リグハーヴスの騎士(前)
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領主館の専属騎士のお話です。
31リグハーヴスの騎士(前)
ディルクは黒森之國の南東にあるフィッツェンドルフの生まれだ。父親はフィッツェンドルフでは名の知れた商家クラインシュミット商会の嫡男ヘンリックで、母親のリーゼルはそこのメイドだった。
当然の事ながら二人の関係を知った親により、ディルクの母親は追い出され、一人で産まれて来た息子を育てた。されど金持ちの商家、手切れ金だけは積んでくれたので、ディルクは母親が貯めておいてくれたその金で、学院に入り騎士になった。
逞しい母曰く、「金は金」なのだ。
ディルクが学院に居る間に、母親は急な病であっけなくこの世を去った。ディルクが実家に戻った時には、母の葬儀は終わり、家の中は空っぽになっていた。大家によれば、クラインシュミット商会の者が来て、根こそぎ持って行ったと言う。
ヘンリックはリーゼルと別れた後、別の領の商家の娘と結婚して息子が産まれていた。恐らくディルクとの繋がりが書かれた物をリーゼルが残しているかもしれないと、危ぶんだのだろう。
別れさせられてから、一度もリーゼルはクラインシュミット商会に足を踏み入れた事すらないと言うのに。後ろ暗い事がある人間の浅ましさを見た気がした。
リーゼルが服飾ギルドの口座に残していた遺産は、流石にクラインシュミット商会も手を出せなかったらしく、ディルクが相続した。クラインシュミット商会の財産にすれば、微々たるものだろうが。
因みに、リーゼルがヘンリックとの事を綴った若き日の日記は、ギルドの地下にある個人金庫に預けてあった。現在それは、リグハーヴスの服飾ギルドの地下金庫に預けてある。リーゼルからディルクに名義を書き換えたが、そのままその口座を遺産管理に使っていた。
騎士や魔法使いを育成する学院を卒業すると、魔法使いは師事する魔法使いを探し徒弟に入る事が多い。騎士の場合は仕える主を探す就職活動になるのだが、大概の新人騎士は王都や四領の騎士団に配属を希望する。取り敢えず、食いはぐれないからだ。
卒業間近になると、王都や四領の人事担当者が学院を訪れ、引き抜く人材を物色し始める。
学院は王都にあり、卒業訓練と称して新人騎士達は警備に参加する。そこでもし手柄を立てた場合、騎士爵を受ける時に色が付く。優秀者として初めから四等を与えられるのだ。
大抵、親が二等や三等の位階がある者が、優秀者になる事が多いとディルクも気付いていたが、子供の頃から騎士になるべく育てられていればそんなもんなんだろうと思っていた。
「いや、びっくりだよ。リーンハルト」
「何だ?」
同期のリーンハルトと夕食の乗った盆を持って食堂の隅に座り、ディルクは小声で切り出した。
「この間俺達が警備の時、スリを捕まえただろ?あれ、カルステンの手柄になるぞ。今日副団長の所に書類持って行く時に、偶然副団長とカルステンが話しているのを聞いた。書類を書き換えるってさ」
「ああ、カルステンの親は二等騎士だからな。良くある事らしいぞ。金を払って手柄を買い取る事もあるらしいが、私達の様な後ろ盾が無い者には半銅貨一枚も払わず手柄だけを奪う。従騎士として訓練をした時に付いた先輩騎士が零していた。まあ、副団長もグルだとは思わなかったが」
「そうして四等騎士サマの出来上がりか。そんな奴が上司になって命令されたくないね。俺は民の為に働くのは一向に構わないけど、手柄横取りする奴らの為に働いている訳じゃ無い」
ディルクは皿の上の腸詰肉をフォークでぶすりと突き刺した。
食事を終えたディルクとリーンハルトが立ち去るのを待って、少し離れた場所に座っていた騎士服姿の男が、口元を緩ませたのには誰も気が付かなかった。
一週間後、騎士団に就職希望を出していた騎士候補生達に、卒業後の配属先が割り振られた。
教室で教壇の前に一人一人呼び出され、名前と配属先の書かれた辞令書を渡される。
「どこ?」
「お前は、土地の名前位は覚えておけ。それはリグハーヴスと読むんだ」
リーンハルトに辞令書を突き付け、教えて貰う。ディルクは自分の名前しか読み書き出来ない。
「リグハーヴスって、北東だっけ」
「ああ。<黒き森>と地下迷宮がある」
リグハーヴスは公爵領の一つでありながら、近年までは余り開拓されていなかった。しかし、地下迷宮の魔物から上質の魔石が取れ、それが他國では宝石として珍重されることが明らかになって話が変わった。尽きる事の無い魔物が生み出す魔石は、黒森之國の輸出産物の一つになったのだ。
腕に覚えのある冒険者や、王國自ら編成した騎士と傭兵が地下迷宮に潜る為の、最終準備が出来る街、それがリグハーヴスの街となったのだ。
リグハーヴスには大きな街は一つしかなく、他は集落のみである。王に命じられ、リグハーヴス公爵は街の整備を始めた。街を広げて技術者を集め、宿屋を作った。
街は有事の際の防御の為、周囲を壁で囲まれ、四方の門から出入りする。これはどの街でも同じだ。門を護るのは騎士の仕事だ。街を広げた事で、リグハーヴスには騎士の需要が増えていた。今回もリグハーヴスに異動する騎士は多いだろう。
「リーンハルトは?」
「私もリグハーヴスだ」
「ふうん。じゃあ、一緒に行けるか」
「そうだな」
王都や港町フィッツェンドルフに配属された者達が歓声を上げる中、ディルクとリーンハルトは辞令書を畳んでポケットに突っ込み、宿舎に戻るべく机と椅子を縫って歩く。
途中カルステンが辞令書を持ったまま固まっていたが、ディルクは文字が読めないので彼が何処に配属になったのか解らなかった。教室を出てからこっそりとリーンハルトに聞く。
「何処だった?」
「聖都だったな」
「へえ?」
親が王都に勤めるカルステンならば、コネで王都に配属されるものかと思っていたが。聖都には配属される騎士は、信心深くて志願した者が殆どなのだ。
聖都は東の湾内にあるそれ程大きくない島で、女神の塔と塔に暮らす聖女や修道士達を支える為の街しかないのだ。祈りの島だから当然と言えば当然だが。基本的には女神の塔に参拝する観光客も、在住している修道士や騎士も届け出をしなければ島を出入り出来ない。
はっきり言って、昇進は望めない配属先だ。
学院と宿舎は同じ敷地内にある。家柄が良い生徒の宿舎は部屋ごとにメイドが付いているらしいが、ディルクとリーンハルトの宿舎は、守衛のおじちゃんと食堂のおばちゃんがいる家庭的な所だ。
「ただいまー」
「ただいま戻りました」
「お帰り。応接室にお客様がいらしているよ」
元はどこかの執事だったのではないのかと思われる、物腰の柔らかな初老の守衛に礼を言い、二人は守衛室の隣の応接室をノックする。
「失礼します」
ドアを開けた先には、学長と初めて見る二十代半ばの青年が居た。青年は白銀髪と紫色の瞳をしており、やんごとない身分の人間だと一目で解った。
ディルクはドアを閉めたくなったが、仕方なく応接室に入る。
「騎士候補生ディルクです」
「騎士候補生リーンハルトです」
「こちらはリグハーヴスの領主、アルフォンス・リグハーヴス公爵だ」
思わずディルクとリーンハルトは姿勢を正したまま、アルフォンスの顔をまじまじと見てしまった。何故公爵などと言う人物がここに居る。
「君達にお礼を言いたくてね」
「え?」
「ここ暫く学院で不正が行われている疑いがあってね。王からの依頼でうちの密偵に調査させていたんだよ」
にこにこと上機嫌でアルファンスが説明を始める。隣の学長は逆に苦虫を噛み潰した様な顔をしている。
「密偵ですか」
「うん。そうしたら君達から有益な情報を得られたらしくてね、証拠を掴めたんだよ」
「はあ。誰かに何かを言った記憶は無いんですけど」
「密偵の仕事だからね、そこがばれたら駄目だから」
それはそうだが。
「俺達をリグハーヴスに呼ぶ理由はそこにあるんですか?」
「私は誰かの紐付きの騎士は要らないだけだよ」
アルフォンスは座っていたソファーから立ち上がり、ディルクとリーンハルトに騎士服の左胸に付ける大きさの<鷲と剣>の刺繍が施された紋章を手渡した。
「リグハーヴスの領主館で待っているよ」
現役の騎士並みに硬い掌でしっかりと二人と握手をし、アルフォンスは応接室を出て行った。後を追いかける学長はすれ違い様に、「余計な事をしおって」とディルクとリーンハルトを睨み付けて行った。
ぱたんとドアが閉まり、二人は顔を見合わせた。そして手元に視線を落とす。
掌の上には、リグハーヴス家の刺繍紋章。
「これ、胸章だよな」
「そうだな」
騎士が雇われている領主から下賜される紋章には大きさが二つある。胸章と腕章だ。この二つには大きな違いがあって、腕章は街を警備する騎士に与えられる。左腕の二の腕に付ける決まりだ。そして左胸に付ける胸章は腕章よりも小さく、これを与えられた騎士は領主の館の警備に着く。
腕章の騎士はそれぞれの領の騎士団に所属し、胸章の騎士は領主に直接召し抱えられるのだ。当然、胸章の騎士の方が扱いは上になる。
「俺達、何をやったんだろうな?」
「さあ……」
二人は揃って首を捻った。
一か月後の学院の卒業式では、誰も四等の位階を授けられないと言う前代未聞の事態となる。そして学院の教授陣と王都騎士団上官に大幅な人事異動が発令された。
卒業式には騎士団に所属する者は、皆下賜された腕章を騎士服に縫い付けて出席する。その中で胸章を付けている数少ない騎士の中に、ディルクとリーンハルトも含まれていた。
卒業式に出席したお偉方からは、「あの二人は何だ」と言う質問が学院に殺到したが、学院としては「生活魔法が使えるが普通の騎士だ」としか説明出来なかった。
二人は後ろ盾が無い為、誰とも繋がりが無かったのだから。
「あ、懐かしい物発見」
ディルクは文箱の中から折り畳まれた紙を見付け開いていた。
「ん?」
「辞令書だ」
ベッドの上で本を読んでいたリーンハルトに見せる。
「今なら何て書いてあるのか読めるな。リグハーヴスって書いてある」
「文字が読める様になって良かったな」
「そう思う。師匠に感謝だな。あと、良く公爵が俺達を引き抜いたとは思うね」
「確かに」
先輩騎士が居るものの、新卒騎士を領主館の警備にするなど、余り聞かない。普通は警備に慣れた頃に騎士団から引き抜く物だ。
「ここに来てから鍛えられたけどさあ」
リグハーヴスの領主も騎士も地下迷宮を経験する決まりらしい。十階層辺りまで連れて行かれ、扱かれた。領主の掌が硬かった理由が解った。公爵家でも騎士になる者はいるが、実際は名ばかりの者も多い。しかしリグハーヴスの領主は本当の騎士なのだ。
だが職業騎士より前衛に立って魔物を斬るのは、出来れば遠慮してほしい。
リンリン。
部屋の外にある鈴が鳴らされた。これは守衛室からの連絡に使われる。
「はいはい」
ドアを開けると風の精霊が赤い札を持っていた。赤い札は<女性のお客様>を意味する。青い札が<男性のお客様>、紫の札が<領主家族>、黄色い札が<不審者>など、符号が決まっている。
「あれ、二人共?」
精霊に渡された赤い札には、<D>と<L>の活字が嵌め込まれていた。二人部屋の場合、どちらの客なのか解る様に、札の溝に金属で出来た活字を嵌められるのだ。
「誰だろうな?」
「さあ」
本に栞を挟んで立ち上がったリーンハルトと共に、ディルクは部屋を後にした。
騎士ディルクと騎士リーンハルトの過去を少し。
二人共元々平民で、苦労人です。
性格は違えど、ディルクとリーンハルトは、学院時代から同期で仲良しなのです。




