フラウムヒェンと精霊の歌
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
自己評価の低いフラウムヒェンの隠れスキル。
305フラウムヒェンと精霊の歌
フラウムヒェンは〈人形〉だったので、他のコボルトやケットシー達と違って、特技のようなものはない。黙って大人しくしているのが、〈人形〉だからだ。
ハイエルンからリグハーヴスに逃げてきたフラウムヒェンは、ガリガリに痩せて栄養失調気味だったが、肉屋アロイスと妻のユリア、職人のロータルに可愛がられ、美味しい食事と暖かい家で過ごすうちに健康的になってきた。
相変わらず少食だが、以前よりも食事量は増えている。
フラウムヒェンはアロイスとユリアに実子のように、大切に扱われていた。
美味しいご飯に、家具の揃った部屋も与えられ、色んな場所に一緒に連れていって貰える。読み書きや魔法を覚える為に、〈Langue de chat〉の温室に通わせて貰ってさえいる。
幸せすぎて良いのかなあ、と思うフラウムヒェンなのだが、エンデュミオンは今まで我慢してきたんだから、アロイスとユリアとロータルに甘えておけと言う。
「フラウム、ヒェン、あまえたら、じゃまじゃ、ない?」
「甘えてくれた方が、安心すると思うぞ? アロイス達はフラウムヒェンを可愛がりたいんだ」
「フラウム、ヒェン、もうじゅうぶん、しあわせ」
「もっともっと幸せになるから楽しみにしておけ」
そう言って、エンデュミオンは黄緑色の瞳を細めた。
フラウムヒェンの朝は意外と早い。耳ざといフラウムヒェンは、眠りが浅くなると物音で起きてしまうのだ。
アロイスとユリアの部屋から、身支度をする物音が聞こえ始める頃、フラウムヒェンも目を覚ます。
しかし、フラウムヒェンはそのまま布団から出ずに、二人の生活音を聞いているのが好きだ。
そのうちロータルが出勤してきて、遠くの会話が賑やかになる。台所からの美味しい匂いがフラウムヒェンの部屋に届く頃、アロイスかロータルがフラウムヒェンを起こしに来てくれるのだ。
「フラウムヒェン、もうすぐごはんだぞー」
今日起こしに来てくれたのはロータルだった。こしょこしょと耳の間をくすぐられ、フラウムヒェンは笑いながら目を開けた。
「おはよう、フラウムヒェン」
「おはよ、ロータル」
「顔洗いに行くぞ」
「うい」
ロータルに床に抱き下ろして貰い、カチカチ爪を鳴らしながらバスルームに行く。ロータルにお湯で絞った布で顔を拭いて貰い、パジャマを脱いで体毛をとかしてもらう。フラウムヒェンの体毛はふわふわしていて絡みやすいので、毎日丁寧にとかす必要がある。
バスルームに置いてある三本足の椅子に座り、フラウムヒェンを膝に乗せてブラシを使っていたロータルは「そろそろ爪切りかな?」と呟いた。
「うぃー」
フラウムヒェンは爪切りが苦手である。へにょりと尻尾が垂れてしまった。
「爪切らないと怪我しちゃうだろ」
「うい」
毎回ユリアに抱っこしてもらい、ヴァルブルガが手早く爪を切ってくれるのだが、いつも涙目になってしまう。ハイエルンにいた頃、血が出るまで切られた事が何度かあり、その恐怖が忘れられない。
部屋に戻ってユリアが昨晩用意してくれていた服を着る。仕立屋マリアンの上等な服と、ユリアが編んでくれたセーターと靴下だ。
「よし、今日も可愛い」
着るのを手伝ってくれたロータルに誉められ、一緒に居間に行く。
「おはよう、フラウムヒェン」
「おはよう、よく眠れたか?」
台所のテーブルに朝食を並べていた、アロイスとユリアが笑いかけてくれる。
「うい。おはよ」
「よいしょー」
ロータルが子供用の椅子にフラウムヒェンを座らせてくれた。
今日の朝御飯はカリカリに焼いた薄切り黒パンと、軽く焦げ目のついたプリプリの腸詰肉、赤いソースのかかったふんわりとした黄色いオムレツ、茹でた馬鈴薯をバターとおろしチーズと一緒に焼いたものと、たっぷりのミルクティーだった。それと兎の形の林檎が付いている。
フラウムヒェンにとってはご馳走だ。
少食のフラウムヒェン用に、オムレツも馬鈴薯も腸詰肉も小さく整えられているが、アロイス達と内容は全く同じだ。
「あかいの」
「それはトマトのソースよ。ちょっぴり酸っぱいけど美味しいわよ」
「うい」
オムレツには刻んで甘くなるまで炒めた、マッシュルームと玉ねぎが混ぜてあった。アロイスとロータルが作った腸詰肉は文句なく美味しい。馬鈴薯も焦げたチーズがカリカリになっているところが好きだ。
「おいひい」
「フラウムヒェン、パンもう少し食べるか?」
「うい」
「ジャムは何にする?」
「いちご」
「よし」
フラウムヒェン用に小さめに切って焼いてある黒パンに、アロイスが苺ジャムを塗ってくれる。苺の実が残っているので、乗せている感じだ。このジャムはフラウムヒェンがエンデュミオンの温室で摘んできた苺を、ユリアが煮てくれたものだ。
「ありがと」
アロイスが皿に乗せてくれたジャムつきパンを前肢に取り、フラウムヒェンは齧り付いた。甘酸っぱい苺とプチプチした種の食感が美味しくて楽しい。
「おいひい」
アロイスとユリア、ロータルの作り出す物は何でも美味しい。
「あー、可愛い……。うちの弟が可愛すぎる」
何故かロータルが両手で顔を覆っていた。その頭をアロイスが軽く小突く。
「冷めないうちに食え」
「はーい。フラウムヒェン、今日は家にいるんだっけ?」
「うい。エンデュミオンたち、おでかけ」
王都に行くらしい。人見知りのフラウムヒェンは付いていけないので、今日は家でのんびりする。
「午後から天気が崩れるみたいだな」
新聞に掲載されている、先見師ホーンの天気予報を見てアロイスが呟いた。午後の部分に、雪だるまの絵が印刷されていた。
「昨日の夜から冷えてますもんね。外、寒かったですよ」
今は別に部屋を借りているロータルが、腸詰肉の残りを口に入れる。ロータルは食事をアロイス達と一緒に摂る事が多いが、自分の部屋から通勤しているのである。今朝も寒い中、店にやって来たのだ。
食事の最後に林檎を食べ、アロイスとロータルは店に下りていった。
ユリアとフラウムヒェンは後片付けだ。フラウムヒェンはテーブルや食器を拭く係である。
後片付けの後は、編み物や刺繍をするユリアの側で、〈Langue de chat〉から借りてきた蜂蜜色の本を声を出して読む。
蜂蜜色の本は、文字を覚える本から始まり、シリーズの後半になると短い物語の本に段階が上がるのだ。フラウムヒェンは簡単な単語で綴られた物語の本を、なんとか読めるようになっていた。読めない単語はユリアが教えてくれる。
今回借りてきた本は、コボルトとケットシーが白いシチューを作る話だった。
「しろい、シチュー」
「これ、そのまま作れるのねえ。今晩作ろうかしら」
どうやら、本に書かれた通りにやれば、シチューがきちんと作れるらしい。
「マッシュルームとベーコンと玉葱と馬鈴薯で作りましょうか」
「うい」
フラウムヒェンはシチューが好きだった。特にユリアのシチューが。
「その前にお昼ご飯ね。茄子があるから、お肉を挟んでトマトソースで煮ましょう。お店は冷えるから、温かい物をね」
「うい」
肉屋なので、アロイスの店はそれほど暖かく出来ないのだ。熱鉱石の火鉢は置いてあり、客が来るまでアロイスとロータルは暖まっているのだが。
編み掛けのミトンを籠に入れ、ユリアが台所へ行く。
裁縫が得意なユリアは、小物を作って〈針と紡糸〉に時々卸している。冬は既製品の手袋や靴下、腹巻きがよく売れるので、マリアンとアデリナだけでは足りないのだそうだ。
今年ヴァルブルガは、領主館のコボルト達を優先して編み物をしていて、少々品薄なのだと、遊びにいった〈Langue de chat〉で小耳に挟んだフラウムヒェンである。
フラウムヒェンは編み物を覚えていないので手伝えない。総じてフラウムヒェンは何も出来ないのだ。やっと読み書きが少し出来る位だ。もう少し読み書き出来るようになったら、エンデュミオンやクヌートとクーデルカの双子から、魔法を習う予定だ。
「うい?」
窓の外が気になり、フラウムヒェンはソファーに立ち上がり、背後にある窓を見上げた。
昼が近付くにつれ、晴れていた空が灰色雲に覆われてきていた。
「アイス」
真っ白な氷の精霊が、飛び回り始めていた。盛んに歌を歌っているのが、フラウムヒェンには聴こえる。
妖精は皆精霊を目視出来るが、精霊がお喋りだと知っている者は少ない。精霊の声を聴ける者は少ないのだと、フラウムヒェンは知らなかった。リグハーヴスに来てから、エンデュミオンに教えられたのだ。
「フラウムヒェンが精霊の声が聞こえると、ハイエルンで知られなくて良かった」と、胸を撫で下ろしていた。ろくな事にはならなかったらしい。恐い。
〈人形〉で喋らなかったので、運良く誰にも知られなかったのだ。
リグハーヴスでは、既にアロイス夫妻の家族としてギルドに登録されているので、知られても問題ないと言う。
「──ひゅるひゅる、ふれふれゆきふれ、あられもぼたんも、たんとふれ。ひゅるひゅる、あしたはおおゆき、ふれふれゆきふれ」
氷の精霊に合わせて、フラウムヒェンも歌う。
「あら、フラウムヒェン。明日は大雪なの?」
ユリアが手拭いで手を拭きながら、台所から居間に出てきた。
「うい。アイスが、うたってる、よ」
「これから降ってきそうね」
窓の外を確認し、ユリアは階段を下りていった。
フラウムヒェンは再び窓の外を眺める。青い風の精霊もやって来ていた。今晩の雪は風も凄そうだ。
「アロイス」
「ん? どうした?」
二階から下りてきたユリアに、お茶を入れたマグカップで手を暖めていたアロイスとロータルは顔を向けた。昼御飯にはまだ早い。
ユリアは二人に言った。
「これからかなり雪が降りそうよ。ロータルは今晩ここに泊まった方が良いわ」
「そんなにですか?」
「今、フラウムヒェンが氷の精霊の歌を歌っていたの。大雪になるそうよ」
「となると、一応ギルドと領主館に知らせた方がいいな。ホーンからも連絡しているかもしれないが。エンデュミオンは出掛けているんだったな。ならギルベルトか」
リグハーヴスは毎年雪が降るものなので、災害級で降らなければ結構住人は落ち着いている。ある程度の備蓄はしているからである。
アロイスは書き物机の引き出しから紙を取りだし、短い手紙を数通書いて、風の精霊に託した。お駄賃はお茶を飲みながら摘まんでいた、薄く切って砂糖煮にしたオレンジの半分に、チョコレートを付けた菓子だ。珍しい菓子に、風の精霊は大喜びで飛んでいった。
孝宏の作る菓子は、相変わらず精霊にも人気だ。
「ところで、フラウムヒェンが歌ってたって言ったか?」
「ええ、可愛い声でね」
「くっ、聞きたかった……」
「俺もです」
がっくり肩を落とすアロイスとロータルに、ユリアは思わず笑ってしまった。
「頼んだら歌ってくれるわよ」
フラウムヒェンは来た当初に比べれば、喋るし笑うようになった。
迷いながらも、アロイスやユリアの膝に乗りたいと言うし、そのまま転た寝したりもする。
決して我が儘は言わないのだが、少しずつ甘えてくれるのが嬉しい。どうやらエンデュミオンが、甘え慣れていないフラウムヒェンをけしかけてくれているらしい。
近いうちに、燻製肉の塊を進呈したい。上手く熟成出来た生ハムでもいい。
きっと「フラウムヒェンの歌が聞きたいから、歌って」と頼めば、戸惑いながらも歌ってくれるだろう。
その晩は冬の嵐となり、風の音とはしゃぐ精霊の歌声で眠れないフラウムヒェンが「いっしょ、に、ねて」とロータルに頼み大喜びさせるのだった。
エンデュミオンも当然精霊の声が聞こえていますが、フラウムヒェンも聞こえています。
嵐の晩などは結構賑やかなので、うるさかったりします。
フラウムフェンは時々こうして歌うので、アロイス達は楽しみにしています。