王宮騎士団魔導具管理部と魔法陣
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キッカとユゼファ登場です。
301王宮騎士団魔導具管理部と魔法陣
キッカは王宮騎士団魔導具管理部に勤めている。
人狼のキッカが王都に出てきたのは、色々な事柄が集まった結果である。
キッカは白い毛並みの人狼に生まれ、一般的な人狼の男より小柄だった。しかも生まれつき視力が弱かった。
こうなると、森の中で狩りは出来ない。白い髪は目立つし、細かいものが見えないので、獲物も探せない。
キッカは物心つく頃には、文字を覚え本を読み、文官になるべく勉強を始めた。魔法もそこそこ使えたので、村に住んでいた魔法使いコボルトに魔法陣魔法の手引きもしてもらえた。
ハイエルンの大部分には採掘族と平原族が住んでいる。人狼はハイエルンの〈黒き森〉の一部を自治領として認めてもらっているのもあり、街で就職する者は少ない。
武力に優れた人狼は冒険者となって、ハイエルンの外で働く者が多いのだ。なにしろ地下迷宮は隣領のリグハーヴスに入口がある。
キッカが何故ハイエルンを出たのかと言えば、王宮騎士団の求人募集を見たからである。騎士ではなく、技官募集だったので、希望者が少なかったようだ。特に魔導具管理部という地味な部署だった。
キッカは平原族とは異なる知識もある人狼なのと、コボルトに師事した経歴から採用となった。
採用官には人狼にも関わらず、ひょろりとしたキッカに驚かれたが、低い視力以外は健康なので問題なしとされた。
王宮騎士団魔導具管理部ははっきり言えば、魔導具を研究する者の集まりだった。しかし、魔導具には魔法陣の知識が必須にも関わらず、魔法陣の知識がある者の方が少なく、魔法陣の研究も平行してやっていた。これにはキッカが吃驚した。
「悪い、これ陛下の執務室に届けてくれ」
キッカの机に艶やかな木製の書類箱が置かれた。
「え?」
思わずキッカは、目の前の書類箱と書類箱を置いた先輩技官との間で、視線を行き来させてしまった。
国王への決裁書類は通常管理部長が運んでいる。キッカのような下っ端が行く場所ではない。
「城壁の一部の結界がこの間から変で、部長もそっち行ってんだよ。俺もこれから行くところなんだ」
「解りました。陛下の執務室に届けます」
魔法陣ならキッカも行った方が良さそうだが、新入りとして殆どあてにされておらず、ほぼ書類仕事をしていた。多分、この部署の誰より魔法陣に詳しいのはキッカだと思うのだが。
「ユゼファ、行こうか」
キッカは隣の椅子に座っていた、北方コボルトのユゼファに声を掛けた。
「あう」
ユゼファがぴょん、と椅子から飛び下りる。まだ若いユゼファは、キッカが師事したコボルトの子供だった。キッカが王都に出る時に、家事コボルトとして憑いてきたのだ。
騎士団職員の制服を小さくしたものを着ているユゼファだが、キッカ専属の家事コボルトである。視力の低いキッカの目の代わりもしてくれている。
「ん、んー」
鼻歌を歌いながら、ユゼファがキッカの二歩先をとことこ歩いていく。階段などは、キッカの為に段数を数えながら上ってくれる。
王の執務室の前には近衛騎士が二ヶ所で立っているので、身分証明を毎回見せて通してもらう。
控え室にもなるツヴァイクの部屋には誰もいなかったが、奥の執務室からは微かに話し声が聞こえるので、先客がいるのだろう。
キッカは書類箱を膝に乗せて、ユゼファと一緒に布張りの長椅子に腰掛けた。
「良い椅子だね、ユゼファ」
「いいかんじ」
流石王様の側近の執務室の椅子は、適度な弾力で座り心地が良かった。
何だか陛下の執務室の方はまだ掛かりそうだ。
キッカはふかふかと柔らかい毛並みのユゼファの頭を撫でて時間を潰す。ユゼファはコボルトには珍しい折れ耳で、耳も柔らかい。
「あう?」
ポンッと音がして、キッカとユゼファの前に何かが現れた。
「ん?」
キッカは首から鎖で提げているレンズを、目の前に翳した。
「ケットシー?」
部屋の中に現れたのは鯖虎柄のケットシーだった。鮮やかな黄緑色の目をしていて、背中に緑色の鞄を背負っている。
「うむ、ケットシーだぞ。先客か。隣に失礼する」
少し堅苦しい言葉遣いのケットシーが、ユゼファの隣によじ登り、長椅子に腰を落ち着ける。ケットシーはユゼファを見て、尻尾をぴんと立てた。
「まだ若いコボルトか。甘い物は好きか?」
「あう」
ケットシーは〈時空鞄〉から小さな紙袋を取り出し、ユゼファに渡した。
「焼き菓子だ。おやつに食べるといい」
「ありがと」
「どうも有難う」
キッカもケットシーに礼を言った。
ケットシーは再び〈時空鞄〉に前肢を突っ込み、きちんと装丁された本を取り出した。表紙には〈魔法陣の作成・応用編〉と箔押ししてあった。
レンズを使ったままだったキッカは、思わず声を上げてしまった。
「そ、その本は!」
幻の稀購本で、見付かればかなり高価で取り引きされるだろうと言われている、魔法陣についての本だった。コボルトは個人個人で魔導書を作成する為、他人の為の魔導書はほぼ作らない。師事したコボルトの魔法使い以外の魔法陣知識の本となると、本当に稀少なのだ。
〈魔法陣の作成・応用編〉は題名だけ知られている本で、王宮図書館にすらなかった。
キッカの反応に、ケットシーの気難しげな顔が、興味深げなものに変わる。
「ん? 暇潰しに読もうかと。この本を知っているなんて、若いのに珍しいな。人狼ならコボルトにも師事したのか?」
「はい。その本、題名だけは知っていたんですけど、実物は初めて見ました」
「これなあ、何冊も作らなかったからなあ。持っているのはフィーとジークヴァルト位じゃないのか? 他に渡していないしな」
〈時空鞄〉から〈目録〉と言う表紙の本を取り出して確認し、ケットシーは〈魔法陣の作成・応用編〉をキッカに差し出した。
「魔法使いギルドの地下金庫に予備があるから、これはやろう」
「え、良いんですか!?」
「コボルト憑きなら信用出来るし、魔導具管理部なら魔法陣使うだろう?」
「何で僕の所属……」
「書類箱に彫ってある」
「あ」
レンズを使ってよく見ると、書類箱の上蓋に魔導具管理部と飾り彫りされていた。
「目が悪いのか」
「ええ、生まれつきで。ユゼファがいるので助かっています」
「あう!」
ユゼファが長椅子の上で、ぴょんとお尻を跳ねさせた。
不意に執務室の話し声が大きくなり、ドアが開いた。
大柄な騎士とその後ろにツヴァイクが立っている。慌てて書類箱を持ってキッカは立ち上がった。自分より上官なのは間違いない。
「やあ、久し振りだな、ハインツ」
ケットシーは長椅子から立ち上がらずに、前肢を上げた。ユゼファもそのまま座っている。
王の執務室から出てきたのは騎士団長ハインツだった。ケットシーを見て動きを止める。
「エンデュミオン……?」
「え!?」
キッカの驚きの声に、ケットシーは「あ、忘れてた」と呟いた。そして、しゅっと黒い肉球のついた右前肢をキッカとユゼファに向けて上げる。
「挨拶がまだだったな。エンデュミオンだ」
「ユゼファ!」
ユゼファも右前肢を上げる。
「キッカです」
「キャン!」
どこかから別の鳴き声が聞こえた。
「ええと、今のは?」
「あー、これはマクシミリアンに聞きたい事でな」
エンデュミオンが上げた前肢の先で頭を掻いた。
「──話があるなら入れ。ハインツ、先程の話はエンデュミオンに頼めるかもしれん」
執務室の中から、マクシミリアンの声が飛んできた。
「エンデュミオンよりキッカの方が先だぞ」
「では全員入ってこい」
「ふん、そうするか」
エンデュミオンは長椅子から腹這いに下りて、すたすたと王の執務室に入っていく。
「あう」
ユゼファも長椅子から飛び下り、キッカの前に立って歩く。
結局、ぞろぞろと皆で王の執務室に入った。
「ハインツは私の隣に座れ」
マクシミリアンがハインツに、自分の隣を示す。エンデュミオンはさっさとマクシミリアンの向かいのソファーに登っている。そしてキッカ達を呼ぶ。
「キッカとユゼファもこちらに来い」
「いいんですか?」
「よく見えてないのに、立っている方が落ち着かないだろう? 座れ座れ」
「……失礼します」
恐る恐るキッカもエンデュミオンの隣に座った。キッカとエンデュミオンの間に、ユゼファも登ってくる。
「キッカは書類箱を持ってきてくれたんだね。有難う」
ツヴァイクがキッカの側まで来て、書類箱を受け取ってくれた。
「今日は魔導具管理部長は留守なのかい?」
「部内の皆は城壁の結界の調査に行っております」
「城壁の結界」
ツヴァイクとハインツが顔を見合わせる。
「城壁の結界がどうかしたのか?」
尻尾をぴこぴこ動かしてユゼファを構いながら、エンデュミオンが誰ともなしに訊いたので、キッカが口を開く。
「先日から城壁の結界の一部が不安定なんです」
「それで〈鼠〉が入り込んだのを、騎士団で捕らえました」
ハインツがキッカの言葉に補足する。〈鼠〉とは害意のある者の事を総称する隠語だ。結界は害意のある者を王宮の敷地内に入り込ませない役割がある。
「んー、一寸調べてみるか」
その瞬間、キッカはエンデュミオンから魔力の広がりを感じた。
「……北の城壁か。この近くの塔に最近何か変わった事はなかったか?」
「変わった事……そうですね、雷が落ちました。俄か雨が降った日に」
「塔の一部が破損して、修復してるね」
ハインツとツヴァイクが記憶を探って答えた。エンデュミオンはポンと肉球を打ち合わせた。
「それだ。結界の魔法陣が崩れたんだろう。キッカ、ここの技官で魔法陣をコボルトに習った者はいるのか?」
「僕だけです」
エンデュミオンが物凄い疑問を浮かべた顔になった。
「何故キッカはここにいるんだ?」
「新入りなので……」
「エンデュミオンの本を理解出来るキッカがか?」
「え」
キッカは先程エンデュミオンに貰った本の表紙を見直す。著者の名前がエンデュミオンだった。
「マクシミリアン、宝の持ち腐れだぞ」
「そのようだな」
「ここの結界を作ったのはエンデュミオンだし、後で修復してやる」
「宜しく頼む。で、エンデュミオンの用事はなんだ?」
「それなんだがな、今度クヌートとクーデルカが庭師コボルト達を連れてここに来る予定なんだ」
エンデュミオンはよいしょと背負い鞄を下ろし、蓋を開けた。
「レイク、いいぞ」
「キャン!」
ひょこんとそれが顔を出す。レンズを翳していなかったキッカには何か解らなかったが、ユゼファが尻尾を振る。
「マンドラゴラだ! かわいい!」
「レイクと言うんだ。それでこのレイクも一緒に連れてきていいかを聞こうと……どうした?」
「どうしたではない……」
マクシミリアンが額を押さえ、ツヴァイクとハインツが臨戦態勢に入り掛けていた。
「土から出ているマンドラゴラだから、死ぬ程叫ばないぞ? そもそもレイクは飼育されているマンドラゴラだし」
「キャン」
コボルトのような見掛けのレイクは頭の上の艶やかな緑の葉と青い花を、わさっと揺らした。
「シュネーバルの愛玩植物だから、手出し無用で頼む」
「話には聞いていたが、幸運妖精のマンドラゴラか」
「レイクはエンデュミオンの温室と隠者の庵の周辺を、庭師コボルトと一緒に管理しているんだ。マヌエルが王宮にも庭があると教えたものだから、庭師コボルト達が来たがっている。それで日程等を調整したくてな」
「それは人払いしないと厄介だね」
ツヴァイクが苦笑してから、マクシミリアンの肩に手を置いた。
「王宮の庭師で手に負えない植物を、庭師コボルトに診てもらえると思えば良いんじゃないか?」
「そうだがな……」
「キャーウー」
おねだりするような鳴き声を上げ、鞄の縁にレイクが前肢代わりの根を掛ける。
「……これはねだられてるのか?」
「レイクは知能が高いぞ。伝説のマンドラゴラの子株だからな」
「おい、親株はどこだ?」
「それは秘密だ。普段人の入らないところにいるから心配ない」
マンドラゴラの親株は、フィッツェンドルフの湿原にいて竜に守られているが、下手に情報を出した方が人を寄せてしまう。
「エンデュミオンがそう言うなら大丈夫なんだろうな。レイクもシュネーバルといれば大人しいんだろう?」
「そうだな。シュネーバルに危害を加えるなら吊るされると思うが、庭見学の時にはエンデュミオンも来るから」
「そうしてくれると助かる。で、誰が来るんだ?」
「双子とカシュとバーニーとシュネーバルとレイクかな。カシュが庭師でバーニーが養蜂師だ」
指折りエンデュミオンがコボルト達の名前を上げる。
「カシュとバーニーは独立妖精で、アルフォンスの領主館に住んでいる」
「三頭魔犬が連れてきたコボルトか」
「ああ」
「こちらは来る前の日にでも知らせてくれれば調整する。正妃の庭なら安心だろう。エレオノーラも会いたがると思うしな」
正妃エレオノーラはリグハーヴス公爵アルフォンスの実妹だ。エンデュミオンとも既知である。エレオノーラなら、おやつを用意して待ち構えていそうだ。
「よし、エンデュミオンの用事は済んだ。結界の魔法陣を直しに行くか」
「キャウ」
レイクが鞄に引っ込んだので蓋をして、エンデュミオンが鞄を背負い直す。
「私が案内しましょう」
ハインツが請け負ってくれたので、エンデュミオンとキッカ、ユゼファは彼に案内してもらう事にした。
「マクシミリアンとツヴァイクは仕事を頑張れ」
エンデュミオンは、ツヴァイクに焼き菓子の入った紙袋を渡した。
「有難う」
ツヴァイクが嬉しそうに受け取った。
「エンデュミオンも魔法陣をしっかり直してくれ」
「任せろ。ではハインツ、案内してくれ」
騎士団長のハインツがいれば、あちこちで足止めを食わなくていい。
「ん、んー」
ハインツの後ろをユゼファが歩き、その後ろにエンデュミオンとキッカがついていく。
「いーち、にー、さーん」
階段に来るとユゼファが段数を数えながら上っていく。
王宮は広いので、それなりの距離を歩いて北の城壁までやってきた。
「塔に上がらせてもらうぞ」
「はい!」
塔の下で警備していた騎士にハインツが声を掛ける。騎士団長に声を掛けられた騎士が背筋を伸ばし返礼した。
「失礼する」
エンデュミオンも一声掛けてハインツの後ろについていく。エンデュミオンの後ろから、ユゼファが段数を数えながら上っていく。
「キッカ、だいじょぶ?」
「うん、大丈夫だよ」
まだ日中なので、塔の中が明るくて助かる。塔の小さな窓から光も入っているが、光鉱石ランプも等間隔で壁に付いている。
塔の上の広間には、魔導具管理部の面々と王立図書館の司書フーベルトゥスがいた。
「これはヘア・ハインツ」
管理部長のエメストとフーベルトゥスがハインツに会釈する。エメストは準貴族出身の技官だ。管理職だけあって、技官の中で一番歳上だ。ハインツと同年代だろう。フーベルトゥスは森林族なので、遥かに長生きだ。
「ヘア・エメスト、専門家を連れてきましたよ」
「専門家? キッカですか?」
「ヘア・キッカとユゼファも専門家ですが、この魔法陣を構築した本人ですよ」
「は……?」
エメストの視線がキッカから下に移動する。
「やあ、エンデュミオンだ」
エンデュミオンがエメストに右前肢を上げた。エメストがハインツをじろりと睨んだ。
「私をからかっておいでか?」
「まさか」
ハインツが肩を竦める。エンデュミオンは鼻を鳴らした。
「別に信じなくても構わん」
エメストとは初めて会うので、エンデュミオンの元々の魔力を知らなければ気付かなくても不思議はない。
「お久し振りですね、エンデュミオン」
エンデュミオンの前にフーベルトゥスが屈み込んだ。ニヤリとエンデュミオンが笑い、目の前に垂れてきたフーベルトゥスの癖のない長い金髪を掴んだ。
「まだ生きていたか、フーベルトゥス」
「お陰さまで、禁書庫で悠々自適にさせてもらっていますよ」
むにむにとエンデュミオンの頬を両手で包み、フーベルトゥスは微笑んだ。
フーベルトゥスの様子を見て、エンデュミオンが本物だと理解したのか、エメストが黙り込んだ。
「フーベルトゥスに聞くのが手っ取り早いか。この塔は今回の前にも壊れたか? あそこの窪みに〈雷魚の護符〉があった筈なんだ」
エンデュミオンは壁の高い場所にあった窪みを前肢で示した。〈雷魚の護符〉は、避雷効果があるのだ。森林族のエンデュミオンが生きていた頃、この塔が壊れた記憶がないらしい。
「今回の落雷の前に、嵐で壊れていますね。その前にグリューネヴァルトがぶつかって壊していますよ」
フーベルトゥスはすらすらと答えた。
「……うちの子がすまん」
まさかのエンデュミオンの身内のせいだった。
「さっさと直すか。キッカが見えるように魔力を通してやろう」
エンデュミオンは壁に肉球を付け、魔力を流し込んだ。
「わあー」
ユゼファが楽しげな声を上げた。
壁にも床にも天井にも、魔法陣が銀色に光り浮かび上がったのだ。キッカもレンズを目の前に翳して、壮観な魔法陣に見とれる。惜しまれるは、所々欠けている。
「欠けている所は崩れて新しい石材を使ったんですよ」
掛けた場所を指差し、フーベルトゥスが説明する。
「あー、やっぱり護符のあった窪みも直してるな。直した後で護符を戻さなかったんだなあ。確かエンデュミオンは、解説書を残した気がするんだが」
「禁書庫にありますが、解読出来る人が殆どいませんよ」
「フィーかジークヴァルトに聞けばいいだろう。ジークヴァルトは隣にいるんだし」
人狼の魔法使いジークヴァルトは、元々エンデュミオンが暮らしていた、王宮の魔法使いの塔に住んでいる。
「ヘア・ジークヴァルトが魔法陣に詳しいと知られていません。それに大魔法使いフィリーネを簡単に呼び出せませんよ」
「エンデュミオンとの差が酷い。今から呪ってやろうか」
「もう墓の下にいる人達を呪わないで下さい。血統で呪ったら、陛下も呪われますよ」
「マクシミリアンは足の小指をぶつける位だろう」
「止めて差し上げてください」
エンデュミオンとフーベルトゥスの会話に、誰もついていけない。
ぶうぶう文句を言いつつ、エンデュミオンは宙に魔法陣を描き出す。
「キッカ、こっちに来い」
手招きしてエンデュミオンがキッカを呼んだ。キッカとユゼファが近付いたのを確認し、エンデュミオンが魔法陣の解説を始める。
「ここが欠けている部分だ。〈破壊防止〉だな。成体のグリューネヴァルトにぶつかられると壊れる程度だが、塔が壊れないとグリューネヴァルトが壊れる」
「あの、グリューネヴァルトとは?」
「エンデュミオンの木竜だ」
巨大な木竜がぶつかれば、それは壊れる。
描き直した魔法陣を壁に飛ばし、エンデュミオンは天井の魔法陣に取り掛かる。
「天井の魔法陣は〈延焼防止〉が欠けているな。よく落雷で火事にならなかったな」
修復した魔法陣をエンデュミオンが天井に飛ばす。
「床は〈石材浮遊〉が欠けている。崩落しないようにしてあったんだ。うう、グリューネヴァルトめ、どれだけ壊したんだ……。よく嵐で倒壊しなかったな」
「恐ろしい事を言っていませんか」
ハインツが真顔になっている。大柄な騎士が真顔になると少々恐い。
「ちゃんと修復していくから」
エンデュミオンは描き直した魔法陣を床に飛ばした。全て修復された魔法陣が治まると、部屋全体が輝いてから、光が消えた。
「あとは〈雷魚の護符〉を窪みにいれておこう。レイク、頼めるか?」
エンデュミオンは背負い鞄を下ろし、蓋を開けて中からレイクを出した。
「キャウ!」
レイクが前肢の位置にある根を、エンデュミオンに差し出した。
「レイクも〈雷魚の護符〉が欲しいのか?」
「キャン!」
「そうだな、植物だから雷避けは大事だな。グラッツェルに作ってもらった小さな護符だから、レイクでも持てるぞ」
エンデュミオンは護符を二つレイクに渡した。レイクは一つを根の間にしまい込み、もう一つの護符を根をしゅるしゅると伸ばして、壁の窪みに入れた。
「有難う、レイク」
「キャウ」
尻尾のような根を振って、レイクは自分で鞄の中に戻って蓋をした。器用だ。
「賢いマンドラゴラですね」
「丹精して育てられているからな」
フーベルトゥスが感嘆の声を上げる気持ちが、キッカにも解る。
「これでまた竜が壊しでもしなければ、嵐が来ても落雷があっても大丈夫だ」
「陛下に報告しておきましょう」
フーベルトゥスは右筆と言う職務も担っている。城で何が起きたかを、自分が見聞きしたものはもとより、精霊から収集して書き記しているのだ。
「よし、ではエンデュミオンは帰るぞ。キッカ、ユゼファ、下まで一緒に行こうか」
「はい」
「私も下まで送ります」
ハインツが先に階段を下りて行く。恐らくキッカが階段を踏み外しても良いように、先に下りてくれるのだろう。
背後で魔導具管理部長達が書き直された魔法陣に大騒ぎし始めたが、エンデュミオンに「行くぞ」と促されてキッカ達も階段を下りる。
「いーち、にー、さーん」と数えながらユゼファが階段を下りる。
「今度ユゼファを連れて、リグハーヴスに遊びに来ると良い。魔法使いギルドまでくれば、誰かうちまで送ってくれるだろうから。うちにはコボルトもケットシーもいるんだ」
「そうですか」
「ルリユールの〈Langue de chat〉に行きたいと言えば良い。広い街ではないからすぐ解る」
塔の階段を下りきり、外に出る。城壁の内側なので、すぐ側に高い壁が聳えている。見上げた塔の窓から、誰かが手を振っていた。エンデュミオンも前肢を振り返す。
「フーベルトゥスだ」
「お知り合いだったんですね」
「フーベルトゥスの方がエンデュミオンより若くてな」
森林族の百年二百年の差は、誤差ではなかろうか。
「そうだ」
エンデュミオンは〈時空鞄〉から、白い小瓶を取り出した。それをユゼファに渡す。
「気休めにしかならないかもしれないが、これを休みの日の前の夜に、キッカに飲ませると良い」
「あう!」
ぶんぶんとユゼファの尻尾が振られる。
「それは?」
「一寸良いものだ」
キッカにエンデュミオンはフフンと笑い、「ではな」と〈転移〉で姿を消した。
「ご迷惑でなければ魔導具管理部までお送りしましょう。私の腕に掴まってください」
ハインツはキッカに腕を貸し、魔導具管理部まで送ってくれた。別れ際にはユゼファの頭を優しく撫でていき、騎士団長にもなると平民の人狼にも紳士なのだなと、キッカは感心してしまった。
次の休日の前の晩、ユゼファはキッカに花の香りのする蜜の入ったお茶を用意した。味は蜂蜜生姜檸檬風味だ。
にこにこしているユゼファとお茶を飲み、キッカはベッドに入った。
ぐっすり眠った翌日、隣で眠るユゼファの寝息でキッカは目を覚ました。
ちろりと桃色の舌先を出して寝ているユゼファに、舌が乾かないのかと思う。
「……え!?」
ユゼファの可愛い顔がはっきり見える事に驚き、キッカは飛び起きた。
「キッカー?」
前肢で目を擦りながら、ユゼファも起き上がる。
「どしたの?」
「ええと、目が……昨日よりよく見えるみたい」
遠くは相変わらず酷くぼやけているが、近くは以前に比べてはっきり見えていた。
「あう! これすごーい!」
ユゼファがきらきらした青い目で、前肢に持った白い小瓶を見詰めていた。
小瓶の首には札が付いていた。キッカは指先で札を摘まみ、以前より見えるようになった目で書いてある文字を読む。
「〈蘇生薬〉? ……はあっ!?」
「エンデュミオンくれた」
「これ高いやつだよ!?」
「そうなの?」
ただでポンとくれるような代物ではない。〈魔法陣の書き方・応用編〉といい〈蘇生薬〉といい、金額にしたらとんでもない額になる。
「あれ? 〈蘇生薬〉って、瀕死の人に使う薬じゃなかったけか」
つまり適用外の使い方だ。
「魔女に報告要るんだよね、確か」
エンデュミオンは魔女ではなかった筈だ。
「遊びに来いって、これの結果報告も兼ねているのかな?」
「あう」
「ユゼファ、今度お休みもらってリグハーヴスに遊びに行こうか」
「あう!」
抱き付いて来たユゼファを撫でながら、エンデュミオンにどうやってお礼をしたらよいのかと頭を悩ますキッカだった。
レイク同伴で、うっかりするとテロリストになりかねないエンデュミオンです。
レイクは賢いので結構したたか。シュネーバルと自分を守る為に、魔石や護符を収集しています(エンデュミオンが全部渡しているんですが)。
王妃様は妖精好きなので、コボルト達が来ることには大歓迎です。
侍女たちといそいそとおやつを用意しそうです。