテウスの後をえっちらおっちらと登った。
マテウスは二階の奥の部屋のドアを叩いた。
「ヘア・ハンス、お見舞いの方がいらっしゃいましたよ」
「どうぞ」
咳き込みながらの返事があった。
マテウスにドアを開けて貰い、エンデュミオンとカルネオールが中に入る。部屋は個室で、以前に見た時より大分やつれたハンスがベッドに半身を起こしていた。
「お邪魔するぞ」
「エンデュミオン!? カルネオールまで」
「エンデュミオンはカルネオールに頼まれて連れて来ただけだぞ。ケットシーは人族の風邪は移らないからな」
エンデュミオンは背伸びをしてカルネオールを白いベッドカバーの上に乗せてやった。のそのそと動いてカルネオールがハンスに抱き着く。
「ハンス!」
「よく来たね、カルネオール。だけど窯はどうしたんだい」
ぷい、とカルネオールが横を向く。
エンデュミオンはベッド脇にあった、三本足の椅子によじ登って座った。
「カルネオールはルビンの所に家出していたんだ。ルビンは〈麦と剣〉の火蜥蜴だな」
「家出!?」
ハンスが素っ頓狂な声を上げた。無理もない。火蜥蜴に家出されるのは、窯を持つ店に取って醜聞でしかない。
「ハンスの息子と上手くいかなかったみたいでな。ちょっぴり怪我もしていたからカールがエンデュミオンを呼んだんだ」
「あの馬鹿息子は……っ、けほっけほっ」
「ハンス!」
ハンスが咳き込み始めたので、エンデュミオンは急いで〈時空鞄〉から青い金平糖の入った小瓶を取り出した。金平糖を取り出し、ハンスの掌に数粒押し付ける。
「これを噛んで飲み込め」
言われた通りにハンスが金平糖を口に入れ噛み砕く。間も無くハンスの咳が治まった。
「……有難うございます。これはなんですか?」
「あー、薬効のある花の蜜で作った物なんだが」
妖精鈴花の蜂蜜を使って作った金平糖だった。妖精鈴花は希少な花である。通常金平糖にはしない。
「大丈夫ですか?」
ドアの外にいたマテウスが病室に入って来た。鼻と口元を布で覆っている。
「はい、落ち着きました」
ハンスが答えて、カルネオールを撫でる。
「マテウス、少し聞きたいんだがな」
「何でしょう」
「この風邪は右区には広まっていないと思うんだが、原因はあるのか? 随分と重い肺炎のようだが」
「実は最初に掛かった人はハイエルンの鉱山街帰りの人なんです。彼と接触のあった人に移っているようです。まだ全員入院中です」
「ハンスはパン屋だものな……」
左区の住人なら当然左区のパン屋に行く。
「あのな、マテウス。魔女に診せる気はあるか? 魔女なら肺の炎症を回復出来るから、あとは投薬治療で治せる筈だ」
「そうですね、お願い出来ますか?」
このままでは予後が悪いと、マテウスも解っていたのだろう。あっさりとエンデュミオンの提案に乗った。
「ヴァルブルガ!」
ぽん、とヴァルブルガが病室に現れた。
「なあに?」
「ここは左区の診療所だ。肺炎患者が多発している。診察してくれ」
「解ったの。患者さんのカルテ見せて」
マテウスがカルテを取りに行く間に、エンデュミオンがベッドの上に移動し、ヴァルブルガも三本足の椅子からベッドの上に登る。
水の精霊魔法で前肢を洗ってから「診察させてね」とハンスを診て行く。
「……」
ぺたりとハンスの胸に耳を押し当てたヴァルブルガの鼻の頭に皺が寄る。カッと目を見開いてエンデュミオンを睨むが、エンデュミオンのせいでは無い。
「カルテを持って来ました。……どうしました?」
「いや」
患者の状態が悪すぎてヴァルブルガがお怒りですとは言えない。
「少し楽になると思うの」
ヴァルブルガが〈治癒〉を使ってハンスの肺の炎症を治していく。ぽわわっと強い緑色の光がハンスの上半身を包む。
「エンデュミオン」
ヴァルブルガがにゅっと前肢をエンデュミオンに差し出す。
「解った。これだろう」
エンデュミオンは〈時空鞄〉から白い小瓶を取り出した。ヴァルブルガは自分の〈時空鞄〉から目盛りの付いた硝子の小さなコップを取り出す。シロップ薬を飲む時のコップだ。
「今日から一日一回、このコップの1の目盛りの所までこのお薬を入れて、水で5の目盛りの所まで薄めて飲んでほしいの。お薬が無くなるまで毎日一回」
薬を入れる紙袋に用法を書き、ヴァルブルガは小瓶を入れた。
「お水はこれを使ってね。悪くならないお水だから」
問答無用でヴァルブルガは〈精霊水〉の入った瓶を取り出して、ハンスに押し付ける。それからマテウスから受け取ったカルテに万年筆で診察記録を書いて行く。
「そのお薬と、マテウスのお薬を飲んだら一週間位で良くなるから。良くなっても暫くは休憩を多くとって、お仕事する時は口元を布で覆ってね。細かい粉で咳が出やすいから」
「有難う」
「お大事にね」
ふふ、とハンスとカルネオールに笑ったヴァルブルガだが、くるりとエンデュミオンとマテウスに向けた顔は瞳孔が開いていた。「他の患者も診せろ!」と如実に物語っている。
「カルネオール、ヴァルブルガに他の患者も診て貰って来るから、ハンスとゆっくりしていると良い」
「そうする」
尻尾を機嫌良さそうに振っているカルネオールをハンスの元に残し、エンデュミオンとヴァルブルガ、マテウスは病室を出た。エンデュミオンはマテウスの膝を肉球で叩いた。
「マテウス、四の五の言わずにヴァルブルガに患者を全員診せろ。結構拙い状況なんだ。これは治癒魔法を使わないと治らないやつだ」
「は!? ……解りました、次はこちらの患者さんをお願いします」
マテウスの案内でヴァルブルガは次々と患者を診察し、その都度エンデュミオンに〈蘇生薬〉要求した。つまり、肺の機能不全が残る病なのだろう。
全員を診察し終わったあと、マテウスは入院患者のカルテを納めている部屋にエンデュミオンとヴァルブルガを連れて入った。
「色々と聞きたい事はあるんですが……。ただの風邪ではないんですね?」
「ハイエルンの鉱山街か、鉱山自体で発生している病気だと思うの。肺の機能不全を起こす怖い病気。ハイエルンの風土病かどうかは確認しないと解らないの。帰ったらグレーテルに確認するの」
「ドクトリンデ・グレーテルですね、お願いします。それからあの白い小瓶の薬は一体なんですか?」
「うーん、知らない方が良い気もするが、マテウスにも報告義務があるんだ。すまんな」
エンデュミオンは頭を掻いた。
「あれはな、〈蘇生薬〉なんだ。適用外の使い方なんで、患者の経過を完治まで調べてエンデュミオンかヴァルブルガに報告してくれ。これが報告書の用紙だ」
エンデュミオンはマテウスに用紙を患者の人数分渡した。手に紙を押し付けられて、マテウスは我に返った。
「〈蘇生薬〉……? 待ってください、そんなお金患者は払えませんよ!?」
「ああ、気にするな。エンデュミオンが渡したってカルテに書いてあるだろう? エンデュミオンは魔女じゃないから代金は貰えないんだ。ヴァルブルガに患者一人につき半銀貨一枚渡せばいい」
「いやいやいや、〈蘇生薬〉が幾らすると思っているんですか」
「患者の命には代えられん。薬は使える時に使うもんだ。報告書を宜しく頼むな。領主と王に提出しなければならないんだ」
先日、妖精鈴花を入手出来るとマクシミリアン王にばれたので、報告先が増えたのだ。
「ヴァルブルガ、グレーテルの所に寄って帰る」
「ああ、助かった」
ぽん、とヴァルブルガが姿を消す。
「本当にいいんですか?」
「ああ、若い者が簡単に死ぬのはもういい。戦でもないんだからな」
エンデュミオンにとって、ハンスや他の患者達は充分に若かった。
カルネオールはハンスの退院まで〈麦と剣〉と〈Langue de chat〉で交互に預かる事になった。ハンスの見舞いにはエンデュミオンが毎日連れて行けばいい。
「ボリスの方は任せろ。適任なのがいるからな」
リグハーヴスには火蜥蜴の長が居るのである。可愛い年下の火蜥蜴にあった出来事を知ったら、喜んで出張してくれるだろう。
早速召喚師スヴェンにお願いに行こうと、エンデュミオンはニヤリとほくそ笑んだ。
カルネオールを連れて、ハンスのお見舞いへ。
マテウスは左区の診療所の若先生です。決して腕は悪くありません。
ハイエルンの風土病がやって来たリグハーヴス。
ヴァルブルガ激おこです。エンデュミオンでも逆らいません。
蘇生薬を出せと言われれば出します。
アルフォンスの所に報告に行くのはエンデュミオンなんですけどね。