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同居人の秘密

この場所にはルリユールが開業予定です。開業準備の為、物音などご迷惑をお掛け致します。

現在最終準備中です。

3同居人の秘密


 とうのもり孝宏たかひろは普通の、読書と物語を書くのが好きな十六歳の男子学生だった。脱色していない黒髪に典型的な焦げ茶色の瞳、中背で痩せ型。親戚や近所のおばちゃんからは「可愛い」と言われる少々童顔の少年だ。

 普通でないところとしては、塔ノ守一族は神隠しに遇い易い一族なのだ。数年や数十年に何人か、行方不明になる。基本的に生真面目な人間が多い塔ノ守一族の場合、借金で首が回らなくなり蒸発、と言う案件は無い。何しろ、神隠しに遇うのは大抵十代半ばから二十代半ばの者達なのだ。

「居なくなったら神隠しと思え」と言うのが、塔ノ守一族の合言葉の様になっており、神隠しに遇っても生き延びられる様、男女問わず家事一般と多少の野営知識を教えられる。

 いざ神隠しにあった時、その先で生き延びられるかは己次第なのだ。

 そして、孝宏も図書館に本を返却した帰り道で、気が付いたら夜の森の中だった。

 遠くで犬だか狼だか解らぬ遠吠えが「あおーん」と聞こえる闇の中、黄色や黄緑色の目があちこちで光った時はもう駄目かと思ったものだが。近付いて来た<何か>が明るい光を灯し、彼らが二足で立つ妖精猫ケットシーだったと知った。

 孝宏は寝ていたケットシーの集落の真ん中に現れたらしい。言葉は通じたのだが、「暗いので朝まで寝ろ」と一際大きいケットシーに言われ、最初に近付いて来た個体と一緒にくっついて寝た。

 朝になり、大きなケットシー(ケットシーの王様だった)に事情を話したところ、最初から孝宏にくっついて居たケットシーが一緒に憑いて来てくれる事になった。

 どうやらケットシーは気に入った人間に憑いて行く習性があるらしい。名前を着けろと言うので、最初に頭に浮かんだ<エンデュミオン>と言う名前を贈った。ケットシーは憑いた人間から名前を貰うのだそうだ。

 エンデュミオンは自分の持ち物を入れている木のうろから革袋を二つ取り出し、孝宏が背負っていたリュックサックの中に入れた。それ程大きくない革袋の割に重かったが、「役に立つから」と押し切られた。

 そうして他のケットシー達に別れを告げて、エンデュミオンの案内で森を抜けたのだ。因みに森を抜けるまでに一日、森から一番近い集落まで一日、そこから乗合馬車でリグハーヴスに着くまで一日掛かった。お金は革袋の中からエンデュミオンが出した。

 ケットシーの集落は<黒き森>の奥地にあり、普段は場所が解らない様になっていると言う。空間をゆがめてそれなりに森の端近くには最初から移動させてくれていたらしいのだが、インドア派の孝宏には慣れない森歩きと野宿が厳しく、リグハーヴスに着く頃には体調を崩していたのだった。

 乗合馬車がリグハーヴスに着いた時には陽が落ちかけており、街の宿屋は我先にと部屋を取る乗合馬車の客が一杯で、それならばとエンデュミオンはケットシーの本能で信用出来る人間を探し、イシュカを見つけ出したのだ。

 ちなみに黒森之國くろもりのくにと言うこの國の言語は日本語では無く、ドイツ語に近い。移動しつつ孝宏はエンデュミオンに習いながら来たのだが、まだ単語を幾つかしか覚えていない。

 ワールドトリップして言語は違うけど自動翻訳、と言うチート技は無かった。この世界にある他の國では、日本語と共通言語の國もあるらしいが、こればかりは運だ。

 エンデュミオンはいくつかの言語をマスターしているし、黒森之國は勿論この世界の事も詳しかった。

 旅の間、出会う人達は皆ケットシーを連れている孝宏に一様に驚いていたが、珍しいだけで他にもケットシーが憑いている人間と言うのは存在するらしく、特に問題にはならなかった。


「<異界渡り>と言うのは伝説ではあるけれど、本人は初めて会ったな」

『伝説?』

「教会の説話せつわ集の中にある。不思議な力を持った<異界渡り>が出て来る。<異界渡り>は何かしら不思議な力があるらしい」

『生活水準というか、技術の発展が違うだけじゃないかと思うけど』

「他の國に現れる<異界渡り>も同様に不思議な力があるそうだぞ」

『俺には無いと思うけど……』

 食後お茶を飲みながら、エンデュミオンに通訳して貰いつつ孝宏とイシュカは話をした。

『ところで開業準備をしているんだろ?手伝うよ』

「それなんだが、新参者のルリユールにどれ程の仕事があるか疑問ではあるんだ。工具とこの家を買うのに金を使って、殆ど残っていないし。どんな店にするか悩んでいる」

「金か。一寸ちょっと待ってて」

 椅子から飛び降りて、エンデュミオンは居間を出て行った。二階に行っていたらしく、暫くして両手に革袋を二つ抱えて戻って来た。それをイシュカに渡す。

「はい」

「何だい?」

 イシュカはテーブルに革袋を乗せ、口を結んでいた紐を解いた。

「げ」

 革袋の中からは、片方は金貨を含む沢山の硬貨が、片方からは大きさと色が様々な魔石が現れた。これだけで金貨数十枚分にはなるだろう。きちんと査定したらもっとあるかもしれない。

「これはエンデュミオンが集めた物だ。店と生活の為に使うと良い。取り敢えず来年の炉税ろぜい人頭税じんとうぜいは払えるだろう?」

 炉税は銀貨五枚、人頭税は一人銀貨一枚だ。それに前年度の収入の一割を領主に支払う。充分間に合う。おつりが有り余る位だ。

「良いのか?」

「店が軌道に乗るまではそれで三人食い繋げばいい」

「解った。こんな大金と魔石、下手にギルドに預けられないな。出所を疑われるよ」

「高価な素材を入れている金庫があれば、エンデュミオンがイシュカ達しか開けられない術を掛ける」

「そうしてくれると助かる」

 大金が目の前にあると落ち着かないとイシュカが言い、エンデュミオンと二人で工房の金庫に革袋をしまいに行った。戻って来た二人が小さめの革袋を孝宏に渡す。

『生活費。買い物する時に使うお金』

『ここから出せばいいんだね。解った』

 黒森之國の貨幣の単位はハルドモンド。この國が三日月ハルドモンドの形をしている事かららしいが、通常はハルド貨幣と言われる。金貨・銀貨・半銀貨・銅貨・半銅貨まであり、日本円にして金貨が十万円、半銅貨が十円位の値だ。半硬貨は文字通り円を半分に切った半円をしている。

 平民は金貨などはそうそうお目に掛からない代物だ。日常生活なら税を支払う時に見る銀貨までがせいぜいなのだ。なので、孝宏が渡された革袋の中も半銀貨以下の硬貨しか入っていない。それで充分一か月暮らせる。

『イシュカ、どんな仕事をするか解ってもらうには、見本を作れば良いんじゃないの?』

「見本?」

『うん。使う革の見本や、箔押しや空押しの文字や模様の見本とか、あと製本したものの見本とか作ってお客さんに見て貰えば良いかなあって』

「成程。本の見本は……まあ白紙で仕方ないか」

 ルリユールの仕事が見て解るのは外装だ。イシュカの呟きに、孝宏が反応を返す。

『白紙なら、売る為の手帳を作れば?中身に何か書いてあった方が良いのなら、俺が書こうか?物語なら書けるけど』

「物語?伝説や説話では無くてか?」

『俺が自分で考えたお話だよ。白紙の見本見るよりは面白いかもしれないだろ?開業までに何冊か出来たら、貸本してみる?本の使い心地確かめられます、みたいな感じで』

「……面白いかもしれないな。そんな独自の物語の本など聞いた事が無い。そうだ、いいものがある。二人とも付いて来てくれ」

 イシュカは孝宏とエンデュミオンを二階の使っていない家具を集めた部屋に連れて行った。

『この家具を下に持って行って使えば良いんじゃないの?丸テーブルと椅子置けば、客さんにお茶位出せるよ』

「そうだな、そうしよう。……これを見てくれ」

 イシュカは部屋の奥のテーブルに乗っていた物に掛かっていた白い布を取り払った。そこには黒光りする機械が鎮座していた。

『タイプライター!』

「前の住人のご主人が購入した物らしいんだが、引っ越しの時未亡人が使わないからと置いて行ったんだ。物語の原稿を書くのに使えないか?」

『使える!タイプライタ―使った方が読みやすいと思う』

「空いている部屋を書斎にすれば良い。他にも何か面白い発想があれば言ってくれ」

 その日は陽が暮れるまで、孝宏とイシュカはテーブルや椅子を店に下ろし、配置する事に費やした。エンデュミオンには流石にテーブルは運べないので、雑巾で運んだテーブルや棚を拭いて貰った。

 広い店は中程で脚付きの棚二つで半分に区切る事にした。百三十センチ程の高さの飴色の棚なので、カウンターからも棚の向こうのスペースが見える。

 棚はカウンターのある側を向いており、棚の背面側のスペースに二階で余っていた丸テーブルと椅子、布張りのソファーを置いた。こちらが商談・閲覧スペースだ。商談テーブルが埋まらない様に、一つのテーブルだけは<予約済み>と書かれた白木の札を置いて置く。

 商談者と閲覧者にはサービスでお茶とクッキー(プレッツヒェン)を一枚付ける事にした。

 家具の配置が決まったので、翌日はイシュカにカーテンの布地を買って来て貰った。レースは手編みで物凄く高価らしく、カーテンに使う人はいないらしい。安くて清潔感のある明るい生成りの布地を買って来て貰い、窓の長さを測り孝宏はカーテンを縫い上げた。真っ直ぐまつり縫いをすれば良いので、難しくない。カーテンポールを通せる様に縫い、店舗の分と、イシュカと孝宏達の部屋の窓の分を優先的に作った。空き部屋の分は、店が休みの日にでも追々縫えば良い。

 カーテンが出来上がれば、イシュカは客に見せる革見本と、箔押しに使う型の見本作りに取り掛かり、孝宏はリュックの中から常に持ち歩いていた、小説を書いた分厚いリングノートを取り出し、エンデュミオンとどの物語から翻訳するかを検討した。

 王や教会が禁止している事があれば、当然それを載せた本にする事は出来ない。恋愛ものだとして、何処までの表現が可能かなどもある。

 エンデュミオンによれば、「國家転覆を煽る様な革命的な話でなければ大丈夫であり、恋愛に関しては異性・同性のどちらも可能、キス以上の行為は比喩で書けば問題なく、直接的な表現の物は成年、つまり十六歳以上でなければ貸出しない決まりにし、本体にも注意書きを書けば良い」らしい。

(ジャンルによって本の色変えて貰うか。見た目で解る様にすれば、貸し出す時も間違わないし)

 ちなみに聖書は教会が独自で印刷製本しているので、他社は作る事は出来ない。活字を組んでプレス機で刷る凸版印刷はあるが、大量に刷って売らなければ割に合わないのだ。ちなみに聖書は洗礼の時に望めば無料で貰える物である。

(あとは書き方読み方だよな)

 自分でも欲しいこの本は、イシュカに頼んだ。日本語の五十音に相当する基本の文字は紙面に大きく欲しいので、イシュカに銅版画で作って貰った。大きな文字の下に、その文字を頭文字に使う動物や道具の名前と絵を入れる。文字は書けなくても絵を見れば何か分かるので、単語の発音が解る仕組みだ。ネイティブの場合はこれで大丈夫だろう。

 黒森之國では識字率はそれ程高くないと言う。王族や文官は当然読めるが、武官の騎士になると自分の名前しか書けない者も少なく無い。一応文官や武官である騎士を育成する学院では文字を習うのだが、騎士の場合は文字の習得に重きを置かないという。騎士は平民より位が高く、いざとなれば文字が読める従僕などを雇い入れる事で済ますらしい。

 商人は当然読み書き計算が出来るが、職人は出来ない者も多い。イシュカの場合は、親方が「いつか独立するかもしれないから」と徒弟全員に読み書き計算を教えてくれた。

 書き方読み方の本は明るい蜂蜜色の革にして貰う予定だ。ひよこっぽくて可愛いと孝宏が思ったからだ。

 そして肝心の物語は試し読みにするのに良さそうな掌編を五編入れた物を最初に作った。

 設定は黒森之國の建築物、姿や服装に合わせれば、ファンタジー小説なら対応出来る。風俗や習慣に関してはエンデュミオンが監修し、日本語から黒森之國語に翻訳して貰う。それを孝宏がタイプライターで清書した。

 イシュカが用意してくれた清書用の紙は厚めだったので、表裏とタイピングしても裏移りしなかった。

 会話文の都合で空いた場所に、イシュカが物語に関係するイラストを銅版画で刷り入れ、目で楽しめる紙面になる。

 五十枚程度の枚数の本になったが、紙が厚いのでそこそこの厚さになりそうだ。騎士を目指す平民の少年が幼馴染の少女の為に薬草を探しに<黒き森>に向かい、薬草を手に入れて少女が回復するまでを、旅の途中で様々な人やケットシーと出会う過程も描いた連作掌編だったりする。使っている単語からすると完全に子供向けでは無いらしいが、子供でも読める内容だ。校正を兼ねてイシュカに読んで貰ったが「面白い」と言って貰えた。

「じゃあ、後はこれを俺が製本するだけだな」

 原稿の束を汚さない様に隣のテーブルに置き、イシュカはソファーの背にもたれ掛かった。現在孝宏達は店舗の閲覧スペースに居た。実際に座ってみてどんな感じがするか試しているのだ。紅茶と小皿に乗せられたクッキーも、実際に試食用にテーブルに置かれている。

 イシュカはクッキーを摘まみ上げ、齧った。小麦粉を菜種油と楓の樹液でまとめたクッキーはさらりと甘く素朴な味だ。クッキー型など無いのでコップで抜かれ、一つが子供の掌を隠せそうな程の大きさだ。材料があれば時々味を変えたり、中に木の実などを入れるらしい。

 基本的に黒森之國で菓子とは家庭で母親が作る物だ。食事処や酒場はあるが、お茶と菓子を出す店は殆ど聞いた事が無い。しかも、イシュカの店ではお茶と菓子は無料なのだ。当然、お茶の葉は高級な物ではないし、菓子も素朴だ。でも、孝宏が入れるお茶も菓子も、不思議と美味しかった。

『イシュカ、店の名前は何て言うの?』

「……決めてなかったな」

『決めてないって』

 エンデュミオンが訳した言葉に、孝宏は驚いてしまった。ここまで用意して、何故店名が無い。

『看板だって要るんじゃないの?』

 入口の横の壁に、看板を下げる金具があるのは、孝宏だって気付いていた。

「んー、どうしようかな。本にも店名入れないといけないしなあ。鍛冶屋に型を頼まないと」

 ソファーに背中を預けたまま、イシュカは飲み頃になった紅茶を舐めていたエンデュミオンに目を向けた。見られている事に気付かず、桃色の舌でミルクをたっぷり入れた紅茶をちゃむちゃむと舐めているケットシーに、ぽんと手を打つ。

「これにしよう」

 数日後出来て来た青銅の看板には、〈本を読むケットシー〉のシルエットと共に、<Langueラング de chatシャ>と言う文字が金色で塗られていた。


 これが、ルリユール<Langue de chat>の始まりである。



ハルドモンド硬貨。

金貨=十万円

銀貨=一万円

半銀貨=千円

銅貨=百円

半銅貨=十円


エンデュミオンのへそくりは、数百万円はあります。

ちなみに銀貨四枚あれば、三人の一か月分の食費になります。


タイプライターは文字の大きさは変えられないので、五十枚でも意外と文字数はある感じ。本の大きさは基本がA4サイズです。

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初感想 猫の小説を探して辿り着きました。 大変面白く気に入り一気に半分位読んだのですが 感想が書きたくなり、初めから読み返しております。 このお話でエンデュミオンが紅茶を 「ちゃむちゃむ」と 舐めて…
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