新年市場の迷子(後)
ルリユール<Langue de chat>は、製本及び痛んだ本の修復を致します。店内には素材の見本の他、製本後の本の見本もございます。本の試し読みも出来ますので、詳しくは店員にお訪ね下さい。
王は民の為に。民は王の為に。
23新年市場の迷子(後)
レオンハルトの御付の騎士はハインリヒと言う名前だった。
「早とちりして申し訳ない!」と床に正座するハインリヒの片頬を、エンデュミオンは前肢でぺちぺちと叩いた。ちょっぴり爪も出ているのは御愛嬌だ。
「このエンデュミオンの目の前で剣を抜こうとするとは良い度胸だ。この店に危害を加えるのは、エンデュミオンの目が黄緑色の内は許さん」
「エンディ、皆無事だったんだから、もう良いよ?」
孝宏がエンデュミオンの頭を撫でる。鯖虎柄のケットシーは不満そうな声を「ぐう」と上げたが、素直に孝宏に抱き上げられた。
「済まない。この男は私の護衛騎士なのだが、せっかちな所があって」
「せっかちどころか猪じゃないのよ。もう少し落ち着きなさいな」
マリアンの声がハインリヒをぶった切る。
「それにしてもテオ、あなた良く動いたわね。流石、地下迷宮経験者ね」
「いやあ、俺は浅い層までしか行ってないよ」
「何階層まで行ったの?」
「二十階層」
「はあ!?」
けろりとして答えられた数字に、レオンハルトとハインリヒが目を瞠る。國として魔物狩りで行く階層は騎士が十階、傭兵が十五階までだ。魔石回収の為の魔物狩りなので、深部までは潜らない。十六層以下は冒険者の独壇場になる。現在まで踏破されているのは五十階層までである。そしてまだ地下迷宮には底がないと言う。もしかしたら、地下にずっと潜っている訳では無く、階層移動の転移陣で王國の地下を移動させられているかもしれないと言う一説もあるが、定かでは無い。
冒険者にとって二十階層は浅いが、一般的には既に充分深い。そこらの王國騎士とやり合えば、テオの方がほぼ確実に勝つレベルだ。
地下迷宮二十階層まで行っておきながら、軽量専門配達屋をしているテオは、明らかにおかしいのだが、殆どの者はテオが二十階層まで行った事を知らない。
「勿論一人で潜っていた訳じゃないよ。<紅蓮の蝶>ってパーティーに入ってたよ」
「<紅蓮の蝶>って階層踏破順位上位の所じゃないの?」
「そうらしいね」
テオは肩を竦めた。特に未練もないらしい。肩の上に乗ったルッツが、テオの蜜蝋色の後頭部におでこを擦り付けている。恐らく「自分のだ」と匂い付けをしているのだろう。
「何にせよ、ヘア・ハインリヒ連れて来てくれて良かったですよ。これ、アデリナと召し上がって下さい」
孝宏は一度二階に行き、スモアを蝋紙の紙袋に入れてマリアンに渡した。
「あら、お菓子?有難う、アデリナも喜ぶわ。坊やも騎士様も、今は色んな人が多く街に居るから気を付けるのよ」
ひらひらと手を振って、マリアンは自宅兼店である<針と紡糸>に帰って行った。
「レオンハルトもお迎えが来たから帰るのか?」
「うん。あの、お願いがあるんだ」
レオンハルトはイシュカを見上げた。それから本棚を指差す。
「さっきのあの本が読みたいんだけど、売っては貰えないかな」
「うちは貸本しかしていないぞ?売る事は無い」
「この方はレオンハルト・シュヴァルツヴァルド様だ。本来なら献上するべきだぞ」
正座したままハインリヒが、レオンハルトの申し出を断ったイシュカに抗議の声を上げた。
「誰でも答えは同じだ。例え國王でもな」
イシュカとハインリヒのやり取りを聞いていた孝宏は、頭の中でレオンハルトの家名を訳してみた。シュヴァルツヴァルドは<黒い森>と言う意味だ。黒森之國という國名と同じと言って良いだろう。つまり、やんごとない立場の子供だったりするのだろうか。多分そうだろう。
でも、孝宏もイシュカと考えは同じなのだが。孝宏は抱いたエンデュミオンの頭に顎を乗せたまま、レオンハルトに屈んだ。
「民の税金で暮らしている人達が、民から献上って形で更に巻き上げようとするのって何でなのかな?」
「え……」
レオンハルトとハインリヒが固まる。孝宏の質問が唐突過ぎたのだろう。
「搾取階級ってさ、民が居なければ生きていけないじゃない?農民居なければ食べていけないし。王って言う頭が居ないと國としては機能しないかもしれないけどさ。民衆はさ、王や特権階級の為の王は要らないんだよ。民衆が欲しいのは安定した暮らしを与えてくれる王だ。内乱で兵士として家族を攫って行く王は要らないんだよ。そう言うのって解ってる?」
「まあ、そう言う王は民の事を考えない無能だな」
ハッとエンデュミオンも鼻を鳴らす。この世界では他の國と戦争をする事はまず無い。あるのは内乱なのだ。
「<Langue de chat>は皆の為の貸本をしたいんだ。だから、レオンハルトも読みたかったら、借りてくれるかな。他の人も次に読めるようにね」
「……うん。じゃあ幾らで、いつまで借りられる?」
「一回一冊銅貨三枚。貸出期間は二週間。早目に返却した場合はもう一冊期間内で無料で借りられるよ。でも子供は銅貨一枚だよ」
「じゃあ、これ」
レオンハルトは棚から<少年と癒しの草>を持って来た。腰につけていた革袋から、銅貨を一枚取り出す。
「はい、承りました。イシュカ、会員証作って」
「ああ」
エンデュミオンを床に下ろし、孝宏とイシュカはカウンターに入った。半透明の水晶雲母の会員証を作り、本の内ポケットに挟み、返却日の書いた短冊を栞の様に頁の間に差し込む。
「はい、どうぞ。暫くリグハーヴスに居られるの?」
「良く解らない……」
「そっか。もし返却に間に合いそうになければ、自動的に返却されるから気にしないで良いよ」
「王都に帰った後、続き読みたくなったら?」
「遠方の客への貸し出しは考えて居なかったな」
イシュカが顎を掻く。
「そうか……」
がっかりした様子のレオンハルトに、エンデュミオンは鼻の頭に皺を寄せて、ぽしぽしと頭を掻いた。ぱん、と尻尾でレオンハルトの脹脛を叩く。
「仕方がないな、条件が整っているから、特別扱いしてやろう。今、王宮魔法使いの塔を管理しているのは誰だ?ああ、王宮魔法使いが居ない事は知っている」
「ええと、確か魔法使いジークヴァルトが管理人をしている」
「ジークヴァルトか。フィリーネの一番弟子だったな。なら、魔法使いの塔の転移陣に本を送ってやるから、ジークヴァルトに受け取って貰え。返却は自動返却で良いから。それで良いか?イシュカ」
最終決定権は店主のイシュカにある。
「エンデュミオンがそう出来るのなら構わないぞ」
「うん」
エンデュミオンはカウンターの内側の三本脚の椅子に登り、ショップカードの裏に<Endymiōn>と万年筆で書いた。そこに肉球をぺろりと舐めて押し付ける。「<硬化>」と言うと、紙のショップカードが水晶雲母並みの硬さに代わる。
「これをジークヴァルトに見せろ。これ自体は魔法使いの塔への鍵になるから、自分で持っていると良い」
「魔法使いの塔へは王族でも簡単には入れぬ筈だが」
「塔に入らねば本が受け取れないだろう。ジークヴァルトは研究し出すと音など聞こえないぞ。レオンハルトも魔法が使えるだろう?精霊で本を貸して欲しいと連絡して来たら、本かもしくは何かしらの返事を出すから、次の日には塔に行け」
「解った。有難う」
エンデュミオンからカードを受け取ったレオンハルトは嬉しそうに笑った。
「一寸待っててね、おやつあげるよ」
孝宏が二階にスモアを取りに行く間、レオンハルトはカウンターから出ているエンデュミオンの顔に話し掛けた。
「もう一つ聞いてもいいか?」
「何だ?」
「ケットシーと友達になるにはどうしたらいいんだ?」
「ふうん?」
にま、とエンデュミオンが笑った。ペロリと舐めた肉球を、レオンハルトの額にぽんと押し付けた。
「〈ケットシーの祝福を〉」
「わ、何?」
「お前が成年になったら、〈黒き森〉に行くと良い。お前がこの國を継ぐに相応しい者ならば、辿り着けるだろう」
文武共に励めよ、と鯖虎柄のケットシーは黄緑色の大きな目を細めた。
「レオンハルト様!」
領主館の与えられている部屋に戻ると、王都から一緒に来ている専属侍女のティアナが、腰に手を当てて待ち構えていた。
「ハインリヒだけしか供を付けずにお出掛けになるなんて!」
「ちゃんと帰って来ただろう」
「当たり前です。こんな大切な時に何かあったら、リグハーヴス公爵のお立場にも関わるんですよ?」
レオンハルトは現王の第二王子だった。ただし、正妃の子供だ。
王にはもう一人側室が生んだ第一王子がいる。レオンハルトより二つ年上だ。
今、王宮では二人の王子のどちらを王太子にするかの選定が行われていた。勿論、決定権は王にあるのだが、各々の王子を擁する派閥があるのだ。
レオンハルトの母親はリグハーヴス公爵アルフォンスの妹だ。第一王子の母親は、第二等の位階を持つ武官の娘だ。
妃の地位を考えればレオンハルトなのだが、第一王子も神童だと言われる程優秀だった。故に双方の派閥が色めき立つのだ。
選定が済むまで身の安全の為、レオンハルトは伯父であるアルフォンスの元に預けられたのだ。旅程の最中襲撃を受けない様に秘密裏に王都から出た。
説明も無いまま連れてこられ、当初は荒れたレオンハルトだが、アルフォンスにきちんと説明して貰い自分の立場を納得した。
だが、十歳の子供である。領主館の使用人達が新年市場の事を話題にしているのを聞き付け、専属護衛のハインリヒだけを連れて出掛けたのだ。
邸の囲壁の扉の所に居た騎士に、何人か付けるから待てと言われたのだが、待てずにそのまま街へ降りてしまった。ハインリヒと人混みではぐれたのは、案の定と言われても仕方がない。
「迷子になったんだが、良い人達に助けて貰って、昼食までご馳走になってしまった。あと、これを」
本が入った革袋と菓子が入った蝋紙の袋を渡す。
「これはどうなさったのですか?」
「助けてくれたのが貸本をしているルリユールだったのだ。これは読みたくて借りて来たのだ。菓子は貰ったのだが、美味しいぞ」
「お毒味は?」
レオンハルトは笑った。
「彼らの作る物を疑えば、憑いているケットシーに呪われよう」
「まあ、ケットシー憑きですか」
「ああ」
トントンと、ドアがノックされた。ティアナが扉を開けに行く。
「レオンハルト様、アルフォンス様がお見えです」
「ああ。どうぞ伯父上。ティアナ、先程の菓子でお茶を用意してくれ」
「かしこまりました」
アルフォンスをティーテーブルまで案内し、ティアナは部屋にある簡易台所でお茶の用意を始める。
「街まで行って来たんだって?」
この伯父は二人きりの時は気さくに話し掛けて来てくれる。
「勝手に行って申し訳ありません」
「無事に戻って来て何よりだ。今度からは私服の騎士を何人か付けて行くと良い」
「はい」
ティアナが白い生地に花模様の描かれた皿に、二種類のスモアを乗せて運んで来た。
「おや、これは?」
「今日会って世話になった方から頂いたのです。スモアと言うのだそうです」
アルフォンスは肉桂と胡桃のスモアを取り、半分に割った。挟まれている白いマシュマロが抵抗する様に少し延びる。噛めばクッキーの間に、不思議な食感を覚える。
「これは何だろうな……チョコレートは解るが。これは何処で貰ったんだい?」
「<Langue de chat>と言うルリユールです」
「ああ、あそこか」
アルフォンスが納得した笑みを浮かべたのに、レオンハルトは驚いた。
「伯父上も知っていましたか」
「まあ、ここの領主だからね。あそこは変わっていただろう?」
「はい。物語の本に、珍しい菓子、それにケットシーが二人も」
「二人?一人では無くて?」
「鯖虎柄のケットシーと錆柄のケットシーが居ました。鯖虎のエンデュミオンがタカヒロのケットシーで、錆柄のルッツがテオのケットシーです」
「……っ」
アルフォンスは侍女が運んで来たお茶を飲み掛けていて、噎せた。
「げほっ……テオとルッツ?」
「テオは地下迷宮を二十階層まで行った事のある冒険者だそうです。ハインリヒを二人であっという間に制圧していました」
ココアと南瓜の種のスモアをかじり、レオンハルトはにこにこしているが、アルフォンスの方は心穏やかでは無かった。
(二十階層まで行った冒険者を、案内役にこき使ったのか……)
そこらの騎士や傭兵より強い冒険者を。それは、憑いているケットシーも怒る。呪われても仕方ない。
「伯父上」
「何かな?」
「兄上と私のどちらが王太子になるかは解りませんが、もし私が王太子になったら、民の為の王になろうと思います」
「……そのお心を忘れない様になさると良い」
今まで王位継承について一言も発言した事のないレオンハルトの言葉に、内心驚きながらもアルフォンスは嬉しく思った。
<Langue de chat>で何が起こったのかは解らないが、レオンハルトにとって悪い出来事では無かった様だ。
王妃の兄であり、この第二王子の後ろ楯として、アルフォンス・リグハーヴスは改めて、レオンハルトを護る決意をした。
三日後、レオンハルトの立太子が正式に國内外に公表され、彼は王都に帰還した。
後日、王家の紋章である〈鷲と王冠〉の封蝋が押された礼状が、リグハーヴス領主家を通して<Langue de chat>に届けられる。
王太子レオンハルトとリグハーヴスのルリユール<Langue de chat>の交流は、誰に咎められる事もなく、続いて行く。
王太子になったレオンハルト。継承問題で王宮内は一寸ギスギスしていました。
この世界では飛び道具系は魔法か呪術か弓矢位しか無いので、船で二カ月移動しないといけない他の國と戦争はしたりしません(國土で充分)。
魔法のシステムが国によって違う場合もあるので。魔法は<精霊の力>を借りますが、式神や呪は自分の持っている<力>を使います。
強さ的には大魔法使いエンデュミオンと呪術師蒼樹笹舟がぶつかると、國一つ滅ぶかな、位で。この二人が規格外。
危険すぎるので、どの國も最強の魔法使いや呪術師は國外には出しません。
*蒼樹笹舟は『チェンジリング。』に出て来る五位少将。倭之國一の貧乏領・颯雲領領主です。ムーンライトの方で連載しています。




