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二藍の書(後)

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

どなたでも会員証をお作り出来ますので、ご相談下さい。


27二藍ふたあいの書(後)


 レオンハルトはリグハーヴスから王都に戻って直ぐ、魔法使いのトラムへ行った。

 直ぐ、とは言っても立太子の御披露目やらの、行事をこなしてからである。

 普段は全く辺りに人気がないのが魔法使いの塔だ。ここにかつて住んで居た者が者だけに、今では王族も余り近寄らない。

 王宮魔法使い(マイスター)エンデュミオンは、王の行幸ぎょうこうには必ず参加し、王が誰かと謁見する時も謁見室に控えていた。かつては王宮魔法使いの存在が王の強さの象徴としてあったと言う。

 王宮魔法使いとは、王家と契約した魔法使いのことである。

 大魔法使いエンデュミオンは他の魔法使いが力を借りる事の出来ない上級の精霊ジンニーと交流出来た。その力は余りにも強大で、故に彼は王宮から弟子は一人しか取らぬように制約を受けたと言う。

 エンデュミオン並みの大魔法使いが頻出し、反乱を起こされる事を恐れたのだ。

 大魔法使いエンデュミオンは長く王宮に仕えたが、彼の最期がどの様なものだったか、弟子達は伝えていない。

「ここか……」

 灰色がかった白い塔の扉は、頑丈にも金具で補強されていた。しかし鍵はない。外から掛けられる錠前を付ける金具はあるのだが、扉自体に鍵穴は無いのだ。

 扉にはドアの取っ手は、握る仕様ではなく金色に光る真鍮鋼の輪だった。

 レオンハルトが真鍮鋼の輪を掴み引っ張ると、ギイと音を立てて以外にも軽くドアが開いた。

「レオンハルト様」

 レオンハルトを押し止め、先に専属護衛騎士のハインリヒが塔の中を覗き込む。異常が無かったのか、先に入りレオンハルトに場所を開ける。レオンハルトは自分と専属メイドのティアナを塔に入れドアを閉めた。

魔方陣マギラッド?」

「魔法使いの塔には転移陣があると聞いていますから、それの事でしょう」

 ティアナの言葉に頷き、壁沿いに回る階段を上る。ぐるりと回った所で、踊り場が現れる。

 レオンハルトは踊り場にあったドアをノックした。

「どうぞー」

 中から返事が返って来たので、レオンハルト達は顔を見合わせた。

「失礼する」

 レオンハルトはドアを開けた。

「この塔に入って来た人は久し振りですね」

 ドアの中はいささか散らかった居間になっており、ソファーに小麦色の毛の人狼の青年が座っていた。

「まあまあ!」

 最初に動いたのはティアナだった。つかつかと居間に入って行くなり、床に散らばった洗濯物を拾い始める。

「せめて一ヶ所に集めたらいかがですか?それに床に置いては躓きますわよ!魔法使いでしたらご自分で洗えるでしょう!」

「そうなんですけどねえ」

 人狼の青年はかしかしと頭を掻く。

「ハインリヒも本を集めて下さい。レオンハルト様とこの方がお話出来る空間にしますよ!」

 ティアナに命じられ、ハインリヒも床の魔法書を拾い始める。レオンハルトも何もせぬ訳にもいかず、魔法書を集めた。

 服と魔法書位しか散らばってはいないのだが、居間にある本棚の本が殆ど出ているのだ。十五分程掛けて魔法書を棚に戻し終えた頃、ティアナも洗濯を終え服を畳み始めた。

「いやー、申し訳ないです」

 部屋の主はその間台所でお茶を淹れていた。台所は綺麗なのだ。偏り過ぎである。

 ぱっさぱっさと尾を振りながら、お茶を運んで来た人狼青年は、客人に三人掛けの布張りソファーを勧め、自分は一人掛けのソファーに腰を落とした。

「僕は魔法使いジークヴァルト。ええと、レオンハルト王子で良いんですか?」

「ああ」

「ちなみにどうやってこの塔に入りましたか?」

「ええと、リグハーヴスのルリユールで〈鍵〉を貰ったんだ」

 レオンハルトは服の内側にあるポケットから、エンデュミオンに貰ったショップカードを取り出した。それを受け取ったジークヴァルトの目が輝く。

「おやおや、大師匠おおせんせいじゃないですか」

「大師匠?」

「僕の師匠がフィリーネですから。フィリーネの師匠はエンデュミオンですよ」

「それをくれたのはケットシーだけど……」

「そうなんですか?」

 ジークヴァルトは愉しそうに笑った。

「楽しそうにしていましたか?」

「楽しそう、だったな。大切にされている様だったし」

 主の孝宏たかひろに抱き上げられて、まんざらでもない顔をしていた。それに美味しい食事を摂っていた。

 レオンハルトにショップカードを返し、ジークヴァルトは両手の指先を合わせた。

「それは重畳ちょうじょう黒森之國くろもりのくににとっても王家にとっても喜ばしい事ですよ」

「どういう意味だ?」

「王家には伝えられていませんでしたね、大魔法使いエンデュミオンの最期は。レオンハルト様は、エンデュミオンがどの位王家と契約していたかはご存知ですか?」

「いや、正確には知らない」

 かなり長い間だったと言う事しか。ジークヴァルトは溜め息を吐いた。

「六百年ですよ。その間自由に王都からも王宮からも出られなかったそうです。何しろ彼は王家の盾であり剣でしたからね」

「六百年……」

 ぞくりとレオンハルト達の背筋が凍る。

「彼は死に際、生まれ変わったら自由に生きる。魔法使いになっても絶対に王家と契約はしない、と言っていたそうです。現存する魔法使いが王家と契約しない理由は、これでお解りですよね?」

 王家と契約すれば使い潰される。そう思われているんですよ、とジークヴァルトは薄く笑った。

「あのケットシーは大魔法使いエンデュミオンの生まれ変わりだと、ジークヴァルトは思っているのか?」

「エンデュミオンなんて名前は簡単に名乗れないんですよ。名乗るべき者でないとね。王家を快く思っていないエンデュミオンが、ここの<鍵>を渡したと言う事は、あなたはまずまず及第点なのでしょう」

 あの方を裏切ったら滅びますよ、とジークヴァルトはにっこりと微笑んだ。


 ジークヴァルトとの出会いはそんな感じだった。

 エンデュミオンが居るルリユール<Langueラング de chatシャ>から本を借りる為、転移陣を使いたいと言えば、人狼の魔法使いは二つ返事で請け負ってくれた。

 ジークヴァルトは気さくな性格で、レオンハルト達が魔法使いの塔へ訪れても、嫌な顔をしなかった。

 毎回ティアナを先頭に居間を片付けた後、孝宏が本と共に送ってくれる焼き菓子(プレッツヒェン)でお茶を飲む。

 その時に借りた本の事や、魔法についてジークヴァルトと話すのだが、彼はレオンハルトが疑問に思っていた部分にあっさりと答えを出した。

「この菓子とこの物語を作ったのが、黒髪黒目の異國人で、彼が倭之國わのくにの人間だと証明出来なければ、〈異界渡り〉でしょうねえ」

「やはりそう思うか?」

「はい。おそらくリグハーヴス公爵からマクシミリアン王には報告されているでしょう。春には聖都シルヴィアナから審問団がリグハーヴスに行くに違いありませんよ」

「本当に〈異界渡り〉だとしたら、王は彼を王都に招集するだろうか」

 王宮図書館の蔵書作りを求められても不思議はない。

「滅びたいんですか?」

 真顔でジークヴァルトが言った。ハインリヒも無言で頷く。直接孝宏達と会っていないティアナは、良く解らないといった顔をしている。

「出来るのでしたら、レオンハルト様からそのような事をしないように、王を止めるべきでしょうね」


 相手はあのエンデュミオンですから。

 ジークヴァルトの声が耳に甦り、レオンハルトは読み掛けの〈竜胆物語りんどうものがたり〉に、栞代わりの返却日が書かれた短冊を挟んで閉じた。

 魔法使いの塔から自室に戻り、届いた本を読んでいたのだ。

 〈竜胆物語〉は倭之國の風俗を持つ架空の國の物語だ。

 下級貴族・六位のすすき家の娘が正室であった母親の死に伴い、新な正室になった元側室から虐げられ、竜胆が生い茂るひなびた別邸へと移される。そこへ、上級貴族である鳴滝なるたきの少将が通り掛かって娘を見初め、竜胆の君と名付ける。

 鳴滝の少将の正室となった竜胆の君は、密かに彼の邸に移され幸せに暮らす。

 娘を放置したままだった六位の薄は、上役との顔繋ぎに竜胆の君を使おうとするが、別邸は無人だった。

 噂から鳴滝の少将が娘の夫になったと知り、屋敷を訪れて無心するが、少将はすげなく追い返す……。

 読んだところまででは、そう言った内容だ。

(遠き國の物語か)

 倭之國の建物や服装、乗り物などが頭の中に色鮮やかに思い浮かぶ。

 挿し絵の人物は影絵だが、着ている十二単じゅうにひとえ束帯そくたいなどの装束、竜胆の君の部屋の調度品は精緻に描かれているのだ。

(この本は紫の薄様うすようなのだな)

 本を閉じれば、表紙が小袿こうちぎ、色が白から紫に移り変わる頁が五衣いつつぎぬなのだろう。竜胆の君が着用している重ねだ。

 通い婚と言う慣習は、レオンハルトを驚かせた。三日続けて床を共にすれば婚姻した事になるとは。それに複数の妻がいた場合、最も寵愛を受けている者が正室であり、寵が移れば正室の座も移ると言う。

 とは言え、鳴滝の少将は竜胆の君しか妻にしないのだが。

「レオンハルト様、王様がお出でになられました」

「直ぐに行く」

「いや、良い」

 ティアナの知らせに、椅子から立ち上がったレオンハルトだったが、居間からマクシミリアン王が執務室に入って来る所だった。

 立太子後、レオンハルトには王太子の居室が与えられていた。居間と寝室の他に執務室も付いている。今の所は教授陣から授業を受ける為に、専ら使われている執務室だが。

「父上」

 レオンハルトは床に片膝を付き、礼を取った。

「そなたの居室だ、楽にせよ」

「有難うございます」

 立ち上がり、部屋を見回しているマクシミリアンを窺う。

 マクシミリアンの行動自体は珍しいものではない。彼は昔から時折息子達の部屋を訪問しては、一対一で話す時間を取っていたからだ。

「最近、魔法使いの塔へ通っているそうだな」

「はい。リグハーヴスのルリユールから、本を借りていますが、それに塔の転移陣を使わせて貰っています。魔法使いジークヴァルトには、魔法についての教示も授けて貰っています」

「リグハーヴスのルリユールと言うのは、もしや<Langue de chat>か?」

「はい。先日公爵の館に逗留した際、縁を得ました」

 マクシミリアンは机の上に乗っていた、〈竜胆物語〉を手に取った。

「美しい本だな。これが貸本だと言うのか?」

「はい。誰にも売る事は無いそうです。ですが、誰にでも貸してくれます」

「〈異界渡り〉の〈贈り物(グシェンク)〉か。リグハーヴス公爵から知らせがあったが、独自の物語だそうだな」

「ご覧になられますか?」

 レオンハルトは本を開き、中の頁をマクシミリアンに見せてやった。

「これは……」

「倭之國風の物語です。慣習なども詳しく書いてあります」

 マクシミリアンは唸った。

「この書き手もルリユールも、王家と契約して欲しいものだが、リグハーヴスが漸く手に入れたルリユールだからな。取り上げる訳にもいくまい」

「はい。それに〈異界渡り〉と思われる者にはエンデュミオンが憑いています」

「エンデュミオンだと!?」

「ケットシーのエンデュミオンです。ですが、魔法使いジークヴァルトは大魔法使いエンデュミオンと同等の扱いをしています。滅びたく無ければ、彼らをリグハーヴスに置いておくべきだと考えている様です」

「しかし、エンデュミオンであれば、元王宮魔法使いではないか」

 レオンハルトは頭を振った。ジークヴァルトに言われなければ、レオンハルトも同様におめでたい考えだったろう。

「エンデュミオンは、生まれ変わったら自由に生きると最期に言ったそうです。王家とはもう契約しないと。父上、王家は六百年も彼を拘束していたのですよ?怨まれていてもおかしくないのです。今の彼の生活を脅かせば、黒森之國は破滅します」

「……現在のエンデュミオンの、大魔法使いとしての能力はそのままなのか」

「大魔法使いフィリーネに確認するのが宜しいかと。見た目は可愛らしい鯖虎柄さばとらがらのケットシーです。リグハーヴス公爵から聞いた話ですが、普段は店番をしたり弟子に文字を教えたりしているそうです。弟子とは、文字を教えている生徒の事らしいですが」

「弟子か」

 エンデュミオンは魔法使いの弟子を一人しか持てなかった。しかし唯一の弟子フィリーネは王家が恐れたような、エンデュミオン級の魔法使いには育たなかった。

「弟子を持ちたかったか……」

 六百年閉じ込められた大魔法使いは、今ケットシーとしての生を謳歌しているのだろう。

 ただの大魔法使いより、ケットシーの大魔法使いの方が余程危険度は高い。怒り狂ったケットシーに呪われれば、本当に黒森之國は滅びかねない。

「巡礼として聖都にはリグハーヴスに向かわせるが、形式的な確認に留めておこう。彼らの自由を阻害しないように」

「私からもお願い致します」

 マクシミリアンはレオンハルトが胸に抱く青紫色リラの本を見て、小さく笑った。つられてレオンハルトも微笑み返す。

「私でも借りられると思うかね?」

「勿論です。誰でも一回一冊銅貨三枚で二週間借りられるのが<Langue de chat>ですから」


 その日、風の精霊(ウィンディ)が王都から北東リグハーヴスに手紙を運んだ。

 〈アドラー王冠クローネ〉の赤い封蝋の付いた手紙は、小さなルリユール<Langue de chat>に届く。

 宛名を見たエンデュミオンは自分の爪で封筒を開いた。器用に前肢で便箋を開き、灰色で縞模様のある尾を振りながら目を通す。

「ふうん?」

 エンデュミオンの黄緑色の大きな瞳がきらりと光る。

 鯖虎柄のケットシーは二階に上がり、孝宏たかひろとの寝室に入って、自分の蓋付きの宝箱に手紙をしまった。

 この宝箱は蝶番で開く、いかにも〈宝箱〉と言う形の道具箱を、イシュカが大工のクルトに頼んで作って貰ったのだ。六人が各々持っている。

 王都からの手紙には、大魔法使いエンデュミオンへの長年の功労への謝罪と感謝、リグハーヴスでの生活の保障が記されていた。

 そして、追伸として<Langue de chat>の会員証を作って欲しい事が書き加えられ、現王マクシミリアンの署名があった。

「ふうん?」

 エンデュミオンは手紙の内容を思い出し、その場でポンと跳ねた。そのまま軽い足取りで寝室を出て、廊下を歩く。

「エンディ、良い事あった?」

 その姿を見た孝宏に問われるが、鯖虎柄のケットシーは「なにも」と答え、ただ目を細めるのだった。




大魔法使いエンデュミオンの過去を少し。


ケットシーは愛らしいのですが、扱いを間違うと大変危険なのです。

誰かに憑いているケットシーから主を奪おうとすると、必ず呪われます。

<Langue de chat>にはケットシー憑きが三人なので、ケットシーの危険さを知っている人には戦々恐々の場所だったりします。

ただし、襲われなければやり返さないので、下心が無ければ安全です。


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