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ロートケプヒェン・ヴァルブルガ

ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。

同居人、増えます。

25ロートケプヒェン・ヴァルブルガ


 イシュカの日課は、開店前の店の掃除だ。

 換気をしつつ、棚やテーブルや椅子を硬く絞った布で綺麗に拭き、床を掃いてからこちらもモップで拭く。窓をピカピカに磨くのは黒森之國くろもりのくにでは普通の事で、こちらも定期的に拭く。

(後は外だな)

 自分の店舗前の石畳のゴミなどを拾うのも、各店舗主の仕事だ。今は冬なので、雪の上に落ちているゴミ拾いだ。

 ちりりりん。

 箒と塵取りを持ってドアを開けたイシュカは、路地から小さな影が飛び出し、走って来るのに気が付いた。

(ケットシー?)

 赤いフード付きのケープを着た者の動きが、見慣れているエンデュミオンとルッツに似ていたので、直ぐに解った。しかしそれは疑問に変わる。

(何故ケットシーが一人で居るんだ?)

 ケットシーは主から離れない筈なのに。

 イシュカが疑問に思うのと、走って来るケットシーの来た路地奥から、「あの路地を曲がったぞ!」と言う声が聞こえるのはほぼ同時だった。

「入れ。かくまってやる」

 ドアを開けイシュカは近付いて来たケットシーに声を掛けた。イシュカをチラリと見て、赤いフードのケットシーは<Langueラング de chatシャ>に飛び込んだ。

 ベルが鳴らない様にそっとドアを閉め、イシュカは店前の掃除を開始する。

 早朝の閑静な空気を乱して、旅装の男が二人走って来たのを目の端に見て、イシュカは顔を上げた。男達は当然、イシュカに問い質す。

「ケットシーを見なかったか!?」

「どんな子だ?」

「赤いフードの上着を着ている奴だ」

「いいや。俺は今出て来た所だからな」

 男達は顔を見合せ舌打ちした。

「邪魔したな」

 市場マルクト広場の路地に走り込んで行く男達を見送り、イシュカは箒と塵取りを持って、店に戻った。ドアを閉め掛け金を下ろす。

「追っ手は撒いたぞ」

「……」

 赤いフードのケットシーがカウンターの影からひょっこりと出て来る。

「暫くここに隠れていると良い。うちにはケットシーのエンデュミオンとルッツも居るから」

「二人、も?」

「ああ、うちの同居人達に憑いているんだ」

 塵取りのゴミを紙袋に捨て、イシュカは掃除道具を片付けた。

「皆、二階に居るから。おいで」

 屈んで手を差し出すとおずおずと近付いて来たので抱き上げる。大きさはエンデュミオンと変わらないのに、随分と軽い個体だった。

「俺はイシュカ。名前は?」

「ヴァルブルガ」

女の子(フロイライン)か?」

「ううん。ヴァルブルガは男の子(ボイ)

 ヴァルブルガは本来女性名なのだが、ヴァルブルガの主は男の子のケットシーに名付けたらしい。

赤ずきん(ロートケプヒェン)だしなあ)

 ケットシーは見た目では男女の区別は付かない。着る物も主の趣味に寄るだろう。

 二階の居間に戻ると、半分眠ってぐらぐらしているルッツを膝に乗せて、テオがソファーに座っていた。

「お早うございます。……って、その子ケットシー?」

「ああ。何か追われていたから匿った。名前はヴァルブルガだ」

 イシュカはヴァルブルガのブーツを脱がせ、ラグマットの上に下ろした。

「可愛い。赤ずきんちゃん(ロートケプヒェン)だ」

 孝宏たかひろとエンデュミオンも台所から出て来る。

「着たままだと暑いだろう?ケープを脱がせるぞ」

「うん」

 建物の中は熱鉱石の集中暖房が入っていて、温かいのだ。イシュカがボタンを外し赤いフード付きのケープを脱がせる。ケープよりマントに近い長さの裾なのだが、雰囲気的にケープだ。中には白いシャツと葡萄色のベスト、焦げ茶のズボンを着ていた。ベストの腰の後ろには、共生地のリボンが結んであった。中性的な仕立てだ。

 ヴァルブルガは折れ耳の黒っぽいハチワレのケットシーだった。エンデュミオンより濃いグルューンに近い目をしている。

「何だこれ」

 めくれていた襟を直していたイシュカの指先が、固いものに触れる。

「首輪?」

「首輪、ヴァルブルガ取れないの」

「何!?」

 エンデュミオンがヴァルブルガの首元に顔を近付け、ぶわりと尾を膨らませた。

「これは魔法封じの首輪だ。こんなもの取って良い。イシュカなら取れるから」

「俺なら?」

「魔法を使えない者なら取れる。だから孝宏でも取れる」

「そう言う事か」

 イシュカは留め金を探し出し、ヴァルブルガの首輪を外してやった。ヴァルブルガがほっとした顔になる。

 結構きつめに締めてあったらしい。首輪の跡部分の毛がもつれてしまっている。一度ヴァルブルガの服を脱がせ、孝宏が差し出してくれたブラシで丁寧に櫛梳ってやった。

「ついでにお風呂入って来たら?ヴァルブルガのご飯も作っておくから」

「服はエンデュミオンが洗っておいてやる」

 ヴァルブルガの服の汚れから、数日は外を歩き回っていた様だ。服を見ると大事にされていた様なのに、すっかり毛艷も悪くなっている。それに魔法封じの首輪。これがあったからヴァルブルガは、走り回って逃げていたのだろう。

 ヴァルブルガがイシュカの手を両前肢で掴んで引いた。

「ヴァルブルガ、お風呂入りたい」

「そうか。じゃあ手伝ってやろうな」

 ヴァルブルガを抱き上げ、イシュカはケットシーをバスルームに連れて行った。

 バスタブにお湯を溜め、バスキューブを放り込む。ラベンダーの香りにヴァルブルガの桃色の鼻がひくひく動いた。

 ケットシーだけを入浴させるのなら、それほどお湯は溜めなくても良い。イシュカはヴァルブルガが座っても沈まない分だけお湯を張り、ケットシーをバスタブに下ろした。

「ふー」

 満足げな声を漏らす人間臭いヴァルブルガに、イシュカは少し笑ってしまった。

 シャツの袖を肘までまくり上げ、泡を掬ってヴァルブルガを洗ってやる。

 毛が濡れてみると、ヴァルブルガは随分と痩せていた。軽い筈だ。

「お腹空いてないか?」

「空いたの」

「お風呂上がったら、朝御飯だ」

「うん」

 シャワーで泡を綺麗に流してやり、身震いされる前に浴布トゥーフで包み、拭いてやる。床に下ろすとヴァルブルガは魔法を使い、自分の身体を乾かした。

「ヴァルブルガ、ふかふかになった」

 嬉しそうにイシュカの脚に抱き付く。

「良かったな。さあ、ご飯だぞ」

 ヴァルブルガを片足にくっ付けたまま、イシュカは居間に戻る。ヴァルブルガが楽しそうな声を上げた。

 今日は居間のソファー前にあるテーブルに朝食が用意されていた。ケットシー用の椅子が二つしか無いからだろう。

「ご飯だよ。ヴァルブルガにはリゾットにしてみたよ」

 ケットシー達は立つか主の膝に乗せて貰えば、テーブルに顔が出る。

「ご飯、久し振り」

 食前の祈りの後、何か聞き捨てならない言葉を言って、ヴァルブルガが木匙を握る。木匙で掬ったリゾットに息を吹き掛けて少し冷まし、口に入れる。きゅっと目が細くなった。

「美味しい」

「ゆっくり食べてね」

 牛乳が入ったストロー付きのコップを近くに置いてやり、孝宏はヴァルブルガを観察した。

(うーん、黒と白と茶色も入っているよなあ)

 ヴァルブルガは基本黒と白のハチワレなのだが、部分的に茶色のぶちがあるのだ。つまり、三毛だ。そして、どうやら男の子らしい。お風呂に入れるのに、イシュカが躊躇ためらわなかった所を見ると、間違いなく男の子だろう。

(ケットシーでも三毛の男の子って珍しいのかな)

 食事中に聞く話でもないと思い、孝宏は特に追求せずに食事に戻った。

 食事を終えたヴァルブルガが前肢で目を擦り、眠たそうな素振りを見せ始めたので、イシュカは自分の部屋に連れて行き、ベッドに寝かせてやった。

 カーテンを引き、部屋を薄暗くしてやる。

「欲しいものがあったら居間に行くと良い。誰かは居るから」

「うん」

「ゆっくりお休み」

 イシュカはヴァルブルガの頭を撫で、部屋のドアは開けたままにして、居間に戻った。


「ヴァルブルガ、大丈夫そう?」

「ああ、怪我はしていなかった様だし」

 エンデュミオンが洗ったヴァルブルガの服を畳み終え、孝宏はソファーの上に重ねて置いた。

「これ、凄く丁寧に作られた服だよ。ベストに刺繍入れてあるし」

 葡萄色のベストには、小鳥と草花の刺繍が入れてある。何となく子供服の感覚で作られている気がした。

「あとね、ヴァルブルガって三毛の男の子だよね。かなり珍しいと思うよ」

 孝宏の隣で座っていたエンデュミオンも、こくりと頷く。

「ケットシーが一人で居るのは、主が居なくなった時だけだ。〈黒き森〉に帰ろうとしていたのだろう。何処で魔法封じの首輪を付けられたのだろうな」

「〈黒き森〉かー。もしヴァルブルガが帰るって言うなら俺達で送って行くよ」

 テオがルッツの頭を撫でながら言う。

「そうだな」

 エンデュミオンはちらりとイシュカを横目で見た。イシュカはそれに気付かず、顎を指先で擦る。

「しかし、追っていた男達は何なんだろう。ケットシーは選んだ人にしか憑かないよな?」

「そう。主が死んだら〈黒き森〉に戻る。途中で新しい主を見付ければ別だが」

「そう言う事もあるんだ」

「多分、追って来た奴らはそれを狙ったんだろうが、ヴァルブルガが全て断ったんだろう」

 邪な考えを持っていれば、ケットシーは直ぐに解る。

「一体、何処から来たんだろうな?」

 今はまだ雪が深く、街や集落を繋ぐ道が辛うじてある程度だ。魔法を使えない状態のケットシーなら、随分と苦労しただろう。

「まあ、暫くうちでゆっくりしていけば良い」

 イシュカに全員が同意し、ヴァルブルガは<Langue de chat>に滞在する事になった。


 大魔法使い(マイスター)フィリーネの元に精霊ジンニーが手紙を運んできたのは、冬の日の早朝だった。

 ヴァイツェアにある湖に建つ魔法使いギルド本部の塔に暮らすフィリーネは、ベッドの中で手紙を受け取った。

「ハイエルンのギルド長から?」

 それはハイエルンに住んでいた魔女ウィッチが亡くなった事と、彼女と暮らしていたケットシーが行方不明になっている事が書かれていた。後継者が診療所と共にケットシーも遺産として手に入れようとし、逃げ出されたらしい。

 寝乱れてもつれた髪を掻き上げ、フィリーネは少女の様な顔を思い切りしかめた。

 ケットシーは物ではない。意思のある生き物だ。もし彼らに何かあれば、ケットシーの王は怒るだろう。

 既にケットシーの意思を無視した行為には、ハイエルンの魔法使いギルドより厳重注意を与えた様だが、肝心のケットシーが見付からないと言う。

「姿を消したのはリグハーヴス……?」

 フィリーネの脳裏に、二つの可能性が浮かび上がった。

 一つはケットシーが既に〈黒き森〉に帰還した可能性。もう一つは何処かで匿われている可能性。

 そして思う。

 ケットシーが安全に匿って貰える場所が、リグハーヴスにはあるではないか、と。


 ヴァルブルガは食事を取り、睡眠をたっぷり取ると、数日で元気になった。

 最初に会ったイシュカに懐いて、良くくっ付いている。風呂に入るのも寝るのも一緒だ。

 内密に洗い替え用の服をマリアンとアデリナに頼んだり、孝宏が眠り羊の毛でセーターを編んだので、やたらと防御力が上がった服装になっていた。

 店が開いている時間は、二階で過ごして貰っているが、孝宏の書斎に本があると気付き、読んでいる様だ。

 今のところヴァルブルガが〈黒き森〉に帰ると言い出さないので、そのまま匿っている状態だ。

 ちりりりん。

 その日、閉店間際に、大魔法使いフィリーネと魔法使いクロエが、<Langue de chat>に現れた。クロエは兎も角、ヴァイツェアに住むフィリーネが来るのは珍しい。

「いらっしゃいませ」

「今、良いかしら?聞きたい事があるの」

「ええ」

 イシュカはドアに〈閉店〉の札を掛け、フィリーネとクロエを閲覧スペースに案内した。

 椅子に座るなり、フィリーネはイシュカの目を見上げた。

「<Langue de chat>に三人目のケットシーが居ないかしら?」

「……何処からそれを?」

「リグハーヴスで安全にケットシーが匿って貰える場所はここだと思うからよ」

「無理に連れて行ったりしませんか?」

「勿論。そんな事をしたら師匠せんせいに呪われるわ」

 フィリーネが言う師匠とはエンデュミオンの事だ。何故か彼女はエンデュミオンをそう呼ぶ。

「では連れて来ます」

 イシュカは二階に上がり、居間に入った。

「イシュカ」

 とことことヴァルブルガが寄って来てイシュカの脚に抱き付いた。

「ヴァルブルガ、お客さんだ。大魔法使いフィリーネと魔法使いクロエが話を聞きたいそうだ」

(ナイン)

「大丈夫だ、ヴァルブルガ。フィリーネは本当に話をしに来ただけだろうから」

 エンデュミオンが即答拒否するヴァルブルガの頭を前肢で撫でる。

「俺も下に行くよ、イシュカ」

 孝宏も夕食の支度をしていた台所から、手拭いで手を拭きながら居間に出て来た。

 結局孝宏はエンデュミオンを、イシュカはヴァルブルガを抱いて店に下りた。

「お待たせしました」

 フィリーネはじっとヴァルブルガを観察した。

「三毛のケットシー……。あなたが魔女アガーテのケットシーだったのね?」

うん(ヤー)

 こくりと、イシュカの腕の中でヴァルブルガが頷いた。

「魔女アガーテ?」

「ハイエルンの魔女アガーテ。診療所を開いていたのだけれど、先日亡くなったの。それで相続者が何を勘違いしたのかケットシーも相続しようとしたのよ」

「そいつは馬鹿か?」

 エンデュミオンの切り返しに、フィリーネもこめかみを揉む。

「その勘違いに関しては魔法使いギルドから厳重注意をしましたわ。憑く人を選ぶのはケットシーだって」

「あー、だから最近街をうろちょろしている人が居なくなったのか」

 孝宏が納得する。不審者が居ると、領主の騎士や年頃の娘を持つ男達がピリピリしていたのだが、最近は不審者の噂を聞かなくなっていた。雇い主が注意を受けた為、引き上げたのだろう。

「ええ、だから外に出ても大丈夫だと伝えに来たの」

「そうですか。良かったな、ヴァルブルガ。〈黒き森〉に帰れるぞ」

 イシュカがヴァルブルガの丸い頭を撫でると、ケットシーはふるふると首を振った。

「ヴァルブルガ、帰らない。ここに居るの」

 ヴァルブルガはイシュカの服にしがみついた。

「良いのか?」

「うん」

 すりすりと頭をイシュカに擦り付けるヴァルブルガを見て、エンデュミオンは首を傾げた。

「イシュカ、まだヴァルブルガに憑かれているのに気付いて居なかったのか?」

「え!?だって名前……」

 憑かれた人間が着けるのではなかったか。確かに懐かれているとは思っていたが、憑かれているとは思わなかった。

「ヴァルブルガが憑くと決めた後も〈ヴァルブルガ〉と呼んでいたからそのままだな」

「そうなのか。いや、ヴァルブルガで良いんだが……」

 それが一番合っている気がする。

「どうして魔女アガーテは女の子の名前を着けたんだ?」

「ヴァルブルガ、三毛の男の子。珍しいからアガーテが男の子だとバレないようにした」

 だから中性的な色の服を着ていたらしい。

「ハイエルンの魔法使いギルドには、ヴァルブルガが新しい主を選んだと伝えておきますわ」

「宜しくお願いします」

 イシュカはフィリーネとクロエに頭を下げた。


 翌日から、<Langue de chat>には一人、ケットシーが増えた。

 三本足の椅子に乗り、イシュカの隣でカウンターから顔を出す三毛のハチワレケットシー。

 運が良ければケットシー三人に一度に会えると、密かなラッキースポットになる<Langue de chat>だった。



エンデュミオンとヴァルブルガは、人の膝丈までの身長。ルッツはこの二人より少し小柄です。

年齢もエンデュミオンとヴァルブルガが同じ位。ルッツはもっと若いです。

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