吹雪と鯛焼き
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
相変わらず品揃えは謎なフロレンツのお店です。
307吹雪と鯛焼き
王妃の庭からエンデュミオン達が帰宅して間もなく、リグハーヴスは吹雪になった。吹雪は朝になっても止まず、横殴りの雪で白い窓の外からヒューヒューと風の音が聞こえてくる。
「暴風雪だなあ」
こんな日は外出する人も居ないので、開店休業なのだがイシュカは避難所代わりに店のドアの鍵は開けていた。
カウンターの内側に背凭れのある椅子を置き、熱いお茶を入れた水筒を用意して、読書をして過ごすとイシュカは店に行き、カチヤとヨナタンはランプ磨きをするらしい。
ヴァルブルガは居間でシュネーバルに医術を教えている。
テオとルッツは、昨夜遅く仕事から〈転移〉で帰ってきてまだ就寝中だ。
孝宏はこれ幸いに、店に出すクッキーと本日のおやつでも作ろうかと、エンデュミオンと一緒に一階の台所に下りた。
「あれ? エンディ何か聞こえなかった」
強い風の音の間に、何か聞こえた気がして孝宏はエンデュミオンを見た。エンデュミオンがぴたりと止まる。
「む。これはルドヴィクの魔力だ」
「ええっ、外にいるの!?」
慌てて孝宏は、台所にある裏庭へのドアを開けて外に飛び出した。
「ルド!」
火蜥蜴ミヒェルのお陰で赤い煉瓦の小道には雪が積もっていない。その煉瓦道の上に、雪にまみれた小さなケットシーが転がっていた。
「うえぇー」
風が強く起き上がれないのか、じたばたしつつギャン泣きしている。孝宏が聞いたのはルドヴィクの泣き声だったようだ。
「ルド!」
「ちゃー!」
抱き上げた孝宏にルドヴィクがしがみついてきた。涙と鼻水で凄い事になっているが、凍えてはいなさそうだ。
「もう大丈夫だからね」
「に」
急いで家の中に戻り、ドアを閉める。
「寒っ!」
ほんの数分しか外に出ていない孝宏も全身雪まみれになっていた。寒風に一気に体温を持っていかれ、奥歯がカチカチ鳴る。暴風雪に外に出るものではない。
居間の床にルドヴィクを下ろし、外套を脱がせる。
「ルド、痛いところない?」
「おててとあんよ」
「どっちの?」
「に」
ルドヴィクが右前肢を上げる。
「転んだ時ぶつけた?」
「に」
溶けた雪が前髪から垂れて床に落ちる。じんわりと服が湿ってきて、孝宏は横を向いてくしゃみをした。
「孝宏、ルドヴィク」
姿が見えなかったエンデュミオンが、ヴァルブルガとシュネーバルを連れて戻ってきた。
「ヴァル、ルドヴィク診てくれる? 転んだ時右の前肢と後肢ぶつけたみたい」
「解ったの。今イシュカがお風呂にお湯溜めてるから、診察終わったらルドヴィクと入って」
「有難う」
ルドヴィクに優しく話し掛けながら、ヴァルブルガが診察していく。シュネーバルは〈時空鞄〉から引っ張り出した手拭いで、ルドヴィクの顔を拭いてあげていた。
どうやらルドヴィクは風で煽られて転んだ時に、煉瓦道に身体を打ち付けたらしい。ルドヴィクが大魔法使いフィリーネと暮らすヴァイツェアは南にあるので雪はない。リグハーヴスが悪天候だと知らずに遊びに来たのだと言う。
家の中に〈転移〉していれば良かったのだが、裏庭に一度出てしまったのが不運だった。
ルドヴィクは軽い打ち身だったので、ヴァルブルガがすぐに〈治癒〉した。
「孝宏、まずはこれで雪を拭け」
「有難う」
エンデュミオンに渡された手拭いで、髪や服の溶けかけた雪を拭い、孝宏はルドヴィクを抱き上げてエンデュミオンと二階に上がった。
「孝宏、お湯入ったぞ。暖まっておいで」
バスルームからイシュカが出て来て手招きする。
「助かったー。寒くて」
「イシュー」
「ルドも暖まっておいで」
イシュカがルドヴィクの頭を撫でて笑った。赤ん坊の時に世話をしてもらっているので、ルドヴィクはイシュカにも懐いている。
ほんわりと湯気で暖かくなっているバスルームに入り、孝宏はバスマットの上にルドヴィクを下ろした。
「るど、ちょっとぬげる」
「おー、すごい」
釦はまだ難しいようだが、ルドヴィクは自分でセーターを脱いでみせた。
孝宏も手早く自分の服を脱ぎ、ルドヴィクの服も脱がせた。小さな服が可愛い。濡れた服はエンデュミオンが精霊魔法で洗い始める。
孝宏はルドヴィクを抱いてバスタブのお湯にゆっくり浸かった。
「はあー」
「にゃあー」
適温のお湯が肌に染みる。お湯にはルドヴィク用の薬湯が入れてあり、薄い黄緑色だ。
孝宏の膝に乗ったルドヴィクが、水面をパチャパチャ叩いて遊び出す。
孝宏はルドヴィクの皮膚に薬湯が当たるように、優しく毛を指で梳いて揉んでやる。
「お湯かけまーす」
「に」
ルドヴィクに前肢で耳を折り畳んでもらい、頭からお湯を掛けてやる。孝宏も頭から薬湯入りのお湯を被って地肌を揉んだ。
上がり際にさっとシャワーで流せば良く、肌に優しい薬湯だったりする。
アレルギー体質のルドヴィクは、他のケットシーよりも世話に手間が掛かるが、フィリーネに大事にされていて皮膚状態も良い。
エンデュミオンは洗い終わった服を〈時空鞄〉の口を開いて受け止めた。次にセーターを洗い出す。
「それにしてもよくルドヴィクは一人で来たものだな。フィーが送って行くと言わなかったのか?」
今までルドヴィクはフィリーネが送って来るか、エンデュミオンが迎えに行っていた。
「ふぃー、ゆった」
孝宏の手首にしがみ付いて背中を撫でて貰っていたルドヴィクが答える。
「ん? じゃあ何故一人で来たんだ」
「ふぃー、おちごちょ」
「行く前に仕事が入ったのか? 待っててって言われなかったか?」
「るど、まった」
「んん?」
どうして待ったのに一人で来たのかが解らず、エンデュミオンは低温乾燥したセーターを抱えたまま頭を傾げた。
「もしかして、待ったけどフラウ・フィリーネが来なかったから一人で来ちゃったんじゃないかな。子供って待つの苦手だから」
「ああ……」
テオがルッツを待たせるのに色々と試行錯誤しているのを見ているエンデュミオンは納得した。テオの場合、五分程ならルッツに「踊ってて」や「歌ってて」と頼んでいたりする。
「そうなると、フィーはルドヴィクがここにいると知らないのか。一寸知らせに行って来る。服はベッドの上に置いておくからな」
「うん」
エンデュミオンは慌ててバスルームを出て行った。
魔法使いの塔は今頃大騒ぎになっているかもしれない。
「そろそろ上がろうか」
しっかり暖まってから、バスタブのお湯を抜いて、シャワーで身体を流し、浴布ですっぽりとルドヴィクを包む。
孝宏は頭から浴布を被って、バスローブを着た。
浴布でおくるみ状態のルドヴィクを抱いて、二階の居間に行く。
「上がった? はい、〈精霊水〉」
台所にはテオとルッツがいて、テオが〈精霊水〉入りのコップを渡してくれた。
「有難う。先にルドを乾かしてくれる?」
「いいよ。そのまま抱いててね」
ふわっと温かい風に包まれ、孝宏とルドヴィクの身体が乾いた。
ルドヴィクにコップに刺さったストローを咥えさせ、水分を補給させる。孝宏も〈精霊水〉を飲んでから、一度寝室に戻ってエンデュミオンが置いて行ってくれた服に着替えた。
孝宏が着替えている間に、ルドヴィクは浴布から抜け出してベッドに潜り込んで遊んでいた。ベッドカバーの上から、ルドヴィクを突く。
「ルド、服着ようか。それとも寝ちゃう? ルッツ達と遊ぶんじゃないの?」
「るど、あしょぶ」
慌ててルドヴィクがシーツの間から出て来た。白黒ハチワレタキシード柄のルドヴィクに孝宏は服を着せ、肉球に蜂蜜の匂いの蜜蝋クリームを薄く塗ってから綿の靴下と毛糸の靴下を履かせる。
「はい、遊んでおいで」
「に」
床に下ろされたルドヴィクは早速とてとてと居間に走って行った。孝宏もその後を追い掛け、居間に顔を出す。
ルドヴィクは早速ルッツとシュネーバルと一緒に飯事を始めていた。ソファーではヴァルブルガが編み物をしていて、テオは本を読んでいた。テオが孝宏に気付いて顔を上げる。
「ヒロ、こっちは見ているから大丈夫だよ」
「うん。俺おやつ作りに行くね」
二人に任せておけば安心なので、孝宏は一階に下りた。
「まずはクッキー焼こうかな」
作り置き用のクッキーは、アイスボックスクッキーの生地を作って冷凍庫で冷やしてあったので、取り出して包丁で切り天板に並べる。細工クッキーにしたので、ハチワレ猫の顔がずらりと天板に並んで行く。
「ミヒェル、お願いね」
「はーい」
天板をオーブンに入れ、火蜥蜴のミヒェルに焼き加減の見張りを頼む。並行して作業をする時に有難いのがミヒェルだ。
「さてと、今日のおやつは……」
台所の隣にあるパントリーから孝宏は先日輸入雑貨屋で見付けて来た物を取り出した。あの輸入雑貨屋はどういう基準で仕入れをしているのか謎過ぎるが、時々ピンポイントで孝宏が欲しい物がある。
「じゃーん、鯛焼きの型ー」
本当に仕入れが謎過ぎる。
「これ、天然になるのか養殖になるのかどっちだろうな」
天然の鯛焼きは一匹ごとの焼き型らしいのだが、孝宏が見付けたのは二匹が焼けるホットサンドメーカーのような型だった。ちょっぴり魚の形も丸くて可愛い。油に馴染ませるところまでは先日やっておいたので、今日はすぐに使える。
「生地はホットケーキみたいので良いよね。餡子は作り置きがあるし」
エンデュミオンが細工をした保冷庫は、食品が劣化しないので安心だ。とはいえ、餡子はエンデュミオンの好物なので定期的に煮るのだが。
生地を作り、油を塗った型に薄く流しその上に餡子を乗せ、更に生地を垂らして型を閉じる。焜炉の上で、上側下側と型をひっくり返しながら焼いて行くと香ばしい匂いが漂って来た。
「この位でどうだろ」
ぱかりと型を開く。中にはこんがりと良い色に焼けた鯛焼きが並んでいた。一つ取って包丁で半分に切って食べてみる。
「熱っ、生焼けじゃないな。うん、味も鯛焼きっぽい。よし、焼いて行こう」
布巾を広げた籠の上に焼けた鯛焼きを乗せていく。中々楽しい。途中でクッキーも焼けたので、クーラーに乗せて冷ます。
ぽんっ、と居間から音がした。誰かが〈転移〉して来たのだろう。
「ただいま、孝宏」
「お帰り、エンディ。いらっしゃいませ、フラウ・フィリーネ」
「お邪魔致します。先程はルドヴィクがご面倒を掛けました」
「いえいえ、すぐ気が付いて良かったです。ルドは二階で遊んでますよ」
孝宏は謝るフィリーネにぱたぱたと手を振った。子供が何かをやらかすのは日常茶飯事だ。
「孝宏、良い匂いがする」
「鯛焼き焼いたんだよ。ほら、この間ヘア・フロレンツのお店で買ったやつ」
「あの面白い型か。おお、本当に魚の形になっているな」
椅子によじ登ったエンデュミオンが、山盛りの鯛焼きを見てピンと縞々尻尾を立てた。
「もうすぐ全部焼けるから、おやつにしよう。手を洗って二階に行ってて」
「解った。フィー、行くぞ」
「私もいいんですか?」
「沢山あるのでどうぞ」
面白くてつい量産してしまった孝宏である。使い終わった料理器具を洗い、鉱石暖房の前に置いてある籠の中にいたグリューネヴァルトとオーブンの中のミヒェルも連れて、鯛焼きの籠を持つ。二階に行く途中で孝宏は店に居たイシュカ達に声を掛けた。
「おやつにするよ。イシュカ達も二階に来ない?」
「ああ。誰も来ないし、一度閉めようかな」
イシュカは読んでいた宵闇色の本を閉じた。カチヤが玄関のドアに鍵を掛けて、〈準備中〉に札をひっくり返す。ヨナタンもフスと鼻を鳴らして、ランプを磨いていた布をテーブルに置いた。
相変わらず、外は吹雪いている。
「明日は吹き溜まりが出来そうだな」
「雪掻きかなあ」
「多分。遭難者がいないといいが」
冬期間、リグハーヴスの住人は街から殆ど出ない。遭難するのは、大抵他の領からの来訪者だったりする。冬の間は魔法使いギルドの転移陣を使用するのが推奨されているのだが、転移陣は街にしかない事が多いので、村を回る行商人が時々雪で立ち往生するのだ。
二階の居間では、テーブルにケットシー達がおやつ用の皿を並べていた。台所ではテオがお茶を淹れている。
「はい、おやつだよー」
「おさかにゃ?」
「ルドでも食べられるお魚だよ」
川魚が食べられないルドヴィクだが、鯛焼きは食べられる。
お皿に乗せられる鯛焼きに、ケットシーとコボルトが目を輝かせる。
「今日の恵みに!」
一斉に鯛焼きに齧り付くが、頭から齧る派と尻尾から齧る派がいて面白い。
「餡子だけじゃなくて、他のものも中に入れられるんだよ、これ。ベーコンと卵とか」
「へえ、屋台でやれそうだな」
小振りの鯛焼きなので、エンデュミオンが二匹目を食べ始める。
「どんな名前で売ればいいんだろうね……」
カールのお店で売って貰ったら面白いかもしれないなあ、と思う孝宏だったが、自分が新たな流行を作り出しているという自覚は全くないのだった。
二匹型なので養殖かもしれない、鯛焼きの型です。
ルドヴィクは〈Langue de chat〉に居た頃、お風呂はイシュカとヴァルブルガに入れて貰っていました。
エンデュミオンが行った時、フィリーネは大慌てでルドヴィクを探していたりします。
テオの助言としては、「待てるようになるまで、一緒に連れて行った方がいい」なのではないかと思われます(泣かれるならまだしも、いなくなられると大変)。
ルッツが踊っている時は、機嫌が良い時か、ちょっぴり待っている時です。なので、冒険者ギルドで踊っている姿が時々見られます。